【首輪の事情と、そしてそれから*9】
9.彼らの事情と真実
「セレスティナ様。ご相談というのは、弟君がたのことでごさいましょうか?」
「ええ。そうなのです」
「私ごときがお力になれることなどないように思われますが……」
「エマは、当時の状況を誰よりもつぶさに知っているでしょう? ですから、ザカリアスやアイヴァンの贖罪に知恵を貸してくださったように、私の弟たちの行く末にも、貴女からの意見が欲しいのです」
「……かしこまりました」
セレスティナ様の弟君のフレデリクとフランシスは、私たちのひとつ年下にあたります。立場的にはどちらかがセンティフォーリア華公家を継ぐのが普通ですが、生来神眼を備えた彼らは、周囲から神職に専念することを期待されていました。
二人ともセンティフォーリアらしい銀髪をしており、双児だけに顔立ちも体つきも声もそっくりで、見分けるポイントはしっぽのように細く編んだ三つ編みの本数ですが、慣れてくれば目の色と性格からも区別をつけることはできました。
三つ編みが1本なのが、過去視の神眼をもつフレデリク。どちらかというと活発で、翠色の瞳をしています。
三つ編みが2本なのが、未来視の神眼をもつフランシス。おとなしめで、碧色の瞳をしています。
神眼については、私自身が視てもらったことはなく神殿関係者から話を伝え聞くだけですが、的中率は相当なもので、他国の王侯貴族からも面会依頼が後を絶たないそうです。
その類稀な二人が、学院で就学の最中に女子生徒と恋愛問題を起こした挙句、神眼を喪ったのですから、センティフォーリア華公爵のお怒りと失望は相当なものだったことは想像に難くありません。
同時に、姉であるセレスティナ様もかなり責任を感じていることと思われます。
「二人は、ローザ=ルテアの神殿で修行のし直しという罰だったのですが、薬の影響はもうすっかりないはずなのに、一向に状態が改善しないのです」
「具体的にはどのような?」
「神殿に連れ帰ってから、一言も口をきかず、自分から食事を摂ろうとも動こうともしないのです。スプーンで口まで食事を運べば食べ、ベッドに連れて行けば眠りますが、まるで人形を世話しているようだと側仕えのほうが疲れ果ててしまい、一月ほど前に皇都のほうに移すことにいたしました」
「それでは、ローザ=カニナの神殿に?」
「ええ。ローザ=カニナの離宮が当家の官邸になりますので、私も両親も目が届きやすいと考えたのです」
ローザ=ルテアは、西方の海上に浮かぶ島を丸ごと神殿とした聖域です。初代皇帝ロザリオンが漂着した地であり、皇城の神樹の親木が祀られる、特別な場所なのです。二人はそこで、幼い頃から神眼の修業をしていたと聞いています。
大潮が引いたときにしか大陸と道が繋がらないこともあり、隔離するにはふさわしいでしょうが、不便であることは否めません。同じ神殿の管理下に置くのならば、皇城に近接する主神殿・ローザ=カニナのほうが何かと都合がよいことは明らかです。
それにしても、いくらあの令嬢にご執心だったとはいえ、天真爛漫だった二人がそのような事態になっていようとは、思いもよりませんでした。
「失礼を承知で伺いますが、セレスティナ様。お二方がそうまで頑なとなる理由について、お心当たりがございますね?」
「……二人は、腹を立てているのだと思うのです」
「セレスティナ様に対して、でございますか?」
「私と……両親。側近たち。わが家に関わる者たち全体という印象ですわ」
歯切れが悪くそう言い、セレスティナ様は眉を少しひそめて言葉を続けました。
「実は以前、二人からミア・モーガン嬢を引き取りたいと申し出があったのです。婚約者もいないし、二人の気に入りとして当家で面倒を見たいと」
「理由はお聞きになられましたか?」
「当然聞きましたが、要領を得ないのです。『彼女は過去に悲しみと業を背負い、未来は闇に包まれている。救うには他に方法がない』と。
二人の神眼には慣れていますが、本来はもっと詳細なものなのです。それ以上視ることができないにしろ、神眼の結果を根拠にするのであれば、両親や周囲を説得できるだけのものが必要だと、私は一蹴しました。そもそも、学院で神眼を用いることは禁じていたのです。学生として友人をつくることが目的でしたから」
