【序の前の前】
王道なざまあ。
お坊ちゃま救済編になる、かな…?
私はアルバ華公爵ヴィクター・ヴァレリウスが長子、ジェラルド。
皇立学院卒業という佳日、私は――生涯に一度と信じた、恋を失った。
* * *
事の発端は、皇太子である第二皇子ルーファス殿下が、ブルナー男爵令嬢ミア・モーガンが陰湿な虐めにあっていると言い出したことにあった。
ミアは、ブルナー男爵と身分の低い側妻との間に産まれたが、正妻の悋気にふれて屋敷を追い出されてしまい、そのまま母親が死亡。孤児院で生まれ育つことになった。当然、ミア自身は貴族の娘であることなど知る由もなかったが、成長につれ、その美しさと全属性の魔力保有者であることが評判となり、もしやと思って会いに行った実父・ブルナー男爵と十五年ぶりに邂逅を果たしたという。
そして、約一年間を貴族の娘としての基礎教育に費やし、満を持して学院に入学してきたのだ。
教育を受けたとはいえ、元平民である彼女の言動は、初日から騒ぎを引き起こした。ドレス姿だというのに学院内を走り回り、大声でしゃべったり笑ったり泣いたり喚いたり。公衆の面前で平然と他人の欠点を指摘したときには、さすがに非難が起こった。
私も、彼女の言動はどれも貴族としてはあるまじきものだと大叔父上から叩き込まれていたから、眉を顰めはしてもけして歓迎できるものではなかった。
それなのに――なぜだろう。いつからか、彼女の笑い声、呼びかける声、くるくる変わる表情から目が離せなくなっていた。
当然、魅力的な彼女に惹かれる男は多かった。
華やかな金髪とカリスマ性が目を惹く、ルーファス皇太子殿下。
剣術では右に出る者のいない、赤髪巨躯のガリカ華公爵三男ザカリアス・ゼファナイア。
翡翠色の髪で顔を隠しているが、魔術の天才のダマスク華公爵嫡男アイヴァン・イシドール。
神眼をもつ、センティフォーリア華公爵家の銀の双児フランシス・フォルトゥナとフレデリク・フォルトゥナ。
校医でもある、十も年上の教師パトリック・フィルバート。
彼女の幼馴染だという、実直な護衛兵士のダリル。
そして、ミアとよく似た薔薇色の髪をした、腹違いの弟ブルナー男爵嫡男ハロルド・モーガン。
さらには、殿下の密偵である謎めいた青年オスカーまでもが、まるで誘蛾灯に群がる虫たちのように彼女を追い回していた。
全属性というめずらしい魔力の持ち主ということと波乱に満ちた半生、その美貌。そして周囲を取り巻く者たちの多さに、学院の誰もが彼女に注目し、嫉妬していた。
だから虐めという話も、当然と考えた。貴族の陰湿さは、幼少時に身に染みている。むしろ、卒業式まであと一ヶ月というこのときまで隠しおおせたことに驚いた。
『卒業試験を控えているのに、皆に心配させたくなかった。自分が我慢すれば丸く収まるし、いずれ相手も分かってくれるだろうと信じていた』と言うミアに、皆心を打たれた。
賢い彼女は、それでも虐めの証拠となる品を集め持っており、殿下はそれをもって犯人に正義の裁きを下すのだと息巻いていたが、皇太子がみずから動けば事が大きくなる。いかに学院が身分の公平さを信条としていても、話題を攫うのは必至で、できるだけ穏便に済ませようと説得をしたが無駄だった。
虐めの首謀者探しが進まない中、大勢の前でミアが、センティフォーリア華公爵令嬢セレスティナ・フォルトゥナに階段から突き落とされるという事件が起きたのだ。さすがに教師の耳にも入ったそれは、過失か故意か明白にはならず、結局セレスティナ嬢が治療費を支払うことで収まったが、殿下はこれで虐めの首謀者が分かったと言わんばかりに激昂した。
さらに卒業式直前、最後の散策だと市街に出たミアが見知らぬ男たちに襲われかけ、それがセレスティナ嬢とその取り巻き令嬢たちの仕業と判明されるや、彼女らを断罪することを決意されたのだ。
しかも、卒業式式典という大観衆の前で。
セレスティナ嬢が、皇太子殿下のご婚約者であったことも拍車をかけたのだろう。頭脳明晰で冷静沈着と評判の彼女は、直情的な殿下とは水と油で、けして仲むつまじい関係ではなかった。そのうえ四華公家としての矜持ゆえか、殿下やミアに苦言を申し立てることも少なからずあり、殿下は余計に彼女を苦々しく感じておられたようだった。
「これで、あの女の性悪さが広く知られるであろう。断罪のついでに婚約破棄も言い渡してくれる。くくっ……あの高慢な女が、色を失くす様を見るのが愉しみだ」
そう嗤う殿下に違和感をおぼえたのは、私だけではないはずだ。
