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かくてメイドは今宵も踊る。  作者: 鴇合コウ
蛇足編:彼と彼女と首輪の事情。
12/25

【首輪の事情と、そしてそれから*1】

大変お待たせいたしました…!

蛇足編最後は、元婚約者様視点です。

これまでとは少し雰囲気が違います。お気を付けください。

 

1.彼女にも事情はある



『……ナタリア。約束を破って、すまない』


 数日前、やつれた顔でそう告げた彼の瞳は、相変わらず薄暮の空に似た美しい紫色で――。

 その色をはじめて真正面から見つめたそのときが、5年9ヶ月の婚約の最後でした。


* * *


 目の前のトルソーに掛けられたドレスを眺め、私は口から零れるため息を止められないでいました。

 半年前からお抱えの仕立屋と話し合いながら準備していたそれは、《聖誕祭》のための特別なドレスです。


 《聖誕祭》は《聖誕節》とも呼ばれ、年末から年始にかけての特別な十二日間をさします。

 海を渡って現われた初代皇帝ロザリオンが、西方の孤島に流れ着いて神樹の加護を得たのち、十二日間をかけて今の皇都に辿り着き、神樹の種を植えて芽吹かせたことに由来する、国の創生を祝い未来の繁栄を願う聖なる祭日なのです。

 同時に《聖誕祭》の間は、毎夜皇城で夜会が催され、貴族にとっては重要な社交シーズンでもあります。


 私を含め今年十八を迎える者は、《聖誕祭》のはじまりの宴が社交界デビューにあたります。成人は十二歳ですが貴族としては半人前とされ、《聖誕祭》の夜会でお披露目をして初めて公に貴族と名乗ることを許されるのです。

 デビュタントの衣裳に決まりはありませんが、今でしか着られない若々しさを見せるのが好ましいとされ、女性のスカート丈は爪先を隠す程度。胸は開きすぎず、肩や二の腕は思い切って露出させたスタイルが定番です。

 色は淡めで、純潔の白を纏うものが最も多いといいます。


 目の前のドレスは、わずかに黄色味を含んだアイボリー。若草色の髪と藍色の瞳をもつ私には、純白よりもこちらのほうが似合うのです。

 生地は光沢のあるシルクタフタで、形は控えめなベアトップのAライン。スカート部分には金と紫の小花の刺繍が施され、合間にグラデーションで萌え出づる緑が描かれています。その上から薄く重ねるオーガンジーにも大輪の白薔薇の刺繍がいくつも舞って、繊細ながら贅を尽くした品に仕上がる――はずでした。


 ――もう、白薔薇を纏うことはできない。


 婚約解消を聞かされたときですら受けなかった鈍い衝撃が、胸に食い込みます。

 現実を確かめるように、未完成の刺繍に震える指を伸ばせば、断ち切るように侍女が来客を告げました。


「ナタリア!」

「……ビー」


 メイアン伯爵令嬢ベアトリス・バートラムです。紅茶色の巻き毛をツーサイドアップに結い、秋らしいモーヴ色のドレスを着た親友が、侍女の案内も待たずに足早に私のほうにやってきます。

 淑女らしからぬその態度に、思わず私も駆け寄りました。


「よかった……来てくれて」

「ネティ、大丈夫ですの?」


 愛称で呼びかけられ、差し出した手がぐっと握り返されます。そのあたたかさと力強さに、我慢していた涙腺が緩みました。

 人払いをし、ベアトリスが私の手を引いて、応接用の椅子に腰かけます。ハンカチで涙を押さえれば、隣に座ったベアトリスが、握っている手にそっと両手を添えました。


「……ごめんなさい、こんなところを見せて」

「何をおっしゃるの! 私こそごめんなさい。貴女のことを聞いていたのに、すぐに会いに来れなくて……」

「いいえ。貴女も大変だったのでしょう?」


 晴れの舞台となるはずだった、皇立学院の卒業式典。

 そこで、平民上がりのブルナー男爵令嬢ミア・モーガンに唆され、ルーファス皇太子殿下をはじめアルバ華公爵ロードデューク嫡男ジェラルド・ヴァレリウス、ガリカ華公爵三男ザカリアス・ゼファナイア、ダマスク華公爵嫡男アイヴァン・イシドール。そしてセンティフォーリア華公爵家の聖双児フランシス・フォルトゥナとフレデリック・フォルトゥナという、この国をいずれ背負って立つといわれる方々から、私たちは謂れのない非難を受け、皇太子殿下のご婚約者セレスティナ様にいたっては、婚約破棄を申し渡されました。

