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かくてメイドは今宵も踊る。  作者: 鴇合コウ
蛇足編:彼と彼女と首輪の事情。
22/25

【首輪の事情と、そしてそれから*11】

 

11.首輪の事情と、そしてそれから



「――おい、そこの牝虎」


 うかつに話しかけられない雰囲気となった殿下とセレスティナ様から目を逸らしつつ、ザカリアスが無造作にエマに呼びかけます。

 猫に似た蜂蜜色の瞳が、ほぼ同じ目の高さになった相手をじとりと睨みました。


「なんでしょう?」

「おまえの言っていた禁忌の呪具とは、どういうものだ?」

「どう、とは?」

「その、おまえには助言も貰ったわけだし、場合によってはひとつくらい試してやってもいいかもしれんぞ?」

「……本当でございますか?!」


 ぱああ、と顔を輝かせて、エマが胸の前で両手を組みました。先ほどまでの不機嫌さが嘘のように、いそいそと説明をはじめます。


「ええと、禁忌の呪具にはいろいろとございまして、有名なのが[呪いの人形]ですね。封印を解きますと、解いた相手に憑きまといまして、監視、尾行、束縛と徐々にレベルアップしてゆき、さらには髪が伸び爪が伸び、自由に動き回り、喋りはじめるようになりまして、最終的には憑いた相手と入れ替わるというものでございます。

 あとは……[呪いのシューズ]ですね。こちらはわりと効果が早く出まして、靴を履くと五体が千切れるまで踊り狂うというものでございます。[呪いの椅子]も有名ですが、座ったら十日以内に死ぬという地味なものですので、検証には向きません。

 そこで私の一番のお勧めは、[呪いの腕輪]でございます。現象は細かく言うと多様なのですが、ざっくり申しますと、性別転換というものになります」

「……まさかと思うが」

「これが、かなり精密らしいのでございます。腕輪を嵌めたら最後、体の構造が細胞レベルで変化するのです!」

「断る!!」

「なぜでございますか。男に二言はないはずでございましょう?!」

「そういうことではない。なぜ俺にそんなものを勧めるんだ! ジェラルドにでもやらせればいいだろう?!」

「ダメです。ジェラルド様は魔力が多すぎることと制御が甘いため、呪具をつけると一発で壊れるか暴走するか、想像がつかないのです。禁忌の呪具は解除方法が発見されていないので、永久持続されると困るのですよ」

「だけど、それだけ効果がわかっているなら、別に試さなくてもいいんじゃない? 術式も[鑑定]でほとんど分かるんでしょ?」

「アイヴァン様。封印された状態で[鑑定]した数値が、解放後も同じであるわけないではありませんか。魔力耐性の優れたガリカの直系であれば、効果を発揮しつつ、ある程度のところで呪具の術式が暴走するのを抑えられるはずなのです。耐毒、耐衝撃性も優れ、治癒力も高いので、少々のことでは死なないところも最適と存じます」


 すごくザカリアスを持ち上げているはずの内容なのですが、聞くほうの耳には〝実験動物〟という言葉に変換されてしまうところにエマの本気を感じます。


「贖罪の代わりとしてエマが提案をしてきた段階で、この内容を察するべきだったな、ザック」

「いや、察するの無理だろこれ……」

「ひとつくらい試してもよいとおっしゃられましたのに」

「場合によってはと言っただろう。そんなものは却下だ、却下」

「1ヶ月……いえ4週間でよいのです。試してみられませんか?」

「なんだ、その中途半端な日数は」

「ですから、この呪具はすごく精密なのです。骨格、肌、髪質から脂肪、筋肉にいたるまで、被験者の遺伝情報を素に、異性となるために必要な材料とエネルギーを計算。一度細胞レベルまで肉体を分解して再構成させるという、人造人間の創造にも匹敵するような、ものすごく高度で難解な術式が組まれているのです」

「それはすごいな」

「左様でございましょう? つまり、ザカリアス様がこの呪具を身につけられましたら、単なる女装モドキではなく、完全に女体化するのです! この強健なる肉体が、骨格をどこまで矮小化して、筋肉をどう脂肪に変化させるのか、すごく気になるではありませんか?!」