これではまるでミアを守るためではなく、セレスティナ嬢を辱めるために断罪を行うようではないか。
それに、貴族の鑑のような彼の令嬢が企てたにしては、紋章入りの指輪を対価に渡すなど、いささか杜撰すぎるような気がする。
だが、あれほど犯人の追及を避けていたミアは黙したままで、他の証拠からも殿下を説得できるような材料は出てこない。
そうこうしているうちに卒業式当日となり――式典の後半、保護者を交えた祝宴となる会場で、左腕にミアをエスコートした殿下は、声高らかにセレスティナ嬢を筆頭とした四名の令嬢の糾弾をはじめた。
ミアを襲った犯人は、寮の空き部屋に押し込めていたところ逃走されてしまい、証拠としては、セレスティナ嬢の指輪と聞きだした証言。それに引き裂かれた服や鞄などだ。ほぼ状況証拠に頼る罪状だが、さすが帝位を継ぐ方が口にすると、付き添いである私ですら蒼褪めてしまいそうな裁きの場に思えた。
「皇立学院卒業というこの日まで待ってやったのだ。ミアの優しい心根に感謝するのだな。今ここで素直に罪を認め、謝罪するならば、罰は婚約破棄のみとして水に流してやろう」
「……おっしゃりたいことは、それだけですか?」
「なに?」
「ですから、殿下のご主張はそれだけですかと、お聞きしているのです」
「貴様……この期に及んでまだそのようなことを……っ!」
噛み締めた歯の隙間から憤怒が吹きこぼれるような声を漏らす殿下を大柄なザックが抑え、視線で令嬢を威嚇する。好戦的な二人が相手では不味いと、私は一歩前に出た。
[冬姫]の異名をもつ銀髪の令嬢の表情は、あくまで冷ややかだ。その後ろに若草色の髪のナタリアの姿を認め、気まずい感情を押し殺しながら冷静に告げる。
「セレスティナ嬢。聡明な貴女なら、この状況がどういうものかお分かりのはずだ。事を荒立てては、貴女やご友人たちの今後にも差し支えよう。弟君たちも、そのようなことを望んでおられぬ。センティフォーリア華公爵家のためにも、即刻態度をお改められよ」
「……ジェラルド様。アルバ華公爵家ご嫡男であり、さらに本学年学科首席をとられた方にしては、いささか残念な発言ですわね」
「なに?」
「ここまでお待ちしておりましたのは、そちらだけではないということです」
セレスティナ嬢が閉じた扇の先を軽く持ち上げれば、観衆のどよめきを割って、センティフォーリアの紋章をつけた兵士が見覚えのある男たちを連れてくる。まさか彼女たちが逃走させたのかと疑えば、男たちは手錠、腰紐を科せられたうえ、自白用の魔道具を首に嵌められていた。
その意味するところに気づいた瞬間、ぞわりと背筋に冷たいものが上る。
「昨夜、学院周辺をうろついていたところ、警備によって捕えられた者たちですが、なかなか面白い話を聞かせてくれましたよ。なんでも、さるご令嬢から『自分を襲うふりをしたうえで、依頼者について偽証してほしい』と頼まれたと」
「まさか、そんな……」
「嘘よ……っ! こんなの違う!」
「そうでしょうか? 捕えられた後、食事に毒が盛られていることに気づいて慌てて逃げ出したそうで、命の保証をしてくれるならと自ら進んで魔道具をつけたそうですわ」
「なぜ貴様がそれを語る? 貴様の護衛が出張るとは、貴様自身が関与している証拠であろう!」
「先ほど殿下もおっしゃられていたではありませんか。暴漢たちが対価として、センティフォーリアの紋章の入った女物の指輪を渡されたのが、なによりの証拠だと。それは確かに私のもので、数日前に手元から紛失したものですが、私それに……追跡魔術をかけておりましたの」
白魚の指先が軽くはじかれた途端、殿下が床に叩きつけた指輪の魔石が赤く光り、そこから実体のない赤い蔓茨がするすると伸びて、私の指先、殿下の右手、そしてミアの両手に巻きついたのち、銀の髪の双児の両手と腰へもぐるぐると絡まった。
「……まさか」
「姉さまが悪いんだよ! 僕たちとミアの仲を裂こうとするから!」
「僕たちは愛し合っているのに、姉さまが認めないから! だから懲らしめなきゃって!」
「違うの! これは、その、誤解よ!」
「申し開きは後ほどなさいませ。そちらのご意見は伺いましたので、今度はこちらから申しあげます。ミア・モーガン嬢。貴女には身分詐称、成績偽造、黒魔術の使用、使用禁止薬物の所持および使用、公文書偽造、公序良俗違反、授業妨害、詐欺行為への関与、名誉棄損の疑いがございます――証拠の品をこれへ」
侍女たちの手によって、紙の束が渡される。中身は公文書の写しや監視魔術で撮影したらしき画像の記録、生徒の証言などが整然と綴られている。
――なんだ、これは?