 ですが有能な間諜の手により、あちらの意図は筒抜けで、証拠となる物品・書類・画像にいたるまで、すべてこちらに揃っておりました。あっけなく形勢は逆転となり、私たちの無実は証明され、ブルナー男爵令嬢は断罪されることとなったのです。

 問題は――その後でした。


『彼の者たちの所業にご興味があれば、是非ともその目でお確かめいただきたく』


 という悪趣味な間諜からの――後にそれがアルバ華公爵の手の者と分かりましたが――招待状により、私やベアトリスの父だけでなく、魔術師長である〝香華公〟ことダマスク華公爵と、最高神祇官である〝百華公〟センティフォーリア華公爵が姿を変えて参加。そして宰相である〝白華公〟アルバ華公爵ご本人も、軍最高司令官の〝赤華公〟ガリカ華公爵とともに皇帝陛下に伴ってその場に居合わせたために、ご子息様方への処罰も同時に下されることになったのです。

 それは当然、彼らと婚約していた私たちにも降りかかってくることとなり。


 セレスティナ様は、ルーファス殿下がミア・モーガンにうつつを抜かして学業を疎かにしはじめた頃から見限ることをお考えだったらしく、式典前日にはセンティフォーリア公の了承を得てみずから皇帝陛下に婚約破棄を申し入れ、受理されたと聞きました。

 ですが残り三人――もう一人の親友のイヴォンヌ、ベアトリス、私――は、陛下の取り成しもあり、このまま婚約を繋いでいく予定でした。

 それなのに。


「式典翌日に婚約解消を申し出るなんて、どういう神経をしていらっしゃるのかしら?! 白華公は厳しい方とお聞きしているけれど、そもそもこの婚約は、あちらからの申し入れなのでしょう?」

「……ええ。白華公閣下は婚約継続をお望みだったのだけれど、ジェラルド様のほうから解消をお求めになられたらしいの」

「なんですって。あの、冷血男ったら!」


 ベアトリスとは皇都官邸で幾度か開かれた子どものお茶会で一緒になり、彼女の飾り気のない態度で打ち解けたことがきっかけで、今では親友と呼べる間柄です。

 ですが、ジェラルドは体が弱く、十二歳の成人を機に領地へ移ったため、ベアトリスと直接の面識がほとんどありません。学院に入学して以降、急に表情を無くし、冷淡とも思える態度で人に接するようになった彼を、彼女は『鉄仮面』だの『冷血男』だのと呼んで倦厭しているのです。


「怒ってくれてありがとう、ビー。けれど、ジェラルド様も苦渋のご決断だったようなのです。お断りの挨拶にいらしたときは、ものすごく窶れた顔をしていらして」

「それは[冥府の裁定者]と名高い宰相様にこっぴどく叱られたからではありませんの? 廃嫡の上、領地に謹慎なんですって?」

「廃嫡はそのとおりなのですけれど、他は少し違うかもしれません」

「どのあたりがですの?」

「実は――」



 卒業式式典翌日、朝一番にジェラルドとアルバ華公爵の連名で届いた手紙は、騒ぎに巻き込んだ謝罪と婚約解消の申し入れで――その場にいた弟のネイサンはもちろん、父にとっても衝撃と怒りを隠しきれないものでした。

 それでも、格上の華公爵家の意向に、侯爵である当家が逆らえるはずもありません。会見を夕刻に設定したのは、こちらも落ち着く時間がほしかったからでした。


 そして迎えた夕刻。意外なことに、ジェラルドは一人でやって来ました。当然側近は連れていますが見慣れない年上の者たちで、すぐに控えさせると、ジェラルドは挨拶もそこそこに深々と頭を下げ、謝罪の言葉を述べたのです。

