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かくてメイドは今宵も踊る。  作者: 鴇合コウ
蛇足編:彼と彼女と首輪の事情。
9/25

【彼女の事情*1】

 

「――疲れた」


 呟いて、ジェド――アルバ華公爵ロードデュークご長子様が、馬車の座席にどさりと身を沈めた。お貴族様としてあるまじき、だらけきった格好だが、たしなめる気はない。

 なぜなら対面の席で、私も似たような格好をしているからである。



* * *



 少し遅めの昼食と一緒に開かれた、奥方様こと白華公夫人レティシア様への報告会は、事前に報告書をお渡ししていたせいもあって、恙なく終わった。

 問題は、すっかり頭から抜けていた、伏兵の存在である。


「ジェド兄様、お帰りなさいませ!」

「にいさま、おかえりなさいませー!」


 お兄様大好きっ子のアリシア様とユリアン様が、走らないのに全速力という器用な足取りでやってきて、びとっとジェドの足元にへばりつく。


「ただいま、アリス。ユーリ」

 

 他人には滅多に見せないやわらかな笑顔で、ジェドが二人を受け止める。

 ご当主様の方針で、貴族には珍しく、アルバ華公爵家のご家族は皆ハグで挨拶というのが習慣なのだ。もちろんプライベートな空間でのみ許されることで、側近たちも見て見ぬふりをしている。

 家族仲がよくて大変結構なのだが、これでもしアリシア様がお年頃になって『お父様とのハグは嫌!』とか言い出したらどうするんだろう、というのが目下の疑問だったりする。


「エマもー!」

「えまもー!」

「はい、お久しぶりです。アリシア様、ユリアン様。お元気そうですね」


 ばふっと私もハグ。家族枠ではないけれどお客様枠でもないので、この扱いらしい。

 が、身長が低いので、一度に二人はキツかった。私、もうじきアリシア様に抜かされるんじゃないだろうか。


 胸にまふまふと纏わりつく二人をジェドが剥がしてくれ、奥方様ともども談話室に移る。

 猫足の曲線も美しい木製ソファに腰掛け、久々に家族の――その片隅になぜか私もお邪魔しているわけだが――打ち解けた会話がはじまった、直後。


「お兄様。想い人に振られたというのは、本当ですの?」


 アリシア様が、特大の爆弾を投下した。


「ええ、と。アリス。その話はどこから――」

「まあ! では、本当ですのね?! なんということでしょう。その女、見る目がありませんのね!」

「あ……ああ。うん、そう、かもしれないね」


 どうにか立ち直ったジェドが、曖昧に相づちを打つ。右隣に座るアリシア様の癖のない黒髪を撫でなつつ、正面に座る私を睨むが、責任はない(はず)なので、笑顔でごまかした。


「わたくしでしたら、一番はお兄様ですのに」

「ありがとう、アリス」

「それで、その女はどなたを選びましたの? やっぱり本命の俺様馬鹿皇子ですの? それとも脳筋フェロモン男? 根暗ワカメ頭? いえ、そんなはずありませんわね。では、腹黒陰険教師? まさかヤンデレ双児ってことはありませんわよね? ……ああ、ストーカー隠密だったらどうしましょうっ! こじらせ義弟との禁断の関係もありですけれど、ここはひとつ大穴狙いで、幼馴染の堅物むっつり兵士でいっていただきたいかと……!」


