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MARCHはすべりどめ  作者: なしごれん
MARCHはすべりどめ
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第三話

しばらくして賢二の手が止まった。どうやらわからない問題に当たっているようで、彼は右手で頭を抱えてじっとノートを眺めていた。


「こういう時は変に考えこんじゃダメだ。さっさと次の問題に取り掛かったほうがいい」


「でも、わからないものをそのままにしておくのはまずいだろぉ?」

賢二はそう言って、参考書の後ろにある解答冊子に手を付けた。


「おい、待てよ。答えはこの章が終わってからまとめてやれ。途中で答えを見ると、嫌でも他の問題まで見えちゃうだろ」

宏太は賢二の手から解答冊子を引っ手繰ると、それを机の下に置いた。


「いいか?三分考えても手が止まるようなら問題を飛ばせ。それ以上悩んだって解法は浮かんでこない、時間の無駄だ。わからなかったら飛ばして、すぐに次の問題に取り掛かる。これは受験の常識だぞ。くれぐれも解答を見ないようにな」


「どうして答えを見ちゃいけないんだ?」

宏太が色々と口出しをしてくるので、賢二は少し不機嫌な表情を見せてそう言った。


「すぐに答えを見ると諦める癖が付くからなぁ。大学入試ってのは限られた時間内に、どれだけ志願者が頭を働かせられるかってのを測るものだから、すぐに答えを見るのは思考力が身に付かない。入試本番でちょっと捻った問題が出題されたときに、思考力が身についていないと混乱してパニックになる。『こんな問題、解いたことないからわからないよ』って脳が判断して、頭が止まっちまうんだ」



宏太は私立高校の受験の際、塾の先生に何度も基本問題を解かされたことを言って聞かせた。北大を出たその先生は、徹底的に基礎を磨けば、たとえ難問が本番に出題されても、八割方は解くことができるのだと、宏太に何度も語っていた。


「試験や入試ってものは人間を選抜するために行うものだろぉ?だから、受験する人数が多けりゃ多いほど、一点の間に集中する人数も多いんだ。大学入試は定員が限られているから、なるべく一点に数が集中しないようにって、百人中一人か二人かしかわからないような問題を出してくるんだよ」


「受験生に満点を取らせないためか?」


「まぁ、それもあるけど。一般的に難問て呼ばれるものは、複雑な応用問題なんだよ。単元の壁を無くした広い視野と思考力が求められる……何て言ったらいいのかなぁ……とにかくすごく時間がかかるんだよ」



一般的に共通テストと言うものは、高校生が三年間で習う教科書の知識を使えば全て解けるようにはなっているのだが、それでも年によっては平均点のバラつきは否めない。特に長年のセンター試験が共通テストと名前を変えてからは、より思考力や判断力、素早い情報処理能力が求められる問題が多くなっているので、受験生にとっては一問が命取りとなるのだと、宏太は語った。



「だから基礎が大事なんだよ。今、お前がやってる参考書はな。本来なら高校一年生が半年で終えなきゃいけないものなんだけど、その中に書いてある事柄が全て理解できれば、高校物理の八割は完成したと言っても過言じゃないんだ。だから何度も何度も基礎を反復して土台を固める。後は少しの発想力と思考力を身に付ければほぼほぼ合格さ。そもそも応用ってのは基礎があって初めて成り立つもので、避けては通れない、一番時間をかけていいものなんだよ」



そこまで口にして、宏太は自分でも驚くくらい熱心に、大学受験と言うものについて熱弁していることに気が付いた。それは目の前の賢二が聞いてもいないようなことを、ペラペラと語っていたことからもわかるように、宏太は半ば独り言のように受験についての知見を発散させていたのである。



彼はそうしていると、どこか懐かしさと新鮮さが合いまった、一種の郷愁のようなものにかられた。そうだ、俺がやってきたことは無駄ではなかったのだ。今まで勉強漬けの毎日を過ごし、大学受験という人生の分岐点に全てを捧げてきた自分にとって、学校に行けないとう不測の精神的疾患は、それこそもう自分の人生が絶たれたと言っても過言ではない心持にさせたのだ。


けれど今は違う。学校を辞めてから自堕落な生活を続けてきた自分に、あろうことか幼馴染の賢二が勉強を教えてくれと尋ねてきたのだ。それも、そいつは一橋大学と言う、たとえ自分が学校に通っていたとしても行けるかわからない、国内最高峰の大学を志願しているのだ。



宏太は今までに感じたことのない高揚感が、自分の鼓動を速めていることに気が付いていた。それは今日突然家に現れて、獲物を狙う豹のような表情で勉強を教えてくれと言ったこの辻村賢二の心意気がきっかけで生じた、ある種の生きる目的のようなものだったので、彼は久方ぶりに感じたこの胸の高鳴るような恍惚とした気持ちを強く噛みしめ、額から伝ってくる汗をぬぐった。



俺はやる。やってやるぞ。何年たってもいい。俺はこいつと一緒に一橋大学に合格してみせるぞ。宏太は唐突に芽生えたこの野心的な気持ちを、目の前の賢二に熱く語ってみようと思ったが、深刻な表情で参考書を見やり、熱心に問題と向き合っている彼の容貌を見ると、どうにも邪魔をするのは申し訳ないと思って、宏太はコップに入った麦茶を一口で飲み干し頭を冷やした。

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