私と部活
ホームルームが過ぎ去るまで。そして過ぎ去った後。今日も一日お疲れ様。
坂井君が挨拶の号令を口にしたところで今日はお仕舞。
私が役に立たなかった傘を手にして、いつものように部室に向かう。思った通り賦星先輩はやっぱりパイプ椅子をお腹に預けて先にいる。
「ああ。島世要」
「はい。賦星先輩」
「それで、どうしたノートは」
賦星先輩は開口一番に口にしたのは秘密について。
「書いてきましたよ」
「ふうむ。それで」
賦星先輩がロッカーをいじり回しながら口にするのを眺めると、私も同じように手荷物をごそごそといじり回す。
秘密のノート。
「貸してみ」
「ええ」
「これは、さ」
先輩はそう口にすると視線も厳しく開いたノートを睨み付けて、それから、一枚ページをめくった。
「書いたよね」
「ええ。書きましたとも」
「何。この最初の言葉は私の書いたものに合わせたわけ」
最初の一行。賦星先輩の最初の一行と同じように合わせて書いた最初の一行。
「要はさ、私みたいになりたいの」
『島世要。私はすごくなりたい』。
「そうですねえ」
返事には気が入ってないようにも思えるけど、賦星先輩は気にしない。
「なりたいならさ」
そう口にしながらパイプ椅子から立ち上がって丸めたノートを机に叩きつける賦星先輩はどこか楽しそう。ノートを広がるままの慣性力に任せて先輩は私に向かって顔を寄せると、其れから一言だけ口にする。
「私みたいに秘密を持てばいい」
胸に手を当てながら、派手に自己主張するように、思い切り強く私の手をつかむ先輩はそんな人だ。
「秘密、ですか」
「秘密だな」
「そう。先輩の秘密ですか」
「そう。面白そうだろ」
「だったら教えて下さいよ」
面白そうな気もするし、なんだか気が遠くなるような気もする。先輩の距離は近い。私のもう目線の中心で胸に手を置いたまま、少しだけ反り返っている。
「駄目。まずは秘密のノートと要の秘密からな」
「私の秘密ですか」
「そう要の」
話が飛んでしまったような気もするし、そうでないような自然な気もする。私が書いた秘密のノートと私の秘密。
「『秘密のノート第一条。秘密のノートにはフルネームで』」
「そうこれ」
「これですか」
「これ。十条もある。何これ」
「何と聞かれても。秘密だからいいじゃないですか」
秘密のノート第十条。特に意味があるわけでもない。秘密だからルールを決めてみたのだけど、始めると長くなってしまって箇条書きに書き直して第十条まで広がった秘密のローカルルール。セッション。
と、先輩はノートを机の上から取り上げると、丸みがかかったノートをパラと開いて見せて私の書いた文章を読み上げる。
「『秘密のノート第七条。ノートに書いた秘密は実現されてこそ意味がある』とかあるが」
どうしたものだろう。秘密のノート遊びは結構長い話題になってくれる。考えて書いたわけではなくて、そのつまり、秘密のルールだから、秘密。それで賦星先輩は結構真剣に遊んでくれる。昨日予想したのと少し違う気がする。先輩は、開放的な見かけに似合わず可愛い人だ。
「秘密は実現するまで秘密ですから。実現させてミッションクリアです」
「要はさ、結構あれだな」
先輩の真剣な顔つき、視線も厳しくノートを睨むその姿。秘密のノートを真剣に読んでもらったみたいで何だか気が咎める。私は真剣に遊んでしまう方だから、ついつい、書くべきことまでたどり着くのが遅くなる。私は一時間かけてルールを決めてしまったのだけど、そこで飽きておしまいになってしまうのならそれでもいいと思う。先輩が言い出したことだから先輩が笑ってしまえばそれでお仕舞だ。だけど、ノートの端まで付き合ってくれるのなら、それなら、それで話は別物になると思う。
「ま、いい。それでこれはどういう秘密なの」
先輩はルールの後、私の書くべきことにたどり着いて聞いてくる。それだけが昨日の秘密。私の秘密。
「書いてある通りですよ。賦星先輩」
「『私と私の友達が雨のバス停で傘は一つ』だな」
「ええ。一つきりでした」
「それなら一緒に返ればいいだろ」
それもそうなのだけど、どうしてだろう。どうしてだろう。きっと秘密だ。
「秘密です」
「何の秘密なの」
「秘密なことが秘密です」
と。ドアの開く音。
私は今河先輩が入ってくるのを眺めながら、賦星先輩が開いたままのノートを乗り出すように閉じると、先輩の驚いたような声を耳にしてそのまま、パタン、と二人、押しつぶされるように椅子に向かって倒れ込む。体重が滑るように落ちると重力で痛い。頭ごと先輩のスカートの上に倒れ込んで、そのまま。むぎゅ。
「何やっているんだ。二人とも」
「秘密、だ」
「秘密です」
「それは、それは。この前と同じだな」
今河先輩がそう口にて椅子を手に取って滑らせる音を聞きながら、分厚い紙束を今日も取り出すのだろうと考えている私は、部活が始まるのだとぼんやり思いつつも、むぎゅと打ち付けたまま、ぼんやりと見える賦星先輩のぺったんこなお腹を眺めていた。
「で、豊。どうだ。書きあがったのか」
私の肩を持ち上げながら、賦星先輩が今河先輩に尋ねる言葉はいつも通りのものだ。今河先輩を眺めてみる。黒髪に眼鏡、それに角まできちんとした制服。真面目を絵に描いたような人のような、少し離れているような。
「ああ。大体な」
「そうか!」
今河先輩のいつもと違う答え。今日はいつもと違うことが起こる日みたいだ。賦星先輩。その嬉しそうな顔といったらない。何かをやらかした子供みたいな、それでいてテストを乗り切った後のようなそんな表情を浮かべている。
「今回はこれだ」
「どれどれ」
「私にも後で見せてくださいね」
分厚い紙束を私たちの秘密のノートを眺めていたときよりももっと厳しい視線で睨み付ける賦星先輩と、真新しい電話端末を取り出す今河先輩を交互に眺めながら、私は何だかおかしな気分になってしまう。
と。ドアが開くともう一人、そして二人。みんなが入ってくる音を聞く。
そのとき私は部活をどうしようかと考えていたんだ。いつもみたいにそっと準備にかこつけて抜け出しちゃおうかなって。どうしてなのかな。新しいことの始まりの日にそんなことを考えてしまうのは。
「よし、よし。豊。これで決まりだな」
賦星先輩の声を聞き流しながら私は、ふと、先輩の秘密のことを思っていた。秘密なんて存在しないような人なのに。先輩が明るく跳ねるようにして一泊の深呼吸をした後、
「『私の何があなたを苦しめるというのです』」
深いソプラノを響かせ悲しそうに瞳を俯かせるようにしてみせて、それから漏れるような笑いをみせて、それから、それから。
そう。それが、これから始まる私の部活。