「お二方が神眼の詳細な内容を明かさなかったのは、彼女が平民の素性を偽っていたからでしょうか?」
「ええ、おそらく。当時は私もエマからいただいた情報で、そのことは把握していましたけれど、公にしてしまえば彼女は罪に問われ、学院の名にも傷がつきます。もちろん、当家で面倒をみるなど不可能になるでしょう。それに、彼らが個人的感情で希望することに、私のほうから手を貸すわけにはいきません。
かの令嬢のほうから引いてくれればと、本人にも男爵家にも言葉を尽くしてみましたが、まるで無のつぶてで、こちらも気力が尽き果ててしまいました」
「よく存じあげております」
「結局このような結果となり、彼女は重い罰を受け――フランシスの視た、闇に包まれた未来が的中してしまったのでしょう。二人は私たちから心を閉ざしました」
ブルナー男爵令嬢ミア・モーガン――本当はマリスかもしれない娘――は、騒動の後、修道院に向かう途中で事故にあって絶命したと聞きます。
あまり好ましい相手ではありませんでしたが、事故の報を耳にしたときは、さすがに冥福を祈りました。
ですが。
セレスティナ様の口にした〝重い罰〟という表現に、引っかかるものを感じます。
そのとき、ふいにルーファス殿下が片手を上げて会話を止め、セレスティナ様に発言の許可をとりました。
「ちょうど良い機会だから、皆に申し伝えておくことがある。ミア・モーガンと名乗る娘の罰に関してだ。本当は伏せたままにしておこうと思っていたが、ここにいる皆には私の口から真実を伝える必要があると感じた」
殿下は、やや蒼褪めた顔でそう言い、ひとつ大きな息を吐きます。
「表向きは修道院送りとなっていたが――実際には斬首を下された。醜聞を最低限に抑えるため、あくまで貴族の娘として扱ったことと罪の重さとを考慮された結果だ。刑はすでに執行された」
はっと皆の口から、驚きを呑む音が小さく響きます。セレスティナ様とエマ、それに男性たちは、予想していたのか情報を得ていたのか、それほど大きな驚きは見せません。
眉間に厳しい皺を刻み、ザカリアスが確認します。
「父から話を聞いていたが、それでは本当に斬首されたのだな……?」
「陛下の手づから行なわれたのだ。私は――すべて見届けた」
淡々とした言い方に、かえって胸が痛みます。
薬の影響があったとはいえ、一度は心を開き、愛した相手の死を見届けるなど、どんなに辛いことでしょう。想像もつきません。
「厳しすぎる措置と思うかもしれぬが、これもすべて私の罪の重さゆえだ。彼女の死は私が負う罰。皆に責任はない。だが様々な噂も出回っていることもあり、皆には真実を知る権利があるゆえ、この場で話した。許せ」
「……いえ、殿下。お話いただいてありがとうございました」
固く強張った空気を和ませようとするように、セレスティナ様がかすかに微笑を浮かべますが、空気と同じくぎこちないものでした。
エマが事務的な態度で話を戻します。
「セレスティナ様。未来視の結果が斬首だったとして、当時お聞きになられておりましたら、百華公家での彼女の保護をご検討されましたでしょうか?」
「……いえ、残念ながら。当家に身柄を受け入れるということは、彼女にまつわるすべてを受容するということでもあります。百華公家の瑕疵となるような娘を隠匿してでも保護をする理由とはなりえません」
「たとえば、弟君がたには保護をしたと告げて彼女を学院から連れ出し、大金とともに誰かに身柄を任せることもできたはずです。その可能性は考慮されなかったのでしょうか?」
「弟たちは真偽の神眼を持っていませんが、勘が鋭いのです。すぐに見抜かれたでしょう」
「……なるほど。では、お二方とセレスティナ様の間に生じた溝を埋めるのは、なかなか厳しいかもしれませんね」
エマが考え込むように目を伏せ、扇を手の中で何度か打ちます。
「もうひとつ確認をいたしますが――セレスティナ様がお二方に望まれますのは、普通の生活を、ということでしょうか。それとも神眼を取り戻すことでしょうか?」
「神眼のことは、両親とも諦めておりますの。元々、生まれたときに強い神眼を発現すると、成長期を過ぎて急に喪われることがありますので、その点は気にしていないのです。