 あの報告書からなかなか良い形容詞をつけたものだと、いささか感心していると、途中から膝の上のユリアン様の両耳を手で塞いだジェドが、死んだ魚のような目で妹君を見た。


「アリス。今のは一体どこから仕入れた情報なのかな……?」

「まあ、お兄様。淑女の情報源はやすやすと明かせるものではありませんわよ?」

「……エマ」

「私は週に一度、報告書をお送りしただけでございます。それがどのような使い方をされるかは、関知するところではございません」

「…………母上」

「だって貴方の学院での様子が聞きたいって、アリシアたちが言うのですもの」

「だからといって、このような話を幼い子に……っ!」

「そう思って、分かりやすいように、物語風にちょっと脚色してみました☆」


 うふふ、と羽扇の後ろで、少女のように奥方様が微笑む。

 ジェドと同じプラチナの髪をゆるく巻いてふんわりと結い、白磁の肌に映える菫色の瞳。華奢な体を淡い色のドレスで包んだ姿は、三児の母と思えぬ無垢イノセントっぷりだ。


 奥方様によく似た顔に手のひらをあて、ジェドが、呻き声をあげて背もたれにのけぞった。

 頭が痛いのは分かるが、諦めたまえ、お坊ちゃま。物語にされてしまう事件をやらかしたのは君で、それを盛ったのは君の母上だ。

 兄の様子にまずいと思ったのか、アリシア様が膝のドレスを両手で握ってうつむく。


「ごめんなさい、お兄様。他人様の恋愛問題を詮索するなんて、淑女としてあるまじき行為でしたわ」


 ご当主様と同じ黒髪、灰銀の瞳で、どちらかというとおとなしい顔立ちをしているアリシア様がしゅんとすると、年相応のかわいらしい少女だ。が、いかんせん、発言が八歳児ではない。

 だが、まあ女の子はおませだというし、背伸びしたいお年頃だろうし。

 問題は。


「そのとおりですよ、ねえさま。しつれんしたばかりのにいさまに、あれこれきくなんて、きずぐちにあらじおをぬりこむようなものです。でりかしーがなさすぎます。おとこごころは、せんさいなのですよ?」


 アリシア様に輪をかけて口と頭の切れる、ユリアン様(五歳)だ。

 実はこの方、知能指数――いわゆるIQやEQと呼ばれるもの――が、この年にして200越えなのだ。しかも神賜ギフトに〝前世の記憶〟なんてものがあるから、余計に性質が悪い。

 ご本人様曰く、『見た目は子ども、頭脳は大人』という状態なのである。

 [鑑定]したのは私自身だし、慣れているつもりだったが、約一年ぶりに顔を合わせると、舌足らずながら語彙数が格段に増えていて、違和感がハンパない。

 もちろんジェラルド様もご承知のはずだか、さすがに驚いたように膝の上の弟君を見つめ、耳にあてていた手をそっと黒いくせ毛の上に置きなおした。


「庇ってくれてありがとう、ユーリ」

「おとこどうしですから、とうぜんです」

「弟と妹に気を遣わせるなんて、私はダメな兄上だね」


 もう片方の手をアリシア様の頭に乗せて苦笑するジェドは、耳を下げてしょぼくれる仔犬そのものだ。

 その姿にきゅんときたらしいアリシア様が、頬を染めて拳を握りしめる。


「お兄様は素敵ですっ。わたくし、今からその女に天誅を下しにまいりますわ!」

「だめです、ねえさま。ねえさまのこぶしでなぐっては、あいてがすぐにぜつめいしてしまいます」


 アリシア様は、外見のみならず、ご当主様の〝先祖返り〟をもっとも色濃く受け継いでいるため、魔力はともかく身体能力が異常に高いのだ。

 どれくらい高いかというと、三歳の時にだだをこねて足踏みをした際、床が陥没したレベルである。それをきっかけに私は鑑定士兼アドバイザーとしてお二人の生育にかかわることになり、アリシア様は両手足に力を抑える封魔具をつけることになった。ついでに官邸の床は、すべて魔法鋼製に替えられた。


「やるのなら、もっとじわじわと、まわたでくびをしめるようにいくべきです。こういのきぞくれいそくばかりをねらうような、けいさんだかいおんななのですから、たたけばいくらでもほこりがでるでしょう。まわりからせめていって、しゃかいてきにまっさつすればよいのです」


 うん、ユリアン様。言っていることは貴族としてすごく正しいけど、五歳児の発言じゃないよね。

 さすがにジェドの目の死にっぷりが心配になったので、慌てて口を挟む。


「ユリアン様。アリシア様も、落ち着いてくださいませ。詳しいことは奥方様からお話があると存じますが、そのあたりはきちんと解決しております」

「かいけつ?」

「本当? エマ」

「はい。エマは嘘は申しません。それに兄君様も、振られたというのとは少し違うのでございますよ? お相手の女性の淑女らしからぬ振る舞いが明るみに出まして、お諦めになられたのです」