「……あんまり想像したくないけどねー……」

「すぐに想像がつかないところが素晴らしいのです。しかも、ザカリアス様はガリカの直系ですので、物理耐性が高いところも適当と存じます」

「物理?」

「……肉体を再構成するので、激痛が走るらしいのです。まあ、骨や内臓から作り替えますからね」

「絶対に断る!!」

「痛みは変化のときだけですし、痛み止めも準備いたします。もちろん不測の事態に備えて、医師も魔術師も立ち会わせます。別にお腹をさばいて中身を確認したいというのではないですから、良いではありませんか。変化がどの程度のレベルか医師の診察を受けて、いくつか機能検査をしたいだけなのです」

「……本当だろうな……?」

「機能検査って?」

「そこがちょっと問題なのです。ザカリアス様、お相手は男性がよろしいでしょうか? それともやはり女性でしょうか?」

「…………ごふっっ」

「個人的には男性を推したいのですが、やはり精神的な嗜好というものは変わらないと存じますので、そうなりますと女性だと思うのですが、女性同士ですといろいろと工夫が必要になってまいりますので――」

「――――ちょっと待て!」


 彼らの会話の最中にシャンパンを飲んでいた殿下が盛大に噎せ、ザカリアスの口から冥府の扉でも開いたような恐ろしい恫喝が響きます。


「相手とはどういう意味だ!」

「女性の口から言わせてどうするのです。良い大人なのですから察して下さいませ」

「もとは、おまえの口から出た言葉だ!!」

「別に孕めと言っているわけではないのですから、4週間くらいよいではありませんか。新たな世界の扉が開けるかもしれませんよ?」

「おまえ、この……っ!!!」


 ザカリアスが、怒りとはまた別の意味で顔を真っ赤にして、口をぱくぱくさせます。

 暴走を止めるはずのジェラルドは膝に突っ伏して笑い沈み、殿下もアイヴァンも爆笑して――もちろん私たちも、品を無くさないように扇に顔を隠しながら、崩壊する腹筋と必死に戦っていました。

 だめです、ごめんなさい、ザカリアスのほうが見られません。


 どうやら衝撃の余り、元々饒舌でもないザカリアスは、よい罵倒が浮かばないようです。

 ひーひーと息を引きつらせていたアイヴァンが、ふいに顔を上げました。


「……ああ、それで4週間なのか。女の子だもんね」

「ええ、残念なことに月の周期からは逃れられませんもの。新たに生成するはずの内臓組織が正常に機能するかは、やはり最低でも1サイクルは必要かと。魔術的見地から、アイヴァン様がお試しになられてみますか?」

「立会いは是非したいけど、どっちも試したくないなー。ジェド、付き合ってあげれば?」

「ザックと絡むなんて嫌だよ。ルーファス、任せた」

「御免こうむる」

「じゃあ、やっぱりイヴ?」

「嫌ですわよ、女のザックとなんて……!」

「…………頼んでもいないのに、なんで俺が全員に振られたみたいになっているんだ」


 闇の精霊が発生しそうなザカリアスの一言に、ごふっとまた全員が笑いのツボに嵌まります。私も、そろそろドレスが破けないか、心配になってきました。

 渋い顔をする婚約者を横目に眺め、イヴォンヌが手袋の指先で涙を拭います。


「エマ。残念ですけど、呪具の試用は今回は無理そうですわ。ザックの精神と私たちの腹筋がもちませんもの」

「無念です」

「今度また、他に面白そうな呪具があったら教えてくださいませ」

「かしこまりました」

「――このあと俺が、完璧にワルド族の騎馬術と刀術をマスターして、ルゴサ砂漠から無事に帰って東方騎士団に入団して、すごく順調にいってものすごく時間が余ったら――今度こそ呪具を試してやってもいい。その代わり、もう少しましなものを選んでおけ」