 それは、詰問の言葉を用意していた父や弟の毒気をすっかり抜くもので。

 用意していた夕食をともにいただきながら詳しい事情を聞けば、彼は言葉を選びながらも率直に答えてくれました。

 ミア・モーガンの正体を見抜けず、また皇太子殿下をお諫めすることができなかったことでお叱りを受け、後継から外されたこと。

 後継から外されたのは、自分が領地に目を向けなかった未熟さも理由だったこと。

 魔術師になることを希望していたけれど、自分の魔力制御に問題があると改めて気づいたこと。

 今回の事件での話し合いをきっかけに、長年あった白華公とのわだかまりが解け、良い関係になれたこと。

 その話し合いの結果、領地のことを学び直すために、一年間アルバに行くと決めたこと。

 

『今回の一件ですが、実はルーファス殿下の失脚と皇太子位の白紙撤回のため、裏でルモンタン公が動いていたと父から聞いております。公の手は私の周辺にも及び、大叔父のプリスタイン伯と私の側近たちが逮捕されました。そのことも含め、今朝方私も取り調べを受けております』

『大きな動きがあると思っておりましたが、まさか貴殿の大叔父上までとは。白華公も思い切ったご決断をなされました』

『以前より機会を窺っていたようです。家ごといくと申しておりましたゆえ』

『さすがに[冥府の裁定者]……身内にも容赦がありませんな』

『はい。ですので、大変勝手を申しあげるようですが、私も一人のほうが有難いのです。潔白であることと評判はまた別のものだと心得ております。それに……そもそもこの婚約は、アルバ華公爵嫡男とのもの。今や私はその資格を失っております』

『此方から閣下へ廃嫡の取り消しを求めるのは如何でしょう? それに廃嫡は一時的な措置となる可能性が高いと、公ご本人よりお聞きしておりますが?』

『妹は八歳、弟にいたってはまだ五歳です。十二の成人までにその資質を見極めるとなれば、最低でも三年、場合によっては六年が必要です。それまでご令嬢をお待たせするわけにはまいりません』

『しかし』

『アイスバーグ卿。この婚約は政略的なものですが、私はナタリア嬢のやさしさに何度も救われてまいりました。彼女に瑕疵がつくことだけは、何としても避けたいのです。

 私の愚かさが露見したばかりで、お互い社交界デビューも済んでいない今ならまだ、傷は浅くて済みます。今の機会が一番良いのです』

『侯爵家の娘というのは、なまじ家格が高いゆえに、すぐにふさわしい縁談に恵まれるとも限りませぬ。娘も貴殿を憎からず思うております。御心に迷いがあるのなら、いくらでも待ちましょう』

『――では、これをご覧になっても、同じことをおっしゃられますか?』


 そう尋ねるとジェラルドは、いきなりその場でクラバットを取り、襟元を開けました。

 そこに現われた異様なものに驚きの声があがり――私は息をするのも忘れて目を瞠ったのです。


『これから一年間、私はこれを身に着け、平民に混じってアルバのことを学んでまいります。ひょっとしたら、今年の《聖誕祭》に出席することは叶わないかもしれません。

 ……ナタリア。約束を破って、すまない』


 どこか達観したような穏やかな光を見せる菫色の瞳に、私はただ頷くより他はありませんでした。



「――で、何を着けていらしたのです?」

「魔道具の首輪です」

「くびわ、ですの?」

「ええ。黒い革……と思いますけれど、よく分かりませんでした。とにかくすごい数の魔法付与を詰め込んで破綻しないのだから、よほどの品だと思うのです」

「さすが四華公家フォー・ローゼズですわね」

「留め金には、魔石のついた錠前がぶら下がっていて、一年経たないと外せないとお聞きしました」

「……ちょっとそれ、尋常ではありませんわよ?」

「ええ。父もさすがに『処分が厳しすぎると公にご進言申し上げる!』と息巻いたのですけれど、ジェラルド様が」


『いえ、これは私も納得してのことなのです。鍵を預かる者も、平民ですが有能で、父も母も信頼している人物。私のために一年を捧げてくれるそうで、感謝しているのです』


「そんな殊勝なことを言ったのですか? あの冷血男が」

「なんだかお父上と和解されて、とても気持ちが落ち着いたのですって」

「円満に別れたいがための小芝居ではありませんの?」

「でも、後で陛下のところに婚約解消のご挨拶に伺ったとき、白華公閣下ともお会いしたけれど、すごく腰が低くてらっしゃって、ジェラルド様ともとてもよい雰囲気だったのです」

