【首輪の事情と、そしてそれから*7】
7.彼らの事情と対策
「おまえ……もう少し言葉をつつしめ」
「あら。今宵は無礼講ではありませんでしたかしら? どうも言葉の裏を読むのが苦手ですの、ごめんあそばせ?」
無邪気そうに見えてまったく無邪気でない笑顔で、エマが小首を傾げます。
くそっと声を荒げ、ザカリアスがワックスで整えた赤毛を掻きむしりました。
「おまえと話すとやりにくい! いちいち腹が立つし、痛いところを好き放題いろいろ突きやがって……!」
「それは、お心当たりがあるということでございますね?」
「……ああ。そのとおりだ。薬の件は……俺の落ち度だ。すまなかった」
「謝る相手が違いますわ」
エマにうながされ、ザカリアスがジェラルドを、セレスティナ様を――そしてルーファス殿下を順に見つめます。
「ジェラルド、ルーファス、すまなかった。セレスティナも、俺の甘さのせいで弟たちに迷惑をかけた。申し訳ない」
がばりと頭を下げるザカリアスに、三人が小さく微笑み返します。
「私はもともと死にかけたことも記憶にないくらいだからな。逆に、暴走した父とうちのエマの発言を詫びるよ。悪いことをしたね」
「私のことは自業自得だ。気にするな。治療の間、おのれを見直す良い機会になった」
「そうですわ。あの二人も同じです。それに、神眼を喪ったことは薬とは無関係だと診断をいただいていますの。頭を上げてくださいませ、ザカリアス様」
ザカリアスが姿勢を戻し、どこか力の抜けたほっとした顔になります。その様子にイヴォンヌも嬉しそうに微笑みました。
「エマは謝っていただかなくてよろしいのですの?」
「私の目的は意趣返しですもの。意気消沈したガリカ華公爵ご令息のお姿を拝見できただけで充分ですわ」
「……おまえ、それ本当に無礼なんだからな? 分かっているのか?」
「もちろんですわ。きちんと相手と状況は選んでおります」
「……選んでアレなのか……」
がっくりと肩を落とすザカリアスが、少しだけ不憫に思えました。
上位貴族、特に四華公家の子息を公然と叱責するものは滅多にいません。ですが、武に長けるガリカは血が熱く、またザカリアスは三男ということもあって、身内から厳しく接せられることには多少慣れているはずです。
「ジェラルド、おまえメイドの躾をきちんとしておけよ」
「無駄だよ。というか……ザックはまだましなほうだよ。私のときは、役に立たないので神聖王国の巫女姫にペットとして売れ、だったかな。ああ、養育にかかった費用を領民に返せとも言われた」
「均等割りにすると大した金額にはならないのですよ?」
膝の上からエマが、フォローにもならないことを言います。
「あとは、発電機代わりに結界用の魔石に繋げとか、父の代替臓器用に飼い殺せとか、いろいろ言われたな」
「それはご当主様に却下されたではありませんか」
「だけど一番衝撃だったのは、私の放逐に反対を訴えに来た理由が、『兵士にも魔術師にも冒険者にも商人にも農民にも男娼にも向かない者を下町に送り込まないでくれ』っていう内容だったってことだな。さすがにちょっと涙目になったよ」
「……おまえも大変だったんだな、ジェラルド」
ザカリアスが同情に満ちた目を向け、妙な男の友情が結ばれます。
「それでよく一年間の管理を任せようと思ったね、ジェド」
「なにしろ、父の前でもこの調子だからね。それが許されるほど信頼されているということもあるけど――」
ジェラルドが言葉を切り、なんともいえぬ優しい顔で、胸の前にある濃紺の巻き毛に指を絡めます。
「エマの言うことは容赦ないが、間違っているわけでも理不尽なわけでもない。私の短所を正しく把握してくれるものが、私には必要だと思った。だからだよ」
「なるほどね。さすが鑑定士、というべきなのかな?」
「あの口の悪さと鑑定能力は関係あるまい」
そう言ってアイヴァンと殿下が笑い合います。一度訪れた吹雪のような緊張が解けたせいでしょうか、なんだかいつもよりも和やかな気がします。
緩んだ雰囲気に気が楽になったのか、ザカリアスが余裕を取り戻した表情をエマに向けました。
