時間がない!
日時:六月十五日。場所:リビング。目的:休日。
電話が手放せなくなるってこんな感じなのかなあ。私は明日のことを考える。休日は今日でお仕舞。嬉しいような悲しいような週初めの月曜日がやってくるのだ。さようなら昨日。おはよう今日、きっと来る明日。私はその日を過ごした。休日を過ごした。台本を読むことも忘れて、予習復習も忘れて過ごした。私は電話を中心に休日を過ごし、その中心は電話のメッセージの先にあった。休日が休日なんて豪華な時間は、今週でお仕舞だ。来週からはみっちり部活の予定が入っている。なのに、なのに、私は、そういう過ごし方をしたんだ。
恵都のやつは部活だから、私がいくら考えても、いくら待っても昼過ぎまでは仕方ないことなのに、それなのに私は電話を手放せない。お母さんと一緒にリビングで気怠い休日の午前を過ごす私は、何かに無性に追われていた。焦燥感とまではいかないけれど、苛々としながら、時間が過ぎるのを眺めていた。私は思うんだ。この世の中ってなんて時間が無いんだろうって。台本の台詞ではないけど、『時間が無い!』と叫びだしたくなる。
掃除機をかけ終わった母さんがリビングで休憩に入るのを見ながら、私は思っていたんだ。やっぱり、やっぱり、私には『時間が無い!』のだ。
一体、母さんはテレビに向かい合いながら、私とも向かい合うつもりだったのだろうか。私は何でそんなことを思ったのか解らないまま話かけてくる母さんの相手をしつつ、電話を操作する。
「要。ご飯は何がいいかしら」
「何でもいいよ。母さん」
「そう。何でも、というのは困るわね。私はね、いっぱいのご飯が食べたい気分だわ。炊き込みご飯。栗ごはん。赤飯に混ぜご飯。それにおこわ」
「そんなに食べたら太るよ。母さん」
「その中の一品でいいのよ」
「だったらどれか作ればいいと思うけど」
「だから、どれにしようか迷っているんじゃない」
母さんと喋る。私は、母さんと父さんの娘だ。島世家の娘だ。島世要。要だって父さんは言っていた。私は父さんのことは嫌いじゃない。多分、今でも何番目かに好きだ。それが、何番目なのかまでは言えないし、分かりもしないのだけど。私の一番はいつからか父さんじゃなくって、そうして今、一番の、一番の、一番が、いる。友達が。私の中には、どうしてだろう。昨日からたった一人特別なのがいるのだ。たった一日前のことに過ぎないのだけど、それでも、長い時間がたったような気がする。
「母さんはさ。父さんといつ出会ったの」
「藪から棒にどうしたの」
「藪から棒に、って。別に。聞きたくなったから聞いただけ」
母さんはリビングのソファーの上で姿勢を変えながら、私の質問に困ったように首を傾げる。それから、肩をほぐし始めると、そのまま黙り込む母さん。私も特に言うことが無くて黙り込む。沈黙と沈黙。破ったのは母さんが先だ。
「要。好きな人でもできたの」
「や、藪から棒に」
からかうようでいて真剣な問い。私は、どぎまぎして母さんに釣られるように自分なら日常会話では絶対使わないだろうなと思っていた藪から棒にと言う言葉を使ってしまった。
「何だ。違うの」
「違う、かな。いや。違わない、かな」
「そうなの。あらあら。それじゃあ、そうだわ。それはともかく今日は炊き込みご飯にしましょう」
「あ。そう、だね。うんうん。それがいいかも」
「それじゃあ、お昼ご飯の後に話そうかしらね」
それは、って私は思ったんだけど、後の祭りだ。私は、炊き込みご飯を大盛りにつがれたままで、昼ごはんの時間を母さんの昔話だけをおかずに過ごした。そうしてそれは、昼ごはんの後も続き、私から、休日の昼下がりを奪って行く。私の時間が消えてゆく。
「父さんはこう言ったわ」
「そう」
