01:シャルル・プラティニは結婚できない。
俺は大きなコップにいっぱい入った酒を一気に仰いで飲み切ってコップをテーブルに叩きつける感じで置いた。
「ぷはぁっ! ……はぁぁぁ、無理だぁ、詰んだぁ、もう死ぬしかないぃ」
「何を言っているんだ、シャルルはまだ二十六だよ?」
「お、おま……、お前ぇ⁉ 二十六ってもう結婚しているのが当たり前な年だろうが! この世全ての二十六歳は結婚して子供がいるところがあるくらいだぞ! 考えてみろ、お前もそうだが! 俺以外の同世代は全員が結婚しているんだぞ⁉」
「いや、それは言い過ぎだよ。結婚していない奴もいると思う」
「あぁぁぁぁ……、こんなことなら世界なんて救わなかったら良かったぁぁぁ……」
「物騒な」
目の前で俺と一緒のものを飲んでいる爽やかで顔が良くて性格も良い、俺には勿体ないくらいの友達である男、レオ・リュリが少し引きながら俺の愚痴を聞いてくれていた。
「世界が救われても、俺が救われなかったら意味がないだろぉぉぉぉ……」
「まぁ、それはそうだね。でもシャルルにはまだ全然チャンスがあると思うよ?」
「慰めなんていらねぇんだよぉっ!」
「じゃあ何を言えと?」
「適当に相槌打ってくれていればそれで良いんだ! どうせ俺は自分の幸せの代わりに世界を救った犠牲者なんだからなぁぁぁっ……」
俺はテーブルにあるまだいっぱい入った酒が入ったコップを手に取って、再び一気に飲み切る。
「ぷはぁっ! ヤケ酒が一番うめぇ!」
「そんなに飲んでも大丈夫なのかな?」
「気にしてくれてどうも! でも大丈夫じゃないから安心してくれ!」
「うん、それは安心できないね」
俺は三つ目の酒を飲もうとしたが、それはレオが先に取ったことで飲めなくなった。
「もう一生結婚できずに、老後を山奥で暮らすしかないんだぁぁぁ……」
「シャルルは世界を何度も救った英雄なんだから、結婚なんて秒読みだと思ってたけどね……」
「秒読みってんだよ⁉ 秒数を数えるくらいに時間が有り余るってことか⁉」
「シャルル、キミとても酔っているよね?」
「あぁ、酔っているさ! こんな状況は酔わないとやっていけないんだよぉ!」
「これは重症だ……」
酒もレオに取られて飲むことができず、俺はただただ机に突っ伏すしかできなかった。
「そもそも、キミは学生時代からもそうだけど、周期戦線以外に色々なところで人助けを行っていたはずだろ? それなら機会はたくさんあったはずだけど……」
「ヴァカか貴様はぁ! 俺は女の子と手を繋いだこともないし、パーティー以外の女性とまともに離さないんだぞ⁉ 機会があってもどうこうできるとでも⁉」
「それなら尚更女性と向き合わなければならないと思うよ」
「それができていればこうやって愚痴っていないってぇ! この年で女性経験ゼロって、もうそれで引かれるだろぉ⁉」
「そうかな……? もしかしたらシャルルみたいな男性経験がない女性もいるかもしれないから、嫌ならそういう女性と出会えばいいんじゃないのかな?」
「そういう希望的観測はやめてくれ! 余計に惨めになるぅ!」
「世界を救った英雄が、ここまで拗らせているとはね……」
こういう愚痴は友人であるレオにしか言うことができないから、月に一度くらいのペースで飲みに誘っている。
だが、レオにもお嫁さんと子供が二人いるから飲みに行くのもこれから控えた方がいいかもしれない。そうなったら俺は一人飲みをするしかない。
「あれだ、キミはレジャー施設をやっていたよね?」
「あぁ……、王さまに無駄に広い土地を貰ったけど、嫌がらせのようにモンスターが住み着いていたから排除して、観光地や登山に利用したあのレジャー施設か。……いつかあのすかした顔の王さまの王冠を美術展に飾ってやる」
「シャルルが本気なら誰も太刀打ちできないからやめてくれ。……それよりも、そこにキミが雇った優秀な女性がいなかったかな?」
「あー……」
レオにそう言われて思い浮かんだのは、むっちりとしたお尻に目が行きがちな、眼鏡をかけて長い黒髪を後頭部でまとめている少し無愛想な女性のことが頭に浮かんできた。
「グリモーさんか、アンヌ・グリモーさん」
「そうだ、グリモーさんだ。彼女はどうなの?」
「どうなのって……、どういうことだよ?」
「グリモーさんといい雰囲気にならないのかな?」
「いい雰囲気って何だよ。グリモーさんと仕事をしていても、グリモーさんは笑顔すら見せてくれないよぉ! きっと嫌われているんだよ! もう彼女に全部渡して彼女を解放させてあげようぅ!」
「それはさすがに言い過ぎじゃないかな。でも……、聞いていた話とは違うね」
「何か言ったか?」
「いや何も」
俺個人に対しての依頼がなければ、レジャー施設でグリモーさんと一緒に仕事をしているけど、俺は彼女の笑顔どころか私的な会話をまともにしたことがない。
もう雰囲気で童貞だということが分かって陰で笑われているに違いない。いい雰囲気は、笑っていい雰囲気の略だろ。それならいい雰囲気だよ。
「それなら、最近はエミとはどうなっているんだい?」
「エミぃ? そんな奴の話は知らんっ!」
「あ、あれ? な、何かあったのかな?」
「知るかぁ! もう顔を見たくない! あいつは、俺のことを童貞だと嘲笑ったんだぞ⁉ 人が気にしていることを笑いやがってぇ……、もう一生顔を見ないぞ!」
