【破の前後とそれから】
メイドのエマは、実に奇妙な娘だった。
私の放逐の取り消しを願い出たと思えば、なぜだが散々に私のことをこき下ろし、下町に来てくれては困ると言い放つ。
これが後に父の(および母の)耳目となる密偵だと知れば納得もできたが、最初は使用人にそこまで白い目で見られていたのかと、体の芯まで血の気が引いた。
そのうえ、これまでにかかった費用を並べ立てられれば、生きた心地がしない。
「3億が無駄か」
「まったくすべてが無駄になるかどうかは、これから次第ではないでしょうか。それより私は、この騒動のせいで御用達品の価値が下がらないか、というほうが心配ですよ」
――父上は、メイドにそこまで言わせるほど、私に腹を立ててらっしゃるのか。
悔しくて情けなくて涙が滲んだ。せめてもの矜持で、取り乱すことだけは耐える。
挙げ句の果てに、ペットだの発電機だの臓器の代替だのと言われては、もはや私に人権はなかった。父の命令であれば、どのようなことも甘んじて受け入れる気ではいたが、どこまで私は堕ちればいいのだろう。
父に見放されていないことだけを祈る。
黙って聞いていれば、あけすけな毒舌の応酬は、なぜか私を下町に任せるという方向で交渉されているように感じた。
まさか、この娘――どうやら年上らしいが――に、私の将来が任されるというのか。
父は大分信頼しているようだが、この舌鋒に曝されて平然としていられる自信が、私にはまるでなかった。しかもこの大きな蜂蜜色の瞳が、なんともいえぬ、秋波とは違う妖しい輝きで私を見てくるのだ。
ぞわりと寒気がする。
なんだろう……なにかを思い出すのだが、いろいろなことが起こりすぎて、頭が回らない。
そうこうしているうちに、ようやく彼女が引いた。ほっとしたのは一瞬のことで、なぜか捨て台詞のように、父と話し合えと要求してくる。
「いや、話といっても――」
「大事な、お話が、ございますよね?」
なんということだ。
視線を合わせたら命がなくなると畏れられるあの父が、笑顔で圧されている。
笑顔というものがこれほど恐ろしいものとは、初めて知った。その顔が私にも向けられる。
「ジェラルド様も、本日はこれ以上ないほどの生き恥を曝されたのですから、今さらひとつやふたつ恥が増えたところで同じことでしょう。これまでの鬱憤をめいっぱいぶちまけておやりなさいませ」
「だが……」
「大丈夫ですよ。旦那様はそれしきのことで動じられる方ではありません。それに、万が一なにかございましても、そこにいる側近たちが取り押さえますよ。皆、優秀ですから」
このメイドが、私のことを快く思っていないのは分かる。それでもなぜか、見捨てられてはいない気がした。そして、その言葉に偽りがないことも。
失礼しますと声をかけてメイドが出ていく。その扉を閉める執事が、軽く目線を上げて、私たちを促すように小さく笑いかけた。
呼応するように、執務机の向こうから、父の吐息が漏れる。
「――言われてしまったな。仕方ない。これまで散々避けてきたことだ。いい加減、覚悟を決めるべきだな」
口にされた台詞に、心臓がどくどくと早鐘を打った。極性の魔力も使いこなせぬ、頭脳も秀才止まりでしかない私は、ついに愛想を尽かされてしまうのだろうか。
様子に気づいたのか、父が机から身を乗り出して、こちらを覗き込む。
「どうした? 言いたいことがあるのなら、言ってごらん」
あのメイドと話したせいか、子ども時分のように屈託ない口調でそう問われ、思わず気が緩んだ。これまで言おうとして言い出せなかった言葉が、口をついて出る。
「父上は、もう、私のことをお嫌いに、なったのでしょうか……?」
ぼとぼとと、封じ込めていたはずの涙が溢れては、無様に床を濡らす。
「お願いです。なんでも、言うことを、聞きますから……捨てないで……っ」