 真実に特大のふかふか衣をまとわせた表現だが、嘘はついていない。ジェドが驚いたように私を見、ほっと表情を弛ませた。

 ふわりと羽扇を揺らして、奥方様が言い添える。


「ほら、ごらんなさい、二人とも。憶測ばかりで突っ走ってはなりませんと申したでしょう?」

「ごめんなさい、お兄様」

「では、そのかんちがいおんなは、きちんと、さばきのばにだされたのですか?」

「すべては皇帝陛下の裁量にお任せされたと聞き及んでおります」


 適当な言葉でごまかしてもよかったのだが、隠してもバレそうなので、あえて本当のところを告げる。

 アリシア様は「それならば安心ですわね」と微笑んだが、ユリアン様は眉を寄せて一瞬考え、はっと背後の兄を振り返った。皇帝みずから裁くという事の重みと兄の連座での処分という可能性に思い至ったのだろう。知能が高いのも考えものである。

 同じ菫色の瞳を不安に揺らす弟を、ジェドが背中からぎゅっと抱きしめた。


「大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」

「にいさま、もうへんなおんなにつかまらないでくださいね? にいさまは、おかおもよくて、ちいもあって、あたまもよくて、まりょくもある〝さいこうすぺっく〟なのですから、もったいないです」

「ユーリの表現は、いつも独特だね。でも、褒めてくれてありがとう」

「にいさまは、いっけん〝くーる〟なのに、ひとがよすぎて、ちょっとしんぱいです……。にいさまのほんとうのよさをわかってくれるひとが、いてくれればよいのですが」

「ダメよ、ユーリ。お兄様にはご婚約者様がいらっしゃるのに、そんな言い方して」


 兄君の多角関係恋愛話で一番興奮していたはずのアリシア様が、姉らしく諌める。

 言いづらそうに、ジェドがまた眉尻を下げた。


「それなのだけど、ナタリア嬢との婚約は解消することにしたんだよ。――母上にも、ご報告が遅れて申し訳ありません」

「旦那様はご承知なのね? 先方はどのようにおっしゃって?」

「今朝方、アイスバーグ侯爵にお話をさせていただくお伺いをたてたところです。きちんと私からお話しするのが筋だろうと」

「そう、残念ね」


 奥方様は言葉少なにそう返されたが、ジェラルド様が婚約されてから五年間、つまり生きている年数のほとんどをその事実とともに過ごしてきた弟妹君の反応がすごかった。


「ええっ。どうしてですの、婚約解消だなんて! たとえ別の方に心惹かれても、最後には長年待ちつづけた婚約者のもとに帰るのが、王道ではありませんの?!」


 と、恋愛脳を暴走させたアリシア様が詰め寄り。


「ぎゃくはーねらいのあげく、こんやくはきにもちこませるとは、あのびっちめ……やはり、はやめにうらからてをまわして、まっさつしておくんだった……! くそ、ようじのからだがにくい!」


 と、いたいけな瞳を濁らせて、ユリアン様がぶっそうなことを呟き。


「ちょ、その、おまえたち、二人とも落ち着こうか?」


 なぜかジェドが一番動揺する羽目になってしまった。残念な子。


 弟妹に挟まれておろおろしている姿がかわいかったので、生温く笑って奥方様と向かいのソファから見守ることにする。

 ちょうど気まずい会話の間を縫って、奥方様付の侍女が紅茶を給仕してくれたところだ。さすが華公爵家、いい茶葉使ってる。種類は見当がつくけど、産地までは分からない。淑女としては必須の素養だが、メイドには関係ないから保管方法や最低限の淹れ方しか習っていないのだ。

 湯気と口の中に広がる香気を胸いっぱいに吸い込む。同じ茶葉は高くて買えないだろうから、味と香りを覚えて近いのをお土産にしよう、と決意していると、隣で同じく紅茶を嗜まれていた奥方様が「美味しい?」と尋ねてこられた。


