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【序】


「大変だっっ!!」


 大音とともに召使い控室のドアが開け放たれたのは、もう少しで式典が終わろうという夕の刻。

 貴族の侍者らしからぬ言動をたしなめようとした私は、ついで投下された爆弾に、思わず閉まりかけたドアを蹴破って、廊下に飛び出した。


 ――曰く。


 ロザリオン皇国の四華公家フォー・ローゼズの一、アルバ華公爵ロードデュークの長子であるジェラルド様が、ご当主様の逆鱗に触れ、廃嫡。ご当家から放逐され、市井に下ることを命ぜられたという――この、皇立学院卒業という賑々しい式典の真っ只中で。


 三年間で培った最高位貴族付メイド仕様の猫かぶりをかなぐり捨て、貴族寮の廊下を早足で駆け抜ける。ご当主様の滞在先である貴賓室の前で足を止め、乱れたスカートとボンネットを直して執事に面会の取り次ぎを頼めば、すでに会場からお戻りだったらしく、滞りなく中に通された。


「なんだね?」

「旦那様。メイドの身ながら、直々の発言をお許しくださいませ」

「かまわないよ、エマ」

「ご当主様にお伺いいたします。先ほど式典の場で、ジェラルド様をご当家から放逐するとご通告されたと聞きおよびましたが、誠でございましょうか?」

「確かに……そのようなことを言ったね」


 やわらかなご当主様の肯定に、私はがばりとその場に両手両膝をついて、額を床にこすりつけた。極東群島でいう、ザ・土下座だ。


「お願いでございます。どうか、ジェラルド様のご放逐をお取り消し下さいませ!」

「それは難しいな。相応のことを、彼はしたわけだしね」


 知っている。

 ご当主様の頭脳と魔力に加え、奥方様の美貌を受け継いだ華公家の長子様は、皇太子やら将軍の息子やらのお坊ちゃま仲間ともども、学院二年目で転入してきた市井上がりの男爵家の娘に骨抜きにされ、八股とか十股とかかけられていることにも気づかずに皇帝陛下が定めた婚約者を無碍にし、挙げ句この卒業式の式典の場で婚約破棄を公言。さらにその男爵令嬢を辱めた罪人として、婚約者ご令嬢様方を糾弾したのだ。

 当然、それは数々の証拠物件および証言をもってして、ただの自爆行為と化し、こうして〝廃嫡&放逐〟などという処遇に相成ったわけなのだが。


「ジェラルド様のなさったことは、このエマも重々承知いたしております。廃嫡となさるのは、致し方ないことと心得ております。もちろん、ご本人様もご覚悟の上でしょう」


 非公式に婚約相手のアイスバーグ侯爵家との繋ぎをつけ、先手を打って嫡男の無礼な振舞いを詫びる会談の場を設けたのは、なにを隠そうこの私だ。

 さらに証拠集めてアイスバーグ侯爵令嬢をはじめとした各婚約者ご令嬢様方にお渡しし、演技の段取りも入念に打ち合わせさせていただいた。無論、皇帝陛下や当家を含めた四華公家フォー・ローゼズのご当主様との〝お話し合い〟にも噛ませていただいている。

 文書のやりとりなんて、今回のためだけに暗号文を作らされて、もう本当に、ほんっとうに大変だった。


 だから。これくらい言わせてもらっても良いと思うんだ。


「ですが、放逐となりますと話は別でございます。このエマ、一命を賭してもお考え直しいただきますよう、ご嘆願申しあげます!」

「顔を上げよ」


 素直に伏せていた顔を上げれば、目の前には重厚な執務机に腰かけた黒髪の壮年男性が一人。両脇に側近を従え、穏やかな顔貌のうちにも官吏とは思えぬ眼光を放って、悠然とこちらを見ていた。