「相手は魑魅魍魎ひしめく宮中を仕切る宰相親子ですのよ? お人好しの貴女たちを騙すなんて、わけありませんわ。それにこれまでだって、婚約を続けるよう、あちらからお願いされていたのでしょう?」

「ジェラルド様の意志ではないのです。彼の素行が怪しいと聞いて心配されたレティシア様――白華公夫人が、父に会いに来てくださって、私にできることはないかと言ってくださっただけなのです。私には……母がいませんから」


 実母は、私が四歳、弟が二歳のときに病で亡くなっています。以降、父は――背が低く小太りで頭が薄いという外見の問題もあるのですが――独身を貫き、片親という悪評を撥ね退けるように財務長官という重責をこなし続けているのです。

 そのせいか、家族をはじめ側近、使用人にいたるまで、うちの侯爵家はみな仲が良く、寂しさはそれほど感じません。


「ですけれど、あれだけ散々気を持たせておきながら振るなんて……。だいたい、貴女に傷をつけたくないから、という態度が気に食わないのですわ。

 本当に傷つけたくないのなら、『自分は過ちを犯してしまったけれど、貴女を想う気持ちに変わりはない。なんとしても名誉を回復して華公爵家嫡子としての座を勝ちとってみせるから、それまで待っていてくれないか?』と申し出るのが、男たるものでしょう!」


 身振り手振りと口調を交えたベアトリスの熱弁に、思わず少し笑ってしまいました。

 

「あら。ビーは、アイヴァン様にそんなふうに言われたのですか?」

「ち、違いますわっ」


 ベアトリスの婚約者ダマスク華公爵嫡男アイヴァンは、今回もっとも事件に関わりが薄かったということで、魔術塔で一年間の軟禁という軽い処分となりました。

 廃嫡もなし――というのは当然で、変わり者と名高いダマスク華公爵は独身で、親族から最も魔力適性の優れた子を後継と決めています。素行や性格ではなく純粋な能力主義なので、彼以上の逸材が産まれない限り、安泰というわけなのです。

 それを知った上で意地悪く問えば、ベアトリスは薄くそばかすの散った頬を赤くして首を横に振りました。


「もうっ。分かっていて聞くなんてずるいですわ! あの魔術オタクがそんな気の利いた台詞を言うわけありませんもの!」

「ふふ、ごめんなさい。それでは貴女たちは、これまで通りですのね?」

「ええ、腹が立つくらいに変わりありませんわ。謝罪も、卒業式の日の夜に香華公と挨拶に来られて、それっきりですの。どうせ魔術師団に入ることが決まっていたのだし、軟禁だなんて、引きこもりのあの男には罰どころか褒賞ですわ。本気で反省をさせるのでしたら外務省にでも入れて、外交三昧でもさせればよかったのです!」

「そんなことをしたら、貴重な魔術の天才が攫われてしまうでしょう。国のことを考えれば、その力を最大限に生かすところに居ていただくのが一番ですわ」


 私がそう言えば、ベアトリスは不満そうに唇を尖らせました。


「来たときに泣いてらしたから慌てましたのに、貴女ずいぶん落ち着いていませんこと?」

「婚約解消に関しては、学院の途中からほとんど会話もありませんでしたし、すれ違うばかりでしたから、仕方ないという気持ちのほうが強いのです。けれど――」


 作りかけのドレスに視線を移すと、また自然と涙が滲んできます。


「《聖誕祭》のドレスを見ていたら……なんだか情けなくなってしまって」

「ネティ……」

「夏にお会いしたときに、私、伺ったのです。卒業式と《聖誕祭》ではエスコートしていただけるのかと。特にデビュタントの衣裳は特別だから、時間がかかるから今から作りはじめないと間に合わないけれど、作りはじめたら変更がきかないからと……そうしたら『構わない』と言ってくださったの。それなのに、どうして今さら……っ!」


