雨の日と部活と秘密。
日時:六月十六日。場所:部室。目的:賦星先輩の秘密の行方。
賦星先輩はと言えば、今日も部室に一番乗りなのだろう。私は今日も先に来ている賦星先輩のことを眺めながら、ふと賦星先輩はクラスのことが、教室が、嫌いなのかなって思わずそう勘ぐってしまう。
私が、開いた扉の先では机に向かう今河先輩とパイプ椅子に腰かけた賦星先輩が台本を前に言葉を交わしている最中だった。
「だから。昔の女の方を選ぶんじゃなくて」
「いや。それはだね。真知子。しかし面倒だな」
「そうでもないだろ。最後の結末を変えるだけだから」
「いや。そうすると真知子の出番が減るだろ」
「私の出番か」
「実際、何かが不満で元の女から去るというわけではないし、愛は突然やってくるものだ、というのがテーマではあるからな」
「でもな。普通恋は実らせるべきだろう。新しい女の方がいいだろ」
「真知子。そういえば薔薇についてもそんなことを言っていたな」
「とにかく新しいのがいいのさ」
「古いものに意味づけをすることができないなら、ちょっとこういう劇をやるのは難しいんじゃないのか」
「意味づけか」
「そういえば、島世君も似たようなことを言っていたな。島世君」
私は、部室の扉を閉めた後、二人のうち続く会話に、挨拶も出来ないままロッカーの整理を始めていたんだけど、突然訪れた沈黙と自分が呼ばれたこととが結びつかなくて少しの間返事を返すのが遅れてしまう。
「はい」
今河先輩の突然の指名に声をあげる私は、一体、何のことを言われているのかピンと来なかった。
「先週の土曜の休憩時間に言っていたことだよ」
「私、何か言いましたっけ」
「ああ。確か幕切れが良くないというようなことを」
「そういえば」
そういえば口にしたような気がする。そうだ。男が過去の女の元に戻り何かを諦めてしまうままで、そのままで、満足するのが何かに違反しているような気がして、私は、今河先輩に何かを問いただしたのだ。
「いやさ。私もこの週末台本をもう一度通読してみたのだけど、どこか違和感があって」
賦星先輩がそう口にするのを聞く私はどうしてだろう、賦星先輩が書いた秘密のことを思っていたんだ。
「どこに違和感がある」
「豊。悲恋はいいとして過去の女の元に戻るって言うのはどうなんだ。な、要」
先輩と恋。賦星真知子は今河豊のことが好きなのかも。そうなのかもしれないとは、私も思う。だけど、けれど。
「確かに。私は、男が別れた後、女とどうしようがいいとは思いますけど、余り綺麗ではないような気はしますね」
綺麗じゃない。今河先輩が描いた台本はどこか綺麗じゃない。影があると言ってもいい。
「島世君も要も分かってくれないな」
「そうか」
「そうでしょうか」
私と賦星先輩はそう言ってからお互いに気づいたように笑い合う。
「何が可笑しいのやら」
「それは秘密です」
「ま、秘密だな」
今河先輩が額を押さえながら台本に向かい合うのを見ながら私はそう口にする。そして賦星先輩もそう口にする。秘密のノートには秘密がある。私たちが始めた小さな秘密の物語。秘密のノートを巡る小さな物語。私は笑い合う賦星先輩のことを見ながらふと自分で書いた秘密ノート十カ条のことを思い出していた。
『秘密のノート第七条。ノートに書いた秘密は実現されてこそ意味がある』
そうだ。
そうだった。
秘密は実現されてこそのミッションクリアなのだ。
「そういえば今河先輩」
「何かな。島世君」
「例えばですよ」
「例えば、ね」
今河先輩は興味も無さそうに、私が発した言葉を繰り返す。私の言葉に今河先輩が興味も示さない。先週の私の発言をほとんど覚えていなかったように、今河先輩はその制服の襟を撫でながら、台本を片手に首をひねっている。
「例えば、嫌いじゃない異性が恋人と別れたとしますよ」
「そうだな」
「それで、その異性のことが気になりだすとします」
「な! 要!」
賦星先輩が慌てたように声を上げる。
