17 俺を知る少女
校長先生は、本棚より一冊の本を取り出し、開く。そのページの中心には、魔法陣が描かれていた。
「この魔法陣に触れるのじゃ」
言われた通りに触れると、本の中に吸い込まれる感覚があって、目を開けると、何もない、真っ白な空間に立っていた。
「ここなら、いくら魔法を使っても、被害は出ない」
振り返ると、杖を持った校長先生がいた。
「さて、それではさっそく、やつへの対策を考えようとするか」
そして約二時間。俺たちは夢に出てきたモンスターを倒すための戦略を練った。
五時限目終了の鐘の音が聞こえ、校長先生は杖を下ろした。
「ふむ。おそらくこれで、やつを倒せるはずじゃ」
「本当ですか?」
「お主の夢の通りならな。さて、戻ろうか。アリス君には、グラレリを通して、ここにいることは伝えているが、授業も終わったことだし、お主のことを待っているだろう」
「はい」
校長先生が杖を振る。すると景色は一変し、校長室に戻った。
「本当は、もっとちゃんとした対策を取りたいところだが、いかんせん、時間が無くてのぉ」
「すみません。俺がもう少し早く思い出しておけば」
「しかし、この数時間で、あれほどの対策を立てることができたのは、お主の力によるとことが大きい。知れば知るほど、わしの使い魔にしたくなる。どうじゃ? わしの使い魔にならぬか?」
「……すみません。アリスがいるんで」
「はっはっ。やはりお主も男。若い女の子の方が良いか」
「そう言うわけでありませんが……」
「しかし、対策があるからといって、絶対的な安全が保障されているわけではないぞ。心して掛かるのじゃ」
「はい」
俺は校長先生にお礼を言って、校長室を後にした。
校長室から、アリスがいるであろう玄関ホールに向かって歩いた。授業終わりということもあって、来るときは人がいなかった廊下にも、生徒の姿がちらほら見える。
そして、彼女と出会ったのは、5階の廊下を歩いているときのことだ。
前方から歩いて来る彼女を認め、俺は可愛い人だな、と思った。金髪をツインテールにした碧眼のクールな感じのする女の子。数メートル前まで来て、彼女と目が合う。その瞬間、胸が跳ね、理由はわからないが、すれ違い、遠ざかろうとする彼女の手首を掴んでいた。
彼女は驚いて振り返る。そりゃあ、そうだよな。いきなり、知らない男の人に手首を掴まれたら。しかし彼女の驚きは、不審者に対する驚きとは違うように見えた。うまく、表現できないんだけど、彼女の顔に、俺に対する恐怖が無かった。
俺は彼女を見つめて言った。
「ありがとう」
いきなり何を言っているんだ、俺。俺自身、自分の行動に戸惑う。しかし彼女を見た瞬間から、その言葉を口にしなきゃいけないような気がした。
彼女は目を大きく見開いたまま、言葉を失っていた。そこでようやく俺は、自分の異常性に気づき、慌てて手を離す。
「あ、す、すまん! 急に、ごめん」
「……覚えているの?」
「えっ」
予想外の反応に、俺は困惑する。
「ありがとうって言ったよね」
「あっ、えっと、変な話かもしれないけれど、あなたを見た瞬間、何か、そんな風に言わなきゃいけない気がして。あなたのことはよく知らないんですが」
「……そうなんだ」
「それより、覚えているの? ってどういう意味?」
「そのままの意味」
「どこかで会ったことあるっけ?」
彼女は俺の顔をじっと見つめ、流れるように俺の前まで来て、キスをしようとした。唇が触れる寸前に、俺は驚いて後退する。突然の行動に、ちょっとどうしていいかわからない。
「ちょっ、いきなり、何?」
「こうすれば思い出すかなって」
「いやいや、それは無いんじゃないかな」
最初は俺の方がヤベー奴だったけど、徐々に彼女の方がヤバいんじゃないかと思えてくる。よく見ると、彼女の瞳にはほのぐらい影があって、陰鬱な空気を彼女から感じる。
「そっか。私のこと覚えていないんだ。私は、サトルのこと、ちゃんと覚えていたのに……」
彼女の瞳が涙で濡れる。こぼれはしないものの、時間の問題である。やばい。何とかフォローしなければ。そこで俺は、閃いた。
「もしかして、時間を巻き戻す前の俺と会っている?」
「思い出してくれた?」
「ごめん。まだ、あんたが誰かはわからない。でも、もしかしたら、そのうち、あんたと会う夢を見るかもしれない」
