【彼女の事情*3】
長いです。
「――昨日からずっと考えているんだが……よく、分からないんだ。本当に彼女を好きだったのかどうか」
答えの代わりに返ったのは、固く閉ざしていた胸底を垣間見せるような呟き。
「特別な感情はあった。だけど、それが恋かと言われると、分からないんだ。変に思われるかもしれないが、私はただ……彼女や皆と過ごすあの時間が、なによりも代え難く大切だった。それだけなんだ」
それほど身分の高くない令嬢一人を複数の貴族令息が取り囲んでいる様子は、異様で、逆ハーレムと謗られても仕方ないものだった。だが当事者たちは本当に、純粋に気の合うものたちの集まりでしかなかったのだろう。
それは、平民でさえ成人後の男女がおおっぴらに仲良くすることを善しとしない今の社会において理解されることは少なく、まるで幼児同士のそれのようで――そう、彼らは幼いのだ。
早く大人になることを求められた彼らは、心の一部が未成熟のまま育っている。
――もし、彼女がそれを利用しようとしない、純真な女性だったら。
可能性を考えてすぐに打ち消す。遠からず、彼らはその未熟さを誰かに狙われていただろう。それでも、成長に必要な過程だったとはいえ、代償はあまりに大きかった。
「彼女は、魔力が少なくとも全属性持ちだ。なんとか情状酌量が認められないだろうか」
「残念ですが、全属性はめずらしくありません。罪の軽減にはならないかと」
「そうなのか?」
「ダマスク華公爵ご令息は、分家からの養子ということもあって全属性であることを公表されていますが、貴族にとって自分の属性をすべて曝すのは危険な行為です。みなさま隠し玉として秘匿されておりますので、公になりにくいのですよ――それに」
言いかけ、重い気持ちで息を吐いた。ここで告げるのは想定外だったが、特製馬車内なので、むしろ安全かもしれないと心を決める。
幸い、行きと同様に道は混んでいて、すぐに学院に帰り着きそうにはない。
「これからお話しすることは、絶対に他言無用でお願いいたします」
「あ、ああ」
「この現実世界に魔力を持って存在するもので、全属性でないものはおりません。それは人であっても獣人であっても、魔物であっても同じです」
「――――――は?」
「逆に偏った属性しか持っていないものは、この世のものではありません。一般に精霊と呼ばれるものがそうです」
「ちょ、ちょっと待て。私はどうなる。炎と氷の二大極性と、これまでずっと言われてきたのだぞ?!」
アメジストの目を落ちそうなほど見開いて、ジェドが慌てふためく。
そこなのですよねー、問題は。
「まず、一般に言われています属性と私の言う属性が多少認識が異なりますことは、ご理解ください。[鑑定]が元になりますので」
「だが、洗礼のときの判定でも学院入学のときの試験でも、同じ結果だと」
「属性は一番大きなカテゴリとして、光・闇・地・風・水・火の六つに分かれ、さらに下位属性として光には雷、闇には空間、水には氷などとつきますので、ジェドの一般的な属性は水と火となります。では――なぜこの相反するふたつを併せ持っているのに、貴方という存在は破綻しないのでしょう?」
「それは……魔力で保たせているから、ではないのか?」
「半分正解です。その魔力を行使するための法則――魔法において、この世界のすべては六属性から成り立っているのが常識というのに、人が除外されるとお思いですか?」
魔術、魔法陣が効果を現わすのは、バランスが整っているところへ属性をプラスして均衡を壊し、現象として発現させるからだ。だから当然反動がある。
だが魔法も自然の摂理の一部であるため、多少のことは世界に吸収されるのが常だ。
「なぜそんな重要なことが知られていないのだ?」
「原因は二つあると考えられます。おそらく家系的な祝福や加護の関係と思われますが、魔力が多いと属性への適応に偏りが生じるということがひとつ。もうひとつは測定器が絶対評価ではなく、相対評価であるということです。
たとえば貴方の魔力を300とすると、光10、闇30、地10、風10、水120、火120となり、測定器の基準を高いものに合わせますと必然、他の属性はほぼ0という判定となってしまいます」