二人にはただ……前のように笑ったり走ったりする、健康な体と心を取り戻してほしいと考えています」
「わかりました」
ひとつうなずき、エマは、ネコ科動物を思わせる瞳をまっすぐセレスティナ様に向けました。
「私がセレスティナ様のお傍にいる者として意見を求められたならば、このように回答させていただく、という前提でお話しいたします。
まず弟君がたは、学院の寮ではお二方でひとつのお部屋をご使用になっておられましたが、それはローザ=カニナの離宮でも同じでございましょうか?」
「ええ、二人は一緒にいたがりますので」
「では、別々のお部屋にしてくださいませ。側近は各々で付けられていたと記憶しております。お世話をするほうにとりましては二人一度のほうが楽なのは分かりますが、ローザ=カニナであれば人手は充分でしょうから、交替要員を増やすことで対応可能と存じます」
「でも、そうすれば二人は……」
「セレスティナ様。お二方はほぼ同時に生まれ落ち、同じ環境で成長されましたが、同じ人間ではありません。感じ方も考え方も、似ているだけで違うのです。
ショックを受けた後でお互いの依存度が増したことは想像がつきますが、そもそもその傷も痛みも、同じだと本人や周りが感じているだけで、本当のところは違うかもしれないのですよ? 未来を視られたのはフランシス様、過去を視られたのはフレデリク様なのでしょう? ショックとなる根拠すら、元より別々ではありませんか」
灯台下暗しと言えるような指摘に、セレスティナ様が「あ」と声をあげ、立てた手のひらで口元を隠しました。
「傷を抉るような言い方になって申し訳ありませんが、その点かのご令嬢はお上手でしたよ? いつもお二方にひとりずつきちんと名を呼び、声を掛け、一対一の関係を築こうとなさっておいででした。目的はどうあれ、あの人心掌握術だけは感心に値します。
もちろん姉君にあたるセレスティナ様やご両親が、お二方をないがしろにしていたという意味ではございません。ですが……自立心の芽生えるお年頃でございますからね。誰より近しい相手だからこそ、見せたくないこともございます」
「……わかりました、考慮してみましょう。ですが……そうなると荒れそうですね」
「荒れてよいのですよ。むしろそれが狙い目です」
「どういうことですか?」
セレスティナ様が怪訝な顔で問います。
「お二方は、卒業式典の後から心を閉ざされてしまわれたのでしょう? でしたら、まだ今回の顛末について、充分に泣いたり怒ったりできていないのではないでしょうか。負の感情の発露は、喪失を受容し、乗り越えていくための第一歩です。
荒れれば良いのです。荒れて暴れ回ればお腹も空きましょうし、暴言を吐く余裕があれば多少会話もできましょう。ご兄弟の居場所を求めて部屋から自発的に出られれば、引きこもり脱却ですもの。良いことづくめではありませんか」
「……そういえば、そうですわね。二人の気持ちを落ち着かせようとばかり考えておりましたから、まるで思いつきませんでした」
「ただし医療スタッフは、二十四時間体制で対応できるよう整えておいてくださいませ。自傷も他傷もあり得ますので」
「その点は大丈夫です。専属の医療班を用意しておりますから」
力強くうなずくセレスティナ様に、エマがにっこりと微笑みます。
「さすがでございますね。それから、お忙しいとは存じますが、一日に一度は必ずご家族で顔を合わせてお食事を召し上がるようにしてくださいませ」
「家族で食事、ですか?」
「はい。今のお二方に頼れる相手は、ご家族しかおりません。どんな状態でも傍にいて、味方でいるのだと安心感を与えて差し上げて欲しいのです。
セレスティナ様は先ほど、お二方がご自身やご家族に対して怒っているとおっしゃられましたが、お二方も同じように、ご家族が自分たちのことを怒っていると思われているのではないでしょうか?」
「それは……どうでしょうか。確かに、父の激昂したところと母の泣いた姿は見ているはずですし、私とは学院にいたころからあの娘とのことで平行線を辿っておりましたから、怒っていると思われていても不思議ではありませんけれど……。
