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かくてメイドは今宵も踊る。  作者: 鴇合コウ
蛇足編:彼と彼女と首輪の事情。
21/25

【首輪の事情と、そしてそれから*10】

 

10.彼らの事情と真実(続)



「弑するというのは、殺す、ということですわよね?」

「正確には、断罪を下すということだ。センティフォーリアの判断が下ったとき―― [天秤]が傾いたときに[剣]が振り下ろされる――最古の聖典には、そう書かれている」

「唯一、というのは?」

「魔力量の問題だ。現時点で皇族に匹敵する魔力は、アルバしか持たない」


 当惑する私たちに、ジェラルドが苦笑を交えつつ説明を続けます。


「我が国の階級制度というものの根本は、魔力だ。魔力の強いものに人は惹かれる。だからこそ貴族という特権階級が意味を成し、皇族には自然と敬意を払う。皇帝陛下に威圧されるのは、その魔力が絶対だからだ。帝位の交代は、皇帝の魔力が低下し、皇太子がそれを上回ったときだとされている。

 だから、アルバが必要なんだ。それだけの魔力の持ち主を殺せるのは、同程度の魔力を持ったものしかいないからね」

「……今回はおまえに殺されなくて良かったと思うぞ、ジェド」

「私もそう思う」


 殿下とジェラルドが和やかに笑い合いますが、事の重大さに周囲は凍りつきます。

 エマは――と見れば、平然とした顔でシャンパングラスを傾けています。


「エマは、知っていたのですか?」

「[剣]というのは初耳ですが、ご当主様の魔力値とお立場を考えますと不思議ではないかと存じます」

「……宰相様は威圧感のある方ですけれど、そんなに魔力が強いという印象がないのですけれど」


 小さくつぶやかれたイヴォンヌの感想に、幼い頃の脅しを思い出したのか、ザカリアスがなんとも苦い顔になります。


「強いぞ、あれは。意図的に隠しているだけだ」

「まあ陛下にあれだけ普通に命令できるというだけでも、魔力値が近い証だよね。鑑定士の意見としてはどうなの?」


 アイヴァンの問いに、エマがちらりとジェラルドを窺って、肩を竦めます。


「ご当主様は以前、『私を殺せるのは皇帝アレだけだ』とおっしゃられておりましたので、そのとおりなのでございましょう。

 私にとってご当主様はただのSSクラスの冒険者なのですが、皇都ではあまり周知されていないようで、正直、印象の違いに戸惑っているのです」

「SSクラス……」

「ちっとも〝ただの〟じゃないよね……」

「それ以上のランク認定ができる者がおりませんので」

「……」


 私は冒険者の階級に詳しくはありませんが、要するに最上ランクということなのでしょう。エマの話からは、宰相様はまだ冒険者を続けてらっしゃるようですが、城に住んでいるのではないかと噂される激務の中で、一体いつそのような時間がとれるのでしょうか。


「おい、[猛虎]の。ひょっとして、終戦間際に陛下と白華公が二人で神聖王国に乗り込んで敵の首級を上げてきたというのは、真の話なのか?」

「……存じあげません、ということでお願いいたします。殿下」

「確実に情報を持っているという言い方をしてどうする。吐け」

「ご容赦くださいませ。いろいろと記憶を繋ぎ合わせた結果、平民が知っていて良い情報ではないと判断したのです。お知りになりたければ、当事者の方に直接お聞きくださいませ。第三者からの情報よりも確実でございます」


 エマの言葉に、ルーファス殿下の頬に、これまでにない皮肉な笑みが刻み込まれます。


「直接聞く、か。ずいぶんと簡単に言ってくれる」

「皇族のお家事情は詳しく存じ上げませんが、モスカータ公爵を拝命されたのであれば、必要な情報はいただけるのではありませんか?」


 モスカータ公爵位は皇族公爵のひとつで、継ぐ者がおらず絶えていたものを今回復活させた形となります。由来は古く、二代目皇帝陛下の双児の弟君が、帝位争いを避けるために自ら臣下に下ったことが端緒とされています。

 初代モスカータ公爵は、あからさまに表立つことは少なかったものの、優れた官吏として皇国を支え続け、[皇帝の影]と呼ばれる伝説の人物です。爵位は世襲制ですが、歴代の公爵は独り身を通されることが多く、たびたび継承が途切れたと記憶しています。

