【首輪の事情と、そしてそれから*8】
8.彼らの事情と対策(続)
「そういえば、ビー。貴女の衣裳ですけれど、その光る糸はいったい何ですの?」
「私も気になっておりました。なんだか魔力を感じるのですけれど……」
イヴォンヌとともに視線を向ければ、ベアトリスがはにかんだ笑顔で、金糸と光る糸の二色で刺繍を施したドレスを指先で撫でます。どうやら金糸で葡萄の実と蔓を描き、光る糸はその間を駆け抜ける風のような流水紋を描いているようです。
「私、前に葡萄の搾り滓で染色を試していると言ったでしょう? そこからいろんな植物で糸を染めるのに嵌まってしまって……私、刺繍が好きなものですから。
そうしたら、ある魔草で染めた糸が、魔力をすごくよく通すことに気が付いたのです。これは、私の魔力を馴染ませた糸で刺繍してあるのですけれど、ほぼ全体に行き渡るようにしていますので、防御魔術と同じような効果があるのですわ」
「素晴らしいですわ! ビー」
「ビーらしくて、とても素敵ですわね」
「なにかに活用できるのではなくて?」
口々に褒めれば、なぜか魔術師のアイヴァンが不満そうに唇を曲げます。
「……魔草のことなら僕に相談してくれればいいのに」
「私がひとりで考えて行なうことに意味があるのだと、申し上げているではありませんか」
「専門家の意見も聞かずに開発するほうが、意味が分からない」
「もう! ヴァンの分からず屋!」
会場に入る前から言い合いをしていたのでしょう、淑女らしからぬ声をあげ、ベアトリスがつんと顔を背けます。アイヴァンの意見の正しさも分かりますが、自分の実力を試したいベアトリスの気持ちは痛いほど理解できます。
根本的なところですれ違っている二人を、セレスティナ様がとりなします。
「ベアトリス、そのような言い方をしては伝わるものも伝わらなくてよ? ……アイヴァン様、貴方を将来支える立場のベアトリスが魔草の研究をすることに、ご反対なのですか?」
「反対しているわけじゃないけど。ひとりでやるより絶対効率がいいと思う」
「アイヴァン様の優秀さは存じていますが、それではベアトリスの成長に繋がらないのではありませんこと?」
「……ビーは僕の奥さんになるのに、どうして成長する必要があるの?」
理解できないという顔で、アイヴァンが首を傾げます。
セレスティナ様が、桜色の唇を驚きの形に開いて声を失いました。
「そう気にせずとも良いではありませんか、ベアトリス様。セレスティナ様」
声をかけたのは、いつの間にかジェラルドの膝から降りたエマです。ソファに座り――ジェラルドは肘掛けに腰を下ろして――オードブルの小皿を手に持っています。
「どのみちアイヴァン様に口を出す権限はございません。なにしろ、あと最低九ヶ月は魔術塔で軟禁生活なのですから」
「それはそう……なのですけれど」
「ただ、お一人で開発ということが効率が悪いというのは事実です。魔術塔に頼られるのに抵抗があるのでしたら、うちの魔道技師を紹介いたしましょうか? アルバは素材も豊富ですし、その魔力を通す糸に興味もございます。その糸で魔法陣を刺繍しましたら、かなり強力だと思うのです」
「そうですわ! 私、それで織物を織ってみたいと思いますの。金属の防具より扱いやすいものができるのではなくて?」
「魔法陣の刺繍は面白そうですわね。でも織物は……そこまでたくさん染色液がとれるかどうかわかりませんわ、イヴ」
「大きな布でなくとも、帯くらいのサイズではどうかしら?」
「ええ、そのくらいでしたら可能かもしれませんわね」
「私は本のカバーにしていただきたいですわ。本にはたいてい保護魔術が掛けられていますけれど、魔力を貯めておくのに魔石を嵌めこむよりも使い勝手がよさそうですもの」
「それも面白くなりそうですわね、ネティ」
主に貴族が扱う高級品を制作する魔術塔とは異なり、アルバで作られる魔道具はユニークで、特注品から平民でも使える安価なものまで、幅広く取り扱っているのが特徴です。
アイヴァンは面白くなさそうですが、水を得た魚のように生き生きしはじめたベアトリスに、こちらも嬉しくなってついつい共同開発の話が弾みます。
「実は以前、魔草の葉から繊維をとって糸を作ろうとして断念したことがございます。種類がたくさんありすぎて、すべてを試すには時間と労力が足りなかったのですが、そういったもので作られた糸をその魔草で染めても興味深いかと存じます」
「魔草同士を調合してもいいかもしれませんわね。わくわくしてきますわ」
「これから冬が本格化しますので、アルバは立ち入りが難しくなりますが、春になりましたら皆さまお揃いで是非お越しくださいませ。歓迎いたしますわ」