「わかりました……残念ですが、諦めます。せっかく愉快な企画になりそうでしたのに」

「少しは本音をつつしめ!」

「仕方ないので、イヴォンヌ様にこっそりお贈りすることにいたします」

「他人の婚約者に呪いのアイテムを贈るのではない!!」

「ご使用方法を添付いたしますので、問題ありません」

「おまえのその自信はいったいどこからくるんだ……」


 はああと息をついて、うなだれたザカリアスが後頭部を搔きます。


「ジェラルド。おまえ、本当にそいつをアルバできちんと管理しておけよ?」

「うん? 無理だと思うけど?」

「即答か」

「だって――首輪されてるのは、ジェドのほうだもんね?」


 アイヴァンの返答に目を剥いたザカリアスが、ジェラルドの首元を見、ついでエマの首にぶら下がる小さな鍵を見て、眼球が零れ落ちんばかりの表情になります。


「変な飾りをつけていると思ったら……明らかに、つける相手が逆だろう……」

「文句はご当主様までお願いいたします」

「……くそぅ。絶対に逆らえん……っ!」

「権力って偉大ですわねー?」

「おかしい……なんで平民に威圧されているんだ、俺……」

「ザック、無駄だって。諦めよう? エマに鞭うたれるのはジェドに任せて、僕たちは僕たちの道を行くんだ。この敵に立ち向かうには、僕たちはまだ早すぎたんだよ……」

「ああ。今なら砂漠が楽園に思えるぞ……」


 アイヴァンとザカリアスが、不思議な会話をして遠くを見つめます。よく意味が分かりませんが、身の程を知るというのはとても大事なことだと思います。


 そのときふいに、ジェラルドの首輪についた南京錠の魔石が青く光りました。

 真面目な顔に戻ったジェラルドが、そこに指先を当て、軽く魔力を込めます。


「はい、父上」

『――第二部がはじまるぞ。そろそろ戻れ』

「承知しました」


 魔石から流れたのは、白華公の低い声です。伝話鳥のように声の便りを届ける術式と似ていますが、保存された音声ではなく、どうやらリアルタイムのようです。

 第二部がはじまるというのは、食事や歓談をしていたホールで、ダンスが開始されるということでしょう。

 ジェラルドが指を離せば、魔石の光は消えました。グラスに残っていた飲みものをぐっと飲み干し、皆を見渡します。


「長居をしすぎたな。戻らないと」

「その前にジェド。その首輪と錠、見せてよ。術式がすごく気になる」

「私の術じゃないんだ。父の許可を得てくれ」

「……最初の関門が厳しすぎる……」


 おおう、と額に手をあて、大げさにアイヴァンが嘆きます。


「君たちはどうする?」

「そろそろ行くか」

「そうですわね」

「セレスティナは戻る時間をずらしたほうがいいだろう。後で追いかける」

「分かった」


 立ち上がろうとするジェラルドを、先に立ったエマが止めて何か囁きます。軽くうなずく彼の乱れた髪すじを整え、にっこりと笑いかけました。


「では、頑張ってきてくださいませ」

「……気が重い」

「そんなに難しく考えなくてよいのです。貴方には側近がいないのですから、いい人材を発掘するつもりで、意外な方の意外なところを探してきてくださいませ。見た目や噂はあてにならないと、これまでで学びましたでしょう?」