 あと2ヶ月半。半年以上かけて準備を進めるものを、あとたった2ヶ月半でどう仕上げろというのでしょう。

 大輪の白薔薇は――アルバ華公爵の紋章は、もう二度と、使えないというのに。


 身を折るようにして叫んだ私を、ベアトリスが抱き締めました。両手に握ったハンカチで口を押え、嗚咽を堪えます。それでも、涙は止められませんでした。


「……私、自分でも驚いているのです。こんなにも形にこだわっていただなんて……」

「ネティ。泣いて当然、怒って当然ですのよ? 貴女、我慢のしすぎですわ」

「侍女や針子たちの意見を聞きながら、デザインをひとつずつ考えたのです。どの色が、あの方の目の色に一番近いかしら? どうやったら、あの方の隣に立ってもふさわしく見えるかしらって」

「ええ。私も聞きましたもの」

「お父様にも見ていただいて、弟には浮かれすぎだと呆れられたけれど、レティシア様にもご報告して……私、相手にされていない現実をそうやってごまかそうとしていたのかもしれません」

「相手にされていないわけありませんわ」

「いいえ、わかるのです。私……幼い頃は、成人で婚約して、学院の卒業式でプロポーズしてもらって、十八で社交界デビューしたその夜に、みんなに祝福されて結婚する、というのが夢でした」

「将来の夢は〝お嫁さん〟って言ってらしたものね」

「……だから余計に、私ばかりが期待しすぎていたのかもしれません」



 アルバ華公爵嫡男ジェラルドと、アイスバーグ侯爵長女である私が出会ったのは、三歳の頃。皇都官邸での子ども同士の交流会の場でのことでした。

 同年に皇族がいるため、侯爵以上の上位貴族の子のみが集められたその会は、さすがに子どもでも分かるほど親や側近たちのぴりぴりとした空気が張り詰めていましたが、子ども同士で打ち解けてくると、すぐにそれは気にならなくなりました。


 きらきらした金髪と皇家の緋金色の瞳をした、ルーことルーファス皇子は、わがままだけれどみんなの中心。新しい遊びをはじめたり、物事を決めるのはいつも彼です。

 銀髪と灰緑色の瞳のティナこと、センティフォーリア華公爵令嬢セレスティナは、しっかりもののお姉さんで、みんなの調整役。

 真紅の髪と紺碧の瞳をしたザックこと、ガリカ華公爵三男ザカリアスは、体が大きい乱暴者。でもおだてに弱いお調子者です。

 オレンジがかった金髪と褐色の瞳のイヴこと、フェティダ侯爵家長女イヴォンヌは、口の達者なおませさん。

 ネティこと私ナタリアは、年の暮れ生まれのため一番体が小さく、何をするにも一番遅い、みんなの妹分。

 そして、プラチナブロンドと菫色の瞳をしたジェドことジェラルドは、病気がちだったこともあり、おとなしく、みんなのすることを一歩下がって眺めている、どこか浮いた雰囲気をもつ子どもでした。

 それは、彼の見た目も関係していたのでしょう。

 みんな魔力の多い血筋でしたので、それなりに容姿は整っていたのですが、彼は別格でした。単なる顔立ちの綺麗さだけでなく、ほっそりした体つき、陶器のようになめらかな白い肌、月光を紡いだごとくの淡い色の髪、長い睫毛、神秘的な紫の瞳、薔薇色の唇。すべてが内側から光を発しているような錯覚をおぼえるほど、美しい容貌の持ち主だったのです。


 最初に彼が現われた瞬間、みんな息を呑み、現実の存在か疑ったほどでした。

 『ようせい……?』と呟いたのはザックで、たぶん一目惚れした彼は、直後に性別を知って失恋しました。

 そのせいか、彼はジェドに突っかかることが多かったのですが、ジェドはいつも困ったような儚げな微笑を浮かべて、それを受け流していました。どちらかといえば気づいた周囲が楯となり、まるで女の子よりもお姫さまのような扱いをされていた気がします。

 いつだったか他の上位貴族の子どもたちと一緒に鬼ごっこをしたとき、興奮しすぎてジェドが倒れてしまい、宰相閣下が公務を投げ出して駆けつけるという事態がありました。


『どうやら最近少しおいた・・・が過ぎるようだね? いくら子どもであっても、次はない。よく覚えておきたまえ』


 静かに、それでも軽く魔力を乗せて告げられた一言に、あのザックが号泣し、その他の子たちにいたっては失禁・失神するという出来事があって以降、ジェドはさらに掌中の珠のごとく大事に扱われることとなりました。