「……ちょっと待て。それでは、つまり魔力が低いと偏りができにくく、結果として全属性という判定が出るということか?!」
「そのとおりです」
たとえば30しか魔力がなかったら、光5、闇3、地6、風5、水4、火7などと配分され、最大値と最小値の開きはたったの4。偏りが生じても判定されにくいのだ。
ネタバレすると、ほんとつまんないよねー。
ちなみに平民で全属性が話題にならないのは、洗礼時の判定で使う測定器が貴族のそれと比べ物にならないほど精度が悪く、最大値しか判定できないからだったりする。
「貴方が火と水という相克の属性値が突出していても無事なのは、無意識のうちに他の属性が補完しているからです。火と水以外の属性の魔術を使うときのほうが、安定していたでしょう?」
「自分の持っていない属性だから、魔力消費が大きくて安定するのかと思っていた」
「偏りが激しいのは事実ですが……火と水ばかり練習されていたようですし」
「それは制御に自信がなくて練習を――って。まさか」
「残念なことに、そうやって偏りが増していくんですよ。まあ貴方の場合は、ご当主様が原因なので、それだけとも言えませんが」
「……どういうことだ?」
「怒らないでいただきたいのですが――ご当主様はあの性格ですので、貴方がお生まれになったときに大層喜ばれまして……契約を結んでいた古竜から祝福のブレスをもらいまして。まあそうすると[原始の火]の精霊が貴方に憑くわけですよ。それが強力すぎる加護だったものですから、貴方は人間としてのバランスを失いかけ、焦った奥方様が契約精霊を通じて水の精霊王に助けを求めて、[虚空の氷塵]の祝福を得て強引に相殺した結果――二大極性になったというわけでして」
「……それは、いつから、誰が知っていることだ?」
「ご当主様と奥方様、魔術師長様、最高神祇官様あたりはご存知のはずです。ただ、極性のことをご存知なだけで、他の属性のことは私がお伝えするまでご当主様も気づかなかったようです。ご自分のせいで息子に負担をかけることになったと、かなりご自身を責めてらっしゃいましたので」
普通なら、いくら古竜の祝福を浴びても、ほいほい精霊が憑くものではない。あまりにジェドの魂の質が良く、魔力も豊富だったために、祝福の火焔砲から精霊が生じてしまったというのが古竜からの説明だそうだ。まあ、竜自体が魔法そのものみたいな存在だからね。
この星を産み出した荒ぶる[原始の火]を制御するには、さらにその根源である虚空=宇宙の魔法が必要で、かの[氷塵]は古竜よりも古い、水の精霊王の対だとか影だとか言われる神話級の存在だ。識ったとき、魔術師長と最高神祇官がジェドの取り合いをしたそうだ。誰がやるか。
窓枠に肘をついて、その手を額に押し付け、眉間にしわを寄せてジェドが考え込んでいる。衝撃なのは仕方ないが、眉間にしわは止めてほしい。きれいな顔に痕がついてしまう。
「召喚魔術の授業で、私は火と氷の精霊と契約したわけだが……」
「はい。お察しのとおり、それが例の精霊たちです」
「みずから名乗ったのに素性は隠していたというのか、まったく――来た、むがっ」
いきなり契約精霊を召喚しようとしたので、片手で口を塞ぐ。
「お止めください。この馬車はアイテムボックスだと申しあげたでしょう。魔道技師が気合いを入れて創った最高級品ですが、始源の精霊にとってこの程度の結界は苦でもありません。ふたりが姿を現わせば魔法は失われ、反動でここはぺちゃんこになるか、切り離されて一生涯、亜空間を漂う羽目になります」
まあ、どうなっても精霊たちがジェドを護るのだが、私は絶対に放っておかれるので、これくらい言っても嘘にはなるまい。
目力で脅せば、ジェドがこくこくと頷いたので、手を放す。
「彼らが素性を隠していたのは、貴方を邪な人間から護るためでもあるのですから、叱らないであげてくださいませ」
「……わかっている。ふたりは、ずっと傍にいてくれたから、隠し事をされていたのがショックだっただけだ。だが……そうだな。人型になれるのだから、ただの精霊であるはずがないよな」
精霊は、下級なら光の玉、中級なら動物型、上級は人型という一見して分かりやすい外見をとる。
