【首輪の事情と、そしてそれから*13】
13.首輪の事情と、そしてこれから(終)
銀の光が閃いた瞬間、ど…っという音ならぬ衝撃が、周辺一帯を襲いました。
闇から攻撃を仕掛けてきた相手が身をひるがえして飛び退き、回廊の柱に並ぶ燭台が、一斉に高々と炎を噴き上げます。
ルーファスの魔力だとすぐに気づきましたが、なぜか彼の表情は硬く、対して炎に映し出される相手の顔は、愉快げに嗤っていました。
「仮にも皇子である貴方を相手に、おれがただで来ると思うんですか。神聖魔術で魔力封じの結界を掛けているに決まっているでしょう」
「……愚か者めが」
得意げに告げる相手に、ルーファスが小さく舌打ちして罵倒します。
オスカーと呼ばれた相手は、中背の痩身で、肩先で揺れる淡い紫色の髪に黄金色の瞳。前立てに刺繍の施された立ち襟のブラウスを腰帯で結び、ズボンに長靴、赤い縁取りのある漆黒のロングコートを羽織った、異国風のいでたちです。
神聖王国の使者、なのでしょうか。
それに先ほど『彼女の仇』と言っていましたが、ひょっとして学院の事件のことを知っているのでしょうか。
すべての答えを持っているはずの二人は、緊張をはらんで睨み合ったままです。
相手の左手に提げられた抜き身の長剣を見、どうして武器を持ち込めたのだろうと思った私は、ようやく自分がどれだけ馬鹿なことをしたか気づきました。
夜会のため私たちは丸腰なうえに、魔力を封じられ――おそらく警備の者にも気取らせないようにしているのでしょう。ルーファス一人ならば切り抜けられたかもしれないこの状況は、私がいるせいで、相手を一方的な優位に立たせてしまったのです。
なぜ、あのとき、きちんとルーファスの言うことを聞かなかったのでしょう。
そうすれば、彼は余裕でこの状況を切り抜けられたかもしれず、私も警備を呼ぶことくらいできたかもしれないのです。
廊下の向こうでは、ジェラルドが孤軍奮闘しています。
焦りを殺すようにわずかに唇を噛むルーファスに、私のことは気にするなと伝えたいのですが、緊張に呑まれて声が出ません。
代わりに彼のジュストコールの胸を押せば、心配いらないと眼差しが語り、抱き込まれていた体がそっと、彼の背のほうへ回されました。
無言のやりとりに気付いた相手が、ふんと鼻先で嘲笑します。
「貴方も懲りない人ですね。彼女の次はその娘ですか?」
「……ネティは関係ない」
「ああ。アイスバーグ侯爵ご令嬢でしたか。ずいぶんかわいらしい恰好なので気づきませんでしたよ。貴方の趣味も変わりましたね」
「どうだってよかろう。オスカー・アルヒデーヤ・ザラトーイ殿下。そろそろ立場をわきまえた行動をとられてはどうだ」
「……長年染みついた悪習というのは、なかなか抜けないものなんですよ」
ザラトーイ。それは神聖王国の王家の名前です。
ならば、この目の前に立つ人物は、王家の人間ということになります。そういえば、今日の来賓の中に、第五王子だとかいう方がいたような気がします。挨拶のときに立ち会えなかったので正確には分かりませんが。
では……この神聖王国の王子が、身分を隠して同じ学院に通っていたということなのでしょうか。
どうやら古くからの知り合いのようですが、ルーファスの周りにそんな人物がいたかと記憶を巡らせ――ふと、ひとつの面影に思い至りました。
片思い同盟を作ってしばらくしたころ、ルーファスに、内緒の親友だと紹介された男の子がいました。
朝焼けのような紫色の髪とめずらしい金色の目をした無口な少年は、すぐにどこかに行ってしまいましたが、またひとつルーファスの内面に近づけたような気がして嬉しかったのを憶えています。
あのときの少年は、他国の王子という雰囲気は微塵もありませんでしたが、ルーファスが心を許していることだけは伝わってきました。
それなのに――なぜ今、こんなことになってしまっているのでしょう。
「おれは貴方を尊敬していたんですよ。素性も知れないガキのおれを、あんたは庇い続けて傍にいられるようにしてくれた。だから、あんたのあのくだらない計画にも手を貸したんです……それなのに」
ふいに独白をはじめた青年が、金色の双眸を憎悪に燃え立たせます。
