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かくてメイドは今宵も踊る。  作者: 鴇合コウ
蛇足編:彼と彼女と首輪の事情。
8/25

【彼の事情*2】

 

「そういえば、アイスバーグ侯爵ご令嬢とのご婚約をお断りしたと伺いましたが?」

「ああ。処分を受けるような者と一緒になっても、あちらも迷惑だろう。共に評価を下げるようなことになっては申し訳ないからな」

「処分といっても、ぎりぎり学生の身分でしょう? 普通の犯罪とは違います」

「それでも不名誉であることには変わりない。貴族社会は甘くないぞ」

「……せっかく根回ししましたのに」

「そこもおまえか……!」


 今回の騒動後、先方から婚約継続を申し出てくれたそうだが、やはり彼女が絡んでいたらしい。

 子どものように、むうと頬を膨らませて不満を示す女を睨めば、猫のように大きな蜂蜜色の両目が負けじと睨み返してきた。


「ナタリア様のどこがご不満なのです。かわいらしくておとなしくて、刺繍と読書が趣味のインドア派。ちょっと人見知りですが、同じく人見知りで口下手のジェラルド様にはちょうど良いかと――」

「人見知りで口下手で悪かったな」

「やっぱり男爵令嬢の手練手管が忘れられませんか?」

「おまえは本当に昼間からなんということを口にしているんだ……」


 二人きりの馬車内で良かった。御者はいるが、おそらくこの内装の豪華さから、防音魔術を組み込んであるはずだ。複雑すぎてすべての魔法陣は読み切れないが。


「ミアのことは関係ない。今回のことで自分の未熟さがよく分かったから、すべてを白紙に戻して、ゼロからやり直したかったんだ」

「貴方の場合、ゼロというよりすでにマイナスですけれどね」


 容赦のない一言を浴びせ、女がふいに眼差しを緩める。


「それでもマイナスは、足せばマイナスが増えるだけですが、マイナスを乗算すればプラスになるんですよ?」

「屁理屈だな」

「それでも、これから先まだ長いのですから、いくらでも取り戻せることは事実です。そのうち今回の件が霞むような大失態をやらかせば、これもすぐに笑い話になります」

「……そっちへ落とすか……」


 どうしてもこの女は、私を貶めたいらしい。

 ため息をついて、喉元に指先を触れる。


 今はシャツとクラバットに隠れているが、私の首には黒い革の帯が巻かれ、その先には魔石の付いた南京錠がぶら下がっている。

 実はこれは、魔術師の道に進みたいと言っていた私の卒業祝いとして、護身用の短剣と剣帯を用意してくれていた父が、進路をやり直すのならとその場で形を変えてプレゼントしてくれたものだ。素材が黒火蜥蜴の革と魔法鋼、氷竜の涙などという魔法特化の代物であることと父の莫大な魔力がなければ不可能な荒業ではある。

 まさか私も南京錠付のチョーカーになるとは思わなかったが、余った氷竜の涙と魔法鋼は一部が父の連絡用の指輪となり、残りは――鍵となって目の前の女が持っている、はずだ。


「首輪、今もつけていらっしゃるのですよね? 苦しくありませんか?」

「別に負担はない。魔道具だからな」


 彼女の持つ鍵がなければ外れないが、魔力をたっぷり含んだ素材のため、ほとんど重さはなく、肌がこすれる不快感もない。喉仏の下なので息苦しいこともなく、強いて言えば体を洗うときに少々邪魔なくらいだ。

 

「おまえも持っているのだろうな?」

「持っていますよ、ちゃんと」


 ほら、と首に回したリボンを指先で引っ張れば、それが入り込んだ先――豊かな胸元の間から、銀色の小さな鍵が出てくる。


「お ま え は ! 羞恥心というものがないのか!」

「失礼な。こんなもの他の人には見せませんよ」

「言っている傍から、目の前でそんなところに入れ直そうとするんじゃないっ!」

「もー。どうしろというんですか」

「……後ろを向け。リボンが長すぎるんだ。結び直してやる」


 ありがとうございます、と素直に背を向ける女の首すじで結ばれた黒いリボンを指先でほどく。角度的に上から胸元を覗き込む形になりそうで、なるべく手元に視線を集中させた。