「それはそうだが」

「大丈夫です、貴方ならできます。本も読んだのです。自信をもって、笑顔で皆さまを魅了してきてくださいませ」

「……わかった。行ってくる」


 ほんのりと嬉しそうに目を細め、ジェラルドが席を離れます。去り際、ザガリアスの耳元で何か囁いていたようですが、よく分かりませんでした。

 移動のため動きかけていた皆の視線が、ジェラルドと揃いのドレスを纏ったエマに注がれます。


「おまえは一緒に行かないのか?」

「私はあとで参ります。そういう手筈ですので」

「おまえ……何をしにここへ来た?」


 鋭さを孕んだザカリアスの問いに、エマの蜂蜜色の双眸が挑戦的な弧を描きます。


「狩りです……あ、間違えました。釣りです、釣り」

「絶対に狩る気だな。標的はなんだ?」

「釣りだと申しあげたでしょう。今日は私、餌を撒きに来たのです。釣り上げるのは別の者ですわ」

「餌だと?」

「はい。先日網に掛かり損ねたものがいるようですので、餌を撒いて様子を見ようかと」

「――餌はおまえか?」

「もちろんですわ」


 質問を放ったルーファス殿下の緋金の瞳とエマの瞳が、しばし無言で視線をぶつけ合います。先に逸らしたのは殿下でした。


「……ああ、くそっ。白華公め。協力者を寄越すと言っておきながら、爆弾を寄越しおって……!」

「爆弾とは失礼です、殿下」

「ジェラルドは関係ないのではなかったのか?」

「協力者ではありませんよ? むしろ餌ですもの」

「先ほど餌はおまえだと――」

「私も、餌なのです」

「……他に誰がいる」

「内緒でございます。お愉しみは、早く明かすとつまらないものでございましょう?」


 意味深に笑って、エマが追求を煙に巻きます。

 モスカータ公爵として陛下から何か言いつかっているのでしょうか、殿下が渋い顔をして黙考します。が、「早く戻らねば、ダンスが始まってしまいますよ?」とエマにうながされ、しぶしぶ腰を上げました。


 慣れた仕草で殿下がセレスティナ様をエスコートし、ベアトリスとイヴォンヌもそれぞれの婚約者に手を引かれて、休憩室を後にします。

 私はエマと並び、他愛のない話をしながら廊下を歩きます。


 最初に会ったときは動揺していてそれほど感じなかったのですが、隣に並ぶとエマの小ささに驚きます。平均より少し低めの私より、数センチは低いでしょうか。目線のあたりに頭が来る形で、蜂蜜色の目はいつも上目遣いになるのです。目が大きいと感じていましたが、顔が小さく首が細いので、なおさら大きく見えるようでした。

 小柄で、首も肩も腕も細いのに、デコルテの下から盛り上がるものは素晴らしく、コルセットやパッドの力がなくとも存在感に溢れています。まるでふわふわの巨大なミルクマシュマロのようで、女性でも触ってみたいと思う魅惑の一品なのです。

 思わず自分のつつましい胸元に視線を落とし、ため息を吐いていると、エマの右側にザカリアスとイヴォンヌがやってきました。話と観察に夢中で、歩みが遅くなっていたようです。


 長身のザカリアスが、エマを見下ろして、ふんと鼻を鳴らします。


「小さいな、おまえ」

「失礼ですわよ、ザック」

「女に小さいというのは、失礼ではないだろう。ただの感想だ」

「――まあ、ザカリアス様。ダンスの際は、足元にお気をつけくださいませ」


 エマの皮肉に、ザカリアスが余裕の表情を浮かべます。


「残念だったな。革靴の上からいくら踏まれようが、痛くも痒くもない」

「そのために今回、踵に鋼鉄を仕込んでまいりました。試されますか?」

「……本当に何をしに来たんだ、おまえ」

「ですから、餌だと申しあげました」

「踵に鋼鉄を仕込んだ餌など、聞いたことないぞ」

「あら。餌には釣り針を仕込むものでございましょう? 食べても無害そうだと油断させたところで、ガツンと捕えるのが餌の役割でございます」

「餌が捕獲してどうするんだ……」


 疲れた顔になるザカリアスの耳元で、きらりと光るものが揺れます。フックの先から長さの違う三本の細い金のチェーンが揺れるロングピアスは、確か今日イヴォンヌが身に着けていたものです。

