8 狂敵
おいおい、マジか。この男、自分の息子を容赦なく蹴ったぞ?
腹部を蹴られたヨハンは、腹を押さえて丸くなる。その背中を、ショルダは踏みつけた。
「だから俺は、召喚術なんて嫌いなんだよ。敵を殺したかったら、自分の手に限る。なぁ、そうだろう?」
ショルダはヨハンに問いかける。ヨハンは体を丸めたまま、「ごめんなさい」と震えた声で言った。
「ごめんなさいじゃねぇだろ。お前のせいで、俺の評判がまた落ちたじゃねぇか!」
ショルダはヨハンの背中を何度も踏みつけた。自分の息子に対する愛情表現とは思えぬ、憎しみのこもった行動に、ただただドン引きである。アリスも先ほどまでの上機嫌から一転、恐怖の色をにじませながら、息を呑んだ。辺りに視線を走らせる。騒ぎを聞きつけ、家の中から様子を見ていた住人達の顔も怯えている。
鬼神のショルダ。名前に恥じぬ恐ろしい男。その場にいる誰もが、ショルダに対し、そう思っているに違いない。俺もこの男の狂気を恐怖以外の感情で表現することはできない。こんなのが、人の親なんだぜ?
「お、おい! 自分の息子だろ!」
とアリスのお父さんが声を上げる。
「だからこそだ。これがうちの教育なんでね」
「教育だと? ふざけるな! それはただの暴力だ!」
「あぁん?」ショルダはアリスのお父さんを睨んだ。「俺に説教するつもりか? お前の倅が俺の倅に勝ったからと言って、お前の方が強いというわけではないぞ。下等種族が」
「そんなことは全く思っていないが……」
雲行きが怪しくなってきた。ショルダの顔に青筋が浮かんでいる。爆発寸前の爆弾みたいな危うさがあの男から漂う。ここは慎重に対応しなければ。赤と青の導線。間違った方を切ったら、大変なことになる。
「そ、そうですよ!」
とアリスが言った。俺の後ろから顔を出しながら。頼むから変なことを言わないでくれよ、と願う。
「私はヨハン君よりも強いですけど、だからと言って、ショルダさんが弱いなんて思いませんよ」
どうだ? ショルダの様子を観察する。ショルダは、静かな殺意を秘めたまま思案し、にやっと口元をゆがめる。
「そうか。そうだよな。俺が下等種族よりも弱い証明にはならないわな」
「そうですよ!」
「でもそれは、俺の強さを示す証明にもならない。だから、証明しなきゃな。俺の倅を倒した奴よりも、俺が強いことを」
ショルダは腰に佩いていた剣を抜いた。白刃が街灯の光を受けて光る。如何なる文句もその一太刀で切り伏せる。そんな狂気を、目の前の男から感じる。
「ええっ、何で!?」
何でだろうな。俺にもショルダの考えはよくわからない。しかし一つだけ確かなのは、ショルダは戦うまで剣を収めるつもりがないことだ。
「ま、待って! 娘には手を出すな! もしも、そのつもりなら、お、俺が相手になる!」
アリスのお父さんは震えながらも、父親の顔で、立ちふさがろうとした。
しかし、「失せろ」と睨まれ、膝から崩れ落ちる。睨んだだけで相手を倒す。先ほどまでは手加減していたということか。アリスのお父さんは立ち上がろうとするが、膝が笑い、立ち上がることができない。
「ば、馬鹿な!」とアリスのお父さんは唇を噛む。
「ま、待ってください!」とアリスは言う。「その、確かに、私は強力な使い魔を召喚することはできますが、ただ、私自身はとても非力でして、ヨハン君を倒したのも、サトル君ですし、だから、サトル君と戦った方が、いいんじゃないかなぁって思います」
めっちゃ早口で俺を売った。恐ろしいご主人様だ。まぁ、俺も最初から、俺が相手をするつもりでいたから、いいんだけどさ。でも、なんだかなぁ……。
「もとよりそのつもりだ」
ショルダも同じ考えのようだ。
ほっと胸を撫で下ろす音が後方より聞こえる。
「お前は最後だ」
「ええっ! 何で!?」
「いいことを教えてやる。俺は召喚士の使い魔を全部ぶっ殺してから、召喚士を殺すことにしている。召喚士の、自分では何もできない無様さを嘲笑いながらいたぶるのが最高に、快感なんだよねぇ」
ショルダから残忍なオーラが溢れる。快楽のために、女子供だろうが容赦しない。そんな強い意思がうかがえる。生まれながらの鬼畜のようだ。
「あわあわあわ。サトル君どうしよう」
「安心しろ。あいつは俺が倒す」
「で、でも! 相手は、鬼神の副団長だよ。超強いよ? 戦闘エリートだよ?」
「相手が誰だろうと関係ねぇ。アリスを守るために、俺は戦うだけだ」
「サトル君……」
「アリス。一つだけ、約束して欲しいことがある。戦闘中は、俺に命令しないでほしい」
「えっ、でも命令は召喚士の務めだし……」
「なら、負けるかも」
「わかった! 黙ってるね!」
「んじゃ、行ってくる」
俺は前に進み出て、ショルダと対峙した。
「こいつをどかしておけ、邪魔だ」
ショルダはつま先で、ヨハンのわき腹を蹴った。団員の一人が軽々と肩に担ぎ、ヨハンを移動させた。ヨハンを物のように扱う態度に、さすがの俺も黙っていられなくなった。