ジェドの精霊は有翼の朱黒の火蜥蜴と蒼白の水蛇で、肩に乗せたり腕に絡ませたりしてよく連れ歩いているのだが、他人のいないところでは人型にもなっていたらしい。おとなしくしていろと頼んだのだが、魔力の低い人間の言うことは聞く気がなかったようだ……まったく(怒)。
「私は祝福や契約を識ることはできますが、契約したり精霊を視ることはできませんので、少し羨ましいです」
「エマの前なら、彼らも姿を現わしそうだけどな。今夜にでもゆっくり話してみるよ」
「そうしてください」
「しかし……加護が原因であれば、私は極性の魔力を制御できないということか?」
ついに聞かれてしまった。
重い気分で目を逸らし、ため息を吐けば、不安そうに私を呼ぶ声がかかる。
「エマ?」
「……ごめんなさい。ジェドの魔力制御がへっぽこなのは、半分私のせいです」
「…………なんの話だ」
「アリシア様は怪力を制御するのに、常時[身体強化]の魔術を使っていらっしゃいます。そのために――封魔具をつけていらっしゃることも併せて――魔力測定値は中位貴族並みですが、本来はユリアン様よりも多いレベルです」
「それは知っているが、それがなんだ?」
「肉体の力と魔力には、密接な相関があるということです。私が最初に貴方を視たとき、このままでは肉体が魔力に押し潰されると判断しました。封魔具で魔力を抑えることも検討されましたが、元が加護ですし、そもそも多すぎるので、強引に封じると余計に体調が悪化する恐れがありました。なので魔力制御は諦め、代わりに体力をつけることに専念することをお勧めしたのです」
ジェドの体の弱さを、ご当主様は極性の属性のせいだと思われていたが、実は多すぎる魔力に対して器である肉体が悲鳴をあげていたのだ。
もちろん、ご当主様もジェドの魔力の多さは承知していたのだが、ご自身の幼少時を基準にしていたので気づかなかったのだ――ご当主様の肉体が先祖返り由来の獣人仕様なのに対して、ジェドの肉体はまったく普通の人間だということに。
私がそう[鑑定]したのが、ジェドがアルバに来た十二歳のときで。
その頃には魔力と肉体の力の乖離が著しく、魔力制御は魔力循環のみにとどめさせて、とりあえず肉体を鍛える方向でいくことにしたのだ。
「貴方がアルバに来たのは、そういった意味で偶然でしたが、ちょうど良い機会でもありました。祖先の眠る故郷は魔力を安定させますし、摂政のステファン様は武寄りの方でしたので、案外すんなりと話が通りました」
物欲と名誉欲の塊のようなステファン様だが、あの百年戦争を生き残っただけあって、意外なことに弓の名手なのだ。
ジェドはアルバでひきこもり生活だったが、華公爵家の本邸は、小さな耕作地と狩猟用の森を含めたちょっとおかしな規模を備えている。そこで乗馬と弓術と体術と、貴族らしさを叩き込まれたというわけだ。
「弓は、筋肉が左右均等につかないという欠点はありますが、深い呼吸をすることで心肺機能を高め、体幹を鍛え、集中力を養うことのできる武術と聞いています。実際、体を鍛えはじめてから寝込むことは減ったのではありませんか?」
「ああ。なぜ大叔父上が騎士には不要な弓を教えたのか疑問だったが、ようやく解けた――先に説明がほしかったがな」
「申し訳ありません」
学院の武術の授業では、主に剣術が教えられる。騎士団では同種同系の武器の使用が好まれるため、剣が一般的であるのと、宮廷人は帯剣するのが常であるためだ。皇帝陛下に仕えるものは、職務を問わず、危機にすぐ参上できるよう剣を持つというのが貴族の誇りらしい。知らんがな。
ジェドの得意の弓や、槍、棍棒といった特殊武器は、剣術に飽き足らない者が学ぶもので、教師の確保の難しさもあって、三年次の途中からしか教科に入らないのだ。
「剣術の基礎は教わっていたはずですし、貴方は両手剣よりも片手剣がお得意ですし、腕力よりも駆け引きで攻めるタイプですし、そもそも剣術は貴方の体力強化のためとしか思っていませんでしたので、正直そのあたりはあまり深く考えていませんでした」
「……で、そのことと私の魔力制御にどう関係がある?」
「あれ、申しあげませんでした? 魔力制御はあきらめ――」
「ちょっと待て!」
ジェドが大声で遮る。飼い主の発言をぶった切るとは、イイ度胸だ。
「つまり私は、おまえの言う〝へっぽこ〟のまま、ということか?」