ですが……家族で食事というのは、難しいかもしれません。うちは、その、あまりそういった家族らしいこととは無縁なのです。本当に特別なときでなければ、家族全員で食卓を共にするという習慣がないのですが、国の祭事となりますと食事どころではありませんので……誕生日など、年に数度のことなのです」
困惑するように、セレスティナ様が眉尻を下げます。
センティフォーリアは最高神祇官である百華公をはじめとした神官一族で成り立っているため、特殊な環境なのでしょう。まあ普通の貴族でも、家族で食卓を楽しく囲むということが一般的かというと、そうでもありませんし。
平民であるエマは、そのことを分かっているのかいないのか、平然とした顔で答えを返します。
「別に、家族全員で食卓を囲めというのではありません。皆さまお忙しいのは仕方ございませんので、ご家族のうちお一人で良いのです。彼らの食事に付き合って、様子を聞いて差し上げてくださいませ。側近からの報告と、実際お顔を合わせて見聞きするのとでは、違う点もございます」
「それくらいならば、できるかもしれません」
「是非とも、百華公ご夫妻をお巻き込みくださいませ。お一人ずつ日替わりで交代すれば、お時間をとる負担も減りますし、なにより家族全体での情報共有が可能です。きっと連帯感も生まれますでしょう。その輪の中に、お二方を入れて差し上げてくださいませ」
「わかりました」
「それから……これは、医師の許可が出ればの話となりますが」
エマが少し思案するように扇の端を顎の先に当て、言葉を続けます。
「お二方の体調に問題がなければ、戸外に連れ出して働かせることをお勧めいたします」
「働かせる、のですか?」
「はい。神殿の雑用で構いません。単純作業である掃き掃除や拭き掃除からはじめるのが良いと思われます。ローザ=カニナは巨大な神殿です。人手はいくらあっても困らないでしょう」
「ですが、掃除とはさすがに……あの子たちが承知しますかしら」
いつもの冷静さなど何処へやら、側近が、両親が、とおろおろするセレスティナ様に、エマが苦笑して助言を重ねます。
「セレスティナ様。ご心配なのは分かりますが、そもそもこれは贖罪でございましょう? 多少は罰らしいことがなければ、おかしいではありませんか。掃除ならば、ジェラルド様も経験済みでございますよ?」
「あ……」
セレスティナ様が灰緑色の目を丸くしてエマを見、ジェラルドを見て、赤くなって慌ててうつむきます。なんだか姉としてのセレスティナ様の姿は新鮮で、かわいらしく感じてしまいます。
「掃除に抵抗があるようでしたら……そうですね。ちょうど今の《聖誕祭》の時期に合わせて、神殿主導で救民院の炊き出しが行なわれると存じますが、そのお手伝いはいかがでしょう?」
「そのようなことをエマはよくご存知ですね?」
「アルバにいた頃はよく手伝っておりました。うちは冬が厳しいので、神殿からの救済事業がなければ、本当に凍死者が続出するのです」
「……そうなのか?」
驚いた声をあげたのはジェラルドです。肘掛けから見下ろす相手に、エマが少し冷めた視線を向けます。
「お時間が許すかぎり、奥方様が主導となってお手伝いをされているのです。今回はこちらの宴にご出席されましたが、この後アルバに向かわれて、神殿関係者と合流するとお聞きしております」
「わ、私も手伝うぞ?」
「当然、頭数に入れております。アリシア様とユリアン様も初めてお手伝いをされますので、兄君として恥ずかしくないところをお見せくださいませ」
弟妹君の名前を聞き、わかった、とジェラルドが真剣な顔でうなずいてから、怪訝そうに首をひねります。
「ユーリは小さいが、大丈夫なのか?」
「本当はアリシア様の課題だったのですが、ユリアン様が一緒にやりたいと我儘を申されたのです。早くから経験することは悪いことではないと、奥方様がご了承されました」
「まさか、父も――」
「そこは触れてはならないところです」
言いかけたジェラルドを、びしっとエマが遮ります。どうやらアルバ華公家は、傍から思われている以上に家族仲が良好なようです。
同じことを感じたのか、セレスティナ様が微笑ましそうに、少し羨ましそうにその話を聞いています。