「楽しみです」
「それまでは、あるもので実験を重ねれば良いのですものね」
弾んだ声でそう続けるベアトリスに、殿下が「資金なら私が出そう」と声をかけます。
「非常に興味深く、有意義な研究だと思う。ベアトリス、アイヴァンの言うことなど気にせず、研究を進めろ。私が許可する」
「まあ、殿下。それならば、私にもお手伝いさせてくださいませ。衣服のことでしたら女性の分野ですし、ベアトリスは私のお友だちでしてよ? 私も資金援助いたしますわ」
セレスティナ様まで乗り気になり、ベアトリスが嬉しそうな反面、気まずい顔で隣のアイヴァンを横目でうかがいます。さっきからずっと無言のアイヴァンは腕を組み、子どものように頬を膨らませています。
「……なんだよ、ビーは僕のなのに。みんなで寄ってたかって」
「ヴァン。ベアトリスの発見は素晴らしいことなのだぞ? なぜ認めてやろうとしない?」
「おそらくアイヴァン様は、ご婚約者様がご自分以外に興味を持たれることが、お嫌なのでございましょう。――ベアトリス様。構いません、一年など待たずにご婚約をお取り消しなさいませ。アイヴァン様が魔術塔に籠もられている間に、絶対にこの方以上に素敵な殿方との出会いがございます。このような狭量な男性に捕らわれることはございません」
「好き勝手なことを言うな! 僕はすごく……すごく我慢して頑張っているのに、なんでビーを取り上げるようなことを言うんだ!」
「ですけど……ヴァンの課題は、どうみても他の方より易しいように思えましてよ?」
反論したベアトリスに、なぜか男性たちがそっと目を背けます。
言い難そうに、ザカリアスが口を開きました。
「うん。あー、その、なんだ。ベアトリス。いろいろ言いたい気持ちは分かるが、ヴァンは頑張っているぞ? うん、すごく頑張ってる」
「彼にしては驚異だよ。本当だ。私もここまでできるとは思わなかった」
「友人として擁護するが、学院時代もヴァンはベアトリス以外、眼中になかったからな? あいつの想いは本物だ。そこだけは信じてやってくれ」
ものすごく歯に何かを挟んだような微妙なフォローが続き、ベアトリスだけでなく私たちまで胡乱な顔になります。
少し前のザカリアスのように身を固くしているアイヴァンを見、あらぬほうを向く男性陣を見、ベアトリスの視線は頼みの綱に辿り着きました。
「エマ?」
「……私の口から申し上げるのはいかがかと存じますが、ご自分でおっしゃらないのであれば仕方ありませんね。ポイントは〝軟禁〟です」
「魔術塔から出てはいけないのですよね? 言葉の意味はわかりますけれど」
「形だけでなく、一部の隙もない本当の軟禁なのです。相手が香華公様だからこそ成し得た所業です」
蜂蜜色の瞳が、うなだれる深緑色の頭を冷たく見据えます。
「この方、少々の結界などものともしないのです。さすが天才というべきなのでしょうが、学院の頃は転移をしまくるわ、部屋のあらゆるところに監視魔術や盗聴魔術を仕掛けるわで――」
「エマ?! そこまで言わなくても……!」
「そこが肝心でございましょう? もうベアトリス様にべったりだったのです。ストーカー。粘着。どのように表現しても危ないとしか言いようのない執着ぶりですわね。
あまりの酷さに、姫君がたに精密結界の術式をお教えしてしまいましたもの」
「……あのとき? 確か機密を守るのに必要だと暗号にありましたわよね?」
「あれは君の仕業か! 突然、監視も盗聴も切れて転移もできなくなったから、すごく焦ったんだよ! おかげで直接部屋に乗り込まないと、ビーの顔も見れなくて――」
「…………ヴァン?」
冷え冷えとした声音で呼びかけられ、蒼褪めたアイヴァンが、ひっと声をあげます。
「貴方はいったい何をしているんですの、このド変態!!」
淑女としては落第点の罵声に、ですが私は深くうなずき、心の中で拍手喝采をしました。変態以外に言いようがありません。
頭を抱え、ソファの片隅で縮こまったアイヴァンが、情けない声で言い訳をはじめます。
「だって学院に入ってから、ビーはずっとこの三人と一緒で、授業中も他の人と話してばかりで、ずっと僕のことを無視してたじゃないか……!」
「なんのことですの? 途中まででしたけれど、毎朝寮の前まで迎えに行っておりましたし、昼食も一緒にいただいてましたでしょう? それを止めたいと言い出したのは、貴方のほうではありませんか!」
「だって! 僕は魔術とビーさえあれば生きていけるのに、ビーはいろんな人に囲まれてすごく嬉しそうで! 僕のことなんかどうでもいいって感じで!
