5 お父さん。俺は……
「いてぇぇぇ!」
と叫んだのは、もちろん俺ではない。俺を殴ってきた男だ。毛むくじゃらの髭を生やした大男。男は自分の手を押さえてうずくまった。
「あの、大丈夫ですか?」
「どうしたの?」
アリスが隣に立った。
「この人が急に殴りかかってきたんだ」
アリスは不審者に目を向け、目を丸くする。
「お父さん?」
「えっ」
男は涙目で顔を上げた。アリスと似ても似つかぬ男くさい顔。アリスはきっと、美人な母親に似たのだろう。
「アリス! お前に、彼氏はまだ早い!」
「なっ、何を言ってるのさ!」アリスは顔を赤くして反論する。「サトル君はそんなんじゃないって! 私の使い魔!」
「人間の、しかも、男の使い魔だって! ふざけるな! お父さんは認めないぞ!」
「ちょ、ちょっと。声が大きいって」
アリスは辺りを気にする。道路にいた住人たちが、奇異な目で俺たちを見ている。
「取りあえず、中に入ろう。中で説明するから!」
アリスに引っ張られるようにして、俺はアリス家に入った。
そしてダイニングテーブルにて、アリスのお父さんと向かい合って座る。アリスのお父さんは、敵意をむき出しにして、俺をめっちゃ睨んでくる。体も大きいから、かなり威圧感があった。
「仮にサトル君が私の彼氏だったとして、いきなり殴ることはないじゃん」
アリスは小さな木箱をテーブルの上に置き、唇を尖らせた。
「アリスの周りを飛び回るうるさいコバエは早めに潰さねぇと」
「はぁ。それで怪我しているんだから、呆れちゃうよ。ほら見せて」
アリスは小箱を開ける。この世界の救急セットらしく、包帯が見える。
「そんなのいらねぇ。こんなの、唾をつけておけば治る」
アリスのお父さんは腕を組み、胸を張った。
「もう。頑固なんだから」
「それで」お父さんにぎろりと睨まれる。一々こえぇよ、この人。「貴様が、アリスの使い魔だと?」
「はい。一応、そういうことになっています」
俺は右手の紋章が見えるようにテーブルの上に手を置いた。この世界の常識についてよくわからないが、何となく、こうすれば納得してもらえるかな、と思った。
「お前ぇ、ふざけてんじゃねぇぞ。人間の使い魔なんて聞いたことがねぇぞ」
「一応、そういう召喚術があるらしいよ」とアリス。
うっ、とアリスのお父さんは言葉に詰まるが、気を取り直して、俺を威圧する。
「仮にそうだとしてもだ。こんな、まだ年端も行かぬ娘の使い魔になるなんて、常識がねぇな?」
「と言われましても」
「今すぐ、契約を解除しろ!」
「えぇ……」
「しません!」とアリスはきっぱり言う。
「どうしてだ、アリス。こいつに弱みでも握られているのか?」
「違うよ。サトル君が使い魔として優秀だからだよ」
「優秀だと?」
「うん。お父さんも殴ってわかったでしょ? サトル君は体がとんでもなく頑丈なの。中級魔法を受けても、平気だったんだから。こんな防御力の高い使い魔、そうそういないし、次、また召喚できるとも限らない。だから私は、サトル君を大事にしたい。それに……」とアリスは頬を赤らめながら、俺を一瞥し、言った。「サトル君とは良い関係になれそうなんだ」
おいおいアリスさん? 火に油を注いでどうする。
「良い関係って何だ!? アリス! お父さんは認めないぞ!」
「もう! とにかく! お父さんが何と言おうと、サトル君は私の大切な使い魔で、これからは私の家族です!」
アリスは顔を赤らめながらも、堂々と宣言する。こうもわかりやすいくらい大切に思われると、かなりこそばゆい。本当の家族よりも居心地が良いなんて言ったら、両親が悲しんじゃうな。
でも、アリスのお父さんの気持ちも理解できた。手塩にかけた娘が、よく知らない男を連れて来たら、ショックもかなり大きいだろう。しかも、娘がかなりほれ込んでいる? となったら、なおさらだ。
きらりとアリスのお父さんの目元に光るものがある。それは涙だった。鬼の目にも涙というやつか。涙はつぅと頬を流れた。
「うぅ、レモ。これが反抗期というやつなのか。大事に育ててきた娘が、どこぞの馬の骨とも知れないやつに誑かされてしまった。俺はお前に合わせる顔がねぇぜ」
レモ? アリスに視線で疑問を投げかけると、「死んだお母さんの名前」とアリスはささやいた。
なるほど。男手一つで育ててきた娘なのか。なら、大切にしたいという思いは、一層強くなるのかも。
何とかして、アリスのお父さんに認めてもらい、安心させたいと思った。俺はお父さんの考えているような、軟派な男ではないことを伝えなければ。
だから俺は、表情を引き締め、お父さんを見すえて言った。
「お父さん。安心してください。娘さんは俺が大事にします」
鉄拳が飛んできた!
✝✝
アリスは困り顔で俺の前に座った。
「もう。お父さんも心配し過ぎなんだよ」
あれからアリスのお父さんは、部屋に引きこもって、しくしく泣いている。アリスが何度か様子を見に行っているが、状況は改善しない。
「私ももう、高等部なんだからさ。そんなに心配しなくても良くない?」
「まぁ、でも、それくらいアリスのことを大切に思っているんだろ?」
「それは、嬉しいけどさ。でも、限度があるじゃん」
「アリスも人の親になったらわかるんじゃないかな」
「そうなのかな……」
そのとき、玄関の扉をノックする音が聞こえた。
「ちょっと見てくるね」
と、アリスが席を立ち、数秒後、「きゃあああああ」と悲鳴があった。
俺はハッとして玄関に向かった。アリスのお父さんも赤く目を腫らしながら駆けつけた。
アリスが、40代くらいの、金髪で冷淡な顔つきの男に掴まっていた。アリスは首に手を回され、男の腕の中でもがいている。
「ちょっ、放してよ!」
「てめぇ、うちの娘に手を出して、ただで済むと思うなよ!」
お父さんの怒号が響く。
「ほぅ。そいつは楽しみだ。だが、用があるのはお前ではない」男は獲物を前にしたヘビのように目を細め、俺を指さした。「貴様に用がある。この娘を返して欲しいなら、表に出ろ」