「おまえ、なぜ鍵を持つことを引き受けた?」

「……え?」

「あれほど私と関わるのを嫌がっていただろう?」


 後れ毛を丁寧にどけ、鍵がちょうど鎖骨のくぼみ辺りに来るように結び直せば、女はまた礼を言ってくるりと向き直った。


「本音と建前、どちらが聞きたいですか?」

「本音でいい」


 お手柔らかに頼む、と付け加えれば、くすりと笑われる。


「ぶっちゃけ、面倒だとは思ってますよ?」

「ちっとも柔らかくないではないか……」

「だって、他人の人生を左右するものなんて、誰も背負いたくないでしょう?」

「……」

「最初に貴方の下町行きを反対したのは、ご当主様と決定的に決裂してしまいそうだったからです。アルバでの三年間を見聞きして、貴方はあちらにいるべきではないと思いました。未熟だとかではなく、人には向き不向きがあるんです。たぶん、ご当主様もそういうご判断があったのではないですか?」


 女の問いに、驚きながらも私は素直に頷いた。


「父は……私を皇城に呼んで手元で働かせる予定だったみたいだ。私は魔術師になりたいと言ったが……」

「なるほど。貴方は下級官吏からはじめて、やがて宰相に。アルバ華公爵は弟君か妹君のどちらかが継げば、すべては丸く収まるとお考えだったのでしょう。

 ですが今回の件で、貴方は宮廷に入りづらくなってしまった――入れなくもないですが、針のむしろです。まあ、それでどうするか、というところに私が乱入したので、話が変な方向に転がったわけですけど」


 一気に言い、ふうと息をついて女が言葉を続ける。


「生まれ育った故郷のご領主様の大事なご子息の将来を、一介の平民の娘が預かるなんて尋常じゃありませんよ。だけど、貴方もご当主様もやり直そうと決めた――だったら、応援するしかないじゃないですか」

「おまえ、私を馬鹿にしているのではなかったのか?」

「していませんよ? ……ああ。最初にさんざんこき下ろしたのは、お忘れください。8割本音ですけど、あとの2割はちょっと焦っていたのと三年間の鬱憤が溜まっていたので、つい言葉がきつくなってしまいまして」

「結局馬鹿にしているのではないか」

「していませんって。その年頃にしては優秀だと言ったではありませんか。それにアルバの下町で通用しないということが、他でまったく通用しないという意味ではありません」


 うちは魔境ですから、と言い添えられて、あらためて自領の特殊性を再認識する。そういえば、結界なしに他国の侵攻を防げる唯一の場所と言われているのだった。


「だが、私の魔術は父の足元にも及ばないだろう?」

「当たり前です。そもそも、あれを基準にするのが間違いです。あんなの百年かかっても到達できませんよ」

「そうなのか?」

「そうです。まあ、百回くらい生まれ変わればなんとかいけるかもしれません」

「それはさすがに言い過ぎだろう」

「いいえ。だって私、最初にご当主様とお会いしたとき、衝撃すぎて、ギャン泣きしてひきつけ起こして三日間寝込んだんですよ?」


 [鑑定]能力というものはそれほど大変なのかと驚くと、驚くところが違うと怒られた。


「まだ三つだったので情報処理能力に限界があったのと、見たことのない数値や能力が並んでいて人外にしか見えなかったので、軽く悪夢が具現化された気分でした。ご当主様も魔力を抑えた状態だったので、なぜ私が怯えるのかわからずにとても困ったそうです。その結果、私の[鑑定]能力が判明したわけですが」