だから……ビーも僕に会いたくなるように会うのを止めたのに……ビーはぜんぜん平気な顔してて……」
ぽつぽつと語られる独白に、だんだんと状況が飲み込めてきます。
「そのうち僕のほうが我慢しきれなくて……だけど、会うの止めようって僕から言い出したから引っ込みがつかなくて……でもやっぱり会いたくて、顔だけでも、声だけでもってやってるうちにエスカレートしちゃって……」
「一応、気づいた時点で俺たちも止めたんだぞ? 婚約者といえど、女性のプライバシーだからな」
「だがそうすると、目に見えてヴァンの体調が悪くなるんだ。気を逸らそうと魔術開発に没頭して、眠れなくなるらしい。何度もきちんと会うように言ったのだがな……」
「どうも、ベアトリスに嫌われていると思い込んだようだ。それにどうやら、宮廷の恋物語で盛り上がっている会話を聞いたらしくてな。ベアトリスの望む理想の男性との差に、酷く落ち込んでしまったのだ」
盗み聞きをしておきながら勝手に落ち込まれても困ります。ですが、身勝手さは自覚しているようで、男性たちは軒並み神妙な顔つきになっています。
ベアトリスが公正さを求めてエマに確認すれば、有能な間諜は、ため息とともに頷いて肯定しました。
「本当、魔術以外はポンコツな方ですわよね。さっさとデートの誘いに行けと、何度背後から蹴り倒そうと思いましたことか」
「そのまま蹴り倒して下さればよかったのですわ、エマ」
「そこが平民と華公爵子息という厚い隔たりのあるところでございます」
「惜しいこと。ヴァンはまともな頭になる機会を失いましたわね」
元より辛辣な言い方をするところのあるベアトリスが、エマという味方を得て、さらに皮肉に磨きがかかります。
「それで、その鬱屈をあのご令嬢に晴らしていただいたわけですのね。人間の心理とは不可思議なものですこと」
「ち、違うんだよ、ビー! 僕は正真正銘、潔白だから!」
「そうですわよねー。『好きな女性に男らしいと思われたいなら、私と一緒にいろいろ練習しましょう?』と誘われて、ほいほいついていっただけでございますものねー」
「ええええええエマ?!」
アイヴァンが目を白黒させて叫びますが、エマは「今さら隠しても仕方ないでしょう」と冷静にいなします。
「対話が少なすぎて今の状況に陥っているということは、よくお分かりでございましょう。下手にいいところを見せようとして隠すからこじれるのです。男らしくなりたいのであれば、腹を括ってくださいませ」
「うう、分かった。……でも、なんでエマがあれ知ってるの? まさか盗――」
「メイドの仕事はわりと多岐に渡るのでございます」
「もうそれ絶対メイドじゃない……」
アイヴァンが、がっくりと肩を落とします。それでも、塩まみれの青菜のような状態になりながら、ベアトリスに切々と当時の状況を語りました。
「僕も経験豊富で頼れる大人の男になりたかったんだけど……どうしても相手がビーじゃないと嫌だと思った。だから、話し相手だけしてもらってたんだよ。僕は普通に女の子と話をするのも苦手だったから。軽蔑する……?」
「情けないとは思いますが、軽蔑はいたしませんわ。ですけど、どうして《聖誕祭》の衣裳合わせに呼び出しても、来て下さらなかったのです?」
「……だって、軟禁生活がはじまったばかりだったんだよ? 会いたいのを必死で我慢してるのに、二人きりでドレス姿見せられるなんて……僕の忍耐がもたないよ……」
「で、でも、色合わせくらい相談に乗ってくださっても良いではありませんか!」
「何を着ても、ビーなら似合うに決まってるじゃない。ビーのドレスの好みは知ってるし、着たいものを着るなら、別に白だろうと色つきだろうと構わないでしょう? それに……白はどのみち結婚式で着てもらうから、今見れなくてもいいかなあって」
予想外の回答に、これまでとは違う意味で皆が固まります。
ベアトリスが顔を両手で覆って俯いてしまいましたが、きっと真っ赤になっているのでしょう。
そうですね、その気持ちは分かります。もう、ごちそうさまという気分です。
「ベアトリス様。貴女様に与えられた選択肢は二つです。ひとつは、先ほど申しあげましたように、この贖罪期間を利用して、誰にも文句のつけようのない新たな恋人を見つけ出し、婚約破棄をするか。もうひとつは――」