「ああ。どこかで聞いたような話だな」
「その異性の方は気になりだした人のことをどう思っているのでしょうか。その異性のことを気になるから別れたのか。それとも別れは偶然でその人のことを気にも止めていないのでしょうか」
「島世君」
「はい」
私が言いたいことは、どうだろう。今河先輩に伝わるだろうか、伝わらないだろうか。どうだろう。どちらでもいいような気もする。秘密は秘密のままでも構わないし、もしも、私の勘違いでは無いのなら、それはそれで結構なことだ。秘密のノートのミッションはクリアだ。そうだ。今河先輩と賦星先輩との相性は悪くは無い。
「わかっているじゃないか。それこそ台本で描いたことだ」
「…はい?」
今河先輩の言葉は私の二択が全く全てを尽くしていなかったことを教えてくれる。私は上ずった声というのを初めて耳にしたようにも思う。それが自分の声とは思えないくらいに変な声だった。
「いいかな。二人の別れは必然であって、そして新しい二人の別れは必然ではない。つまりだね。あれはあれで綺麗なのさ。元は何も無いところに生まれるもの。それが愛であって、それが未来であるわけだよ。生まれ出でた未来の可能性を失った時、その時なら、元のままに過ぎないものでさえも美しく感じるかもしれない。僕はそう思うんだよ…」
そう口にして自前の演劇論を熱く語りだす今河先輩を眺めながら、私は何だか可笑しくってしょうがなかったんだ。私は可笑しかった。一体、結ばれるべき二人を結ばせなかったのがなんなのか不思議に思う。そんな台本なんて可笑しくってしょうがない。そんなものは投げ捨てちゃえ。
私の前で一席ぶちまけた後には、賦星先輩と今河先輩との間には何事も無かったかのように、演技の話が続いてゆく。だけど私はと言えば、賦星先輩の表情にどこかほっとしたような、どこか残念そうな色が浮かんでいたことに気づいていたんだ。
秘密のことは秘密のままに。
結ばれるべき二人。別れるべき二人。
やがて白鳥先輩がやってきて、それから映子ちゃんもやってくる。部室に人が集まって、人と人とが集まって、活動の為の準備が始まる。
今日も部活だ。私の部活だ。
今日は雨が降っている。鳴りやまない雨。私たちの時間だ。
今日は雨が降っている。高らかと鳴る雨。私の心は高鳴る。
今日は雨が降っている。舞い散るしぶき。私は華麗に舞う。
今日は雨が降っている。パラパラ歌う雨。私は台詞を歌う。
今日は雨が降っている。壁に打ち続く雨。私は床を蹴打つ。
今日は雨が降っている。絶え間ない大雨。私は演技を繋ぐ。
今日は雨が降っている。鳴りやまない雨。私たちの時間だ。
そうだ。部活の時間だ。
今河先輩がきびきびとした指示を出し始める。賦星先輩は踊るように指図に従い、白鳥先輩は台詞の練習に余念がない。映子ちゃんは今日もメモ帳を片手に観察中だ。
私は、私は、どうしてだろう。ふと練習の合間に抜け出したい気分に駆られてしまう。それは、前にそうしたような理由では無い。そうだ。私は、私抜きの部活を眺めてみたいのだ。それはいつも通りで、いつものように練習して、いつものように演技して、そうして私がいないことになんか誰も気づかないのだ。私の役は代わりに映子ちゃんがやっていて、そうして今河先輩が優しく指導して、白鳥先輩が少し嫌味を口にする。賦星先輩は、賦星先輩もやっぱり気づかないだろうか。うん。きっと不可能は無い賦星先輩は気づいても秘密にしてくれるに違いない。そして私は、私の部活を見るのだ。私の部活を外から見るのだ。恵都や里美や洋子がそうするように。そして何か適当なことを言って映子ちゃんのことを困らせてしまう私。恵都と一緒になって映子ちゃんの、そう、私が演ずるはずの演技を眺めるのだ。私は私の部活を見てみたかった。
グラウンドはぐじゅぐじゅだ。
サッカーなんてできもしない。
私は演じる。
私は叫ぶ。
私は踊る。
そうして私は繰り返すだろう。
そうだ。今日も私の部活の時間の始まりだ。