 首を曲げて端を歩く彼女を窺えば、左耳には金のピアスの代わりに、ザカリアスの瞳の色に似た青い一粒石のピアスが嵌められています。

 私の視線に気づき、恥ずかしそうにイヴォンヌが、指先でそれを撫でました。


「エマの仕業ですか?」

「そうなんでも私のせいにしないでくださいませ、ナタリア様」

「でも、さっきジェラルド様がザカリアス様に何か言っていたではありませんか」

「遠く離れるのがご心配であれば、お互いのものを交換するのはどうですか?と提案してはみてはと、ジェラルド様に申しあげただけです。後のことは存じません」

「ふふ。ちょっとロマンティックですわね」


 ピアスの交換を言い出すザカリアスを想像して笑っていると、不機嫌そうな顔になった彼がイヴォンヌをうながして先に行ってしまいました。


「分かりやすい方ですこと」

「そこがザックのいいところですわ」


 うふふ、とエマと微笑み合えば、視界の端にアイヴァンたちの姿が入りました。

 ベアトリスに、ピアスの話をしようとそちらを向けば――なぜか金茶と紫のグラデーションのドレスは、ほのかに輝き、ちらちらと魔力を撒き散らす濃い薔薇色の光の線が流麗な渦を描いて、全体を包みこんでいたのです。


「……アイヴァン様の魔力ですわね」

「ええ」

「一瞬で他人の魔力をここまで染め変えるなど、さすがというより狂気を感じますが」

「ビーが怒っていないので、合意なのだと信じたいです」

「やはり調教の仕方よりも、逃走方法をお教えしたほうがよかったでしょうか」

「もう遅いですわ、エマ」

「……そうですね。まあ……幸福かどうかは、他人ではなく自分自身が決めることですから、周りがどうこう言っても仕方ありませんものね」


 そう言ってエマが笑い、私たちはもう一度大広間に足を踏み入れました。



 熱気に包まれた会場では、私たちのいない間に神聖王国からの来賓が到着したらしく、壇上の周辺に小さな人だかりが出来ていました。

 すでにダンスがはじまっており、会場の中央で、何組もの男女がワルツに乗せて優雅にステップを踏んでいます。学院のダンスフロアとは比べ物にならない規模に、眩暈がするようです。


 ダンスの輪の中には、ジェラルドの姿もあります。エマの助言通り笑顔を振りまいたのでしょう。壁際には、若い令嬢だけでなく未亡人から既婚者まで、あらゆる種類の女性がずらりと押し並んで、次のダンスの機会を虎視眈々と狙っています。

 今のジェラルドのパートナーは、ティ侯爵夫人。パーティーにこの人ありと呼ばれる御夫妻の片割れです。陽気で話し好き、たまに空気の読めない言動がありますが、場を盛り上げるには欠かせない人物たちなのです。

 その恰好がまた独特で、二人とも双子のような白塗りの顔に、丸く描いた頬紅、おちょぼ口の口紅。つけぼくろ。

 ティ侯爵は、ソフトクリームを乗せたような白髪の巻き毛にくるりとカールした口髭、はち切れそうな丸い体を眩しい衣裳に包んで、肩にはなぜかおもちゃの鳥を乗せています。

 侯爵夫人は装飾の多い奇抜なドレスに、紫の髪を塔のように高く結って、てっぺんに大きな羽飾りを差しているため、パーティー会場の目印にされることも多いと聞きます。


 今日もティ侯爵夫人の服装は、一段と気合いが入っていました。髪に差した羽飾りは白黒のまだらで、その周りに短めの白い羽根で囲んでいるため、頭に小さな噴水があるようです。

 ドレスは黒で、織の入った高級品であることは分かりますが、大胆に斜めにフリルが入り、その下から赤の生地と黒のレースが覗いて、地味なのか派手なのか分かりません。ですが、ごてごてしている印象なのに動くと軽やかにドレスが舞い、侯爵夫人の背の高さもあって、とてもダイナミックでした。


 歩く広告塔のような女性をダンスパートナーにしたジェラルドは、少しも動じることなく、むしろ愉しそうにリードをとっています。二人とも長身なので、大胆な動きに周りから人が引いていくほどでした。


 ――ジェラルドは、やっぱり年上の女性がいいのでしょうか。


 学院でも、年上の女性からばかり声を掛けられていたことを思い出し、小さく胸が痛みます。今一番彼の身近にいる女性も年上だったなと思いながら、ふと隣を見れば、エマの姿がありません。