語を切り、エマが手にした小皿をテーブルに戻して、二人を見つめます。
「コレを調教するか、です」
「これ……?」
「調教、ですの……?」
「はい。婚約を取り止めるなどすれば、アイヴァン様が病むのは目に見えていますので――すでに病んでいるのではないかという話は置いていて――それから逃れる労力が相当なものになるとは予想がつくことです。
でしたら、ベアトリス様が多少なりともこの方の存在がお嫌でなければ、逃げずに受け入れるというのが別の道すじでございます。前向きに捉えますと、これほど盲目的に慕ってくれる異性というものは、なかなかいないと存じます。
そこを利用いたします」
「どうするのですか?」
「今、アイヴァン様は軟禁中で、交流する相手は厳密に管理されている状態です。そして2ヶ月半も婚約者様に会えず、精神的にはぎりぎりの状態。他人との接触がなく、極限まで追い込んだところで優しくされますと、人はその相手に心を開くものです」
それは洗脳とか、そういう類のものではないでしょうか。アイヴァンのベアトリスへの依存度が高まって、より危険な感じがしますが、そこは良いのでしょうか。
「懐柔にはご褒美が手っ取り早いでしょう。しかも、段階的に少しずつ上げてゆくのがポイントです。出された課題を20クリアすれば、ベアトリス様から手紙が届く。50クリアで、声の便りが届く。100で絵姿。映像記録でもよいかもしれませんね。そうやってやる気を引き出し、その中にベアトリス様からの課題を混ぜていくのです」
「私の?」
「アイヴァン様から具体的な反応がないことがご不満でしたのでしょう? 簡単な問いを設けて、アンケート形式で本音を探るのも良いですし、文章にして提出させても良いでしょう。定期的な手紙や伝話鳥を習慣化させるという手もございます。または、先ほどの魔草の染色に関して、自分の手に余る部分を解かせても良いですわね。
これだけベアトリス様のために時間と労力を費やしても苦にならないと公言する相手がいるのですから、上手く使ってやればよいのです。手綱をおとりくださいませ」
ベアトリスが、目から鱗が落ちたとでもいいたげな表情で、真剣にエマを見つめます。
「私、今までそのような考えをもったことがありませんでした。ヴァンに、なんとか一人前の貴族として恥ずかしくない社交術を身に着けさせなければと思うばかりで……」
「おそらく、そのように思われるベアトリス様だからこそ、ご婚約が成立したのでしょう。魔術のことしか頭にないダマスクには、懐にさえ入ってしまえば操るのは容易だと、二心を持って近づく貴族が少なからずいるとお聞きいたしますから」
四華公家は貴族の最上位として君臨するだけに、その権力に魅せられるものが後を絶ちません。中にはその名を悪用しようとするものもおり、目に余れば親戚筋だろうと即座に縁を切られますが、限りがないのも事実です。
人見知りというのは、別の言い方をすれば、人に対して警戒心が強いということでもあります。ダマスク華公爵嫡男であるアイヴァンも標的にならないはずがなく、側近一族の出であるベアトリスは、守る立場でありこそすれ、彼を利用しようとはこれまで思わなかったに違いありません。
「ですが今回のことは、アイヴァン様がベアトリス様を強く望まれた結果でもありますし、なにより、これからお二方が良い関係を築くために必要なことでありましょう? 利用と申せば聞こえは悪いとは存じますが、現在すれ違ってしまっているお二方の相手に対する望みや理想、現実をきちんと見つめ直せる大事な期間になりうると思うのです。
アイヴァン様はいかがお思いですか?」
エマの問いに、膝に両手を乗せてしょんぼりとうつむいていたアイヴァンが、ゆっくり顔を上げ、皆の視線を感じて、真っ赤になってまた下を向きました。
「ぼ、僕は、ビーから、課題が、欲しいです……」
「本当ですの?」
「ビーからの課題だったら、頑張れる、と思うし……やっぱり、ご褒美が欲しいから」
「でも贖罪ですのに、ご褒美をあげるなんて良いとは思えませんけれど……?」