 その机を挟んだ左手には、白金プラチナの髪と菫色の瞳をもつ美貌の青年が、蒼褪めた表情で立ち尽くしている。


 ――ち。いやがったか。


 という心の声は表に出さず、白いものを交えてなお[黒焔狼]の気迫を備えた、ご当主様のご尊顔を仰ぐ。


「エマ。おまえがそこまで申す理由はなんだ?」


 ほんのりと端の吊り上がった口元や、厳しい双眸の奥に潜む光に、厭な予感がよぎる。それでも、臆さず口を開いた。


「はい。恐れながら、ジェラルド様は市井向きの方ではございません」

「承知している。市井に揉まれ自分の甘さを見つめなおすことは、意義ある経験となろう」

「それが困るのでございます」


 率直に返せば室内の空気がわずかに凍ったが、そんなのは無視だ。

 すう、と息をひとつ吸い、ゆっくりと吐き出してからおもむろに告げる。


「失礼ながら、ジェラルド様は歴史学・語学・数学に長けておられ、魔術、剣術におよびましても同年代のものの中では屈指の実力と言われております」


 まあ、それも男爵令嬢に骨抜きにされる前までだが。

 ご当主様が放っておけとおっしゃられたのでそのままにしていたら、卒業に必要な課題まで落としそうになり、慌てて『彼のお嬢様は、すべてにおいて優秀な方と添い遂げたいんですって』などという噂をばらまいて事なきを得たのは苦い思い出である。


「ですが、そんなもの下町では何の役にも立ちません。三日もしないうちに路地裏でなぶり殺しにされているのがオチです」

「貴様! メイドの身でなんという口のきき方だ!」


 どうやら擁護されていると勘違いしていたらしいお坊ちゃまが、額に青筋を立てて怒鳴る。


「お静かに。この場で発言を許されているのは私です。それに誤解していらっしゃるようですが、先ほど申しあげた貴方様の実力とやらは、あくまで〝同年代のものの中で〟のこと。下町では子どもの手習いほども通用いたしません」

「な、なにを根拠に……っ!」

「アルバが皇国内でどのような位置づけにあるか、お忘れですか?」


 冷静に問えば、さすがに自領のことは心得ているようで、ぐっとつまる。


「アルバ領は皇国一の広さを誇り、豊かな農作地帯は国の台所とも呼ばれるほど。しかしながら北部一帯を占める森の地下迷宮に巣食う魔物のために、年に数回、領民が一丸となって討伐をしなければならない、二律背反の地――それがわが故郷にございます」

「そ、そんなことは承知している」

「だからこそ貴方様の剣技も魔術も通用しないと申しあげているのです。貴方がこの学院でどのように優秀であろうが、それはあくまで〝学院〟のレベル。訓練でいくら魔物を倒そうが実力とは呼べません」

「しかし、私は現に……っ」

「高貴なる血筋の方々が集う学院で、まさか本物の魔物とやりあっていたとでも? 教師に隷属されたか、幻影魔術で創出された魔物に決まっているではありませんか。見た目や雰囲気に慣れさせ、かつ倒せるという自信を植え付けた上で、騎士団や魔術師団に入団させる布石にするのが目的です。学院はあくまで教育機関です。そこをお履き違えなきよう」


 いろいろ言いたいことはあるが、ぐっと呑み込んで息を吐く。


「私は貴方様とお話にきたのではありません。

 この、剣技が未熟なくせに傲慢なために兵士も向かず、細かい操作が苦手でド派手な火炎魔法と氷魔法しか能がないため魔術師としても微妙。協調性がないので冒険者も向かず、メイドの私ごときが見抜ける悪女に引っかかる程度の器量なので商人として世を渡ることも適わず。忍耐力が皆無なので農民も却下。空気を読むのが下手なので、下働きなどもってのほか――ああ。強いて使えるとすればこの美貌と歌声くらいですが、『貴族の体面や誇りよりも真実の愛を選ぶ』などというおめでたい気性のようですので、下手をすると情報操作用に他国に利用されかねませんから、男娼という線も難しいかと思われるご子息の今後の身の振り方についてですが」


 立て板に水のごとくダメ出しをすれば、ただでさえ顔色の悪かったお坊ちゃまが、魂が抜かれたような姿になった。が、気にせずご当主様に申し立てる。


「このような方を市井に送り込まれましては、下町が混乱いたします。なにより、ここまで皆と作り上げてまいりました領地の品位が下がります。即刻お考え直しのほどをお願い申しあげます」

