1 召喚された落ちこぼれ
ファンタジーな世界で大活躍する夢を見ていた俺の耳元で大きな音がした。目を開ける。見慣れた天井があった。
「何だよ、一体。これから良いところだったのに……」
母親からの着信だった。面倒だと思ったが、渋々電話に出る。
夕食の食材を買っておいて欲しいとのことだった。
「それくらい自分でやれよな」
暗くなったスマホ画面に文句を垂れる。しかしニートゆえに母親に逆らうことはできない。だから俺は、黒のパーカーにジャージというラフな格好でスーパーに向かった。
「やれやれ、ニートは辛いよ」
スーパーからの帰り、母親から頼みごとをされたら、ノーとは言えない現状を嘆いていた。
「ああ、ファンタジーな世界に行きてぇな」
そしたらきっと、夢の中みたいに、俺は輝けるに違いない。
そのとき突然、魔法陣が現れ、まばゆい光を放った。
「うおっ、何だこれ!」
次の瞬間。浮遊感が生じ、引き伸ばされる感覚があった。
「敵襲か!?」
いるはずもない敵に怯えながら、おそるおそる目を開けると、目の前に可愛らしい少女が立っていた。艶のある黒髪が肩で切り揃えられている。目が大きくて、俺を見て、さらに大きくなる。
しばし見つめ合う俺と彼女。互いに状況をするための時間が必要だった。
そして、「あああああ!」と奇声を上げ、彼女は頭を抱えてしゃがみこんだ。「失敗だあああああ!」
人の顔を見るなり失敗扱いとか、お前は俺の親か。視線で語るだけ、親の方がまだ優しいかもしれない。
「あの、状況の説明をお願いしても?」
「うるさい! ちょっと黙って!」
何だこいつ。キレそうになるが、堪える。大人の余裕というやつを見せなければ。
彼女に答えを求めても、見つかりそうにないので、俺は周りの状況から察することにした。薄暗い石造りの部屋に、棚や木の机が設置されている。机の上には、紙が無造作に置いてあって、怪しげな道具なんかもある。
足元に目を向けると、魔法陣が描いてあった。先ほど、俺の足元に現れたやつに似ている。彼女の足元には分厚い本があった。知らない文字であるはずだが、『高等召喚術』と書かれているのがわかる。
それで俺は察する。多分、彼女は召喚術によって、使い魔を召喚しようとしたのだ。しかし現れたのが、目的とは違うナイスガイだったから、困惑しているというわけだ。
「なんだ、その、すまんな」
一応、謝罪しておこう。
「本当だよ、全く」
彼女はもっと謙虚に生きよう。
ふて腐れた顔で彼女は顔を上げる。可愛いと思った。鼻の下が伸びそうになったので、表情を引き締めた。
「あなたって、バハムート?」
「いや、そんな風に呼ばれたことはないな」
「火を噴けたりする?」
「できない」
「それじゃあ、何か魔法とかって使えたりするのかな?」
「使えない」
「それじゃあ、何ができるの?」
「うーん。何もできないかな」
俺が何かできる人間だったら、ニートなんかやっていない。
「最悪だあああ!」
うん。その気持ちはわかる。でも、本人を目の前にして言うのは止めようか。こんなんでも、傷ついちゃうんだぜ?
「あぁ……」
彼女の嘆きに対し、俺は本当にすまないと思う。しかしその感情は、眉根をよせて、申し訳なさそうな顔をすることでしか表現できない。
「こんなおっさんが召喚されるなんて……」
「これでも、まだ若いんだが。髭を剃って、髪を整えれば、好青年だぞ」
彼女の懐疑的な視線に、「本当だからな」と俺は念を押す。
「はぁ……」彼女は諦めたようにため息を吐いた。「まぁ、でも、こんなの召喚してしまうなんて、私らしいと言えば、私らしいか。もう、時間も金もないし、あなたで妥協することにするわ」
「そいつは、どうも」
皮肉めいた声音で言ったが、彼女はスルーして立ち上がり、持っていた分厚い本を開いて、羽ペンを走らせた。
ふと、その姿に既視感を覚えた。前にも、似た光景を見たことがある。どこかで彼女と出会ったことがある?