「セレスティナ様。五歳の子でも炊き出しのお手伝いをすると聞けば、お二方とも否とはおっしゃられないのではありませんか?」
「そうですね。実は、皇都の救民院は母の管轄下で、私も毎年炊き出しに駆り出されているのです」
「まあ、左様でございましたか。存じあげませんで、失礼いたしました」
「独身の貴族の娘がそういったところに出入りするのは外聞がよくないので、社交界デビューをするこの冬から来なくてよいと言われているのですけれど、実はこっそり手伝おうと考えておりましたの。エマに言われて、ちょっとドキッとしてしまいましたわ。
淑女らしからぬことですので、皆さま、どうか内密にしておいてくださいませ」
恥ずかしそうにセレスティナ様が付け加えますが、この寒空の中、官邸にいればいくらでも暖かくしていられるというのに、立派なことだと思います。
「後宮に入れば、私はそういったことができなくなりますので、後のことが心配だったのですが、弟たちに手伝わせるという手がありますのね。母に話せば、乗り気になるかもしれませんわ」
「では、是非お願いいたします。ちなみにやる気を出させるポイントとしましては、同じ年頃の子と組んで仕事をさせることです。年が近いと張り合う気持ちが強くなりますので、仕事の覚えも良くなるかと存じます」
「覚えておきますわ」
「それから……《聖誕祭》が終わった後のことですが、できましたら、お二方を学院に戻すことをご検討くださいませ」
やわらかな表情をまとっていたセレスティナ様の白面が、一瞬にして厳しさを取り戻しました。
「学院に戻す……就学を続けさせるということですか?」
「はい。学院を出なければ貴族ではないというわけではありませんが、学院卒業が上位貴族としての目に見えぬ免状のようなものになっておりますことはご承知でございましょう。神眼を取り戻すのではなく、普通の貴族の子息としての生活を望まれるのであれば、学院に戻るという選択肢はあってよいと思われます。
ですが……強制ではございません。お二方の意思を尊重し、ご家族でよくお話し合いをなさいませ。今、閉ざされた世界にいるお二方にとって、外の世界と繋がる扉はいくつご用意して差し上げても無駄にはならないのではないでしょうか?」
セレスティナ様は硬い表情のまま、黙ってうつむきます。
学院に戻れば、フレデリクとフランシスは、自分たちだけの力で色濃く残っているだろう醜聞や心無い噂に立ち向かっていかなければなりません。心の傷が癒えきらないうちにそのような環境に戻すことに、抵抗を感じても仕方ないでしょう。
「お二方の学院での友人関係はいかがでしたか? 人好きのする方たちでしたので、わりと交友が広いように見受けられましたけれど」
「広く浅くという感じなのですわ。表面上愛想よく振る舞うことに慣れておりますので、特定の友人を作るということに結びつかないのですけれど……そういえば」
思い出したというように、セレスティナ様が顔を上げます。
「クラスの学級委員という子から、ときおり二人宛に手紙がまいります……ただの義務感かもしれませんけれど。それから、伝承探究部という謎のクラブの部長からも」
「各地の民話や言い伝え、噂話を集めて調べようという名目の、その実ただのお茶会クラブという極小クラブですわ。いつもの調子の良さで、お二方が入部を引き受けられたのでしょう」
「手紙を見せても読み聞かせても反応がありませんでしたので、それほど親しい相手ではないと考えていたのですが……そうですね。彼らには彼らの繋がりがあるはずですものね。私、気づかずにそれらをすべて断ち切ってしまうところでした」
「この冬のタームが無理でも、春のタームもあります。それが無理なら、留年してやり直しても良いではありませんか。ひとつの失敗で、人生がすべて終わったわけではありません。むしろ、彼女の分まで大事に生きるよう、彼らを導いて差し上げてくださいませ」
「ありがとうございます、エマ。少し気持ちが軽くなりました」
「少しでもお役に立てればなによりです」
セレスティナ様の心からの笑顔に、息を詰めて聞き入っていた一同から、安堵の息が漏れます。
長くしゃべって喉が渇いたのか、シャンパングラスに口をつけるエマに、隣から声がかかります。