「学院生活では、ですね。話は最後まで聞いてくださいませ」
「わ、わかった」
「これまでは、魔力制御を諦め、肉体強化に努めていただきました。一般に男性の成長期は十七~十八歳まで、と言われています。つまり学院卒業をする頃に、やっと体ができあがるわけです。貴方はまだ背が伸び続けていますので、正直成長が止まるのに二十歳過ぎまでかかるでしょうが、急激な成長期はほぼ終わりました。――つまり貴方の魔術訓練は、これからはじまる、ということです」
「では卒業後、父が手元に引き取ると言っていたのは」
「官吏として仕込みつつ、魔術を鍛えるおつもりだったのでしょう。直接指導の機会を逃して残念でしたね」
「なぜ誰もなにも教えてくれなかったのだ?!」
「教えたところで、貴方にはどうしようもできないでしょう。急いで成長させると本来の肉体の限界値より低いところで止まる恐れがあったので、手の出しようがありませんし」
「少なくとも目標にはなる」
「貴方はステファン様の子飼いに包囲されていたというのに、迂闊に近づくことも、ましてや秘密など洩らせません。それに昔、皇都で御命を狙われていた事実をお忘れですか? 学院は門戸が開いている分、モーガン嬢のような娘が入り込める場所なのです。
貴方を護るためには、貴方には何も告げない――これがご当主様の下された決定です」
だが、ジェドは昨日卒業し、彼の今後の一年間は私に託された。情報解禁ということだ。
「学院では、友人を作り見識を深め、未知の世界を識り――できれば、その優秀な頭脳を生かした成績をとること。お二方が望まれたのはそれくらいです。もちろん体を壊さないことが大前提ですが、剣術でガリカ華公爵令息や皇太子殿下と競り合ったり、魔術でダマスク華公爵令息の次点につくなんて、想定外のことです。誇っていいと思いますよ?」
「それにしては散々な言われようだったと記憶しているが?」
あ、氷結モードがオンになった。まだ完全にキャラ変できていないらしい。
「魔力制御がへっぽこなのは私が言い出したことの結果なので当然ですし、剣術よりも弓のほうが得意なのも知ってますし、体力的に無理ができないので努力とか根を詰めるとかもあり得ませんし、人見知りなので対人関係に問題アリなのは事実ですし。あとは……協調性ですか? 集団行動より単独プレーが好きで、しかも参謀タイプなので、皆で一緒になにかするというより人を使うほうがお得意でしょう? 嘘は言っていないと思いますが」
「……なんだろう。フォローされているはずなのに貶められている気がする」
さっさと氷結モードを解除して、幻の耳をへにょんとさせたジェドがへたる。
「一応、六年間も魔力制御に苦労させたことに関しては、私も責任は感じているんですよ?」
「おまえが悪いわけではないだろう。[鑑定]をしただけだ」
「……ええ。視ただけ、です。誰よりも相手の情報が分かって、苦しむ原因が分かるのに、どうすることもできないのです。ときどき、自分の無力さが嫌になります」
貴族の中にいて視つづけていると、自分までそちら側にいるような気分になるが、私はただの平民だ。魔力値だって60前後。100が貴族の平均といわれるので、ぎりぎり下位貴族に引っかかるという程度だ。
魔術も医術も専門ではない、ただの鑑定士。その事実が、私の心を皮肉にする。
「すみません、愚痴ですね」
「いや……だが、そうだな。責任ついでに教えろ。私について他に隠していることはないか?」
「……言いますが、絶対に他に洩らさないでくださいね?」
「自分のことだ。洩らすはずがない」
ジェドが自信満々に言うので、奥方様にも告げていないことを口にする。
「ご当主様の先祖返りの件ですが、礎となった種族は、ただの獣人ではなく、竜人です」
「――――――は?」
「ですから、ジェドの魔力もアリシア様の怪力もユリアン様の頭脳も、竜人由来のものなんですよ」
今でこそ数を減らし、獣形も鳥形もすべてまとめて〝獣人〟という扱いだが、彼らの全盛期には、それぞれ別個の種族として明確に分かれ、階級が存在した。
中でも、竜の血を引く竜人は彼らの頂点に立ち、精霊を従え、世界の調律を行なっていたという伝説の存在なのである。
ま、私は[鑑定]で〝竜人由来〟というのを視ただけなんですけどね!