「まだ十七だ。伸びしろがあろう? 試練を乗り越えれば少しはましになる」

「お言葉ですが、旦那様。では、なぜこのような事態を引き起こす前に、ジェラルド様に試練をお与えにならなかったのです? 私をはじめとして皆、進言をしたはずです。甘やかしてくれるものばかり周囲に侍らせていては、けして良くない結果をもたらすと」


 現アルバ華公爵――通称〝白華公〟ヴィクター様は、この皇国の宰相である。魔族に精神を操られた神聖王国とのしのぎを削る百年戦争が終結したのが、十年前。今もその後始末に奔走するご当主様は、奥方様ともども皇都に詰めきりで、ジェラルド様は十二の成人の儀と同時にヴィクター様の叔父上であるステファン様を執政として、一人アルバ本邸に戻られたのだ。


 ぶっちゃけ私はこのステファン様が苦手だ。領地経営にそれほど問題があるわけではないが、旧貴族の典型と呼べる気性の持ち主で、ジェラルド様を傀儡にする気満々だからだ。


 大叔父上で執政とはいえ、伯爵位のステファン様よりジェラルド様のほうが身分は上である。ゆえにどんなに根回ししようが決定権はジェラルド様にあるのだが、その裁量はといえば、周囲の者の胸一つでもある。

 たとえば。

『もっと書きやすいペンが欲しい』とか『もっと美味しい肉が食べたい』とジェラルド様が言ったとしよう。

 側に仕えるものの言うことはひとつ。

『かしこまりました』

 これだけである。


 ペンの持ち方を直すべきとか、今の時期に獲れる獣肉の種類は決まっているなどと指摘をし、考え直させるのも側近の役目だが、逆を言えば、考えさせないことができるのも側近なのだ。

 どんなに賢かろうが、貴族のお坊ちゃまには、お金がどこから来るのかや食事がどうやって食卓にのぼるかなど考えもつかない。思考という行為を外部から強制遮断することが可能だからこそ。


 昔はしつこいくらいにご当主様にそれを指摘したが、『そのくらい躱せずして白華公家の跡取りとは言えぬ』と一言の下に却下されて以降、口にすることは止めた。

 結果、ご当主様が選びに選んだ有能な従者も護衛も家庭教師も、口うるさいという理由で軒並み解雇だ。涙でそうだ、雇用費と才能の無駄遣いに。


 十数秒の間にそんなことをつらつら思い、気づいた。ステファン様の子飼いであるジェラルド様の側近たちが、まるでこの場にいないことを。


 冴え冴えとした微笑を漂わせる、白華公の灰銀の目と目が合う。


「まさか、今頃になって一斉大掃除ですか。しかも、このタイミングで?」

「私も皇城の仕事が忙しくてな。領地のことに手が回りきらなかったので、心苦しくはあったが致し方なく放置させてもらっていた。が、さすがにそろそろ辛抱が尽きた」


 確かに百年戦争で、貴族も平民も使える者は激減した。特に魔力保有者数が厳しく、そういう意味ではステファン様はいい駒ではあったと思う。教育上はまるでよくないが。


「いささかご判断が遅すぎやしませんか」

「そう怒るな。家ごといくか個人で収めるかで、さすがに迷ったのだ」


 ステファン様の実家、ヴィクター様の母方にあたるプリスタイン伯爵はアルバ華公家の姻戚の中でも旧家で、宮廷貴族ともつながりが深い。このタイミングということは、家ごと潰したのだろう。皇帝陛下と四華公家フォー・ローゼズのご当主様方が揃う場など、宮廷の夜宴でもそうあることではない。

 つまり、最初からジェラルド様は〝餌〟扱いだったというわけだ。


「ご子息を御身と同じレベルでお考えになるのはお止めくださいと、何度も申し上げたはずですが?」

「それを御しこなしてこその後継だ、と申したであろう?」


 だめだ、不毛すぎる。

 私は小さく呻いて、指先を額に当てた。

 もう、ほんとだめだ、このご当主様。いつからご長子様を廃嫡する気だったんだろう。

 皇都にいる八歳のアリシア様と五歳のユリアン様が、ダメ兄貴を反面教師にして、すくすく育っていることが救いだ。


 ――あれ? それも計算通り……か?