「なぁ、俺とあんたってどこかで会ったことある?」
「はぁ? 使い魔のくせに、ご主人様をナンパするとか生意気。会ったことなんかあるわけないでしょ」
「だよね」
多分ここは、異世界だから、俺が彼女と出会ったことなんてあるはずがない。アニメやマンガの見すぎだろう。
「あなた、名前は?」
「サトウサトル」
「サトル君ね。サトル君はさぁ、サインとかできる?」
「それくらいできるけど」
彼女は開いた状態で本と羽ペンを俺に差し出した。
「はい。ここにサインして」
「え、嫌だけど」
「お願い。これ以上、私をがっかりさせないで」
彼女の懇願するような瞳に屈し、俺は渋々羽ペンを手に取った。
「ここにサインすると、どうなるの?」
「私とあなたは、召喚士とその使い魔という関係になる」
「つまり、契約書ってことか」
「そんなとこ」
俺は彼女を一瞥し、本に目を落とす。使い魔になるということは、彼女のパシリになるということだ。それはつまり、今の生活とあんまり変わらなくて、むしろ相手が母親よりも若くて可愛い女の子になるから、俺にとってはプラスだ。それに、異世界生活も満喫できる……はずだし。退屈なあの世界で生きるよりかは幾分かましになるだろう。
「これって、後で取り消すこととかできるの?」
「できるよ」
「んじゃ、書くよ……」
俺は彼女が指した部分に、名前を書こうとして、手を止めた。
「どうしたの?」
「そう言えば、あんたの名前は?」
「アリス。使い魔らしく、私のことは『アリス様』と呼んでね」
「わかったよ、アリス様」
俺にドMな趣味は無いんだけどな、と思いつつ、俺は契約書にサインした。
すると突然、手の甲に強い痛みを感じ、刺青めいた青い線が刻まれた。
「うえっ、えっ、これ何!?」
「契約の紋章よ」
「契約?」
「そう。これであなたは正式に私の使い魔となりました。不服だけど」
「なら、契約なんてしなきゃいいのに……」
「仕方ないじゃん。もうこうするしかないんだからさ。それより、一つ約束して欲しいことがあるんだけど」
「何?」
「私に恥をかかせないでね。それじゃあ、また後で会おうね」
「えっ」
アリス様がページをめくった瞬間、俺は強い力で引っ張られ、視界も大きく縦に伸びた。気持ち悪くなって目を閉じる。頭でヒヨコが鳴いている。頭のピヨピヨが収まってから、目を開けると、石造りの牢獄にいた。薄い布団に鉄格子。便器と洗面所が同じ空間に存在する。
「おいおい、冗談だろ?」
これじゃあ使い魔というよりも囚人である。アリス様に文句を言わなければ。
どうにかして、彼女に連絡を取れないか。部屋を見回すと、洗面所の隣にボタンがあったので、押してみる。トイレの水が流れた。
「良かった。このトイレは水洗なんだね。って違うわ!」
俺が知りたいのはトイレが水洗であるかどうかじゃない。他に何か彼女と連絡が取れそうなものは無いか探してみる。
無かったよ。
だから俺は、思い切って声を出してみた。
「おーい! おーい! 俺だ!」
すると天井が少し明るくなって、アリスの声がした。
「どうかしたの?」
「この部屋なんだけどさ。どういうこと? ひどすぎない?」
「仕方ないじゃん。そこまでお金をかけることができなかったんだから」
「よくこれで契約しようと思ったな。よく知らんけど、こんなんで、契約してくれる使い魔とかいるの?」
「サトル君」
「いや、居住空間について全く説明を受けていないんだが」
「はいはい。今は移動中だし、これから授業があるから、静かにしててね」
天井が暗くなる。彼女との通信が途絶えた。この瞬間、俺は待遇が改善されるまで、彼女を『アリス』と呼ぶことにした。
「やれやれ、困ったもんだ」
ニートの習性か。布団があると横になりたくなる。だから俺は、布団に入って、天井を眺めながら、考える。
気になることがあった。俺は今の自分の状況を正確に把握していない。それにも関わらず、この状況を懐かしいと思う自分がいたのだ。