「では、おまえには俺の短所も視えているのだろうな。エマとやら」
「他より低い能力や特質を短所とみるかどうかは、人それぞれでございます」
「人それぞれなど、どうだって良い。俺には、ワルド族の騎馬術と刀術が必要なのだ。どうすべきか教えろ」
「あら、ずいぶん大上段に出られますのね?」
「俺を愚かと思うと言ったのはおまえだ。理由を教えろ」
教えろと言うには傲慢な態度を向けるザカリアスに、エマはくすりと扇に笑いを隠しました。
「まあ。今のおっしゃりようで、そうなった原因がよく分かるというものですわね」
「なに?」
「ワルド族にもそのようにお願いをされたのでございましょう?」
「……今のような言い方はしていない。きちんと教えを請うたし、手土産も持参した」
「では、アルバ特産の小麦を好きなだけご用意いたしますので、わがギルドの若手冒険者に若君みずからガリカの剣術を仕込んでくださいますか?」
「馬鹿なことを言うな。わが剣術は、父から子へと伝わる秘儀だぞ。そのようなことできるわけ――」
「と、思われても仕方のないことを、貴方様はワルド族におっしゃったわけですね。大変結構な教えの請い方ですこと」
エマの皮肉に、ザカリアスがうっと詰まります。
「ルゴサ砂漠は魔力の枯渇地帯で、あらゆる意味で生物にとって極限状況にあります。魔物の数は圧倒的に少ない土地柄ではありますが、けして安全な場所ではないことは貴方様も身をもって実感されたでしょう。
彼らはその中で生き抜くための手段として、騎馬術と刀術を必死で身に着けたのです。他国のお坊ちゃまが突然現われて、その大事な術を教えてくれと言われて教える者がどこにいると思われます」
厳しくも真っ当な指摘に、ザカリアスが再び固くうなだれていきます。
アイヴァンが疑問を口挟みました。
「ザックは、誰かの紹介でワルド族に会ったんだろう? その人に仲介を頼んではダメなの?」
「引き合わせてくれたのは、ガリカに出入りする行商人だ。父に借りがあるとかで引き受けてくれたが、顔を繋ぐだけで、あとは自分でなんとかしろと言われた。が、俺はそういうことは苦手だからな」
「華公爵子息でありながら、交渉事が苦手でどうされます」
「口先でどうにかするよりも態度で示すほうが、誠実さが伝わるだろう?」
「本当に伝わったかどうかは、相手の感覚の問題です。与えられることに慣れている貴方様が、相手の立場に立って考えるというのは難しいでしょうが、まあこれも課題のひとつなのでしょうし」
言葉の後半を独り言のようにそう言って、エマはため息とともに扇をぱちんと閉じます。
「私が愚かだと申しましたのは、すでに解決策を貴方様が口にされたからでございます」
「俺が?」
「ええ。貴方様の付加価値を高めるには、荒地の民とコネクションを作ること、と」
エマの言葉に、ザカリアスが不審そうな顔を作ります。
「コネクションとは、繋がりであり絆です。貴方様が本当に必要なのは、こちらでございましょう? 彼らとの絆を得た証が騎馬術と刀術の会得なのであって、騎馬術と刀術を会得すれば、彼らとの絆が生まれるわけではございません」
「……なるほど」
「彼らの信頼を得る努力をしてくださいませ。まずは彼らに、貴方様の存在を知ってもらうのです。彼らは貴方様の挙動を監視しているはずです。父君からの招集に、すぐに迎えに来ていただけたのでしょう? これまで放置されておりましたのは、危険な人物ではないか、彼らは彼らなりに貴方様を見極めようとしたのではないでしょうか」
「下手をすれば死んでいたぞ?」
「ですが、ご無事ではありませんか。たった一人で砂漠を生き抜くのは容易ではありません。彼らはきっと陰ながら手助けをしていたはずです。心当たりはございませんか?」
「……ある。だが」
「彼らは、貴方様がいつ音を上げるか待っているのです。砂漠へ来たのは貴族のお坊ちゃまの気まぐれだと思っているでしょう。賭けてもいいでしょう。彼らはこの後、貴方様が砂漠に戻るとは考えておりません」
「俺は――」