 このたびルーファス殿下がモスカータ公爵となられたということは、おそらく新たな皇太子となられたトリスタン殿下の[影]となれということなのでしょう。


 深い翳を宿す緋金の双眸が、エマを見据えます。


「おまえ……この身分について、どこまで心得ている?」

「史実にある範囲でございます。正確には、歴代の警察記録と治安補佐官の手記を通読いたしました」


 その答えに、殿下は眉間にしわを寄せ、そこに指先を当ててうなだれます。


「なぜそのような特殊なものを平民が目にするのだ……」

「兄が学術院におりますので、皇国図書館の書庫にあると教えてもらいました。閲覧制限はかかっておりませんでしたよ?」

「おまえの兄はアルバにいるのではないのか?!」

「三番目の兄です。ちょっと頭の出来がおかしいので、ご当主様経由で学術院の入学を後援していただきました」


 学術院は、皇立学院と響きが似ているため誤解されることも多いのですが、国内外、貴賤を問わず学術的な研究を探求する徒の集まりです。知的水準は非常に高く、学院でいくら優秀な成績をとっても入学できないものが山ほどいると聞きます。

 したがって、一度文官や官吏を経験してから学徒となるものも多く、平民であればよほど特殊な才の持ち主なのでしょう。


 ……そういえば。


 図書館、学術院と身近な単語に触発されて、ようやく私の記憶が甦りました。


「ひょっとして、[図書館の賢者]のシラー博士が、エマのお兄様なのですか?」

「そのような大層な二つ名をいただくほどの者ではございませんが、シラーという名であれば、その通りです。ナタリア様が図書館にお勤めとお聞きして、もしやと案じていたのですが、ご迷惑をおかけしておりませんでしょうか?」

「迷惑だなんて、とんでもありませんわ。とても博識な方で、何度も助けられておりますの。……すごいのです。『こういう調べものをしたいのだけれど』という曖昧な質問にも、すぐにいくつも本の題名を挙げてくださって、図書館の隅から隅まで熟知しておられるのですわ。読んでいない本はないのではないかと、皆で噂しているのです」

「皇立図書館の蔵書数は約三千万冊。兄の年間読書量は二千冊程度です。まだまだですわね」


 謙遜したようにエマが言いますが、年間二千冊というと一日五冊以上読む必要があります。〝ちょっと頭の出来がおかしい〟という表現は、言い得て妙なのだなと納得してしまいました。

 ルーファス殿下も記憶力が人並み外れており、人の顔や景色、文章をそのまま憶えてしまう〝映像記憶〟と呼ばれる能力で、ジェラルドやセレスティナ様とはまた別の頭の良さなのですが、シラー博士もこちらに近いのかもしれません。


「確認しておくが……おまえの家は、本当に平民なのだな?」

「何代遡りましても生粋の平民でございます。なにか問題でも?」

「……いや。問題はむしろ、おまえたちのようなものを子飼いにしている白華公なのだと、再認識したところだ」


 なぜか殿下が疲れ果てたように、さらに首を垂れます。

 私は扇を口元にあて、ジェラルドにこっそりと尋ねました。


「治安補佐官というと、軍の憲兵とは別の地方警察隊のことですよね?」

「ああ。実戦と機動力を求められる軍とは違い、主に民間の治安維持を行う行政機構だ。一時は軍と並ぶ存在として創設されたが、百年戦争の最中に失われてしまった」

「それが、モスカータ公爵とどう――」

「――おい。そこでこそこそ話すな」


 私の問いかけを、ザカリアスの鋭い声が破ります。


「俺たちも状況がよく呑み込めていないんだ。説明しろ」

「ああ」


 ジェラルドがうなずき、補足を加えつつ、私にしたのと同じ説明をもう一度披露します。


「現在、百年戦争の影響でその機構自体が失われているので説明が長くなるが――軍とは別に、国内の治安維持のため貴族・平民を問わず罪を犯したものを取り締まり、司法の裁きを受けさせる行政組織が警察だ。地方ではその職にあるものを治安補佐官、治安官、首席治安官に分け、地方行政の下部組織として機能していた」

「それが皇都では、皇国警察という形になりまして、少し体系が複雑になりますが職員は警察官と総称され、それらすべてのトップを警察長官と称されます。この歴代長官が――モスカータ公爵というわけです」


 ジェラルドに続いてエマが説明すれば、初めて聞く内容に皆が目を白黒させます。


「それ、一般常識じゃないよね?」

「歴史学や政治学にも警察の存在以外は出てまいりませんが、秘匿されている情報でもありません。当初の取り締まり対象が主に民間、すなわち平民だったため、貴族ではあまり注目すべきことではなかったのだと推察されます。モスカータ公は他の業務も兼任されておりましたので」

