0 終わりからの始まり
視界が霞んで見えるのは、足元の霧だけが原因ではない。
あと少しで俺は死ぬ。全身の傷口から血が流れ、手足の感覚はすでにない。動けているのもほとんど奇跡だが、気合とか根性とか、そういう精神論で、俺は今、動いている。
俺にはまだ、やらなければいけないことがある。だから、ここで死ぬわけにはいかない。
しかし視界が大きく揺れ、倒れそうになる。俺の思いに反し、体は限界を迎えている。
ああ、ここで終わってしまうのか。と思った瞬間、誰かが俺の体を支えた。目を向けると、彼女がいた。彼女は沈痛な面持ちで俺を見ていた。
「どうしてここに」
「そんなこと、聞かなくてもわかるでしょ? サトルこそ、どうして?」
「守りたい人たちを、今度こそ、守るためだ」
彼女は唇を結んだ。悲哀に満ちた目から、俺は顔を逸らす。
「ありがとう」
俺は彼女から離れ、一人で前に進もうとする。しかし彼女は俺を放さず、俺の腕を自分の肩にかけた。
「一人じゃ、この先に行けないでしょ」
「……すまん」
「……いいよ」
彼女の力を借りながら、俺は前へと進む。
彼女が隣にいる。その事実は、俺の心を惑わせた。彼女をこれ以上苦しめないように、俺は沈黙を選んだ。
「ねぇ、サトル」
しかし彼女は答えを求めた。
「何?」
「さっき、守りたい人たちを守るためにここに来たと言ったでしょ?」
「ああ」
「その守りたい人の中には、私も含まれているの?」
「……当然だ」
「ならさ。一緒に帰ろうよ。人目につかないような場所で生活すれば、きっと、二人だけで生きていけるよ」
「……ごめん。それはできない」
俺は彼女を見ないようにして言った。
しばしの沈黙の後、彼女は吐き出すように言った。
「……そう、だよね。サトルには、私なんかよりも、大事な人がいるもんね」
「違う。そうじゃない。俺は、俺の慢心のせいで、あまりにも多くのものを失いすぎた。だから、今度はちゃんと、守るために、俺は行くんだ」
彼女は何も言わなかった。俺は彼女の横顔を見なかった。だから、彼女がどんな思いで、俺の言葉を聞いているか想像するしかなかった。
目の前に目的の場所が現れる。霧の源。大きな穴の中から霧が溢れ出ている。
「ありがとう。ここまででいいよ」
「……あの穴に飛び込むつもり?」
「まぁ、そんなところ」
「そして、どうするの?」
「魔法を使う。すべてをやり直すための」
「それでサトルは救われるの?」
「わからない。でも、やらなければ、救われることもないと思う」
「そう。なら、もう少しそばにいるわ」
彼女は俺の腕を掴んだまま、穴の縁に立った。源泉のように、とめどなく霧が溢れ出る。その穴を前にして、壮観だとか、そんな感想は無い。
「ねぇ、サトル。サトルがこれから何をするのか、私にはよくわからないけれど、一つだけお願いをしてもいいかな?」
「何?」
「これからも、ずっと一緒にいてね」
そう言って彼女は、俺の唇に自分の唇を重ねた――。