幼児のようにしゃくりあげながら告げれば、ふわりと固いものが全身を包んだ。それが漆黒の最高官吏の礼服だと気づいたのは数瞬のちで、かすんだ視界のすぐ先に父の肩があった。
汚してはいけないと慌てて身を離そうとすると、大きな手にぐっと後頭部を押さえられる。
「まったく、おまえは本当に遠慮がすぎる。これも皆、私が悪かったのだな。許してくれ」
「父上……」
「五年前おまえを領地にやったときも、言葉が足りないと周りから言われたが、おまえが我慢してくれていることをいいことに、先延ばしにしてしまった。大人になってからゆっくり話せばいいと。子どもだからこそ、言葉を尽くさねばならなかったのに」
「父上、わたしは、お仕事のじゃまだから、アルバに行かされたのでは、ないのですか?」
体の弱かった私は、官邸での貴族の子ども同士の遊びについていけず、いつも邪魔者扱いだった。そのくせ親の身分は高いから、表面上は礼を尽くされ、とても居心地が悪かったのを覚えている。
まあ、当時一番の乱暴者だったザックと学院では友人になれたのだから、人生何がどう転ぶかわからないのだが。
それでも、そのとき大人たちから言われた『女のなり損ない』や『あれが宰相閣下の嫡男とは』という無数の嘲笑は、今でも硬いしこりとなって心に残っている。
たどたどしい問いかけに、父は大きく息を吐いて、私の頭を撫でた。
「もう、そこから行き違っているんだな。本当に、エマに怒られても仕方がない」
なぜここでメイドの名前が出てくるのだろう。
私の疑問を余所に、父は抱擁を解くと、取り出したハンカチで私の顔を拭き、座るように言った。気がつけば、いつの間にかすぐ傍に椅子が出されている。
父は行儀悪く執務机の端に腰掛け、ゆっくりと私の知らない過去を語りはじめた。
私のいた頃の宮廷は、まだ父の権力も充分ではなく、敵が数多くいたこと。
そして、嗣子である私が命を狙われていたこと。
私の代わりに命を落とした者たちがいたこと。
幼児だった妹と身重の母も、ぎりぎりまで移動することを検討していたこと。
領地であるアルバは父にとってまさしくホームグラウンドで、私にとってもそうなって欲しいと願っていたこと。
「私も十二でアルバに行った。まあ私の場合は、親に持て余されて追いやられたというのが近いがね。その代わり、好き勝手にさせてもらったよ。
だから、おまえがアルバで何をしようが、一切口を出すまいと思っていたんだ。まったく裏目に出てしまったがね」
「そうだったのですか……」
先刻メイドが言っていた『ご子息を御身と同じレベルでお考えになるのはお止めください』というのは、このことなのかもしれない。実力に差があるのは充分承知しているが、〝好き勝手〟という言葉ひとつとっても、私と父ではだいぶ解釈が違う。
父は自由奔放に過ごさせたかったのだろうが、私は見捨てられた気がしていた。
「それにおまえは、その、他の子たちと仲があまり良くなかっただろう? 皇都を離れたほうが、気が楽かと思ってね」
「ご存じ、だったのですか?」
「おまえの様子がいつもと違って、子ども同士の間で起きたことといえばひとつだろう。あとで相手の子たちには軽くお灸を据えておいたがね」
そういえば学院の入学式で私を見た途端、顔面蒼白になった者が数名いた。あまり関わり合いたくない相手だったので気に留めなかったが、〝軽いお灸〟の成果なのだろう。……具体的になにをしたのか、知りたいような知ってはいけないような気がする。
同時に、気づかないうちに随分父に守られていたのだと、どこかほっと肩の力が抜けた。
宰相ではない顔つきで、父が私の髪を撫でまわす。
「これで少しは誤解が解けたかな?」
「……はい。あの」
「うん?」
「いえ、やっぱり、いいです」
「ジェラルド。聞きたいことや疑問は、なるべくその場で解消するようにしなさい。忍耐は美徳だが、下手に我慢をすると、周りは自分の都合のいいように解釈して、余計にこじれてしまうぞ? おまえは聞き分けが良すぎるのが困ると、ティシアが嘆いていた」