「私たち、最初はこれらを学院に提出しようと考えておりましたの。ですが、それでは殿下方は納得されまいと思い直し、そちらから事を起こさない限り、目を瞑ることにいたしました。その代わり、巻き込まれないよう他の生徒たちにもお願いして、貴女方全員と距離を置くことにいたしました。
監視魔術も追跡魔術もすべて、私どもの自己防衛のためのものです。ミア嬢の起こす騒ぎに巻き込まれないため、私も他の生徒たちも必死で接触を避けてまいりましたわ。貴女方は注目されていると思われていたようですが、実際は逆ですの。
ですから、私が彼女を傷つけることはありません。接触する機会がほとんどありませんでしたし、関わりたいとも思っておりませんから――無理矢理そちらから来ない限りは」
挑む激しさはなく淡々と語るセレスティナ嬢の隣には、私の婚約者ナタリアの他にザガリアスの婚約者イヴォンヌ嬢、アイヴァンの婚約者ベアトリス嬢の姿がある。セレスティナ嬢の共謀者として、つい先刻激しい糾弾を浴びたはずの彼女らは、華やかに飾った頭を決然と持ち上げ、憐みすら湛えてこちらを見据えている。
それは、観客となって我々を取り囲む他の生徒たちも――さらには保護者たちまでも同様で。
その中には、来賓として紹介されるはずの皇帝陛下のお姿だけでなく、四華公家当主の姿もあり。そこに、尊敬してやまない国の宰相たる父の姿を見つけ、私は足元がふらつくのを感じた。
――なぜだ……一体、どこから間違ってしまったのだ……。
嘘だ、これは全部仕組まれた罠だとミアの泣き叫ぶ声が、どこか遠い出来事のように感じる。
傍らで、殿下が紙の束を床に叩きつけ、踏みにじるのが見えた。
「このような偽りだらけの証拠などなんの役にも立たぬ! そうまでして他人を貶め、おのれの存在をひけらかしたいのか、この売女め!」
「得体のしれぬ素性の娘と長くおりますと、口調や心根まで染まるものですわね。貴方様には、もはや一欠片の同情も持ち合わせませんが、ひとつだけ吉報を差し上げましょう。
私、今朝方すでに両親の許しを得、貴方様との婚約の破棄を陛下に申し出ております。もちろん、陛下にはすべて事情をお話しさせていただきました。本来ならば臣下である当家からお断りするなど許されぬことですが、特別なご配慮をいただき、受理いただきました。
お喜びくださいまして?」
美しい笑みを浮かべて尋ねる令嬢とは反対に、ようやく観衆の中に立つ陛下の存在に気付いたのだろう、殿下の面上からみるみる血の気が引いていく。
「ち、父上! 違うのです! これは……っ!」
「――ふっ。こんな小娘一人に踊らされるとは、皇太子が聞いてあきれる。貴様はもはや後継でも息子でもないわ。連れて行け」
非情に告げるや、近衛兵が進み出て、殿下とミア嬢を拘束してその場から引きずり出す。泣き叫ぶ二人の様子に、私も覚悟を決めてうなだれたまま両手を前に出せば、それを捕えたのはアルバの紋章を戴いた兵士だった。
その背後から、よく透る父の声が命じる。
「ジェラルド、お前は私と共に来るのだ。アルバ華公爵家後継としての立場を取り消し、場合によっては当家より放逐も已む無しとするので、当面は本邸にて蟄居せよ」
「……はい。承知、いたしました」
感情の見えぬ、ただただ鋭い光を放つ父の眼差しに、私は悄然と従った。
これで無様な喜劇は幕引き――だが、私にはこの後、さらなる試練が待ち構えていた。