「警察が存在しない期間にも、モスカータ公爵が継承されたように思いますが?」

「先代と先々代の公爵閣下ですね。確か、軍の機密情報関連の部局を束ねていたと記憶しております。業務的には同系統かと」

「その情報はどこ――」

「秘密でございます」

「……いいもん、図書館に行って君のお兄さんに聞いてやる」

「待て、ヴァン。私もまだきちんと読んでいないんだ」

「待て待て待て。読むなら私だろう!」

「……皆さま、軟禁とか修行とか蟄居とかいう状況をお忘れではありませんよね……?」


 正論すぎるエマの指摘に、三人がぐっと詰まります。この様子ならば一番先に資料を読むのは私になりそうだとにこにこしていたら、察したのか、悔しそうにジェラルドに睨まれてしまいました。

 「ナタリアの環境が羨ましすぎる」とつぶやきが聞こえ、なんだかこれまでの溜飲が少し下がります。


「それで、ルーファスがモスカータ公爵を襲名したということは、警察機構を復活させようという動きがあるということか?」

「おそらくな」

「それで、国の保安にかかわる話なら陛下も話してくださるんじゃないかっていう、エマの台詞に繋がるわけか……なんでそんなにもって回した会話してるの、君たち」


 アイヴァンの呆れた言い様に、エマは「私のせいではありません」と頬を膨らませ、殿下はひどく大きなため息とともに頭を横に振りました。


「トリスの影となるのは構わないが、警察長官だぞ? 事件を起こした私に、どんな嫌がらせかと最初はひどく憂鬱になってな」

「今は?」

「昼間、陛下に謁見して、どうやら冗談ではないと思い知らされたので、受け入れるしかないと諦めている」

「諦めるって――」


 アイヴァンがいつもの軽い調子で返そうとして、語を切りました。顎に手を当てて物思いに沈む殿下は、軽々しく言葉をかけられる雰囲気ではないと察したのでしょう。

 そのとき、何を思ったか、ジェラルドが再びエマを抱え上げてソファに座りました。膝の上に乗せようとして抵抗され、仕方なく彼女を肘掛けに座らせます。

 落ちないようにという配慮か、腰に腕を回して叩き落とされ、また腕を回してと数度繰り返されたのちに、エマが諦めて決着がつきました。

 満足そうに紺のドレスを右腕に抱え込み、ジェラルドが口を開きます。


「良い機会だから、ルーファスにひとつ聞いておきたいことがあるんだが」

「なんだ?」

「――いつから廃太子を考えていた?」


 簡潔な問いは、ですが重い響きとなって、部屋全体を静寂に突き落とします。

 ルーファス殿下が一瞬顔色を変え、逡巡したのちに、覚悟を決めたように小さく息を吐きました。


「そんなに前ではない。二学年の終わりか――最終学年に上がる直前くらいだ」


 明らかに。

 どこからも知らされていないその情報に、部屋の空気は凍りつくと同時に、即時に爆発せんばかりの驚愕に満ち溢れました。

 そんな空気などものともせず、涼しい顔でジェラルドが質問を続けます。


「うちの内部事情を引っ掻き回したのも、君の意図か?」

「……すまない。アルバに出てこられると計画が頓挫しかねないと……叔父上に忠告をされて任せたのだ。まさか、係累の家を取り潰すことになるとは思わなかった。許せ」

「プリスタインを潰す判断をしたのは父だから構わないが、ルモンタン公に良いように踊らされたと機嫌が悪くてね。なんでも、『長年の癌を切り落とす口実を与えたのだから、感謝してくれても良いよ?』と言われて、殴るのを必死で我慢したらしい」

「……それでか。今日挨拶をしたときに、白華公に殺されそうな目を向けられたぞ」

「自業自得だな」

「耳が痛い言葉だ」

「――ルーファス殿下!」


 殺伐とした内容のわりに暢気な会話を、堪らず遮ったのはセレスティナ様です。灰緑色の瞳を燃え立たせ、隣をきっと睨み据えます。


「以前から廃太子を考えていらしたとは、どういうことなのです?!」

「そうだよ。それに、アルバ華公爵家の内情ってなに?」

「ルモンタン公がどう関わってくるのですか?」


 矢継ぎ早に質問を浴び、ルーファス殿下が片手を挙げて制します。


「最初から私が説明をする。言っておくが――これは、私一人の胸に秘めておくつもりだったのだからな? 知りたくなかったと恨むのなら、ジェドを恨んでくれ」

「だから一番暴走しそうなのを抑えているだろう?」


 エマを抱えるジェラルドが得意そうにそう言い、ぺちりと扇ではたかれます。

 なるほど、と殿下がうなずき、皆に眼差しで異論がないことを確認して、再度口を開きました。


「そもそもの発端は、保守派に次期皇帝として担ぎ上げられた私が、革新派との調停役として皇太子位に就いたことだ。……まあ、それを言ってしまえば、私の存在そのものが混乱のもとなのだが……。