「なぜ、彼女を見捨てた……! 絶対に、彼女のことは守り抜くとあんたが言ったから、任せたんだぞ。なのに、なんで……っ!」
「オスカー、許せ。すべては私が未熟だったのだ」
激昂する相手とは対照的に、ルーファスが淡々と言葉を紡ぎます。
「皇太子である私の我が儘に付き合わされたならば、父も世間も彼女のことは大目に見るだろうと、安易に考えたのが間違いだったのだ。結果、それは彼女を慢心させ、身勝手な行動を助長させてしまった」
「だけど……なんで命まで……っ!」
「国益のためだ」
「大義名分でごまかすな!!」
「オスカー。おまえも王族の一員となったのなら分かるだろう? 私たちは個人でありながら、個人ではない。国という巨大な仕組みを動かすための、部品なのだ。本体である国がなければ、私たちの存在は意味を成さない。
だからこそ――国のためならば、不要なものは切り捨てる。たとえそれが愛する者でも……親友でも、だ」
「……それがあんたの本心か」
「本心かどうかの問題ではない。オスカー、これは事実だ」
ルーファスの冷静さに業を煮やしたのか、突然、オスカーが獣のような咆哮をあげて襲いかかってきます。
同時に、身を縮めた私の体がふわりと浮かび上がり、とっさに目の前のものにしがみつきました。
「そのまま放すな」
ルーファスの声が間近で聞こえ、私は彼の肩に担ぎ上げられたのだと知りました。
腰掛けた形で私を右肩に乗せ、片腕で支えたまま、ルーファスが突き込まれてくる剣尖を器用に避けていきます。
……重くないのでしょうか。
私の心配をよそに、ルーファスはダンスのような華麗な足さばきで後退し、柱の陰に回り込むと、壁に埋め込まれた燭台を無造作に片手でもぎ取り、オスカーの剣を受け止めます。
ガチン、と金属同士の打ち合う、嫌な音が響きました。
「相変わらず、よく分からない馬鹿力だ」
「自分でもそう思う」
「そろそろ諦めたらどうです」
「御免だ」
調子よく会話をするうちにも打ち合いは続き、磨きあげられた長剣に、燭台の蝋燭がすぱすぱと切り落とされ、ついには金属の蝋燭立ての一本が、激しい音とともに跳ね飛ばされます。
使えなくなった燭台を相手に放り投げ、ルーファスが追ってくる剣から身を返せば――ふわりと舞った私の髪がひとふさ、音もなく断ち切られて、はらりと床に落ちました。
「!」
瞬時に腰をひねったルーファスが、鋭い蹴りを相手に見舞います。風を切ったそれをオスカーはぎりぎりで避け、代わりに爪先が近くの柱の壁を捕らえます。
ガズゥ……ッン!
なんとも言えない音とともに、爪先の軌跡に沿って、柱の壁が抉れました。
ぱらぱら、と石の欠片が零れ落ちる中、ルーファスの恫喝が響きます。
「剣を捨てろ、オスカー。貴様になら、二、三発殴られてやってもいいと思っていたが、彼女に手を出すなら容赦はせぬぞ」
「あんた、言ってることとやってることが、たまに無茶苦茶になるよな……」
「感心する暇があるなら、素手でかかってこい」
「こんな怪力見せられたあとで、誰が素手で行くか……!」
長剣を脇に構えたオスカーが、床を蹴ります。
瞬間、どこからともなく風を切る音が聞こえ、飛来した何かが、剣を持つ手を激しく殴打しました。
音を立て、オスカーの手から剣が離れます。
その隙に、私を抱えたルーファスが、相手と距離をとりました。
肩上から振り返れば、謎の攻撃の二打目が、剣を遠くへ跳ね飛ばすのが見えます。
一瞬視界に捉えたその影は、長い紐状のもののようでした。
「鞭……?」
乗馬鞭と違い、グリップから長く伸びる紐は1メートル以上もあり、先へ向かってだんだん細くなっています。
私たちとは逆方向からやってきたその人物は、長くしなるそれを生き物のように自在に操り、性急にオスカーを追い詰めていきます。
パン!パン!パン!と、立て続けに鞭の鋭い音が鳴り、さすがのオスカーも片手でコートを前に広げ、攻撃を防ぐので精いっぱいのようです。
鞭の攻撃というのは初めて目にしますが、体を捻り、肩から手首までをぐっとしならせて叩きつけて戻すという動きは、まるで異国の舞踏を見ているようです。