「私に言い訳は不要です。ですが貴方様が砂漠に戻ったとき、万が一、彼らが貴方様に最初に預けた馬と水筒をまだ用意してくれていたとしたなら――それは、この2ヶ月半で彼らから多少なりとも認められた証だとお考えくださいませ」
「……」
ザカリアスが青い目を見開いてエマを見返します。いえ、かすかに揺れる瞳は、おのれの記憶を呼び起こそうとしているのかもしれません。
「力にはなれないかもしれないけれど、ザック」
ジェラルドが穏やかに呼びかけます。
「私も同じような状況だよ。私にはエマがいるし、父の領地だから待遇が甘いのは分かっている。だが、ギルドの冒険者は八割方外国からの帰化人でね。貴族への反発がものすごい。
基礎トレーニングと体術はエマの兄のウォルターが引き受けてくれているが、魔術訓練は極東群島の出身者に習っていてね。訓練らしい訓練がはじまったのは、この二週間くらいからなんだ。それまではずっと、掃除と師匠の身の回りの世話だけをしていた」
「……は? おまえが?」
「それ、魔術訓練と関係ないんじゃないの?」
「最初は私も反発したよ。だけどエマから『生まれ育った環境の違いや人となりを理解するのに、身の回りの世話というのは適当かと思われます』と言われてね。まあ、『もう音を上げるのであれば、私も仕事が減って助かります』と挑発されたこともあるんだけど」
そのやりとりは目に見えるような気がいたします。
「騎士の従士と似たようなものだからね。四六時中でない分、気楽だと思う。習慣や環境がまるで違うし……面白いよ、家に靴を脱いであがるんだ。床がね、タタミといって草を編んで作ったもので、とても繊細なんだよ。掃除もすごく丁寧にしないといけないし、最初は二十回くらい膝をついて礼をする練習をさせられた」
ジェラルドは実に生き生きと楽しそうに話しますが、なんだかついていけません。そういえば昔から、前向きなのか能天気なのか、少し天然なところのある子でした。
「食事も箸を使って食べるんだけど、味付けも作法もまるで未知の世界だよ。だけど、それらがなかったら、師匠の言うことを正しく理解できなかったのだとは、分かる」
「正しく理解?」
「言語能力という意味ではなくて、ニュアンスの問題だ。魔術訓練はイメージが大事だろう? 〝少しだけ〟という感覚ひとつでも、人それぞれ違う。掃除や身の回りの世話というのは、相手が見たり感じたりする世界を少しでも共有する足がかりなのだと思う」
「意思の疎通というやつか……」
「遠回りすることが一番の近道となる場合もあるということでございます」
エマの補足に、ザカリアスは何かを考えるような表情へと変わります。
対してエマは、少し悪戯そうな表情を浮かべ、再び口を開きました。
『善い夕べですね。お元気ですか?』
『はい……善い夕べ、です。すべては神のおかげです』
唐突に話しかけられたワルド語の挨拶に、ザカリアスが引きつりながらも返します。
ワルド語は母音が少なく、子音も歯の前や奥で鳴らしたり、飲み込むような発音もあって、私も習得には苦労しました。数ヵ国語を操るのは貴族のたしなみですが、エマはいったい何ヵ国語を習得しているのでしょう。
「発音は今一歩ですが、聞き取りは悪くないようですね」
「おまえ、言葉をどこで習った?」
「淑女の秘密は簡単には明かせませんわ。それにワルド族は荒地の民の主要部族ですから、皆さまわりと習得されていらっしゃいますでしょう?」
「習ったかなー?」
「私は習いました」
「私もです」
「私もですわ」
「挨拶程度ならできますわ」
「私も喋れるよ」
「ワルド語ならば基本だな」
全員から一斉に回答が返り、うっとザカリアスが蒼褪めます。エマが眉をひそめました。
「まさかとは存じますが、彼らのマナーやタブーはご存知ですよね?」
「……注意をされたことは覚えている」
「待て、ザック。もしや予習もなしに向かったのか?」
「あー、行けばなんとかなるかと」
「今現在、なんともなっていないではありませんの!」
「事前情報くらい押さえておこうよー……」
さすがに殿下もイヴォンヌもアイヴァンも顔色を変えます。「わかりました」とエマが手の中で扇をぽんと打ちました。