「エマ……?」


 不安になり、探しに行こうと振り向くと、左手から男性の低い声がかかります。


「アイスバーグ侯爵ご令嬢」


 聞こえないふりをすればよかったと思いつつ、そちらに視線を向ければ、見覚えのある紅茶色の巻き毛と葡萄色の瞳の持ち主が、苦笑を浮かべていました。


「まあ、メイアン伯爵。お久しぶりですわ」

「どうやら驚かせてしまったようですね、申し訳ありません」

「いえ。知人の姿が見えなくなって探しに行こうとしたところでしたの」

「紺色のドレスの女性なら、先ほどあちらのほうへ行かれたようですよ。私が近づくのを見て、気を利かせてくださったのでしょう」

「まあ」


 眼差しで示されたほうを窺えば、少し離れた壁際で、給仕からグラスを受け取ったエマが見知らぬ若い男性に声を掛けられているところでした。笑顔のようですので、そつなく対応しているのでしょう。ひょっとしたら、例のお仕事かもしれません。


「邪魔をしてはいけないようですわね?」

「確かあのご令嬢は、アルバ華公爵ご令息のパートナーではありませんか?」

「ええ、そうですわ」


 笑顔で返せば、まだ若いメイアン伯爵が、戸惑うように眉を寄せました。


「お知り合いなのですか? なんだか……仲が良さそうに見えましたが」

「先ほどお友だちになったのです。とても素敵な方なのですわ」


 ……勢いでお友だちと言ってしまいましたが、いいでしょうか。もう名前で呼び合っているのですから、あながち間違いではないと思います。


「アルバ華公爵ご令息とご一緒だったのでは?」

「ジェラルド様も一緒でしたけれど……ベアトリスもイヴォンヌもおりましてよ? 幼い頃からの知り合いが久しぶりに顔を合わせましたので、つい話に花が咲いてしまいました」

「それは良かった。戻られた貴女は、前よりずっと生き生きしておられる」


 ベアトリスに似たくっきりとした二重が、やさしく弧を描きます。

 病気を患った父君に代わって早くに爵位を継がれたメイアン伯爵は、五つ上ですがとても面倒見がよく、ベアトリスの保護者として一緒に送り迎えをしてくれたり、街歩きの護衛になってくれたりと、私たちの長いおしゃべりも忍耐強く付き合ってくださる、とても優しい方なのです。

 服装は、森を思わせる深いグリーンの地に金モールのついたテールコートとグレージュのズボンで、落ち着いた雰囲気が彼にとても合っています。


「どうです、踊りませんか?」

「ええ」


 メイアン伯爵に手を引かれ、途切れることなく続くワルツの輪に身を投じます。

 家族の他にジェラルド以外と踊ったことのない私にとっては、初めての冒険ですが、なかなか順調な滑り出しでした。


 背が高く敏捷なジェラルドと一緒に踊ると、まるで床に足がついていないようでしたが、メイアン伯爵は文官にしてはがっしりしているほうで、とても安定感のあるゆったりとしたダンスです。


「どうやら、少し心の整理がついたようですね? 今日の貴女は、これまでのように悲しげではありませんから」

「そうだとしたなら、きっとさっきのおしゃべりと……このドレスのおかげですわ。実は今日のドレスは、ビーがデザインしてくれたものなのです」

「うちの妹は見る目があるようですね」

「そうでしょう? ビーは才能豊かで、本当に素晴らしいのです」

「そうではありません。貴女の話です。妹は――貴女の美しさをよく心得ている。今宵の貴女はまるで、冬の季節に舞い降りた花の女神のようです。その価値に気づかない愚かな男は、きっとあとで、陰でひとり悔しがることでしょう」

「……褒めすぎですわ、メイアン伯爵」

「どうぞ、ブレンダンとお呼びください」

「では、私もナタリアと。……口調も前のようにお話しください、ブレンダン様。なんだか落ち着きませんわ」

「妹の親友と言ってくださいましたので、これまでは妹同然に接してまいりましたが、社交界デビューを果たされた今、きちんと淑女として扱うべきだと心を入れ替えました」

「いやですわ。ブレンダン様は、お兄様のように大事な方ですもの。環境の変化など関係なく、仲良くさせてくださいませ」

「……かしこまりました、姫君」


 仰々しくそう言い、メイアン伯爵――ブレンダンがおどけた礼をします。気が利いて、面白くて優しくて、仕事もできるのに、なぜ婚約者がいらっしゃらないのか本当に不思議なくらいです。