「……母上が?」
「そうだ。おまえは、いらないものはきちんと断るが、欲しいものはほとんど口に出さないと。アリシアたちを育てて、おまえがどれほど願望を飲み込んでいたか、怖くなったと言っていた」
「恵まれているのは、よく分かっていましたから……」
物質的なことだけではない。幼い頃は、熱を出していると母が手を握ってくれたり、仕事に行っているはずの父がいつの間にか傍にいて、小さな炎の蝶を飛ばして遊んでくれたりと、たくさんの愛情を与えてもらっていた。だから余計に、一人アルバ本邸に行かされたときがショックだったのだが。
「いい子に育ちすぎて困るというのも、なんとも考えものだな」
「その、父上は、お怒りでは、ないのですか? 今日のこと、とか……」
「残念に思うことはある。なぜ事前に私に相談してくれなかったのか、とかね」
「でも私は、父上の名誉を汚してしまいました」
「学院で息子が少々浅はかな行動をとったくらいで汚れる名誉なら、所詮その程度のものさ。それに貴族だからといって、完璧な人間ではないからね。私も十代の頃はいろいろやらかした。少々隙があるくらいがちょうどいい」
「ですが、お仕事の足を引っ張るようなことになっては……」
「足を引っ張りに来るような愚か者がいれば、踏み潰せばいいだけのことだ」
明快な父の返答に、おろおろと目が泳ぐ。
「でも……っ。父上は、私を放逐なさるのでしょう? それに御用達品のことだって……」
「放逐はしない。あれは誤解だよ」
それにしては、実に愉しそうにメイドとやりとりをしていたようだが。
じっと見つめれば、困ったような微笑が返る。
「ちょっとエマをからかっただけだよ。だが、まあ彼女の心配もわからないでもない」
「私が未熟だということですか?」
「おまえにアルバの生活が向いていないということさ。おまえは領民との交流も絶って、引きこもっていただろう? アルバの領主となる気がないのなら、卒業後は皇城に呼んで私の手元で働かせる気でいた。爵位を継がずとも、おまえの資質を活かせる場はいくらでもあるからね」
その言葉にようやく気づいた。父にとってアルバ華公爵とは、単に名誉ある称号なのではなく、真に領地を治める者なのだと。
領地に目を向けなかった私が、後継から外されるのも分かる気がした。
今回の失態で廃嫡されたのだと苦々しく思っていたが、これまでの私自身の言動を踏まえた上での決定ならば、不甲斐ない気持ちはあるが、納得するよりない。
「御用達品のことは気にしなくていい。元より国内での売り上げは下降傾向にあったし、国際展開への切り替えを前倒しすればいいだけのことだ。国内シェアを独占しすぎるのも良くないからね」
「父上、あのメイドは一体何者なのです? ギルド職員と言っていましたが」
「ギルド[蒼虎]の末の娘さ。成人前から経理と鑑定を手伝ってくれていてね。今では立派な戦力の一人だ。三年も借りたから、ザントゥスの機嫌が悪くて困る」
ギルド[蒼虎]は、アルバの主都アルバレスにある国内最古の冒険者ギルドで、管理する迷宮の難易度もさることながら、登録条件の厳しさと依頼成功率の高さで屈指の実力を誇っていた。長は代々〝虎〟の異名を持ち、現在は[猛虎]ザントゥスが取り仕切ると聞く。
百年戦争の影響で、幼くとも就業・相続・婚姻が可能なように成人を十二歳と定められたため、彼女がそれより前から手伝っていたならば、今の年齢は不明だが、十年近いキャリアがあるということだ。
「彼女は数字も強いが、類稀な鑑定士でね。あの〝眼〟を持つ者は、他にはいない」
「まさか……[鑑定]能力が?」
[鑑定]能力は、視ることで人や物が有する実力や素質などを鑑別することができる能力で、センティフォーリア華公爵家の神眼とはまた違う、特殊な〝眼〟だ。