「夢?」
「ああ。俺は、未来の出来事が、夢でわかるんだ。でも、それは、予知夢とは違うらしくして、それで、なんだろうと考えたとき、俺の能力に関連していると思ったんだ。あんたは夢の中の俺、つまり、時を巻き戻すことができる俺と会ったことがあるんだろう?」
「うん」
「そうか。となると、やっぱり俺は、時を巻き戻して、やり直しているんだ……。となると、あれは夢というよりも記憶、なのか? でも、何で俺は、そんな選択をしたんだ? あんたはその理由を知っているのか?」
「コロネ」
「えっ?」
「私の名前はコロネ。前みたいに、親しげに、愛をこめて、コロネって呼んで」
「……コロネ」
コロネは満足そうに微笑む。そこはかとなく、彼女から闇が垣間見える。
「俺の名前は」
「サトルでしょ。知ってるよ。さっきも言ったでしょ?」
「……そうだな」
「それで、サトルが時間を巻き戻した理由だけど、私からは言えない」
「どうして?」
「私が話したら、きっとそれは、ただの物語になってしまう。でも、それじゃ駄目なの。サトルは自分自身で痛みを思い出さなきゃいけない。そうしなければ、時を巻き戻した意味がない。と、時を戻す前のサトルは言っていたわ」
「俺がそんなことを……」
痛みを思い出す必要がある。その言葉に重みを感じた。
「ねぇ、サトル。サトルは今、どこまで思い出したの? 早く、サトルに会いたいな」
「どこまでって……」
どこまでだろう? 正直よくわからないし、常に夢を意識して動いているわけではないから、答えようがない。
彼女が口を開こうとした瞬間、体が引っ張られる。
『サトル君』
頭の中でアリスの声が響く。アリスに呼び出された。景色が変わるその直前に俺は見た。コロネの瞳に憎悪が渦巻いたのを。背筋が凍るほどの殺気があった。
俺はコロネに手を伸ばし、掴もうとした。なぜか、そうしなくちゃいけないような気がした。しかし景色は一変し、俺が伸ばした手は、アリスの胸に重なっていた。ラッキースケベというやつか。
「どういうつもりかな?」
アリスの額に青筋が浮かぶ。
「あ、いや、これは事、ぎゃあああああああああ!」
意識が遠のいてしまいそうなほど、強力な電流が全身を駆けた。俺は膝から崩れ落ちる。体から黒い煙が出そうだ。超頑丈な肉体を有する俺も、契約の前では無力なようである。
「サトル君が悪いんだからね」
アリスは頬を膨らませて腕を組む。
「まぁ、そうだよな」
事故とはいえ、今のは俺に非がある。しかし事故であるがゆえに、もう少し、配慮してくれると嬉しい。
痺れる体で何とか立ち上がる。
「大丈夫?」
さすがのアリスも、心配そうに俺を支える。
「今度は、もう少し手加減してくれよな」
「サトル君が変なことをしなかったらね」
「今のは、事故なんだって」
「ふぅん。どうだか」
「ありがとうアリス。もう大丈夫」
ちょっと痺れるけど、一人で歩くことはできそうだ。
「それで? どうして、校長室にいたの?」
「そのことについてなんだが……」
俺は辺りを見回す。アリスは玄関ホールの端で俺を呼び出した。玄関ホールには、他の生徒たちの姿もあって、少し騒がしい。
「歩きながらでも、いいか?」
「べつにいいけど、大丈夫?」
「大丈夫」
そんなに心配するなら、最初からもっと手加減すればいいのに、と思ったが、余計なことは言わず、俺はアリスとともに学校の外に出た。
静かな場所で話をしたいと思ったので、湖の畔にある遊歩道を歩きながら、俺が時間を巻き戻し、改めて、この世界で生活していること。そして、明日のダンジョン探索がかなり危険で、その対策を校長先生としていたことなどを話した。
話を聞き終えて、アリスは「ふぅん」とあまり事態を重く受け止めていない感じで言った。
「ふぅん。って、明日、死ぬかもしれないんだぞ?」
「大丈夫だよ。だって、私にはサトル君がいるもん。私の事、ちゃんと守ってくれるんだよね?」
「そりゃあ、守るけどさ」
「なら、心配ないじゃん」
アリスは屈託のない笑みを浮かべる。湖面で反射する日の光もあってか、アリスが眩しく見えた。信頼してくれていることを素直に喜ぶべきか。それとも、能天気だと非難すべきか。判断に迷う俺だった。