「性質的には、黒竜……闇系統というらしいのですが、竜人に関する書物があまりなく、残念ながら調査は進んでいません」
「調査とか、そういう問題なのか?」
「そこが[鑑定]の難しいところですね。視えた情報を正しく理解しないと意味がないので、場合によっては何冊も書物をさらって補完する必要があるのです。……あ、ちなみに皇家の源流も竜人です。あっちは光系統ですが」
「ま た お ま え は ! 皇家の秘密をべらべらと……!」
「他に洩らさないと言ったじゃないですか。第二皇子殿下を[鑑定]したら、視えちゃったんですよ。あっちのほうが血が濃いらしくて、魔力の多さと馬鹿力の原因に納得です」
「私は、父上がおまえを手元から離さない理由に納得だ。むやみやたらに[鑑定]するんじゃない。おまえの身が危なくなるんだぞ!」
「今回は情報係だったので仕方ありません」
言い返せば、ジェドが額に手を当てて、ふーうと長い息を吐いた。
「では、情報係だったおまえに聞くが――彼女は、死罪を命じられるのか?」
「苦痛の少ない方法であればと、願っています」
本当は今朝方、斬首されたという噂を耳にしていたが、あえてそう口にする。斬首は貴族階級への死刑方法なので、それが真実ならば男爵令嬢として裁かれたということだが、裁判の開かれていない性急さが、単なる断罪ではないことを物語った。
遠回しな肯定に、ジェドがぐっと瞼を閉じる。
「……厳しいな」
「ええ。こうならないために、早く彼女を懐柔するよう申しあげたのですが」
ぽつりと漏らせば、「あのとんでもない提案はおまえか」と苦々しく睨まれた。心外な。
「彼女を嫌いではないと言ったでしょう。賢くはありませんが、あの獲物に対する嗅覚の鋭さはなかなかのものです。フードお化けのダマスク華公爵令息に会った初日で狙いを定めるなんて、普通はできませんよ。
それに、あのストーカー密偵ですが、実は昨夜遅く、神聖王国の巫女姫様の隠し子だったことが暴露されました。陛下しかご存じなかったそうですから、優良物件を嗅ぎ分ける手腕は、お見事としか呼びようがありません」
「……おまえの手にかかると、あの事件が全く別物のようだな……」
きれいな顔をくしゃりと歪めて苦笑するジェドは、笑っているというより泣いているようにしか見えなくて。
何を言っても上っ面だけの慰めにしかならないのは分かっていたけれど、今言える一番率直な言葉を選んで口にした。
「無理にすべてをなかったことにする必要はないと思うのです。モーガン嬢が多くの偽りを抱えていたとしても、貴方自身の気持ちも、共に過ごした時間も本物なのですから、否定する必要などありません……ご友人たちのことも」
抑えた声でそう言えば、ジェドが身じろいだ。
唇を噛み、顎を乗せていた手で、乱暴にプラチナの前髪を掴む。
「……私は、まだこの中途半端な気持ちのままでいて良いのだろうか……?」
「大事なのは、周りがどう思うかではありません。貴方がどう思い、どうしたいかです」
菫色の瞳が、おずおずとこちらを見た。
「エマは、反対しないのか? その、友人たちに関してとか……」
「するわけないでしょう。貴方は人見知りで、皇都からもしばらく離れていましたから、学院に入学される前は、ご友人が一人もできないのではないかと心配をしておりました。
モーガン嬢はともかく、他の方々は、性格がどうであれ身分的にも問題ありませんし、なにより一緒にいて貴方が楽しんでいらしたのが分かりましたから」
本当、ぼっち生活にならなくて良かったよ。ステファン様の子飼い従者がのさばりはじめていたから、そのまま閉ざされた世界に引き籠られたらどうしようと思っていたのだ。
まさか友人たちと仲良く女性を共有するとは思っていなかったが――あれは恋愛と友情が並立した貴重な関係と見るべきなのか、いささか迷うところで――やっぱり謎ハーレムを築いた彼女を失ったのが惜しまれる。