 ぞわわと立った鳥肌をなだめていると、ご当主様が穏やかに切り出した。


「そなたも申した通り、基本的にコレの出来は悪くない。魔力も剣技もたいしたことはない代わりに悪い癖もついておらぬゆえ、叩き込めば多少は形になろう。性格も……いくらか扱いにくいが単純だ。ほら、ナントカとハサミは使いよう、というではないか?」

「そう思われるなら市井に下さずに、そちらで引き取って管理してくださいと申しているのです! 成人していらっしゃるとはいえ、ご子息はまだ社交界のお披露目前で、貴族としては半人前です。保護者としての責任はどうなさるおつもりですか!

 だいたい嫡男としてお育てになられた以上、ご子息にはそれなりの時間と手間と経費が注ぎ込まれているのですよ! 正直、廃嫡されるのであれば、かかった養育費分くらい領民に均等割りして返還していただきたいくらいです!」

「返還、だと?」


 喰らいついたのは、ご当主様ではなく蒼い顔をしたお坊ちゃまである。


「貴様にそんなことを言う権利があるのか?!」

「ありますよ。一口に公爵家の年間予算と申しましても、内訳としましては大まかに、関税を含めた領内の税収が四割、国からの補助金――これも本をただせば税金というのはお分かりと存じますが――が三割。あとの三割は白華公家直轄の土地建物の収益と、運営委託する企業組織からの上納金です。この企業組織の主たるものが冒険者ギルドで、私は本来そこの職員です。当然お給料はいただいておりますが、経理兼鑑定士として収入に貢献もしておりますし、もちろん清く正しい納税者でもあります」


 お坊ちゃまが、ぽかーんとした表情でこちらを眺めてくる。

 それはそうだろう。なにしろ私は背が低くて童顔なので、メガネ×三つ編みお下げ×エプロン姿のメイド仕様では、お坊ちゃまより年下。控え目に言っても同年代にしか見えない。

 実年齢は二十歳なので、それほど差があるわけではないが、ぽかーん顔が面白かったので詳細は教えないでおく。実際、本格的にギルドで働きはじめたのは十歳からで、職歴は十年を超えているのだ。なまじギルド長なんてものを親に持つと、手伝いの要請コールが酷い。


 今回のメイド業は、裏方のくせに仕事を広げすぎて悪目立ちしそうになっていたところ、ちょうど母の友人で幼い頃からお世話になっている、奥方様こと白華公夫人レティシア様から依頼がきたのだ。


『目の届きにくい学院に三年もいるなんて、あの子のことが心配なの。エマ、わたくしの代わりに側にいて報告してくださらない? あの子はきっと、楽しい話題しか教えないだろうから』

 

 息子と同じ菫色の瞳を潤ませながらそうお願いされて、断れる者がいるだろうか。

 かくして私は、『あくまでメイドの職分内で見聞きしたことを週一回報告するだけでよい。不測の事態が起こったとしても対応はしなくてもよい』という条件のもと、ジェラルド様の三年間の皇立学院生活にお付き合いすることになったのだ。

 ――けしてお給料がギルドの1.5倍だとか、学院の図書館が利用放題なんてことに惹かれたわけではない。それも要件に含まれてはいたけれど。


 それにしても。

 今回の顛末をどうやって奥方様にお伝えすべきか。そのことに酷く心が痛む。

 ご当主様は奥方様を溺愛してらっしゃるけれど、職務には人一倍厳しい方だ。きっと包み隠さず全部話されるだろう。衝撃を受けすぎないよう、事前に軽く情報を流しておいたほうがいいはずだ。

 マイナスの副産物は多々あったが、息子の初恋を喜んでいらしたから、『あら失恋しちゃったのね。振られたうえに旦那様のお叱りを受けるなんて、あの子も大変だこと』などと、ほんのり笑っておっしゃられそうではあるのだが。


 思い返すうちに、だんだん腹が立ってきた。

 私の役目は情報伝達のみで、判断を下すのはご当主様だからと苦言ひとつ口にしてこなかったが、そろそろいいだろうか。

 あの、ぽかーんとしている、お気楽な間抜け面を張り倒したくてたまらない。

 私は床に膝をついた姿勢のまま、彼を見上げて口を開いた。




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