「おい、一つだけ約束しろ。俺が勝ったら、これ以上、ヨハンに対する暴力は止めろ」
「あぁん? すでに勝った気でいるのか下等種族が」
「俺に勝てるのなら、あってないような約束のはずだ。でも、約束できないということは、勝つ自信がないんだな、俺に」
俺はショルダを睨む。俺には人としての良心がある。だから、例え嫌いな相手であったとしても、助けてやりたいという思いはある。
「はん! いいだろう。お前が勝ったら、その約束を守ってやる」
「……よし」
さて、ここまで色々とカッコつけてきたが、実のところ、問題がある。この男に勝つ自信がないのだ。というのも、夢の中で、俺はショルダに勝っていない。夢の中でも、どういう経緯かは詳しく思い出せないが、ショルダと戦った。その際、ショルダの光速の剣捌きに俺は手も足も出なかった。時間を戻すのに精いっぱいで、攻撃に転じることができなかった。『ヨハンとの戦いで疲れている』とか、そんな言い訳をすることで、見逃してもらったような気がする。
そのため俺は、この男の恐ろしさを理解している。今回の俺は勝てるのだろうか。……わからない。だが、ここまできたら、やるしかない。
「このコインが地面に落ちたら、戦いの開始だ。いいな?」
「ああ。いいぜ」
ショルダは不敵に笑い、コインを弾いた。俺はコインの動きを目で追う。しかしショルダは、俺を見ていた。だから俺も視線をショルダに移した。コインが地面に触れ、音が鳴る瞬間、ショルダが消えた。
速すぎ!
こんな相手に勝てるわけないよ! と思いながらも、前にいないのなら、後ろにいるという単純な理由で、振り返りながら、後方に裏拳を放った。すると、右手にめり込む感触があった。そして、俺の首元で何かが割れた。煌めきながら宙を舞うのは剣の刃だ。そして俺の右手は、ショルダの体に叩きこまれていた。
「かはっ」
ショルダの体がくの字に折れる。言葉通りのラッキーパンチだ。拳を引き抜いても、ショルダは体が折れたまま、動かない。だからすぐ、肩に向かって手刀を放った!
べきっ! と骨の折れる音が聞こえ、ショルダは倒れた。
数秒の沈黙。誰が目の前の光景に目を疑った。俺自身、呆気ない幕切れに戸惑う。
あれ? ショルダってもっと強いはずじゃ……。
「副長!」
「副長!」
騎士団の団員たちが血相を変えて、ショルダに駆け寄る。
「貴様ぁ! よくも副長を!」
一人が俺に向かって斬りかかろうとしたが、他の団員に止められる。
「やめろ! 今は副長が先だ!」
「く、くそが! 貴様、覚えておけよ!」
騎士団の団員たちはショルダを抱えると、慌ててどこかに行ってしまった。
団員たちがいなくなり、静寂が訪れる。ショルダを倒した歓喜よりも困惑の方が、色濃くその場に残っていた。
「これって俺が勝ったってことでいいのかな?」
俺はアリスに答えを求めた。
「……多分」
アリスは渋い顔で答える。ヨハンのときは、大喜びしていたアリスも、この事態は素直に喜べないようである。
✝✝✝
ショルダを追いかえした後、戸惑いを引きずりながら家に戻る。
アリスのお父さんが男だけで話をしたいと言うので、俺はお父さんと二人だけで席に着いた。ちなみにアリスのお兄さんは、騎士団が帰る際、一緒に連れていかれた。アリスの話によると、アリスのお兄さんは、兵士専用の寮で生活しているらしい。
お父さんは威圧しながら、静かに口を開いた。
「さて、お前の力量は十分にわかった。まさか、ショルダを倒してしまうとは」
「そんなにすごい人なんですか?」
「当然だ。あいつ一人で一つの軍隊に匹敵すると言われているほどだ。奴が戦場に出たならば、できるのは屍の山だ。ゆえに敵国の兵士たちは、ショルダが出てきた瞬間、逃げるとも言われている」
「へぇ」
しかしその言葉に、あまり実感がわかない。やはり、呆気なく終わったため、強い人という印象はあまりない。夢の中の俺は超苦戦していたけれど。
「だから、アリスと同じ空気を吸うことを認めてやる」
「ありがとうございます」
「だが、忘れるな。貴様は使い魔だ。それ以上のことを、アリスに望んでみろ、ぶっ飛ばすからな」
「はい」
「そして、絶対にアリスを守ることを約束しろ。今回、お前がショルダを倒したせいで、ショルダはアリスのことを根に持っているかもしれん。というか、あの男のことだから、きっとアリスを襲うくらいのことは平気でするはずだ。だから、お前のせいで、アリスがそんな危険な目に遭ってしまうことを自覚したうえで、ちゃんと、アリスのことを守れよ」
「はい」
確かにお父さんの言う通りだ。あの戦闘狂が、アリスにリベンジすることは十分に考えられる。だから俺は、その度に、アリスを守るために立ちはだからなければいけない。そして、その原因が俺にあることも理解している。
「奴が何度挑戦しようと、俺はその度に、奴を倒します」
「ふん」
お父さんは鼻を鳴らし、腕を組んだ。
こうして俺は、アリスの使い魔として生活していく許可を得た。