「人を見る目がないと思われているのだろうと、思っていた」
「人を見る目を養うには、痛い目を見るしかありません。私だって、あまり自信のあるほうではないのですよ? [鑑定]で視るにも限界がありますから」
[鑑定]で分かるのは、その時その人の状態情報だ。祝福や付与、かけられた呪詛、契約、隠しスキルから感情レベルまで判別がつくが、公的に与えられた階級、犯罪歴などは分からない。つまり騙す気満々で来られたら分かるが、悪意なく二股したり徐々にストーカー化されたりするのは見抜きようがないのだ。
「友人を選び間違えたことはないのですが、男性に関しては付き合って一週間で他の女といるのを目撃したり、気がつくと昼夜を問わず付け回されたり、他に婚約者がいたり、散々ですね。男を見る目のなさには自信があります」
「エマは、これまでどれくらい異性と付き合いを?」
「人数的には五人……でしょうか。最短で一日というのがありますので、それを含めなければ四人ですね。でも最長で1ヶ月なので、どれも似たり寄ったりかと」
率直に教えれば、さすがにお坊ちゃまが顔を顰めた。
「私が言うことではないが、そういう付き合い方はよくないと思うぞ?」
「ですから、見る目がないと言っているでしょう。良いのです。ここまで来たら、立派な嫁き遅れになって人生を楽しみます」
「エマはいくつなのだ?」
当然といえば当然の質問に、私は表情筋に力を籠めてにっこりと微笑んだ。
ひくっとジェドの顔がひきつる。
「ジェラルド様。どんな女性にも決して年齢を聞いてはなりません。特に、今のような話の流れで聞くなど、裸のまま逆さ磔にされても仕方のないレベルです」
「……う。すまない」
「まあ、今回は特別です。私だけが一方的に貴方について把握しているのは、フェアではありませんからね。年齢は二十歳です」
「なんだ、もっと上かと――」
言いかけ、はっとジェドが口に手を当てる。この失言ワンコめ。ステファン様が『感情を出すな』と厳しく躾けるはずだ。根が素直すぎる。
「本当、学院で見せていたクールさが幻のようですね……」
「私は外見がこうだから、感情を出すと舐められるのだ」
「〝感情を表に出さない〟のと無表情は違います。せっかくの美貌なのですから、有効活用してくださいませ」
「そうは言われても」
「たとえば、相手が嫌味を言ってきたときなど、無表情で跳ね除けるのと笑顔でやりこめるのとでは、相手に与えるダメージの深さが違います。
一時しのぎではなく先々のことも考えて、二度と相手に付け上がらせないように、周囲にも牽制しつつ、かつ敵を作らずに味方に引き込む勢いで相手を精神的に捻じ伏せるには、笑顔は最強です。不利なときほど笑うべきですよ」
「確かに。おまえと父上のやり取りを見ていて、そう思った」
「これからジェドは最難関に挑むのですから、いろいろと心しておいてくださいませ」
「最難関?」
こてりと首を傾げるジェドに、そろそろ目的地に近づいてきた窓の景色を目で示しつつ教える。
「アイスバーグ侯爵との会談ですよ。婚約解消の謝罪に向かうのでしょう? 笑顔でどうにかできない案件なのが辛いところですが」
「……やはり先方は怒っていると思うか?」
「そうですね。たとえば、アリシア様が相手方から請われて婚約したところ、五年後こちらには何の非もないのに、相手の男が他の女性に気を許した挙句、そのことが申し訳ないので婚約解消させてくれと申し出られたら、『もげろ、ハゲろ!』って思いませんか?」
「……思う、かもしれないが。もうちょっと他に言い様はないのか?」
「もいで埋めるぞ?」
「新手の拷問みたいだな……」
「いえ、古代東国で行われていた処刑方法です」
「頼むから、もうちょっと士気が上がることを言ってくれ。謝罪に行く前に心が折れそうだ」
「昨日あれだけさんざん切り刻まれたのですから、折れるほど残っていないはずなのですが」
「…………エマ」