視え方も人によって異なるらしく、円グラフや棒グラフ、さらには項目ごとに数値化して捉えるものもおり、鑑定をする本人の知識や経験にも左右されるため、あまり一般的ではない能力のひとつである。
だが、優れた冒険者でもある父がそこまで言うのなら、相当なものなのだろう。
私の問いに、父は悪戯っぽく立てた人差し指を唇に当てた。
「他言無用だ。国にとられるわけにはいかない」
「それほどなのですか?」
「私のスキルはすべて知られている」
「!」
つまり特性だけでなく、弱点もすべて見抜かれているということだ。
「学院に潜入させてよかったのですか?」
「ギルドで働かせていたら、[蒼虎]に優秀な鑑定士がいると評判になってしまってね。ほとぼりを冷ますために一度離す必要があったのと、有象無象の集まる学院では、彼女は情報係として役に立つと思ったからね」
予想通りだったよ、と満足げに呟く父の姿に、私の学院生活についてあのメイドが情報を流していたことが知れた。情報というのは武器だ。おそらく今回の顛末にも絡んでいるのだろう。
そうでなくては、あれほど父に意見することなどできまい。
「では……彼女の私への評価は、正当なのでしょうね」
「口にしたことだけがすべてではないがね。……ふふ、口が悪くて驚いただろう? あの思い切りの良さと裏表のないところが気に入っているんだ」
率直な感想に、ずきりと胸が痛んだ。今の私では、息子としてかわいがられてはいても、彼女のように戦力として期待されることはない。
「おまえのこれからだが、魔術師団入りを希望していたのだったね?」
「はい」
炎と氷という極性をもつ私の魔力は制御が難しく、扱いには酷く苦労していた。だから最初は父と同じ官吏を目指していたのだが、ミアから『こんなすごい力を生かさないなんてもったいない』と勧められ、魔術師に転向することにしたのだ。
もちろん、魔術の天才であるアイヴァンと友人となったことや、父の完璧な火炎魔術に憧れていたこともある――あのメイドにはこてんぱんに言われてしまったが。
「やはり難しいでしょうか?」
「学院側の処分がまだ出ていないのでなんとも言えないが、卒業取り消しにならなければ、資格はとっていることだし、入団は可能だと思う。問題は、周囲の目がそんなに甘くないということだ」
「……はい、承知しています」
「まあ学生の身分だし、これから社会人として真面目に働くという姿勢をみせることは立派な贖罪だと思うが……私は、宮廷とは少し距離をおいたほうがいいと思う。
そこで、ジェラルド。もう一度アルバに戻ってみないか?」
「やはり放逐ということですか?」
「いいや。私はね、今の今まで、おまえはアルバが合わないのだと思っていた。嫌っていると。だが、そうじゃない。おまえはアルバを知らないんだ」
こくりと私はうなずいた。確かに、学院で知識は得られた。だが私は物事を知らなさすぎる。今回のミアの一件もそうだが、父とメイドの会話を聞いていて、痛感したことだ。
「これは提案だ。一年間、おまえの故郷としっかり向き合ってはどうだろうか。そのうえで、魔術師団に入りたいのなら止めないし、好きなように進路を選べばいい」
「……わかりました。ですが具体的にはなにを? あのメイドに教えを請うのでしょうか?」
「それでも構わないよ。あの子は口は悪いが、心根はとても真摯だ。おまえを上手く導いてくれるだろう」
だが、そうなるとギルド職員になるな、と呟いて父が腕を組む。
「白華公家の者があからさまにギルドで働くのは不味いか。越権行為に見られかねない」
「なにか印をつければ良いのではありませんか?」
思い浮かんだのは、学院で某委員がつけていた腕章。
その提案に笑顔でうなずいた父に、ほっとしたのも束の間のことで。
「あの…………父上。これは、一体…………?」