 本人はいたってのんびりと、『おとうさまのような、まじゅつしになりたいのです』などと言っていたのですけれど。


 見た目も性格もばらばらの私たちでしたが、同年ということが結びつきを強めたのか、ときおり第一皇子のトリスタン殿下やティナの双子の弟フレデリクとフランシス、まれに年上の上位貴族の子たちまで加わることがあったものの、だいたいいつもこの六人で一緒に遊んでいたように思います。

 それは、私の母が亡くなり、五歳でダマスク華公爵の養子となったアイヴァンが仲間に加わってからも変わらず――幼心に、ずっとこの関係が続くのだと信じていました。


 変化が起きたのは、十二歳の成人のときです。まず、春に成人を迎えたルーが皇太子を拝命。年初めに成人していたティナと婚約を発表しました。

 その後、夏生まれのザックが、二ヶ月後に成人するイヴと婚約。

 そして冬生まれのジェドがアルバ華公爵の嫡男として正式に認められ、同じく成人した私と婚約を発表したのです。


 いつの頃からか、ルーが眩しそうにティナを見つめていたり、イヴがザックを熱の籠もった瞳で追いかけているのは、気づいていました。

 そして私自身も――好きな本や魔法の話に目を輝かせるジェドと話すたびに胸が高鳴る理由を、口には出さなくても理解していました。

 それでも。

 大人への階段を上ったその年から、私たちの関係は一気に変わってしまったのです。


 もう皇太子殿下をお名前で呼ぶことはできません。身分の上下はきっちりと分けられ、異性を愛称で呼ぶなど論外です。同性でさえ、表立っては礼をわきまえねばなりません。

 婚約が政略的なものであることは承知していました。アルバ華公爵は国の柱と名高い四華公家フォー・ローゼズのひとつで、国の頭脳と呼び称せられるほどの名家。

 対してアイスバーグは、十二ある侯爵家の中でも下から数えたほうが早い家柄で、特に父は、病に伏せた母に付き添うため長年要職に就くことを避けていたため、同じ中位貴族からも軽んじられるほどでした。

 父が財務長官の地位に就き、私がジェラルドと婚約できたのは、幼いころからの御縁と領地が隣同士だという繋がりだけでしょう。

 アイスバーグは、国の台所であり北の防衛線である広大なアルバ領の南西に接し、皇都に通じる主要街道の中継地であることから、主に交易地として発展してきました。冒険者以外に魔境と恐れられるアルバに足を踏み入れるものは少なく、そういった意味でも両家の結びつきを強めるのはお互いにとって利益になることが大きかったのです。


 成人を機に、療養と称してジェラルドは、家族と離れ一人アルバの本邸に向かうこととなり、隣領の私との婚約はそんな寂しさを埋める意味もあったのでしょう。

 交流は主に手紙で、直接顔を合わせる機会は年に二、三度でしたが、会うたびにゆっくりと男性らしい逞しさを纏いゆく彼の姿に驚きながらも、中身は昔のとおり本好きなやさしい少年のままで。ときおり見せる陰りのある表情が気にはなったものの、私たちの間には良好と呼んでも差し支えない穏やかな関係が続いていました。


 ですから、十五歳を迎える年の秋に皇立学院に入学したときは、これまで以上にジェラルドと親しくなれるのだと、期待に胸を膨らませていたのです。

 しかし――それは、まったくの思い間違いでした。

 学院のオリーブ色の制服を纏ったジェラルドは、細くとも乗馬と弓術で鍛えた均整のとれた長身で、妖精のように愛らしかった面差しは冷たさを感じる青年のそれへと変わり、凛々しくも近寄りがたい、華公爵家嫡男にふさわしい貴公子となっていたのです。