「はい、とても。味が深くて香りもしっかりしていて、今の季節にぴったりですね」

「気に入ってくれると思ったわ。用意させてあるから、手土産に持ち帰ってね?」


 お・み・と・お・し☆な笑顔で言い切られ、うっと言葉に詰まる。


「ですが、さすがにこれは……」

「良い茶葉が手に入ったから、ジニーにも飲んでほしいだけよ? 気にしないで」


 奥方様の友人でもある母の名を出され、私は白旗を上げた。この方は本当に、お願い事という名の下に他人を意のままに操るのがお上手だ。


「ありがとうございます。では、遠慮なくいただいて帰ります。母も喜びます」

「そうしてちょうだい。……ああ。紅茶は淹れ方で味が変わるから、侍女に教えるように申しつけておくわね。きちんと覚えて帰ってちょうだいね?」

「か、かしこまりました」


 なんだか課題を出されてしまった。

 官邸訪問用にと今日着ているドレス一式をいただいたときもそうだけど(そのときは礼儀作法とセットだった)、どうも物につられていろいろと仕込まれている気がする。メイド生活、終わったはずなんですけど。


「貴女は呑み込みが早いから、きっとすぐに覚えられるわ」

「はい、努力いたします」


 うう、私、転がされてるぅ!

 まあ、あのご当主様を手玉にとれる御方なので、私のような小物は指先ひとつでひょいってな感じなのだろうけど。この奥方様、何度も視直すのに神眼系のスキルがまったく出てこないのが余計に怖いんだよね。

 どうやって見抜いているんだろう、とどきどきしていると、「貴女はわりと分かりやすいのよ」と澄ました顔で微笑まれ、うひぃ!なんていう声をあげかけてしまった。

 などと、私たちが和んでいる間に。


「やはり殿方のお好きな女性は、賢さや品の良さではなく、胸の大きさなのですね……」

「わかります、わかりますよ、にいさま。じょせいのふくよかな〝ばすと〟は、おとこの〝ろまん〟ですよね!」

「わたくしも大人になったら、ゆっさゆさのぼよよ~んになれるでしょうか……?」

「…………」

 

 目の前の兄妹の会話が、おかしな世界に突入していた。

 どうしてこうなったんだろうと首を傾げれば、ジェドが泣きそうな顔で助けてくれと無言で訴えてくる。だからそれ、嗜虐心をそそるだけなんですってば。

 それでもいい加減そろそろ救出すべきかと、ティーカップをソーサーに戻すと、隣の奥方様が罪のない笑顔で切り出した。


「そういえば、ジェラルド。旦那様に特製の魔道具をいただいたのですって? 私にも見せてちょうだいな」


 ――鬼……!

 今一番ここから逃げたい人間に、追加で生肉ぶらさげましたよ、この奥様……!!


 戦慄する私とは対照的に、やっと今の話題から抜け出せると喜んだジェドが、笑顔で承知する。膝の上のユリアン様を左脇に下ろし、手際よくクラバットを解いて襟を緩めようとして――ようやく自分が餌食になったことを悟ったのか、さあっと顔を強ばらせた。

 

「ええと、あまり母上にお見せするようなものではないと思うのですが――」

「あら、かまわなくてよ?」


 そうでしょうとも、奥方様。構うのはお坊ちゃまの矜持のほうですから。

 笑いを堪えたら紅茶が逆流しそうになったので、慌てて扇を開いてごまかす。恨みがましい坊ちゃまの視線が突き刺さるが、巻き込まれては困るので無視を決め込んだ。

 こんなときに、だいたい上手いこと地雷を踏み抜いてくださるのが、暴走娘のアリシア様で。

 