じと目で睨まれると、ちょっとだけ良心が疼いた。
手を伸ばし、ジェドの首輪に下がる銀色の南京錠を指先で撫でる。
「もがれても頭髪を毟られても、殴られて顔の形が変わっても、ジェドは私のものです。待っていますので、無駄な抵抗はせず、存分に叱られて帰ってきてください」
「……もがれるのは確定なのか」
「母直伝の薬を準備しておきます」
苦笑したジェドが言い返そうとしたとき、馬車が止まった。
未婚の男女が一緒にいるところを目撃されてはまずいので、クラバットを締め直し、予定の詰まっているジェドが先に降りる。
「では、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
車寄せには、ご当主様の側近たちが並んでいる。
ステップを降りかけ、ふとジェドが足を止めて私を振り向いた。
「約束だからな? きちんと待っていろよ?」
「もちろんです。ジェドの鍵は私が持っているのですから、逃げも隠れもいたしません」
不安そうに見上げるワンコに、首元の鍵を指して告げれば、「リボンを結び直すから後ろを向け」と言われる。
お子様たちの攻撃で解けたのかと素直に背を向けると、うなじのあたりでさざめく衣擦れの音と――低い囁きを含んだ、あたたかな吐息。
「我ジェラルド・ヴァレリウスが命ず――」
その場で紡がれる魔力に[鑑定]が起動し、現実ではない視界に光の文字が溢れた。
光・誓約――所有者固定
風・防御――外敵排除
風・伝達――居場所特定
闇・隠密――追跡
ほほう。さすが、火と水の属性以外では、安定した魔術が使えるものだ――と感心したのは一瞬のことで。
最後に範囲が記述され――対象:リボン(黒・ベルベット、所有者エマ・シラー)――それらが魔法陣となって一際強い光を放って私の首に巻きつけば、こめかみもひきつるというもので。
「……ジェド……?」
「だって、油断したら他の者に盗られそうだったし、エマにいろいろ理屈を言われてごまかされても、私には反論できそうにないから……」
くーそーうー!
背中に頭コツンはズルいぞ! 断固としてズルかわいいの第一級犯罪認定を要求する!!
「……お風呂に入るときと寝るときは外しますからね?」
「う、うん」
「あと、[監視]や[盗聴]をつけたら二度と口をききません」
「分かった」
すーはーと深呼吸して、くるりとジェドに向き直る。ステップを数段降りていたので、ちょうど頭の高さが同じくらいだ。クラバットのしわの形を整え、プラチナの頭をふわりと撫でる。
「お帰りを待っていますから、気をつけて行ってきてください」
「……うん。行ってきます」
照れくさそうに、でも嬉しそうにジェドは初めて満面の笑みを浮かべ――私の心臓をキュン死にさせてから、軽やかに馬車を離れ、側近たちとともに寮へと去っていく。
――馬車で一人じゃなかったのがバレるとまずいから、別々に降りようって言ったのに、いろんな配慮が全部無駄になったんだけど、あいつは分かっているのか。
「あとでまとめてお説教だな……」
つぶやけば、御者台のほうから人工的な笑い声が響いてきた。
『いやあ、甘酸っぱいねえ』
「黙っていてください。今日は傍観者に徹するとおっしゃっていたでしょう」
『いいじゃないか、少しくらい』
声が聞こえるのは、細く開いた御者側の小窓の先。特製馬車に付属して創られた魔道具人形の御者だが、実際にしゃべっているのは、それを通じて[監視]しているご当主様である。仕事しろ、宰相!
『そうかそうかー。うちの息子も、やっぱり男の子なんだねえ』
「それ以上しゃべったら、ジェドにストーカー行為をバラします」
『ひどいなあ。息子のことを心配しているだけだよ?』
「楽しんでいるの間違いでしょう。人形としゃべっていると正常な神経を疑われるので、本当に黙ってください」
『ふふ。独占欲、いいよねー。青春だなあ。うふふふふー』
アリシア様が、こ こ に い る……!