 ダンスよりもおしゃべりに夢中になりながら、一曲を踊りきりました。久しぶりのワルツに息を弾ませる私に気づいてか、ブレンダンがさり気なく踊りの輪から外れてくれます。

 

「飲みものを?」

「いえ、大丈夫ですわ」

「ナタリアは実に楽しそうに踊るのだね」

「運動は苦手なのですけれど、踊るのは好きなのです。それに今のダンスは、パートナーが良かったからですわ」

「それでは、貴女を置いてふらふらしている彼に感謝しないといけないね?」


 見れば、壁際のジェラルド待ちの令嬢の行列に果敢にアタックする男性たちの中に、酒色に染まった赤ら顔で奮闘するケヴィンの姿があります。

 すっかり存在を忘れていました。迷惑にならないように、早めに引き上げたほうが良いでしょうか。


「……あとで叱っておかないといけませんわね」

「心配しなくとも、適当なところで護衛が摘み出すよ。帰りは私が送ろう」

「そうは言っても、あれでも従兄なのです。後始末はいたしませんと」

「アイスバーグ侯爵の欠点を全部持って生まれた兄君のご長男か。よく似ておられる」

「普段は伯母様が手綱を握ってくださっているので、お仕事的には心配ないのですが、今日はお目付け役がいませんので箍が外れるのでしょう」

「勝手に痛い目を見るさ。放っておけば良い」


 父は若い時から小太りで醜男と評判だったらしく、その代わり、ありがたいことに人柄と頭脳については容姿を補って余りあると言われています。妾腹の伯父様は、その真逆をいく人物で、領内では張りぼての宝石箱だと陰口を叩く者もいるようです。

 揶揄されることも多い父の容姿も美点に見立ててくれるようなブレンダンの言い方に、私は小さく笑って同意しました。


「ナタリア嬢」


 ふいに周囲の温度が下がるような、凛とした声で呼びかけられます。戸惑う私を庇うように、ブレンダンがそちらに半歩進み出ました。


「何か御用でも?」

「ご歓談中、失礼する。ナタリア嬢にダンスを申し込みたい」

「先輩……?」


 ブレンダンの肩越しに窺えば、勿忘草色の長い髪を三つ編みにした図書館司書の先輩が、いつにない礼装姿で佇んでいます。

 七つ上の彼は、先輩司書というだけでなく皇国図書館の副館長を務める方で、エグランテリア公爵家の三男という高位の相手なのです。公爵家といっても皇族ではなく、いわゆる臣民公爵のひとつで、歴史は古く、学者肌の一族として有名です。

 慌ててブレンダンに紹介して断りを入れ、先輩のエスコートを受けて再びダンスの輪の中に戻りました。日頃は本のことしか興味がないような方ですが、さすが由緒ある公爵家の子息らしく、ダンスのリードはとてもしなやかです。

 途切れがちな会話をなんとか繋げようと苦心しているうちに、曲が終わります。


「ノーバート嬢……[春姫]様!」


 どうやら今日は、よく声をかけられる日のようです。

 振り返れば、騎士団に進んだ学院の同級生がこちらにやってきました。騎士らしいかっちりした臙脂のフロックコートが凛々しい雰囲気です。


「とても素敵なドレスですね。一曲踊っていただけませんか?」

「まあ……」

「――すまないね。彼女は私と先約があるんだ」


 言いよどんだ私の言葉を遮り、新たに現われた人物が、するりと先輩の手から私の腰と手をとりました。

 そして、まるで宙を舞う一陣の風のように、その場から私を連れ去ったのです。


「……ジェラルド、様」

「待たせたね、ナタリア」


 そう言って、3ヶ月前に婚約破棄をしたばかりのアルバ華公爵令息は、菫色の目を細め、優雅な微笑みを浮かべました。


 


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