「おまえ、今のは二人が普通の生活を取り戻すためということだったが……では、神眼を取り戻すためであれば、なんと助言する?」
「私の好きにさせてくださるという条件であれば、わりと簡単です」
「簡単?」
「はい。アルバに連れてゆき、迷宮の森にいるシルヴァワームの巣に放り込みます」
「……」
シルヴァワームとは、別名モリオオナメクジという魔物の仲間です。
草食なので直接の害はありませんが、薬として用いられることもある粘液は非常に臭く、群れることを好むため、一匹いると百匹はいると思えとものの本にはあります。
正直、説明書きと参考図だけで、私は図鑑を閉じてしまいました。だめです、虫類は大の苦手なのです。
平気な方もいるでしょうが、体長50センチほどの目も鼻もないぬめぬめした生き物の群れに放り込まれて、正気を保てる人がいるとは思えません。
案の定、質問をしたザカリアスが酷い渋面を作りました。
「おまえ、あいつらを殺す気か?」
「死にませんよ? シルヴァワームは人肉を食べませんし、毒性も寄生性も皆無。無害ですが、ただひたすら臭くて気持ち悪いというだけの魔物です。ショックを与えるには最適ではありませんか」
「与えすぎだろう!」
「それくらいでもしなければ、神眼なんて甦らないでしょう。やつら、草食のくせに魔物ですから、魔力の強いものには寄っていく傾向があるのですよね。逃げ場のない壺状の巣の中で、魔術攻撃もできず逃れるには、死にもの狂いになる必要があるでしょう。神眼のスキルくらい目覚めさせられないで、どうします」
「その前に、心の傷が生まれそうだぞ……」
「精神的に無事かどうかは、また別の問題です。巣に片足を突っ込んだ経験者に感想を聞いてみましょうか?」
エマが首を傾げて、左肩の先を仰ぎます。
皆の注目を浴びたその人物が、額に手を当てて呻きました。
「ジェラルド、おまえアルバで何をやっているんだ?」
「……う。魔草狩りの手伝いに行ったら、たまたま巣を踏み抜いて……」
「あれほど足元に気をつけろと申しましたのに」
「気をつけた! 気をつけたけど、ちょっと躓いて踏みとどまろうとしたら、その先に巣があったんだ! 不可抗力!」
赤くなって反駁するジェラルドの意外なドジっ子ぶりに、周囲の目が生暖かくなります。
「すぐに足を引き抜けばよかったんだけど、呆然としてるうちに、やつら続々と這い上がってきてさ……靴の中とかズボンの中に入り込もうとして、軽いパニックだよ」
「うわあ……」
「エマは『臭くなるから触りたくない』とか言って助けてくれないし、パニックになりすぎて森燃やすかと思った……」
「振り払えよ」
「気持ち悪いんだよ! ぬめぬめして滑るし……結局凍結させてとったんだけど、ほら、ウナギのゼリー寄せってあるじゃないか。あんな感じで――」
「具体的に言うな! 想像する!」
「とった後がさらに問題でさ。あの粘液、乾燥すればするほど臭さが増すんだよ。町に帰ると、周囲半径1メートルに結界ができたみたいに誰も近づかなくてさ……。結局、ズボンも靴も捨てることになって、エマの怒りが怖いったら――」
言いかけたジェラルドが、エマにひんやりとした笑顔を向けられ、慌てて口を閉じます。なるほど、このように怒られたわけですね。目に見えるようです。
「――ということで、イイ感じにトラウマが生産された好事例でございます」
「トラウマ生産じゃないだろう。神眼の話はどうした?!」
「わりと食らいつきますね、ザカリアス様」
エマが苦笑して話を戻します。
「神眼という特殊なスキルを取り戻すには、それ相応のリスクが必要だということです。ですから最初に、どうされるかをセレスティナ様にお伺いしたではありませんか」
「それはそうだが……なんだか、もどかしくてな」
険しい顔をするザカリアスは、エマにではなく、別のことに苛立っているようです。
大人数の兄弟を持つ彼は、人懐こい双児たちを弟のように可愛がっていましたので、彼なりに今の状況を案じているのでしょう。
「先ほどの提案類は、姉君としてご心配されているセレスティナ様に配慮したものであって、正直、今の状態だけを改善しようとするのであれば、他にも方法はございます」