「こちらに滞在される期間と馬車での移動時間を、ワルド語と部族のマナーを覚えることに充てていただきましょう。ジェラルド様、極力薄く、簡潔にまとめられたワルド語の教本をご紹介して差し上げて下さいませ」
「分かった」
「ガリカの若君様は、その一冊を死ぬ気で覚えてくださいませ。砂漠でのたれ死ぬことを考えれば、たやすいかと存じます」
「……いい加減名前で呼べ。わかった。それを駆使して意思疎通に励めばいいのだな?」
「大人でも子どもでも――言語能力を考えれば、子どものほうが釣り合うかも知れませんね。子どもは好奇心が旺盛ですから、なにか珍しいもので釣って、話のきっかけを掴むようにしてください」
「魔道具でも持って行くか」
「魔力の枯渇地帯では、放った魔力が底なし沼のように大地にとられていきますので、お気をつけください。交流を深めるために一番手っ取り早いのが異性と仲良くなることですが、あちらは色事に非常に厳しい倫理観をお持ちです。恋愛問題は避けるようにしてくださいませ」
「婚約者がいるのに、そんなことはしない」
きっぱりと言い切ったザカリアスに、少なからぬ反発を覚えます。学院時代のあの自由奔放ぶりを忘れたのでしょうか。
右隣のイヴォンヌから冷ややかな雰囲気を感じたのか、ザカリアスが焦ります。
「あの、その、学院のときのアレは、本当にお役目だったんだぞ……?」
「どうですかしら」
「俺を信じてくれるのだろう?」
「さあ? 分かりませんわ」
「分からないとはどういうことだ?! 一年の贖罪を果たすのを待つと言ったではないか!」
「贖罪を果たした後で、どうするか考えると申しあげたのですわ。私、まだ貴方様を許す気持ちにはなりませんの」
思わぬところで婚約者同士の言い合いがはじまり、私はセレスティナ様とベアトリスにどうしようかと視線を送ります。緊張を破ったのは、やはりエマでした。
「ひとつ誤解をされてらっしゃるようですので、訂正を申しあげますが……〝一年〟という期限は、殿下とアイヴァン様とジェラルド様には該当しますが、ザカリアス様に課せられた課題は〝騎馬術と刀術を会得するまで〟という期限です。〝一年〟とは限りませんので、ご注意くださいませ」
「そういえば……」
「いや、逆に考えれば、会得できれば一年未満でも良いということではないか?」
「これから意思の疎通を頑張るのに、一年未満で会得できるの?」
「そもそも〝会得〟という基準はどこなのだろうな? 免状をくれるというものではないのだろう? 奥義の技を覚えるのか?」
「それでは習得するのに一年どころでは済まぬぞ」
男性たちの間で喧々諤々が起こり、さらにエマが「イヴォンヌ様がご婚約を考え直されるのは妥当と思われます」と爆弾を投下します。
「なぜだ?」
「それを私に問う段階で間違っていることをご自覚くださいませ、ザカリアス様。そもそも、なぜ本日いらっしゃったときに婚約が継続できると思われたかが、私には不思議なりません」
「なに?」
「お気づきになりませんか? イヴォンヌ様の御衣裳です。御召物はフェティダ名産の金襴手の絹織物。髪飾りは羽根でピアスはゴールド。ご婚約中だというのに、ザカリアス様のお色はどこにもないではありませんか。これでは周囲に破棄間近と判断されても仕方ございません。
……まあそれは、ベアトリス様の御衣裳にも言えることですけれど」
二人がはっと顔色を変え、それぞれのパートナーを見つめます。婚約者同士や夫婦で衣裳を合わせるのは貴族の常識だと思うのですけれど、そのようなことも眼中になかったとは驚きを禁じえません。
殿下から呆れた声が漏れます。
「おまえたち……まさか何も気づかなかったのか? 事前に衣裳合わせくらいはしたのだろう?!」
「いや、だって衣裳のことなんて分からないし。任せていれば大丈夫かと」
「それに服は女の道楽なんだろう? 口を出すと碌なことにならないと、おまえも言っていたではないか」
「それは日常での話だ。今回は公式行事――しかも社交界デビューだぞ。彼女たちもおまえたちも、貴族としての立ち位置が決まる場なのだぞ」