上から仕掛け、横から薙ぎ、自分の胴に巻きつけて持ち替え、さらに打つ――よくもまあ、あれだけ長いものを絡ませずに打ち続けられるものだと感心して――鞭とともに、ふわりと舞うドレスに、ようやく気が付きました。
女性です。
オスカーも、消えた燭台の代わりに月光に照らされた相手の顔を見て、驚愕の声をあげています。
「貴様……あのときのメイドか……!」
「憶えていただいているとは光栄です、オスカー様」
発言とは真逆の冷ややかなトーンで返す女性に、私は二度驚きました。
私たちを救ってくれた鞭の使い手は、エマだったのです。
ですが驚きよりも、やっぱりと納得する気持ちのほうが大きいのは、尋常ではない彼女の言動に慣らされてしまったからなのでしょう。
「なんなんだよ、貴様。毎度毎度、邪魔ばかりしやがって……」
「言っておきますが、邪魔なのは貴方のほうなんですよ。仕事中に女性にうつつを抜かすとか、密偵稼業舐めてるんですか」
「う、うるさい!」
叫んだオスカーが、盾にしていたコートを前方に脱ぎ捨て、動きの乱れた鞭の先を片手で掴みます。
手首を返してさらに手に絡め、ぐっと引けば、鞭はぴんと張ったまま動きを封じ込められました。
オスカーが、鞭を持った手をじわりと引き寄せます。
「ふん。動きを止めれば、鞭なんてこんなものだ。膂力で男に勝てると思うなよ……!」
「だから貴方は所詮、脳筋止まりなんですよ」
皮肉で返し、エマが対抗するようにグリップを引き――その手を離しざま、体を捻るようにして前へと踏み込みました。右手を一閃し、きらりと光るものをいくつも投擲します。
オスカーの袖やズボンをわずかに裂き、数本の細いナイフが、石畳に突き刺さりました。
同時に跳躍したエマが、紺と白のドレスの裾を大きくひるがえして、相手の懐に飛び込みます。
ゴッ!という鈍い音が足元から聞こえ、ついで軸を替えたエマの右足が、彼の胸のあたりを蹴り飛ばしました。
30センチは身長の違うオスカーの体が、滑るように倒れます。エマは床にささった片刃のナイフを抜き、横ざまに床に伏した青年の腹部を無造作に踏みつけました。
ドスッと重い音がしたので、靴に鋼鉄を仕込んでいるのは、間違いないようです。
……ご愁傷さまです。
「広域攻撃用の鞭なんて、足止めに決まっているじゃないですか。どこで戦うかも分からないのに、他の武器を仕込んでいないとか有り得ると思います? 貴方、馬鹿なんですか?」
「くっそ、会うたび他人を馬鹿にしやがって……!」
「馬鹿は嫌いなんですよ。自覚がないと余計に腹が立ちます」
どちらが悪人か分からないような口調で言い、エマは、おもむろにオスカーに馬乗りになりました。
ペーパーナイフくらいの薄く鋭利なそれを目の前に突き付けます。
「知ってます? 鼻の奥って、脳に繋がっているんですよね。ここでコレを突っ込んだら、貴方の頭も少しはましになりますかね……?」
「ちょっと待て、牝虎!」
私を肩から降ろし、ルーファスが慌てて声をかけます。
「やりすぎだ。一応それは国賓だぞ!」
「暗がりで分からなかった、ということでお願いいたします」
「堂々と偽証を求めてどうする。時間がないのだ。縛るだけにしておけ」
「……かしこまりました」
エマは惜しそうに息を吐くと、ナイフを手にしたまま、片手でオスカーの腰帯を解きました。後ろを向かせ、折り曲げた腕を交差させて、その帯で縛ります。
つかつかとルーファスが近づき、彼の襟首を掴んで立たせました。
「これから面白いものを見せてやる」
「面白いもの……?」
「彼女が斬首された、真の理由だ。来い」
ルーファスがオスカーの二の腕を掴み、まだ格闘を続けているジェラルドのほうに向かいます。私は、床のナイフと鞭を回収するエマの合流を待ってから、彼らの後について行きました。
ジェラルドが戦っているのは、四人の若者でした。貴族のような恰好をしていますが、どことなく違和感があります。着ているのは四人とも色違いのフロックコートで、それなりに上等なものなのですが、リボンで結んだ髪形といい、足元の靴といい、なんだか妙な気がするのです。
強いて言えば――衣裳箱の奥にしまった服を久々に出して着たときの、あのちぐはぐさ、というものでしょうか。