良いものがある、と父が側近に持ってこさせたのは、黒い革の剣帯をつけた青い魔石付きの白銀の短剣だった。武器というより、一目見てそれと分かるほど魔法付与を詰め込まれた魔道具で、魔術師であれば垂涎の代物だ。
「剣帯と鞘は黒火蜥蜴の革。短剣のほうは魔法鋼製で、柄に氷竜の涙を嵌めてある。魔術師志望と聞いたから、卒業祝いにと思って持ってきたんだが」
「その、卒業祝いにしては高価すぎるのでは……?」
「華公爵の長子なんだから、これくらいは当然だろう? それに、どれも私が獲ってきたから元手はかかっていないぞ? 魔力の浸透もいいしな」
さらりと言われて頭痛がした。
父はSランクを超えたSSランクの冒険者だと噂には聞いていたが、まさか息子の卒業祝いにこんなものを持ってこようとは。
黒火蜥蜴は火蜥蜴の進化形で火竜になる一歩手前の希少種で、赤道直下の火山島にしか生息しないし、氷竜の涙など極北の氷河に眠る生きた竜から直接取って魔力で魔石化しなければ使えない、皇城の魔術塔にもひとつかふたつしかない特級品だ。魔法鋼にいたっては、色が薄いほど純度が高いといわれており、ここまで白に近い銀色は相当の精錬をしたと考えられる。
そういえば。
五歳くらいの頃熱を出して寝込んでいたら、父に『元気になったらなにをしたい?』と聞かれ、『竜に乗りたい』と答えたところ、数日後、本当に飛竜を官邸に連れ込んで乳母が失神。滅多に声を荒げない母が激怒したのだが、父は懲りずに真夜中にこっそり窓からやってきて自分を連れ出し、二人で竜の背に乗って夜の空中散歩を楽しんだことがあった。
あのときは、大人になって魔術師なれば、みんな父と同じことができると安易に考えていたのだが――今になってみると、それが砂糖菓子よりも甘い考えだったのだということがよく分かる。
だいたい、あの夜に乗った竜は、よくよく思い返してみれば飛竜どころではなく、真竜――黄金の瞳や姿形、姿消しが使えたことなどから――下手をすると古竜だった可能性があるのだ。
……ああ、そうだった。
父は、昔から少し愛情表現が極端になる癖がある人だった。
ひとつリクエストをすると、なぜか百倍や千倍になってやってくるため、いつも周囲から――特に母からの――父への冷え冷えとしたお説教がはじまってしまい、自然と我儘が言いづらくなったのだった。
などと、しみじみ思いだした頃には、創生の魔法陣の光に包まれた短剣一式が、みるみる別の形に姿を変えており。
なぜその形状に決めたのか、決める前に一言相談があってもよかったのではないかとぐるぐる思い悩んでいるうちに、それらは青い魔石のついた銀の指輪と小さな鍵。そして、魔石付きの小さな錠前がぶらさがる黒い革ベルトの首輪となって落ち着いたのだった。
「……なぜ首輪なのでしょうか」
「指輪や腕輪だと小さくて付与が足りないからね。これなら目立つし、動きの邪魔にもならないだろう?」
「南京錠……」
「ただの金具にするには、ちょっと魔法鋼が余っちゃったんだよねー」
てへっ☆と擬音が聞こえてきそうな笑顔で言われ、一瞬氷魔法が解放しかかる。が、それは膨大な父の魔力を前にすぐに四散し、「おまえは見た目が端整だから、こういうのも似合うね」などと首に一式をあてられてにこにこと言われれば、怒る気力も消え失せる。
「見た目はアレだが、防御魔術を基礎に盛れるものはほとんど盛り込んだ。耐毒、耐魔術、耐物理、状態回復……あまり過保護になりすぎて自己防衛力が減っても困るが、今度ばかりはまったく側近をつけないからね。念のためだ」
「こちらの術式は、隷属、ではないのですね?」
「一番弱い〝服従〟を組んである。鍵の持ち主の命令に逆らおうとしたときのみ、麻痺が発動される。あとは、こちらの指輪と連動して監視が働くようにしている。魔石に簡易の〝伝話鳥、が組み込んであるから、なにかあったときは相談するといい」