殿下が額に手を当てて呻きます。さすが皇族、貴族の常識は叩き込まれているようです。
ちなみに殿下と婚約破棄をされたセレスティナ様は、すでに衣裳の準備が進んでいたため、両殿下の御衣裳を至急仕立て直すことで対応をしていただいたそうです。
金茶と紫のドレスを着たベアトリスに、おずおずとアイヴァンが尋ねます。
「まさかビー、婚約解消するなんて言わないよね……?」
「……まだ、決めていませんわ」
「決めてないって、辞める可能性もあるってこと?!」
「……」
「――私は、《聖誕祭》のあとで婚約解消を申し出るつもりでしたわ……ここへ来るまでは」
ぽつりとイヴォンヌが言い出します。
「でも、これまでのザックの話を聞いて、意思疎通の大切さをこれほど理解していない相手に、一方的に最後通牒を突きつけるのもよくないかとも思いはじめましたの」
「……イヴ。おまえ」
「ザック。貴方は貴方なりに私を大切にしてくださったと言いますけど――だったらどうして、お役目のことも東方騎士団に行くことも、このような場所で皆と一緒に聞かされるのです。貴方にとって婚約者というのは、その程度の存在だというのですか……?」
褐色の瞳に浮かんだ光るものをごまかすように、イヴォンヌが顔を伏せます。
「貴方はきっと、私の意志などどうでもよいのですわ」
「そんなわけ――」
「いいえ、言い合いをする気はないのです。貴方は、とっくにルゴサ砂漠に修行に行くことを決められたのですもの。今さら止めるなんて、さすがに赤華公もお許しになりませんわ。
ですから――私も自由にさせていただきます。婚約をどうするかは、戻られてからお話し合いいたしましょう?」
有無を言わさぬイヴォンヌの口調に、ザカリアスは何度か開いた口を無言で閉ざしました。
肌がひりつくような緊張を、エマの穏やかな声が破ります。
「イヴォンヌ様。そのように我慢なさらずとも、お腹立ちであれば、きちんとお伝えすればよろしいのですよ?」
「……私はエマのように、冷静に相手を納得させることはできそうにありませんもの」
「言葉だけが抗議手段ではございませんわ。少しお話が逸れますが――私、十六のときに初めて付き合った相手に四股をかけられていたことがございまして」
いきなりお茶会での女子トークのような話が振られ、皆の目が丸くなります。
「相手は行商人だったのですが、私、恋愛慣れしておりませんでしたので、年上の方が手玉にとるのはわけなかったのでしょうね。親にも紹介して浮かれておりましたら、1ヵ月後、別の女性と仲良くしているところを目撃しまして、調べましたら各町に女性がいることが分かりました。しかも名を変えて、うち二人とは婚約もしておりました」
「それは……かなりのものですわね」
「ええ。あまりに頭にきましたので、友人に手伝ってもらいまして相手を泥酔させて眠らせ、開発中の魔道具に仕込む予定の魔法陣を気合いを入れてかけたのでございます」
「魔法陣、ですか」
訝しげな顔になるイヴォンヌに、うふふ、とエマが黒い笑みを浮かべます。
「ええ。[永久脱毛]ですわ。念を入れて二ヵ所に」
「……えいきゅう、だつもう、ですか」
「二ヵ所、とは?」
「頭頂部と下腹部でございます」
永久脱毛とは、別の意味で心惹かれる言葉ですが、それを頭頂部と下腹部にかけられた男性は――可哀想ではありますが、いささか滑稽で――いえ、かなり気の毒に思います。笑ってしまいますけれど。
扇にくすくす笑いを隠す女性たちに対し、男性たちが何とも言えぬ妙な顔になります。
「おまえ、それはさすがにやりすぎだろう?」
「そうですか? 一応、美容用に開発しておりましたので人体には無害ですし――まあ見た目にはアレですが――彼の所業がうちの家族に知られて、アルバで商売ができなくことを考えますと、平穏な解決法だったと思うのですけれど」
「……相手は心理的に、絶対に平穏じゃいられなかっただろうけどね……」
アイヴァンのつぶやきに、エマがくすりと笑って付け加えます。