「なんだ?」
「精神魔術です。この数ヶ月ほどの記憶を意識下に封じ込め、授業実演中に体調を崩して療養中だとでも偽の記憶を植え付ければ、表面上は元の状態に近くなります。
あとは、閉ざしているお二方の心に直接入り込み、こじ開けるという方法ですね。非常に繊細で高度な技ですが……百華公様ならば可能でしょう」
「本当か?」
「一歩間違うと精神崩壊を引き起こしかねない危険な方法ですが、最終手段としては有り得ます。神眼同士ということと親子の感情が入りますので、最良の施術者ではありませんが……。ただ、閣下が現在それを試みていらっしゃらないということは、不要あるいは時期尚早だとご判断されていらっしゃるのだと思われます」
エマの発言に、一同の視線はまたも中央のソファの左側へと集まり、困ったようにセレスティナ様が微笑を漏らしました。
「実は、その方法は医師たちから勧められておりました。3ヶ月近くも反応が変わらないのであれば、試してみる価値はあると――。ですので、エマからその提案が出なかったことは、正直意外でした」
「セレスティナ様ならば、当然その案をご検討済みと考えました。そのうえでご相談されるのですから、試されていなさそうな方法をご提案させていただいたのです。セレスティナ様は、積極的な精神治療をお望みではないのでしょう?」
「……ええ。姉としては甘いのでしょうね。ですが彼らの贖罪は、私の贖罪でもあるのです。皆の協力も情報もいただいておきながら、事態を収束できなかったのは、私の至らなさだと思いますから」
悲しげにそう告げるセレスティナ様は、淑女というより、まるで修道女のような厳格さに満ち溢れています。
再び暗くなる空気を打ち破るように、ベアトリスが明るい声をあげました。
「セレスティナ様、そんなにご自分を追い詰めないでくださいませ。そのようにおっしゃったら、ヴァンの贖罪の軽さが際立ってしまいますわ。これからご褒美の設定をお願いしようと企んでおりますのに」
「アイヴァン様は充分罪を償っておいでですわ」
「でも、四華公家のひとりだというのに、あまりお役に立っていない気がいたしますの。ガリカ華公家は[皇家の盾]なのでございましょう? ダマスクも魔術師として、きちんとお役目を果たしていなかったのではないかと気がかりなのです」
事件を収め、断罪を下したのは皇帝陛下と四華公家の当主たちです。その判断に異を唱えるのは無礼ではありますが、今の雰囲気ならば大丈夫だと判断したのでしょう。
ベアトリスの言葉に応えたのは、隣のアイヴァンでした。
「ダマスクは[皇家の杖]……皇族の決定した道すじを支えるのが役目だ。もちろん在学中は、ルーの魔術的な防御はすべて僕がこなしていたよ」
「ではどうして、あのペンダントを放置しておいたのですの?」
「あんなオモチャ、害にもならないだろう? 母親の形見だというから、そのまま捨て置いた。魔力測定結果をいじったのは教師で、魔道具だけの問題じゃない」
「でも、詐欺行為ですのよ? 現に彼女の魔力値を誤解している人も多かったですし」
「それは学院側が調査すべき問題で、僕の役目じゃない。僕はルーが変な魔術に侵されないように守った。それで充分だろう」
ベアトリスが偏屈だと指摘するように、やはりアイヴァンの倫理観は私たちとはずいぶん違うようです。
頭を抱えたベアトリスの代わりに、セレスティナ様が口を開きます。
「センティフォーリアは[天秤]なのです。皇族が神の意志に反した行為をしていないか、見守るというのがお役目です」
「それで中立と言われるのですね」
「ええ。ですから今回のことは、長く見守りすぎたのではないかと反省しているのです」
「そのようなことはありませんわ、セレスティナ様」
慰めの声をかけ、イヴォンヌが場を取り持つように、ソファの反対側にいるジェラルドを見上げます。
「アルバ華公家は、何になりますの?」
「アルバは……[剣]だ」
「剣?」
「国の頭脳ではありませんの?」
「それは、アルバ華公爵家が代々宰相職を担ってきたところからきた通称だよ。本来のお役目は[皇家の剣]――攻撃のためではなく、皇族・皇帝を弑することのできる、唯一の存在だ」