「あら、お兄様。こんなところになにを着けてらっしゃるの?」


 妹の気安さで、ずずずいと兄の胸襟をこじ開け――――固まった。


「くびわ……ですか」

「チョーカーと呼んでくださいませ、ユリアン様」

「なんきんじょうとは、とうさまもなかなかのしゅみですね……。それにしても、すごいまほうふよです」

「本当に。内容は聞いていたけれど、あの人もよくここまで盛ったものね」


 さすが魔力の豊富なお二人は、見た目の衝撃よりも、付与された幾つもの魔法陣に目がいったらしい。

 一方、いたって普通貴族並みの魔力のアリシア様は、たっぷり三呼吸分くらい固まっていたと思うと、兄君のシャツを握ったまま、おもむろに顔を上げた。

 その目が、きらっきらしている。


「か……かっこいいです、お兄様! いつもの貴公子のお姿も素敵ですけれど、錠のついた革の首輪が、お兄様のおきれいな陶器のような素肌に映えて、なんて〝わいるど〟なんでしょう……っ! お兄様のこんな魅力を発掘するなんて、さすがお父様ですっ!」


 知らない間に、ご当主様の株まで上昇してしまった。「ああ、鼻血出そう……」とつぶやくアリシア様は本当に耳まで真っ赤にのぼせていて、これはマズいと、席を移ってジェドからべいっと引き剥がす。


「あの子はどうしてこんなふうに育っちゃったのかしらねえ」


 奥方様が扇の影でぼそりとおっしゃるけど、それは多分に貴女様のせいだと思われます。

 姉君の興奮を冷静に眺めていたユリアン様が、ふうむと腕を組んだ。


「まあ、ねえさまのいうことも、いちりあります。にいさまのこのおすがたは、いちぶのじょせいの〝すいぜんのまと〟ですよ。〝くーるきゃら〟だけではなく、〝わいるどけい〟もこなしてしまうとは、さすがにいさまです」

「あ……ありがとう……?」


 戸惑いつつも、律儀に礼を言うジェド。離した勢いで、私とジェドで挟み込むような形になってしまったアリシア様が、ふと至近で私を見上げた。

 正確には、私の胸のあたりを、である。


「……ねえ、エマ。ひょっとして、その首の鍵って……」


 あーあ、見つかっちゃった。こうなるのが嫌だから、隠しておいたのに。

 ご当主様に押し付けられたとはいえ、例の鍵はジェドの首輪のように取り外しができないものではないので、施錠できる宝石箱などに保管してもよいのだが、アルバ華公爵家ご長子様の命運を握る代物だけに持ち歩くことにしたのだ。

 だけど、ドレスというのはポケットがないのですよねー。バッグに入れておくのも何か違うし。なので、装飾的になっている鍵の頭の部分にリボンを通して首から下げることにしたら――ジェドに見つかってチョーカー状態に結びなおされ、今に至るというわけで。

 あ、リボンを黒のベルベットにしたのに他意はないのですよ? たまたま手元にあったのがそれだっただけで。


「そのとおりですわ、アリシア様。ご当主様のご要望で、ジェド様の魔道具の鍵を私がお預かりさせていただいているのです」

「まあ。お兄様とお揃いなんて、羨ましいですわ」


 うああああ、そこ突っ込んじゃだめえぇ! そう見えるだろうけど! 同じ黒のチョーカーだけど、ぜんぜん素材違うから! すごく不本意な結果だから!

 十年の職歴で培った猫を総動員して、笑顔を取り繕う。視界の片隅で、奥方様がすごく目を輝かせているけど、気にしない。気にしたら、私の中のナニカが確実に折れる。


「ジェド様のご成長を見届けるまでの間だけですわ」

「これから一年間、私はエマに付いて、アルバ領の勉強をすることになったんだよ」

「にいさま、ぎるどをのっとるわけではいのですよね?」


 私の素性を知っているユリアン様が不安そうに尋ねる。

 ジェドが、ゆるく首を左右に振って否定した。


「そうではないよ。私は三年間あちらにいたけれど、ほとんどアルバのことを知らないままなんだ。将来、皇城で働くにしろ、自分のバックボーンとなる環境をきちんと理解することが大切なのではないかと、父上と話し合ったんだよ」

「ばっくぼーん?」

「父様もお祖父様も、そのまたお祖父様も、アルバという領地を治めてきただろう? それは逆に、私たちもご先祖様も、その領地に生かされてきたということなんだ。目には見えないことだけれど、それは背骨みたいに私たちを支えてくれている。背骨は大事だろう?」