 能力的には兄のトリスタンがふさわしいのは明らかで、婚約者には普段皇家に縁付くことを避ける四華公家の一つ。しかも中立のセンティフォーリアだ。いくら私が子どもだろうと愚かだろうと、期待されている立場は理解したし、応えようとも努力した――が」


 ルーファス殿下が、肘掛けについた手を拳にして、ぐっと握ります。


「学院に入って、愕然とした。これまで私は、ある程度保守派を治め、革新派と有効な関係を築いていたつもりだった。ところが蓋を開けてみれば……めちゃくちゃなのだ。関係が密すぎるせいか、私の発言は捻じ曲げられて広がり、やることは勝手な解釈が付き、憶測が憶測を呼んであまりにも混沌としていた。

 そのうち保守派からは『トリスタン殿下を完全に失脚させるには』という相談が聞こえ、革新派からは『皇太后陛下はもはやお役御免では』と批判があがり、どちらからともなく『皇太子妃としてセレスティナ様はふさわしくない』と悪口雑言を吹き込まれる始末。

 ジェラルドといろいろ対応策をとってみたが、埒が明かなくてな。そうしているうちに気が付いた。これまでは保守派と革新派が対立しているように思っていたが、実際には第三の勢力がいるのだと」

「第三の勢力?」

「そうだ。保守派と革新派の対立の激化が招くのは、結局のところ国家の弱体化だ。つまり――現政権、すなわち皇帝陛下に異を唱えるやつらが二大派闘争の陰に隠れ、騒ぎを大きくしていたのだ」

「謀反、ということですの?」

「結果的にはそうなるが、少し違う。やつらはただ……また戦争がしたいのだ。戦争が始まれば武器が売れ、魔道具が売れ、食料が高騰し、医療費が上がり――儲けるやつは濡れ手に粟だ。それが国外だろうと国内だろうと構わぬのだ。そこまで分かったのは、後のことだがな」


 またも苦い息が漏れ、乾いた唇を噛み締めて言葉が紡がれます。


「第三の勢力が存在すると気づいて、私は畏れた。自分一人の力ではどうにもならぬと感じたのだ。無論それは父に報告したが――だからといって、私には収束させる術も実力もない。混沌とした状況を眺めているしかできぬ自分は……ひどく無力だった。

 そのうちに思い至った。皇太子位を白紙に戻してしまえば、混乱も少しは収まるのではないかと。だが、皇帝である父が言を翻すことはできない。私から返上を願い出るわけにもいかない――皇帝の意志に反するからな。兄に相談するなど問題外だ。それこそ派閥争いが本格化してしまう。

 そこで――私自身が皇太子の資質がないことを証明すればよいと考えた」

「貴方……なんて馬鹿なことを……!」

「ああ、馬鹿だな。最低に愚かだと思うが、そのときは妙案だと信じたのだ。学院にいる今が絶好のチャンスなのだと。だが……他の者を巻き込むわけにはいかない。これは、私という個人が、独りで堕ちていく道なのだと、そう考えた」


 堕ちていく、という言葉の響きに、緋金の瞳に宿る翳の正体を見た気がしました。


「叔父に相談したのは、せめてもの冷静さを保つために、アドバイスが欲しかったからだ。百年戦争で足と愛するものを喪った叔父は、父との仲は最悪だが、誰よりも戦争を憎んでいる。第三の勢力のことは薄々感づいていたらしく、ある程度炙り出すために、宮中から扇動をしてくれることになった。炙り出しの対象にアルバ華公家の係累であるプリスタイン伯爵を加えたのは、以前からよからぬ噂があったことと――ジェドには申し訳ないが、白華公に動かれるのが一番怖かったからだ。

 [冥府の裁定者]を味方につけてしまえば怖いものはないが、良かれ悪しかれ影響が大きすぎるのだ。それに……私が廃太子となった後、ジェドには次の皇太子の腹心となって欲しいと考えていた。ザックもヴァンも……セレスティナも、瑕疵ひとつない状態で次の皇太子に移譲すべきだろうと――」