「[永久脱毛]といっても、毛の生え変わる周期がありますので、一度にばさーっといくわけではないのですよ? そのとき休眠していた毛根が生えるときを狙って、数回かけないとツルッツルの素肌にならないのですが、彼は一回きりですからね。
それでも、ちょっとさすがに気合いを入れすぎたらしく、傍から見ても可哀想すぎる状態だと、後日兄たちから苦言を頂戴してしまいました」
「当然だろう」
「多少後悔はいたしましたが、反省はしておりませんよ? 異常な脱毛具合に彼の所業は良い感じに知れ渡りまして、各町の女性関係も清算されたようですし、大変な相手に手を出したと商人仲間には同情されて、商売上はそこまで影響なかったようですし。頭の問題はカツラでどうにかできますし……まあ、知る人ぞ知るという状況なので、一時で止めてしまったようですけれど。
性格も穏やかになったと評判で、今ではトゥルットゥルが好きだという奇特な女性と世帯を持って、それなりに幸せなようですから、わりとすべて丸くまとまったと思うのです」
得意そうに言い切るエマとは対照的に、死んだ魚のような目つきになった男性たちがぼそぼそと言い合います。
「……丸くおさまったのか?」
「トゥルットゥルなんだから、なめらかにはなったんだろう」
「真面目な顔で冗談を言わないでくれ、ジェド」
「冗談でも言わないとやっていられない」
「おまえのところのやつだからな。そこは同情する」
「強く生きろよ」
「どちらかというと、毛根に強くなってもらわないといけないんじゃない?」
「……」
実にくだらない会話をしている彼らを一瞥し、エマが生き生きとした笑顔をこちらに向けます。
「ちょうど良い機会ですから、社交界デビューの記念として、姫君がたに[永久脱毛]の魔道具をお贈りしたいと存じますが、いかがでしょう?」
「まあ、是非!」
「いただきたいですわ」
「嬉しいです」
「私も欲しいですわ」
口々に喜びの声をあげれば、男性陣から「絶対にダメだ!」と声を揃えて反発があがり、私たちは扇を膝に放り出して笑い転げてしまいました。
「――まったく、なんて娘だ」
「[永久脱毛]は、美容に敏感な淑女にご好評をいただいておりますのよ?」
「そこではない。妙な入れ知恵をするな、と申しているのだ」
「あら、ザカリアス様。ご自身には意見しろとお命じになられましたのに、ご婚約者さまにご協力するのはいけないのですか?」
さらりとやり返され、またもザカリアスが言葉に詰まります。エマには口で勝てないのですから、そろそろ諦めれば良いと思うのです。
「エマ。[永久脱毛]の魔道具、楽しみにしていますわ。……使い方はよく考えますけれど」
「そうなさってくださいませ、イヴォンヌ様。使用箇所の毛根を完全に死滅させ、金輪際、二度と再生させないところが売りでございますので」
「……おかしい。美容の話なのにまったく違う内容に聞こえるぞ……」
「深く考えるな。考えたら負けだ……!」
ルーファス殿下とザカリアスがよくわからない気合いを入れています。ジェラルドが、砂を噛んだような表情で膝上の女性を見ました。
「二度と再生しないとは、術として強すぎるのではないか?」
「ジェラルド様。中途半端に残っておりますのは、それはそれで悲惨な状況ですのよ?」
「……」
「大丈夫です。ジェラルド様は頭の形が良いので、M字だろうとU字だろうとお似合いになられるはずです……よ?」
「……ちっとも励ましていない」
「励まします。力いっぱい励ましますので、いい加減にここから降ろしてくださいませ」
「ダメだ。降ろした途端、ザックを襲いにいくのだろう?」
「私一人で襲うなど、愚かな真似はいたしません。やるのでしたら、きちんと罠を仕掛けるか、懸賞金をかけてギルドの者に襲わせます」
「……正しいけど間違ってる……」
「ですから、降ろしてくださいませ!」
「いやだ」
腰を抱きこむ腕を、エマが扇でぺちぺち叩いて抗議しますが、恋人同士の触れ合いというより、しゃーしゃー怒る猫にジェラルドがちょっかいを出している図にしか見えません。
微笑ましく眺めていると、同じく呆れ顔のイヴォンヌと目が合い、二人で揃って肩をすくめました。