「はい」

「私は今までその大事なことを忘れていたから、きちんと勉強し直したいと思ったんだよ」


 きょとりとするアリシア様に、ジェドが丁寧に説明する。

 ユリアン様は完全に別枠だが、大人びているとはいえ、まだ八歳のアリシア様にも適当にごまかさずに受け答えする彼に、少しだけ感心した。弟妹君に優しいと聞いていたが、甘やかすだけでなく、異常さを理解しつつ一人の人間として対応するなんて、実の兄でもなかなかできることではない。

 

「では、この首の魔道具も、一年だけなのですね?」

「私一人で行くからね。警護と父上との連絡用だ」

「それで、一年後にエマが、この鍵を開けて外すのですね」

「はい。それまで兄君様ともども大切に預からせていただきます」


 よし乗り切った!と心の中で拳を作れば、なにやらにまにまと笑みを浮かべたアリシア様が、むふんと私の胸に寄りかかってきた。


「どうされました?」

「うふ。だって、お互いに錠と鍵を身に着けるだなんて、なんだかとても〝はいとくてき〟な関係って感じなのですもの……うふふ」

「……」

 

 誰が八歳児に〝背徳的〟なんて単語を教えたんですかええ奥方様ですよねわかってますけどああもう!

 脳内で一息に愚痴を言い切ると、猫を数十匹ぶら下げたまま、アリシア様の髪を撫でる。


「アリシア様。そのような発言は、決して余所ではしてはなりませんよ? はしたないと誤解されてしまいますからね?」

「わかっていますよぅ。うふ、ぐふふふふー」


 聞いてねえな。

 処置なし、と肩を落とせば、もろもろの元凶である奥方様が、さらりと突っ込んだ。


「これだけオープンにしているのだから、背徳的ではないでしょうに」

「かあさま。いま、ねえさまのなかで〝はいとくてき〟が〝だいふぃーばー〟ちゅうなのです」

「そうだったわね。それにしても、二人とも思っていたより良い関係を築いているようで安心したわ。もう愛称で呼んでいるようだし。ね?」


 うわあ、自爆! 気を付けて『兄君様』呼ばわりしていたのに、脳内で愛称呼び捨てしちゃってるから、さっきつい『ジェド様』って言っちゃったんだよね……。

 ヤバい、ジェドが見れない。ぜったい顔赤くなってる。がんばれ、私の猫たち!


「これから一年間、四六時中ご一緒することになりますので、信頼関係を構築するためにジェド様のほうからご提案いただいたのです」

「あら、そうなの。ふふふ」

「ぐふふー」

「……呼び捨てでいいと言ったのに」


 奥方様もアリシア様も、いい加減、その意味深な笑い止めていただけませんかね? で、なんでジェドがそこで拗ねるの?!


「まってください。えまとにいさまが『しろくじちゅういっしょ』とは、どういうことですか? しごとじょうのかんけいでは、ないのですか?」

「仕事上の関係ではありますが、お身柄はギルド預かりとなりますので、ギルドの所有している宿舎に移り住んでいただき、ジェド様がある程度身の回りのことができるようになるまで、私がお世話をすることになるかと存じますが。詳細はまだ――」

「ずるいです!」


 日頃冷静なユリアン様が、大声で遮ったものだから、少し驚いた。

 むふふ状態だった母娘も、目を丸くして幼児を見つめる。


「にいさまばっかり、えまをどくせんして! さんねんかんも、えまをめいどにしたのですから、もういいではないですか。つぎは、わたしのばんです!」

「ダメよ、ユーリ。男の子に女の側近は不要でしょう。次は、わたくしがエマをもらいます。姉ですもの、優先権がありますわ」

「いやです!」


 おおう? 私、大人気? そういえば奥方様からも、メイド生活後も華公家にいてはどうかと打診されたことがあったけど、ギルドが心配だからと断ったんだよね。

 私の[鑑定]能力を買っていただいているのか、なつかれ具合を評価されているのか微妙なところだけど、物の取り合いのようでも自分が必要とされているのは嬉しい。

 姉の優先権を持ち出されて焦ったのか、ユリアン様がソファから下り、たたっと小走って反対の端にいた私にぎゅっと抱きつく。


「だめです! えまのむねは、わたしのです!」

「ダメだと言っているでしょう、ユーリ! エマは、わたくしの胸がむっちむちのばい~んになるまで、傍に居てもらうのです! 美乳の女神が降臨するまで、ご利益を分けてもらうのです!」


 乳か。

 私の価値は、この乳だけですか!