「なにを勝手なことを」

「ああ、わかっている。だが……そう企んだとて、上手くいかぬ。一部の側近と双児には見破られ――止められはしなかったが――ついには、見せかけの愛人のつもりだった娘を巻き込み、さらにはおまえたちまで巻き添えにしてしまった」

「ルーファス、貴方まさかあの娘が平民だと知って――?」

「いや、セレスティナ。側近たちは情報を得ていたようだが、私はあえて彼女の素性を追求しなかったのだ。何も知りたくなかった。最初は深入りする気がなかったからだが……後半になると、もうどうでもよくなったのだ。

 薬の影響も多少あったのかもしれないが……あの娘には、すべてを話したよ」


 驚きのあまりか、昔のように殿下を名前で呼んだ元婚約者に、殿下は淡々と話を続けます。


「私の生い立ちや立場や考えていること……これから成そうとしていること、すべてだ。平民だからか、言葉の意味がどこまで正確に伝わったかうまく掴めなかったが……ときおり知らない言葉が混じるのだ。平民のスラングだと思うが、ともかく彼女は、私個人と共に在りたいと言ってくれた。二人で幸せになることが運命なのだと。

 セレスティナを悪人に仕立てることには抵抗があったが、私とは決別しているのだと周囲に知らしめていたほうが良いと思った――が、さすがにやりすぎだったな。すまない」

「……そんなことを謝って欲しいのではありません」

「わかっている。当初の計画では、愛人にうつつを抜かした皇太子が、卒業式典で婚約者に婚約破棄を突き付けて嘲笑され、後日陛下より皇太子位を剥奪される――というのが筋書きだった。……ものの見事に破綻したがな」

「ルーファス。やはり俺が――」

「ザックのせいではないと言っただろう。側近には何度も止められたのだ。軽い気持ちで飲みはじめたら、気が付いた時には薬を止められなくなっていた。最後のほうは酷いものだ。式典の前後一週間ほどは、記憶も曖昧で、ほとんど何をやったか憶えていない始末だよ。誰のせいでもない……私自身のせいだ」


 ふうっ、と心の澱を吐き出すように、長い長い息が吐き出されます。


「本当に、今思い返しても、自分でも何をやっていたのだと呆れて、情けなくて仕方ない。悔やんでももう……戻らぬものばかりだが。皆も、すまなかった。許してくれと言って済むものではないが、心から謝罪する」


 両膝に掌を添え、頭を下げる殿下に、皆は言葉が出ません。

 その手にそっと、白い手袋をはめたセレスティナ様の左手が添えられました。


「ルーファス……殿下」

「ルーファスでいい。セレスティナ、すまなかった。本当は、最初からそなたにすべてを打ち明けて、相談すれば良かったのだ。私が狭量なせいで、いらぬ心労をかけた」

「……心労どころではありませんわ」

「本当、ひとりで突っ走るなんてダメだよ、ルー。周りの迷惑も考えないと」

「ヴァン、おまえがそれを言うな」

「ここはやはり、それほど私たちを信頼していなかったのかと、逆ギレするべきなのかな。どう思う、エマ?」

「ご当主様のお怒りの分も合わせて、拳にものを言わせてみてはいかがでしょう? 言葉よりも、ぐっと気持ちがストレートに入るかと存じます」

「そのストレートは、打撃の種類ではないよな?」

「中指あたりに大きめの指輪をいたしますと、なお効果的と存じます」

「……ジェド。絶対にそいつを放すなよ?」

「一応、無差別には襲わないと思うけど」

「区別して襲うほうが、性質たちが悪いと思うぞ……」


 軽口のやり取りに、ようやく室内に立ち込めていた重い靄が晴れていきます。

 以前は、冗談を言うのはアイヴァンで、ジェラルドは軌道修正をするほうだったのですが、いつの間にか場を和ませたり切り替えたりするのが上手くなっているようです。これも、エマの影響でしょうか。