伝話鳥は、伝言を記録させることのできる魔道具で、特定の相手のところに飛んで行って情報をやりとりできる貴族の必需品だ。父の言い方だと、首輪の魔石に声を吹き込めば指輪の魔石から聞き出すことができるようだが、それはもう簡易などではなく、確実に伝話鳥とは別の魔道具である。
だがまあ、この首輪と南京錠が、外見はともかく保護と監視が目的なのは理解できた。
「他になにか質問は?」
「いえ、今のところは」
「では、おまえのこれからの一年間を、エマに任せてしまっても本当にいいね?」
父の念押しに、軽く目を閉じて黙考する。
正直、彼女は怖い。だが[鑑定]能力は本物のようだし、さんざん貶められ脅されたが、逆を言えばそれは自分の短所を正しく把握しているからこそで、そういう相手に指導してもらうことができれば一番成長につながるのではないかとも思う。
それに。
なにより彼女は父のお気に入りで、父に対してあれほど意見できる者は、母以外にいなかった。
もし。彼女に指導してもらえるのなら、自分も父と意見を交わしたり、頼りにしてもらえるような存在になれるのではないか。
平民で女性の彼女にできるのなら。自分もきっと。
「――父上。彼女に指導をお願いしていただきたく思います」
「わかった。では、今からエマを呼んで話すが、もし彼女がしぶるようなら、そのときはおまえも説得するんだよ?」
「わ、分かりました」
緊張しつつ頷けば、父は満足そうに笑い、執事のクエンティンを招いた。エマを呼ぶよう申し付けると、古参の彼にしてはめずらしく渋面を返す。
「旦那様。勢いで突っ走るのはお止めくださいと、かねてより申しあげているはずですが」
「息子の望みだ。いいからエマを呼べ」
「……まだ居ればよいのですが。勤務は本日までとのことですので」
「クエンティン」
執事の名を呼び、父が為政者の顔で微笑んだ。
「今すぐ、エマ・シラーを呼べ」
「……かしこまりました」
顔の造りはそれほど際立った特徴もないのに、どう見ても世界征服を企む魔王にしか見えないその笑顔を眺め――机の上に置かれた南京錠付の首輪一式を眺め――やがて部屋に現われた、私服姿の蜂蜜色の瞳をした女の姿を見た途端。
――――これはマズい。
混ぜてはいけない薬品同士を掛け合わせてしまった。
蒼褪めてはっと椅子から立ちあがれば、女の大きな双眸が、にんまりと弓形を描く。
ああ。だめだ。
捕まってしまった。
思えば、最初にこの部屋で彼女と顔を合わせたときから、すでに囚われていたのだろう。
これも自分のしたことと腹を括れば、不承不承ながら鍵を受け取った彼女もまた、なにかを決意した顔つきへと変わる。
そして私を見上げ――――これまで以上に、至極満足そうに微笑んだ。
それは、新しい遊び道具を見つけたときの猫の表情そのもので。私は早々に〝彼女を超える〟ことを諦めた。
同時に。
そういえば彼女は、[猛虎]の娘だったなと、妙な納得をしたのだった。
* * *
「父上。これから私、本当に大丈夫でしょうか……?」
「う、うむ。いろいろと早まったような……いや、大丈夫だ。私もついている。一蓮托生だ!」
「父上……ところで、その〝仔犬系〟とは、一体なんのことなのでしょう?」
「あー……うん。そのうち分かるさ。だが、おまえのかわいさを他の者に知られるのは、ちょっと妬けるねえ」
「ち、父上。子どもではないのですから、髪をかき混ぜるのはお止めください……っ」
「あーもう(かわいいなあ。うちの息子は)、本当にエマは憎いところを突いてくるよねえ」
「まったくでございます」
「ちょ、クエンティンまで納得していないで、きちんと説明を――」
「いえ、もう坊ちゃまはそのままで充分かと存じます」
「なんなのそれ……」
やっぱり質問に答えてもらえないご長子様が拗ねてしまい、それがまた父と側近一同のツボに入って、ほのぼのとした視線を注がれることになったのは、ここだけの話。
これで裏編終了です。少しはお坊ちゃまの株があがった、か……?
あとは蛇足です。