「父上はそんなにすごいのか?」

「魔力・体力・生命力、どれも振り切れています。ジェラルド様だから言いますが、これまで私、ご当主様以上の人に会ったことがありません」

「皇帝陛下は?」

「平民が皇帝陛下をガン見なんてできませんよ? ある程度、近い距離が必要ですし。一度だけ、好奇心に負けてこっそり見ようとしたことはあります、けど」

「けど?」

「速攻でバレて、殺されるかと思いました。たぶん神眼持っていますよ、あの家系。今はセンティフォーリアに固定化されていますけど、元はひとつだったんじゃないでしょうか。傍系という噂も聞きますし」

「……今、さらっと皇家の秘密を暴かなかったか」

「気のせいです。忘れてください」


 にっこりと向けられる笑顔に、胃が痛くなる。

 気を逸らすように、まだ着かないのかと窓を見れば、あまり景色が動いたように感じられない。馬車の波の合間から、学院のすぐ傍の町並みが見えていた。


「遅いな」

「卒業式の翌日ですからね。混み合うのは当たり前ですよ。時間は余裕をみていますので、大丈夫です」

「道が馬車で埋まっているぞ」

「人は魔法陣で移動できませんからね。馬が怪我をしなければいいのですが」


 百年戦争のうちに魔法陣が改良されて、指定した魔法陣から魔法陣への瞬間移動が可能になった。だがやはり時間と空間を操る魔術は精密で難しく、ほんの少しの記述ミスや複数を一度に起動させたときなど、目的地の魔法陣に品物の一部しか届かないという事態が起こり、人への使用は厳重に禁じられた。

 物品ならともかく、人体の一部しか届かなかったら、送るほうも送られたほうもトラウマにしかならない。


「だが父上は、よく魔法陣で本邸に来られたぞ?」

「宰相特権と膨大な魔力のなせる業です。力押しなので、絶対に真似をしないでくださいませ」

「しようと思ってできるものでもないだろう」

「分かっていただけてなによりです。……それにしても、本当に動きませんね。これを見越して小さい馬車にしていただいたのに」


 細く開けた窓を覗いて漏らされた呟きに、ふと引っかかるものがあった。そういえば、この馬車は二人乗り用だったはずだ。


「なぜ中がこんなに広いのだ?」

「今頃お気づきですか? 実はこの馬車、アイテムボックスの応用なんです」


 アイテムボックスは、見た目は普通の鞄と変わらないが、中を開ければ魔力によって大きさを変えられる亜空間と繋がっている、上級冒険者の必須アイテムと聞く。ちなみに空間属性がないと、とんでもない量の魔力が必要になる。


「まさか、ここは亜空間とか言わないだろうな?!」

「言いますよ。アイテムボックスなんですから当たり前です。意外と居心地いいですよね」

「魔力の使い方にすごく問題がある気がするのだが」

「素材と魔石で状態を維持しているので、中の人間から魔力を供給しているわけではないですよ?」

「そういう問題ではなく」

「ちなみにこの馬車一台で、小さい家が一軒買えます」

「……」


 座って話していただけなのに、なぜだかどっと疲れを感じて、座面にぐったりと体を預けた。何を思ったか、ふふっと女が笑う。


「久しぶりなのですから、今日はしっかり母君に甘えて休養されると良いですよ」


 疲れたのはおまえのせいだと言いたいが、言い負かされそうで口を閉ざす。

 到着まで時間がかかりそうだと判断したのか、女は、いそいそと手提げ鞄から小さな本をとり出して読みはじめた。

 題名は、『かわいいペットの躾け方~スライムからオーガまで~』。


 ――この女は、いったい何処を目指しているのだ。


 知りたいとは露ほども思わないが、自分の今後一年間は彼女にかかっているのだ。昨夜は『〝仔犬系〟でいく』と言われたことだし、まったく理解できないが、最初から思考放棄もまずいだろう。


「おい、おまえ。その……これからのことはどう考えているのだ」

「どうとは?」

「その、われわれの関係、とか」

「まあ。ジェラルド様がおっしゃると、愛の告白みたいですわね?」

「な……っ」


 反論しようとして、開いた本の向こうの蜂蜜色の瞳を見て止める。きらきらと愉しげに輝いていて、厄介この上ない。

 乗るものかと睨んでいると、諦めたように女が目を逸らす。勝った!