 滅多に皇都に姿を見せることのなかった宰相令息の麗しい姿に、令嬢たちは色めきだち、令息たちは警戒しつつも取り入ろうと躍起になりました。

 変貌ぶりに驚いたのは皇太子殿下方も同じでしたが、彼らは授業などを通して、すぐに交誼を取り戻したようです。

 逆に約三年の空白期間のあるセレスティナ様やイヴォンヌは、こういうものだと、かえって冷静に彼の変容を受け止めていました。

 変化についていけなかったのは、私だけです。


 レイピアを巧みに操り、決闘を挑んできた先輩を叩きのめしたり。

 歴史上の難問を振ってきた教師を、眉ひとつ動かさず論破したり。

 魔術の実技で、[炎矢]を放っただけで競技場を半壊させたり。

 連日ほぼ日替わりで女子生徒から告白を受けたり。


 ――こんなジェラルドは知りません。

 学院は共学ですが、男子寮と女子寮が明確に分けられ、履修科目も異なるため、一般教養の講義や初級魔術の実技が被るくらいで、食堂も談話室も男女別々。面会の約束をとりつけない限り、婚約者といえども言葉を交わす機会はほとんどないのです。

 たまに会ったときも、数語の挨拶と、ほんのわずか口元を緩めたような淡い微笑だけ。そのせいか、私が婚約者だということが知られるのにしばらくかかり、知られた後も政略的な――そうでないものはないと思いますが――婚約だと周知されたようでした。


 おかげで、ジェラルドの恋人の立場を狙う女性からの攻撃が激しく、陰口や意地悪は日常茶飯事。私の作り笑いと側近たちの防御力が、日に日に上達するほどでした。

 友人としてセレスティナ様たちと行動を共にすることが多かったせいで、それもやがて下火になりましたけれど。


 卒業した今になって思えば、私ももう少し自己主張すべきだったのでしょう。それでも、告白されるたびに『婚約者がいるから』と断り、学院の催しでパートナーが必要なときは必ず私を誘ってくれる事実に、私はすっかり自分の立場を安泰だと思い込んでいました。

 ベアトリスからあれほど、『都合がいいように利用されているだけでありませんの?』と忠告をもらっていたというのに。


 二年生に進級して、途中から入学してきた男爵令嬢のことは、すぐに話題になりました。

 平民上がりとの噂どおり、上位貴族令息や教師にあからさまに媚を売り、さらには人目も憚らず皇太子殿下につきまとったりと好き放題で、あまりの品のなさにセレスティナ様が幾度か注意をするほどでした。無駄でしたけれど。

 そして非難されることの多かった彼女の言動ですが、一方で自由奔放な彼女を羨み、張り合おうとする者がいたのも事実です。

 恥ずかしながら、私もその一人でした。


 品位を重んじるジェラルドが、彼女を快く思っていなかったのは知っていました。それでも、面白い玩具を見つけたように興味を示しはじめたザカリアスや双児たち、皇太子殿下の変化に、彼らと一緒にいるジェラルドまで心を動かされるのではないかと不安になったのです。

 少しでも彼の目を惹くように外見のお手入れに力を入れ、服装も――上着は制服と決められていますが――彼の好む上品で大人っぽいものに変え、仕草も言葉遣いもセレスティナ様ほどではありませんが、磨きあげました。

 もちろん勉学にも励みましたけれど、ほとんどの教科で毎回セレスティナ様や皇太子殿下を抑えて1位をとるジェラルドに比べ、私は科目ごとの偏りが大きく、得意な語学でも十位以内に入るのがやっとでした。

 男爵令嬢を見習って、ジェラルドに勉強の教えを請いたいと、何度思ったことでしょう。ですが、常に人に囲まれ、魔術に剣に読書にと忙しくしている彼の邪魔などできません。


 一度だけ思い切って昼食に誘ったことがありましたが、突然だったこともあり『先約があるんだ、すまない』と断られてしまい、それきりとなってしまいました。

 それでもまだ、性懲りもなく私は、彼との関係に希望を持ち続けていました。


 それが砕けたのは、最終学年のことです。いつの間にか、男爵令嬢を囲んで過ごすことの多くなった皇太子殿下たちの中に、やわらかな微笑みを浮かべるジェラルドの姿を見つけたのです。

 周りの令嬢たちからは『最後の砦が攻略された』『ジェラルド様まであの女の毒牙にかかるとは』などと、非難と失望の声が吹き荒れましたが、そのとき私の心を占めていたのは別の想いでした。


 ――ジェラルドが、自分から他の女性に心を開いた。


 その事実だけで、これまで持ちこたえていた小さな希望が完全に打ち砕かれたと思い知りました。


 ――……私は、彼に、選ばれなかった。


 これまでの私の努力のすべてが、無に帰した瞬間でした。


 


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