「わかりました。では代わりに、ご子息様の特別な肖像画を手配いたしましょう。なんと本国初公開の犬耳付きジェドです」
『……い、いぬみみ、だと……?』
「髪の色と同じプラチナブロンドのふわもこ三角耳で、耳の内側はほんのりピンク色をしたナチュラルなリアルさを追求した一品です。ご希望であれば、同じ毛質のふさふさ尻尾もおつけいたします」
『……むぅ』
「もちろん首には例の錠付黒革の首輪を嵌め、ふわふわの耳と尻尾を付けたジェドが、ちょっとはにかみながら、こちらに笑いかけているわけです。これだけでも充分悶えるレベルですが、さらに足元には黒いふわ耳と尻尾をつけたアリシア様とユリアン様が無邪気にじゃれついていれば、そこはもう――天国」
『よし買った!』
「では、お話はこれきりということで。……あ、行き帰りの馬車内での会話は奥方様にも口外無用に願います。では」
ぺし!と御者台に通じる小窓を容赦なく閉めて鍵をかける。
『え? あ、あれ? エマ?!』と慌てたご当主様の声が聞こえるが無視だ。さっきのさっきまで渦中にいたというのに、これ以上奥方様や弟妹君に燃料を投下する気はない。ご当主様には悪いが、時間稼ぎをしていただかねば。
諦めたのか、がたりと馬車が動き出した。これから上位貴族用の車庫に向かい、私はそこから使用人用のドアを通って寮に戻るのだ。
休暇の残りは、あと六日。やるべきことはたくさんある。
公然と犬耳ジェドの肖像画作成に携われることになったので、だいぶ動くのが楽になった。
まずは奥方様とアリシア様に連絡。主人の暴走に慣れたアリシア様付侍女が、映像記録の魔道具(めちゃ高い)で撮影していたから、それをお借りして――お抱え絵師を呼んで見せながら構図を説明して、弟妹君を仮装させ――奥方様のチェックを受けて、完成までに約1ヶ月といったところか。《万霊祭》までに仕上げられるか交渉してみよう。
ご当主様の食いつきぶりから、安く肖像画を売りさばくことは難しそうだ。残念だが、作成費用を負担していただくだけで我慢するしかない。
売れそうだからもったいないんだけどなー……あ。魔道具から過去の映像記録を印刷して、写真集なんてどうだろう? 原価がめちゃめちゃ高くなるが、一部の貴族には絶対受けるはずだ。
ご当主様に要相談だな。
これから部屋に帰って、親と兄たちの返事を確認して、明日から皇城近くの学術院にいる三番目の兄のところに転がり込む予定だ。今日視たジェドの[鑑定]結果を精査して、一年間の成長計画を立てねばならない。付属の皇立図書館をフル活用するのだ。
今後に必要な服・靴・下着・武具・筆記用具から日用品にいたるまで、皇都で買うよりアルバで買ったほうが安いので、リストアップだけして、初日に必要なものだけを荷造り。
移動は駅馬車――は、さすがに心配なので、ギルドから手を回して商人か冒険者の馬車に相乗りさせてもらうほうが無難だろう。この案件は父に回すとして。
あとは友人たちから頼まれている、皇都でしか買えないお土産を買い込むと、時間はほとんどなくなる。
――あ。肝心な自分の準備を忘れていた。三年間もアルバを離れてメイドをしていたから、ちょっと不安なのだよね。護身術的に。
特にジェドを連れて行くのだから、訓練のやり直しは必須だろう。今回も念のため仕込んでいたのだが、使う機会がなくて良かった。
だがアルバでは、これから冬を前に魔獣たちの繁殖期に突入する。武器の携帯は必須だ。
張りのあるサテン生地のスカートのスリットから、太腿に止めていたそれを取り出す。淑女の服装は面倒だがミルフィーユ状なので、布の合わせ目さえ間違えなければ、わりとなんでも隠せるのだ。
……なんでこれにポケットをつけるっていう思考にならなかったんだろう、私。
ため息を吐いて、魔道具となってしまったリボンに指を触れる。なんだかとても、[追跡]は私じゃなくてジェドにかけるべきだろうという気がしてならない。
「引き綱買うかな……」
呟いて、あれほど嫌がっていた状況に、結構のりのりな自分に改めて気づく。
命運を握っているのだか握られているのだか、分からないけれど――。
わりとこの一年楽しくなりそうだと、確証じみたものを胸に秘めつつ、手の中の細くて長いしなやかな革の――いわゆる鞭と呼ばれるそれの――感触を確かめ、私は笑った。
* * *
六日後。
もがれることも毟られることもなく、五体満足で謝罪を終えたジェドは、三年ぶりにアルバの町に降り立ち。
ものの十分も経たないうちに、妖鳥ハーピーに背後から捕獲され。
「うわああああぁぁぁ……っ」
「ジェド!!(やっぱり引き綱が必要だったか……!)」
早々にエマの鞭が唸りをあげることになったという。
「保護者を私に指定して、[追跡]と[防犯]を自分にかけてください」
「…………そうします」
そんな悲喜こもごもは――――また、別のお話で。
あと、婚約者様視点でおしまいの予定。。