「とりあえず私は、かい――監督、でいいのでは?」


 今、飼い主と言おうとしなかったか?!


「監督? 主人ではなく?」

「貴方の再出発をお膳立てするのですから、総合監督が一番近いでしょうね。もちろん私の指示には従っていただきますが、方針はギルド長の父とご当主様の意見を軸に決めます。冒険者ではなくギルド職員と言われたことに意味があると思いますので」

「なるほど。私はおまえに敬語を使うべきか?」

「職員として私の下についてもらうときや、お客様の前に立つときは使っていただきます。ですが、それ以外はいつも通りでいいですよ。TPOは弁えていただきたいですが、私も敬語が抜けそうにありませんし――多少崩れるのは見逃していただかないといけませんが」

「わかった」

「私のことはエマとお呼びください。敬称は不要です」

「では、私のことはジェドと。……け、敬称も不要だ!」


 気負いこんで言い切れば、なぜか生温い視線が返ってきた。


「……なにを対抗しているんですか」

「対抗ではない。下町に行くのなら、敬称はおかしいだろう?」

「どこの下町に行くかわかってます? ご自身の父君の治める領地で、三年前に住んでいたところですよ? しかも母君と瓜二つで、魔道具なんてつけていれば、バレバレですよ」

「なんだかギルドで働いたら、見世物になりそうだな……」

「そこが狙い目です。せいぜい立派な客寄せパンダになっていただきますから」


 パンダ……?

 確か、東国の珍獣と聞いた気がする。かわいらしい見た目だが、実は凶暴な動物だと。

 しかしそれでは、仔犬と言っていたのは、どうなったのだ?

 着ぐるみでも着回すのか?

 …………パンダのことはよく分からぬので、もう仔犬でいいのではないだろうか。

 首輪もしていることだし。


 そういえば、昨夜〝仔犬系〟について父や側近に尋ねたのだが、適当な態度でごまかされてしまったが、どういうことだろう。

 考えていると、ぱたりと本を閉じた女が、小さく呼びかけた。


「ジェド」


 どきんと跳ねた胸の内を隠して見返せば、指先で招かれる。


「ちょっと頭を下げてください」

「……なんの真似だ?」

「いえ、ちょっと――かいぬ……監督なのに、褒めるのを忘れていたと思いまして」


 言いつつ、少し前に傾けた私の頭に、そっと乗った手のひらが、ゆっくりと前後に動かされた。


「ジェラルド様。この三年間、本当によく頑張りました。いろいろ不本意なこともあったでしょうが、努力されたことは見る者はきちんと見ております。ご卒業、おめでとうございます」

「……」


 きっと耳まで真っ赤になっていただろう。

 恥ずかしくて、でも心地よくて、そのままじっとうつむいていたら、エマはしばらく黙って頭を撫でつづけてくれた。

 なんだか、ひどく懐かしいような、子ども時分に戻ったような気がする。

 ふふっと頭の上で、やわらかな女の笑い声が聞こえる。


「こ……これからも、頑張れば、こうやって褒めてくれるのか……?」

「ええ。ジェドがそう望むのでしたら」



 この先一年間、どうなるかまるで見当がつかないが――――こういう関係なら、少しは楽しみ、かもしれない。

 それがたとえ、彼女の手のひらで踊らされているのだとしても。



* * *



 この後、少しだけ心を開いたアルバ華公爵家ご長子様が、母親と妹に向かい。


「〝仔犬系〟でいくにはどうすればいいと思う?」


 という質問をして、歓喜の悲鳴と抱擁と腹筋崩壊を招くまで。



 ――――――あと三時間。




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