 緊張の解放感からか、皆でわいわいくだらないことを言い合っている様子が、なんだか子どもの頃の思い出と重なって、私は少し涙ぐんでしまいます。


「どうしましたの、ネティ?」

「いえ……なんとなく、とても懐かしい雰囲気だなあって、嬉しく思ったのです」

「そういえば、こうやって話すのは何年ぶりだ?」

「学院の入学前だから、三年ぶりか?」

「ジェドがいなくなる前だから……六年ぶりくらいではないか?」

「うわ、なんかすっごく年取った気分」

「なぜ学院では、こうやって皆で話せなかったのだろうな……」

「すごく男女に壁があったのですわ。プライドなのか派閥なのか、なんだかとてもおかしな壁が」

「社交界の練習だというが、社交界より数倍気味の悪い集団ができていたからな」

「学院の魔物というやつですわね」

「無事卒業できてよかった」

「まあ……完全に無事というわけではないがな」


 余計なことを口走ったアイヴァンが、ベアトリスに膝をつねられます。

 失言をやり過ごした殿下の皮肉に、ザカリアスがやや考え込むようにつぶやきました。


「なんだかルーファスの話を聞くと……あの娘も少し気の毒に思えてくるな」


 口にして、慌てたように、はっと隣のイヴォンヌを振り向きます。


「いや、好意とかそういうのではなくてな? あの娘は俺たちの誰彼かまわず言い寄っていたし、単に男にちやほやされるのが好きなのだろうと、男を手玉にとって悦に入っているだけなのだろうと思っていたのだ。

 だから、その……ああいうことになっても自業自得と思っていてだな」

「ずいぶん冷たい言い方ですのね?」

「俺は、ああいう八方美人というか……色恋をゲームのように愉しむ感覚が理解できないんだ。ルーファスは要領がいいから心配ないだろうと思っていたが、その、本当に恋愛関係にあったのなら、辛かっただろうと思ってだな」


 今さら?!という顔でイヴォンヌが目を瞠りますが、さすがに口にはしませんでした。

 代わりに、殿下が応えます。


「恋愛関係というよりも、共犯というほうが近いかもしれんな。お互い得るものがあると考えた」

「得るもの?」

「私は、感情の捌け口と都合のいい愛人が欲しかったし、彼女は私の婚約者という立場が欲しかった――と言っていた。どのみち婚約破棄の場に引っ張り出すのだから、責任をとれという話になって、彼女との婚約は成立可能だと思ったから、そう約束したのだ」

「その話を自分の都合のいいように解釈して暴走するイカレ女だと判断できなかったのが、殿下の甘さでございますね」

「…………面目ない」


 傷に粗塩を塗り込むエマの指摘に、殿下がおとなしく首を垂れます。なんだか彼女の辛辣さに慣れてきて、ぬるめだな、と思ってしまう自分が少々怖い気がします。


「ですが私も、ご当主様からご命令があったときに、きちんと手を下しておけばよかったと後悔がございます」

「エマ、それはさすがに……」

「いえ、セレスティナ様。学院の監視魔術は熟知しておりましたので、気づかれずに殺害する術はあったのです。我が身かわいさと、無知な若い女性に同情した結果、殿下にはご負担をかけたと申し訳なく思っております」

「……おまえが殊勝だと、少々不気味だぞ。悪いものでも食べたか?」


 かつてのような自信家の口調で、ルーファス殿下が切り返します。


「他人を魔物扱いしないでくださいませ」

「魔物ではないな。血の気の多い牝虎だ」

「……殿下は、セレスティナ様に[永久脱毛]の魔道具を使われてしまえば良いと存じます」

「妙な呪いをかけるな!」


 お決まりのようにエマに叩き落とされ、皆に失笑が広がります。

 ふと、セレスティナ様がおずおずと殿下に話しかけました。


「ルーファス。私、貴方に言っていないことが――」

「――ティナ。言わなくていい。大丈夫だ」


 みなまで言わせず、そう被せた殿下が、やさしく微笑んで白手袋の手を片手で包みます。


「大丈夫だ。分かっている。そなたは正しいことをした。そなたの心のままに、生きればいい。きっとあちらも応えてくれる。大丈夫だ」

「……ルー」


 セレスティナ様が、小さく愛称を呼んでうつむきます。おそらく涙をこらえているのでしょう。

 曖昧な言葉の意味を悟り、私も胸が熱くなりました。


 ルーファス殿下は、知っていたのです。

 幼い頃――まだ愛称で呼び合っていた頃から追いかけていた銀髪の少女には、心に想う相手がいたということを知ったときと同じく。

 それが、血を分け、尊敬する兄君だと気づいたときと同じく。


 セレスティナ様の心には、まだその方が色濃く残っていて――学院の三年間、ずっと彼女を陰ながら支え続けていたということを。


 知りながら、殿下は何も言うことなく、しばらくの間ただそっと、彼女の手を握っていたのでした。


 


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