「贖罪は、反省を周囲に認めていただく行為ではありますが、ただ苦痛を与えるだけでは償いにはなりません。贖罪が終わった後、どのように変わっていただきたいかを念頭において過ごさせるのが、最上ではないでしょうか」
エマに続いて、ジェラルドも言葉を重ねます。
「ヴァンにとって、ベアトリスに会えず、婚約を考え直されているということが一番の罰だよ。それは今日の彼の様子を見れば、充分伝わるだろう?」
「そうだ。その会えない鬱屈をあと9ヶ月も貯めこんだらどうなる? 少しずつでも発散させないと、本当にこいつは精神を病むぞ? それは贖罪ではないだろう?」
「人参は、遠いゴールに置いていても意味を成しません。目先にぶら下げてこそ、効果を発揮するものです」
殿下も交えての説得に――毒のある言葉も一部混ざってはいますが――ようやくベアトリスがうなずきました。
「分かりましたわ。私も、ヴァンには頑張っていただきたいですもの」
「本当?」
子どものように目をきらきらさせて、アイヴァンがベアトリスを見つめます。気圧されるように、ベアトリスがわずかに身を引きました。
「え、ええと。婚約のことはともかくとして、ヴァンが前向きに贖罪に取り組めるなら、応援したいと思うのですわ。この方は偏屈ですから、私が協力することでやる気を上手くコントロールできれば、香華公も周囲の方も助かるでしょうし」
「一度ご覚悟を決められましたら、引き返すことはできませんよ?」
「……構いませんわ。ヴァンの世話には慣れていますし……それに」
言い差して、ベアトリスが自分の膝の上の指先に視線を落とします。
「これまでは、一方的にヴァンに振り回されることがすごく不満だったのです。でも、エマが提案してくれたようにしてみれば、私がヴァンを振り回すことができますものね?」
「う、うん! ど、どんどん振り回してくれていいから!」
拳を握ってアイヴァンが訴えます。「むしろ、振り回されたいから!」と続けるところに、いささか歪んだ情熱を感じます。
ですが、ベアトリスはそう感じないのか慣れすぎているのか、少し恥ずかしそうな微笑みを、隣のアイヴァンに向けました。
「はい。では、このあと二人で香華公にお願いいたしましょうね?」
「うん!」
先ほどまでの萎れ具合が嘘のように生き生きした顔で、アイヴァンが何度もうなずきます。顔立ちがかわいらしいので、花のようなと言いたいところですが、どうにも仔犬がしっぽをぐるんぐるんさせて喜んでいるようにしか見えません。
仲直りの証にと手をつなぐ二人に、セレスティナ様が「よかったですわね」と声をかけますが、彼らを取り巻く生暖かい空気に、全員が半眼となりそっと表情を消しました。
「……申し訳ありません、皆さま。いささか説得の方向を間違えたようです」
「エマのせいではありませんわ」
「ええ」
「二人が納得したうえで幸せなら、それで良いのではないか?」
「まあ、な」
「うん。それに……ご褒美は大事だし」
「……」
ジェラルドのつぶやきにザカリアスがぎょっとした顔になりましたが、追及はしませんでした。どうやら触れないことにしたようです。
微妙な空気に気がついて、はっとベアトリスが繋いでいた手を解きます。
「み、皆さまにはお騒がせいたしまして、申し訳ありませんでしたわ。もう大丈夫です。……エマも、助言ありがとうございました。私、頑張りますね」
「ご健闘をお祈りしております。くれぐれもご無理をなさらず、メイアン伯爵やアイヴァン様の側近の方々とよくご相談くださいませ。すべてをお一人で抱え込むのはよくありませんから」
「心しておきます」
うなずくベアトリスは、先ほどの名残か頬を薔薇色に染め、傍目にもとても幸せそうです。雰囲気に流されて婚約継続となることを心配していましたが、この様子なら、婚約が確定しても彼女の意志がないがしろにされることはなさそうだと、私もほっと息をつきます。
「――では、私もエマにひとつ相談にのっていただこうかしら」
ふいに落ちた沈黙に、そう言い出したのは、セレスティナ様です。
銀髪と整った顔立ちから冷たいと誤解されるため、意図的に身に着けていた穏やかな微笑が、その桜色の口唇から消えています。
相談の内容に思い至ったのか、ルーファス殿下が表情を引き締めました。