ルーファスはなぜか、救援の手を差し伸べるでもなく、彼らを睨むように見据えて舌打ちをしました。
「思いの外、結界が邪魔だな」
「解きますか、壊しますか?」
「解け。ここで気づかれて逃しては、元も子もない」
「かしこまりました」
エマがうなずき、いきなりナイフの先でオスカーの耳たぶを軽く切りました。
慄いていると、その血の付いたナイフで、空中に何か文字を書いてゆきます。魔法文字のようですが、見たことのない呪文と術式です。
ナイフの文字は、書いた端から金色の光となって宙に漂います。最後まで書き終われば、長細い回廊全体を包むように光の文字でできた壁が浮かび上がり、浮かんだ途端、細かな光の粒子となって弾け飛びました。
壮麗な光景に心を打たれている私の耳に、ルーファスの怒鳴り声が飛び込みます。
「ジェド! その緑の服の男がやつだ! 絶対に逃すな!!」
「……!」
逃げようとする男に、即座にジェラルドが容赦なく拳を叩きつけます。先ほどまでの格闘は、ただの余裕だったのではないかと思う鋭さです。
顔色を変えた他の三人がジェラルドを襲いますが、背後から、エマの鞭がそれを蹴散らしました。
その隙に、緑の服の男の背中を捕らえたジェラルドが、氷魔法で男の腕と両足を凍らせ、懐から取り出した小さなものを彼の耳の後ろ辺りに滑り込ませます。
奇妙な緊張感の中、カチリ、と何かが嵌まる音が聞こえました。
「――完了だ」
ジェラルドが、鎖にぶら下げられた小さなものを掲げてみせます。
不思議な白銀の光を放っているそれは、魔法鋼で創られた、大金貨ほどの小さな丸い籠のようです。
「捕まえたか」
「ああ」
ルーファスに向かって差し出されたそれを見れば――。
「きゃ……っ!」
思わず私は悲鳴をあげて、エマにしがみつきました。
籠の中にいたのは、一匹の虫です。
ただの虫ではありません。
体は丸っこく金属光沢を帯びて、一見コガネムシのようですが、明らかに脚の数が多く、ざわざわと動いています。しかもよく見れば、緑のようにも黄金のようにも見える虹色の表面には、人の顔を思わせるまだら模様が浮かんでいます。
オスカーも、気持ち悪そうに顔を顰めました。
「なんだこれは?」
「魔蟲だ」
「死滅したはずだろう!」
「だが、ここにいる。私もコレを視るまで信じたくはなかったがな」
ルーファスが嫌そうな手つきで鎖の先を摘まみ、月光にその姿をかざします。
「ジェド、コレはどうする?」
「父に渡しておく。――朱王、青龍」
ジェラルドが呼びかければ、どこからともなく赤と蒼白の色をもつ従者姿の若者が現われ、足元にひざまずきました。
「朱王、これを父に。青龍、こいつらの片づけを頼む」
「承知しました、マスター」
若者たちの顔を見れば、どことなくジェラルドに似ています。まるで親戚か兄弟のようにそっくりな彼らは、赤毛のほうが虫籠を受け取り、蒼白の長髪のほうが、気の抜けたように柱の陰に座り込む三人の青年をひとりずつ縛っていきます。
「あれはおまえの精霊ではないのか? なぜ人型なのだ?」
「んー……修行の成果、かな?」
曖昧にジェラルドが答えていると、突然、蒼白の髪の従者が声をあげました。
「マスター、崩壊します!」
はっと全員でそちらを向けば、紐で縛っていた男たちの体がぶるぶると震えはじめ――震えながら輪郭を崩したかと思うと、次の瞬間、無数の黒い小さな虫となって羽音をさせて飛び立ちました。
ぞっとするような光景は、すぐに立ち昇った炎と凍気の渦によって、塵ひとつ残さず消し去られます。ですが、何とも嫌な印象を私たちに残しました。
縛る途中の紐と、古びた服が抜け殻のように床に落ちていて、それだけが彼らのいた痕跡となりました。仕方なく、ジェラルドがそれの回収を命じます。
「あれは……」
「魔蟲の傀儡虫だ。貪り食った人間の代わりになるモノだ」
後退ろうとしてその場にへたり込んだオスカーに、苦々しい口調でルーファスが教えます。
「魔蟲は、通常の魔物とは違い、神樹のみを狙う闇の生き物だ。十年前、神聖王国の神樹に寄生していることを父が突き止め、滅ぼしたはずであった。――が、生き残りがいた」
「まさか……」