私は、時折、電話をいじりながら母さんの話を聞いた。それは、とてもじゃないけど真に受けることはできない話で、ロマンスグレーのグレーが全くと言って無いロマンスホワイトとでも言うべきものだった。私にとって母さんは母さんで、父さんは父さんだ。一体、母さんの大風呂敷とも言うべき話を信じてしまうべきなのだろうか。私は少しだけ焦燥しながら、それでいて面白がって母さんの話を聞いた。私はそうやって休日の午後の昼下がりを過ごした。恵都のやつの返事を見ながら、私は、母さんたちの恋というものを聞き流した。なぜだろうか。なぜだろう。私に言えることは一つだ。台本の台詞を借りるとしたら、つまりは、こうだ。過去は追うことができない。結局、未来に生きるしかない。私は、恵都がなぜこんな文章を書くのを不思議がる。『要は何している』そんなこと。もっと何か違うことを書いて欲しいように私は思う。白樺派とか、浪漫派とかの描く小説の中で起こるようなことを、漫画の中で起こるようなことを期待していた。何か証が欲しいのだ。もちろん、誰が読むのか分からないようなところへの誰に向かってか分からないような証はいらない。一人が知っていればいいのだ。一人に分かればいいのだ。私がわかればいい。そしてそのことを恵都がわかればいい。たった一人の演者とたった一人の観客。たった一人のチームとたった一人の観客。
私はそんなことを考えながら、思い出したかのようにアルバムを広げて見ている母さんとの間に落ちた沈黙の時間を過ごしていた。母さんには記録がある。過去がある。そして時間があった。ゆっくりと過ぎる午後の昼下がりは、ゆったりと三時を回る。
鳩時計が喧しく鳴くのを、母さんの電話がけたたましく鳴り響くのを私は聞いた。
「あらあら。いけない。行かなくちゃ」
慌てたようにアルバムを閉じる母さんは、慌てるままに外出の準備を始めると、それから私に向かって一言口にする。
「要。つまり私の結論を押し付けるなら、どちらにしろ、時間は無いものなのよ」
「それは、父さんがいるからなの」
「どちらにしろ、無いものなのよ。だから要。洗濯物畳んどいてね」
玄関口に向かって駆け出す母さんに向かい、行ってらっしゃいと声をかける私は、三時三十分を過ぎようとする休日の午後でその終わりを感じていた。確かに時間は無かった。私は、恵都に対して『今日もそろそろ終わりだね』とメッセージを残して電話から離れてしまう。
『時間が無い!』。
何をしていようが時間が無いのだ。日曜の四時から五時より嫌な時間帯は無い。だらけた体が厳しい明日のことを思うのだ。力なく抜けた腕を一度持ち上げてから、降ろしてみる。まだ去らないで今日。まだ来ないで明日。結局、そんなことを思うのは黄昏時に一人いるからだ。真っ赤に染まる窓辺の日差しを眺めながら、一人、洗濯物を畳む私。折り目を合わせるようにして、折り目を付けないようにして、洗濯物ごとに折り畳む。
その日は、十一時まで起きて、恵都とメッセージのやり取りをし、一応、予習復習にも取り組んだ。場合の数の辺りを眺める私は、定理化された数式と記号たちを暗記するでもなく、ただ流し読みした。確率。例えば、友達の中から一人を選んで付き合ってしまう確率。話しかけられた順番に話しかけられた人を除外していくとして、n番目までに話しかけられる確率。母さんと父さんが偶然にも人類の総和の中から、日本人の総和の中から、n人目の恋人として出会う確率。私が生まれるために繰り返されたそういった全てのことの確率の積。不思議なことだ。余り真剣になれていない私がどうしてそんなことを考えることができたのかが不思議だった。そして不思議なのは、私にとっては、そちらの方が線分をどこに引くかよりも、解の公式をどう使うかよりも優しそうに見えたことだ。
私は、恵都と私がどういった確率を潜り抜けて、特別な一歩を踏み出したのか考えるとき、不思議と可笑しく思えてしまう。何ていうことだろう。運命と言う言葉は信じるに足らないものだけど、その確率の低さを考えるとき、私はどうしても笑ってしまうのだ。恵都とバスで出会う確率。その帰りにも出会う確率。そうして私が何でもないような本を、ただハッピーエンドであったことだけを覚えているような本を手に取るかどうかの確率。そんな些細なことが、私と恵都の間の特別な距離に影響しているのだと思うと何だか可笑しくて、私は恵都にメッセージを送りつけてしまう。
『恵都はさ。先週から私のことを考えていてくれたのかな』
その日は夢なんて見たくなかった。
私はもう少しだけと思いながらも、眠気に負けてベッドへと潜り込む。後で起きて、二項定理のとこだけは眺めておこうと考えながら横になる。たぶん朝まで起きることはないだろうと分かっていながら私はそんなことを思っていたんだ。