 ただの脂肪の塊なので、よかったら差し上げますけど?!


 チビで童顔のくせに胸だけは自己主張が激しくて、すごくアンバランスだから、取り合っているお二人には悪いが、この胸は私のコンプレックスだ。

 地味が基本のメイドの格好をしていても変な目つきで見てくる男は多かったし、今みたいな襟元の開いた服なんて絶対着れない。おかげで護身術がめきめき上達したけれど、そういう理由もあって、一人でできる資料整理や首から上しか見えないギルドのカウンター業務が性に合っているというのが本音だ。

 ちびっ子たちにもみくちゃにされたまま心を飛ばしていると、ティーカップを扇に持ち替えた奥方様が、手の中でそれをぱちりと鳴らした。


「良い加減になさい、二人とも。旦那様がお決めになったことです。エマは、今はジェラルドのものです」


 すごく良い台詞を言った!みたいな空気を醸し出していますが、ちょっと表現がおかしくありませんか、奥方様?


「一年後、エマがお役目を終えた後、どうするかは本人の意志になります。欲しいのなら、自力で手にお入れなさい」

「……はい」

「わかりましたわ」

「それから、ジェラルド。貴方もエマを引き留めないで、どうするのです。エマは一年間貴方の指導を引き受けましたが、望む者は多いのです。気を緩めると失いますよ? 男たるもの、傍にいる女性は自力でお守りなさい」

「はい、母上」


 弟妹たちの応酬に赤面して傍観者を決め込んでいたジェドが、私から目を逸らしつつも、そっとアリシア様を自分の膝に引き寄せた。

 二人のお子様に潰されそうになっていたので、ようやくできた空間に一息つく。


「ありがとうございます」

「いや」


 まだ顔を朱に染めたまま、ジェドがこちらも見ずに応じる。あれだけ学院で男爵令嬢を囲んで爛れた生活を送っていたはずなのに、なんだこの純情っぷりは。

 体勢を整えてユリアン様を膝に抱え直せば、まふんと満足げに胸に顔を埋めてきた。エロ幼児め。

 前世が社会人の中年男性だと知っているから、見た目はともかく、ただのスケベ親父にしか思えない。引っ掻き回されるのも疲れたから、そろそろご退場いただくとしようか。


「あら、ユリアン様。おねむですか? そろそろお昼寝の時間でしたかしら?」

「まだ、だいじょうぶ、です」


 昼食後ということと、興奮したせいもあるのだろう。ユリアン様は本当に目を半分閉じながら、ぼんやり答える。


「侍女を呼びましょう」

「いえ、このまま私が連れてまいります」

「まだいますー。のけものは、ずるいです」

「――眠られるまで、エマが添い寝しますから」

「…………おひるね、してきます」


 耳元で囁けば、あっさり陥落。家族一人ひとりにおやすみの〝ちゅう〟をさせて、寝室に連れ去る。中身は大人だけど肉体は幼児なので、寝かしつけも簡単なものだ。

 さて、これでようやく落ち着いて今後についての話ができる、と談話室に戻れば。



 そこは、混沌カオスでした。

 


 手前のソファで、奥方様が羽扇に顔を埋め、さらに体を丸めて痙攣のように笑い続け。


 その向かいでは、襟元をはだけさせたまま逃げようとするジェドの上に、アリシア様が馬乗りになって襲いかかり。

 今まさに――――兄の頭に、ふわもこの三角耳のついたカチューシャを嵌めようとしていた。



「た、助けて……エマ」



 まずは説明が先だ、この駄犬め……!




すみません。あらすじに「転生ではありません」と書いたのですが、勢いで脇役に転生者が出ちゃいました…。

裏設定だったので、さらっと流すつもりでしたが、なぜか筆が走ってまさかの一万字越え(滝汗)。もう少しお付き合いくださいませ。

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