「この魔物の恐ろしいところは、通常では目には見えぬことだ。神眼も[鑑定]も役に立たぬ。王家筋の[竜の目]にしか映らぬのだ。卒業式に私の事件の尻拭いに父が来ておらねば、気づかぬままであったかもしれぬ」
「おれの目にはなにも……!」
「ああ、私も視ていない。それがあいつらの賢いところよ。やつら、糸を吐くらしい」
「糸……?」
「そうだ。神樹に近づくために、利用する人間を選ぶのだ。そうして適度な距離を保つ人間に寄生し、中から貪り食いつつ、糸を出して利用する人間を操る。ミア・モーガンは、そうやって操られていた。……恐ろしいものよ」
硬い口調で語るルーファスの瞳に浮かぶのは、憐憫ではなく、後悔と強い怒りです。
「父が最初に気づいたのは、寄生されていた使用人のほうだ。糸の痕跡は、よほど慣れねば視えぬらしい。調べれば、ブルナー男爵家の側近や使用人たちは、ほとんどが魔蟲にやられていた。一度寄生されると、全部を喰われなくとも元には戻れぬようでな」
「治療法は……ないの、ですか」
「ない。少なくとも今の段階では見つかっておらぬ。……オスカー。彼女はすでに死んでいた。いつから、どこまでが彼女の意志であったかは、もはや分からぬ。喰われてはいなかったものの、操られていた期間が長すぎたせいか、卒業式の後で完全に精神が崩壊した。斬首は……せめてもの救いであった。すまぬ」
「……いえ」
座り込み、後ろ手に縛られたまま、オスカーが力なく首を横に振ります。
私はふと、この説明をするために、彼を来賓として招いたのではないかという気がしました。そうすると、ルーファスはジェラルドを追ってここに来た段階で、オスカーの襲撃をある程度予測していたことになります。
――やっぱり私は、お荷物だったのでしょうか。
自分の情けなさに私が胃を痛くしている間に、二人の会話が続きます。
「これは、どこから……? やはり王国ですか?」
「さて、それが分からぬ。遡っていくと彼女の出身地のメリーラン村に行き着くが、念のため母親の墓を暴くと、空だったという。そこから先が杳として知れぬのだ」
「……なるほど。それで、この話をおれにしたわけですか」
「まあ、そういうことだ」
この事件の源は、魔蟲が最初に発生した神聖王国にあるのではないかと、ルーファスは考えているようです。
神聖王国とは十年前の和平宣言の調印後、国交を取り戻していますが、事実上わが国の勝利であったため、莫大な賠償金の問題も含め、いろいろと軋轢が残っているのです。また、大多数の国の幹部が魔蟲に喰われたことで、新しい国王陛下はもちろん、最高位の聖座である巫女姫様も国の建て直しに多忙を極めていると聞きます。
国の根幹を揺るがした魔物の再来であれば、神聖王国も協力を惜しまないはずですが、公にすれば両国は大混乱となります。ルーファスは、そのことを案じているのでしょう。
ルーファスは、オスカーの耳の傷を癒して立たせると、彼の手を結んでいた帯を解き、掌にそれを押し込めました。
「国内にどこまで蔓延っているのかしれぬが……その根は、私が断絶する。その代わり、そなたにはそちらの調査を頼みたい。オスカー殿下」
「……こんな遠回しなことをしなくても、手紙をくれれば、おれは貴方を信じたのに……ルーファス殿下」
「そんなことを言うな。しばらくぶりに……友の顔を見たくなったのだ」
ルーファスの言葉に、オスカーが泣き笑いの表情になります。
そっと近寄ったエマが、置き去りにしてきた黒のロングコートをルーファスに手渡し、彼がそれをオスカーの肩にふわりと掛けます。抜き身の長剣まで手元に戻され、オスカーの顔がさらに歪みました。
「甘いんですよ、貴方は」
「どうせ殺すつもりなどなかったくせに、なにを言う。次は私の離宮に来い、オスカー。ハロルドもいるし……そのうち、ダリルも引き取る予定だ」
「……本当、甘すぎだよ、あんた。甘すぎて……心配になるじゃないか」
揺れる口調は、彼の心情そのものなのかもしれません。
ルーファスは声もなく笑うと、その薄紫の髪を優しく、くしゃりと撫でました。
冬の月光に青く染まる空気は冷たく肌を刺しますが、なぜかこの一画だけは、春のような暖かさに満ちている、そんな気がしました。