「……どうしたらそう言ったんだ、エミ」
エミことエミリエンヌ・オージェの話をしたら、頭の中でスタイルがよくて金髪を左右の側頭部で結んでいる人をバカにすることを生きがいにしているような生意気な女性が浮かんできた。
エミ、いやエミと呼ぶことすら腹立たしい。オージェは俺と目の前のレオ、そしてレオの奥さんの四人で学生時代にパーティーを組んでいたから長い付き合いだ。
だからこそ、あいつがあんなことを言うなんて思わなかった。もうレジャー施設をタダで貸してやらんからな。
「本当にエミがそう言ったのかい?」
「この耳でしっかりとなぁ! もうその時の言葉が耳から離れないね。『あんた、童貞なの?』って。お前は男と好きなだけ寝ているだろうけどな、俺は一度もねぇからそこを突かれたらもう一生童貞のままなのかと覚悟しちまうんだよぉ!」
「あー、うん、何となく理解できた」
「さすがは俺の友人だな! あれだけでエミの本性が分かるとはっ!」
「……どうしたものか」
レオが目頭を押さえながら何かを言っている。レオは俺よりも頭がいいから何か考えることがあるのだろう。俺は目の前の焼き鳥を食べることに専念する。
この鳥は焼かれる前は童貞だったのだろうか? 俺の頭の中には様々な人間、種すら超越した劣等感しかない。
「王女、王女さまはあれから進展はあったのかな?」
「王女ぉ? ……マリエルさまのことか?」
「そうだね。王女さまとは何度も会っているのではないのかい?」
体つきがとてもよく、決してそのような目で見てはいけないと分かっていても絶対に見てしまうほどの胸を兼ね備えた金髪をお嬢さま結びした、国民をよく考えて聖女のような慈愛の表情を浮かべるマリエル・ブリアンさまのことを思い浮かべる。
「最近は……、会ってないな」
「王女さまの方がお忙しいのかな?」
「最近も何も、マリエルさまは俺みたいな顔が普通な男と付き合うわけがないだろぉ!」
「……んぅ? 三年前にお会いしてから、上手く行っているのじゃないのかい?」
「父親に言われて紹介された男なんて所詮は上辺だけの付き合いなのは分かり切っていることだよぉ! それに王女さまなら好きな人や結婚したい人が一人いてもおかしくはないだろうが!」
三年前に周期戦線を一人ですべて片付けたことで、王さまに褒美をもらった後に王女さまをどうかと言われてデートしたりしていたが、段々と向こうから連絡が来なくなったことで立場上そうしているのだと感じた。
鉄板な話だが、きっと好きな人がいたのだろう。俺はそう思ってる。王女さまと勇者の話はよく聞くけど、俺はそんな話に縛られずに好きな人と結婚したらいい。
あー、そう思っていると憂鬱な気分になってきた。俺はそれを譲れるくらいの立場なのか? バカめ。カバが!
「王女さまはシャルルにぞっこんだと聞いているが……」
「別のシャルルじゃないのか? もう……話しているだけで気持ちが落ちてくるぅぅ……」
「そうか……」
レオが何か考え込んでいる様子だったが、話しているだけで気分が落ちてくる。酔っているだけだと思うが、もうこのまま金だけある人生なんて何の意味があるんだよ。
「はぁぁぁぁぁ……、もういい時間だし、お開きにするかぁ」
「今日は随分と早いね」
「俺は明日休みだけど、でもレオは家に子供も奥さんもいるだろ? お父さんを俺が独り占めするのはダメだからな」
「今日は遅くなるって言っているから別に遅くなっても大丈夫だよ?」
「ヴァカが! 俺の愚痴を聞くくらいなら奥さんと話しておけぇ! 俺はどうせ惨めな男なんだからなぁぁぁぁ!」
「文脈が嚙み合っていない気がするが、シャルルがそう言うのならお開きにしようか。……それに僕もやらないといけないことができたからね」
「嫁さんは大事にしろよぉ!」
「はいはい、それじゃあ帰ろうか」
俺とレオはすべての料理を平らげて、その場のお金をすべて俺が支払おうとする。でも、それをレオが止めようとしてきた。
「毎回、キミが支払っているから僕が支払うよ」
「ヴァカが! その金は少しでも家庭に使えぇ! 使わなくても将来何があるか分からないんだから貯蓄しておけぇっ! 俺は金を使うところがないんだからなっ!」
「……それならそれに甘えようかな」
「そうしておけっ」
俺の愚痴を聞いてもらっているのだから俺が金を支払うのは当然で、何ならモンスター討伐報酬やレジャー施設の儲けで金が有り余っているからここで使わないと使う場面がほぼない。
「それじゃあ、また」
「あぁ、またな。今日はありがとう」
「気にしなくていいよ」
俺とレオは居酒屋の前で分かれ、俺はレオが見えなくなるまで見送った。
「はぁ……」
レオは家庭がある家に、俺は誰もいない家に帰ることに一層惨めな気持ちが溢れてくる。強さがあっても所詮は人間である以上こんなものだ。
「うぷっ……ふぅ……」
少し飲み過ぎて気持ち悪くなったが、俺は気持ち悪さをなくすことでいつもの状態にする。飲むのはいいけど、それでも気持ち悪いのは気持ち悪いだけだから早めに酔いを醒ます。
「結婚、したい……」
まだ女性と付き合ったことがないのに、そんなことは言えないだろうと思いながら、俺は帰路へとついた。