雨と日常
ライトノベルの賞で1次落選の作品です。なかなか上達しないものです。恥はかき捨てでアップロードしてみます。
雨音が音高く響いている。机が揺れて筆記具がかすかな反響を巻き起こす。
雨、のち、曇り。
日時:六月六日。正午前。場所:学校第二校舎一階、下駄箱から四つ目の教室の窓際教壇から7列目。目的:授業中。
手を伸ばせば届いてしまいそうな窓辺を横目で覗き込みながら。視界の中心核にあるノートから延びるように進んだ先の窓辺。サンに囲われた空気の出入り口に向かって大きな雨粒が、打ち付けて、砕け散って、飛び跳ねている。窓辺にしぶとくしがみついているしずくがずんぐりと流れ落ちて行く。
雨、のち、曇り。
三階の上の階。空が広がる屋上に向かって殴りつけている雨音たち。
授業は進む。雨音も進む。
黒板に刻まれてゆく文字通りに、柔らかい紙質のノートに筆記具の足跡を乗せていく。
「いいですか」
チョークが二度黒板を叩く。好磨先生が一度教室の中を見渡している。
睥睨する。
そんな言葉をどこかで聞いたことがある。
「ここ」
注意するポイントでチョークの色が変わる。教科書の太文字で描かれた言葉を見つめた後、もう一度黒板へ。イメージと言葉を結び付けた後、ノートを埋めてしまう。筆記具をすべらせる。頭の中に一度きりで刻めたらいいのに。
窓辺に張り付いていたしずくが静かな流れを作って小さな小粒たちを飲み込む。さらさらとすべる流れが現れたり、消えて行ったり。
雨、のち、曇り。
黒板に積み重なるように現れて行く文字を追って。
せめて重要点だけは押さえようと教室の反響音に身を任せていると、どうしてだろう。時間は流れるように過ぎて行く。静寂、そして、喧騒。澄み切った空気の中に雨音と黒板の叫び声だけが浮き上がるように耳に届いて消える。ときどき好磨先生の低い声が教室に響く。雨の日の、曇りの日の、少し湿った感覚がする空気。しっとりとした呼吸によく似合う声が雨音を打ち消すように響いている。黒板ではチョークの粉がさらさらと待って落ちている。腕が少し、しびれる。
時計を見る。
休憩へと近づいている。
雨は静やかに連なってゆく。風に吹かれてたなびく雲海からは深いグレー色がまるで魔法みたいに後から後から湧き出てくる。
雨、のち、曇り。
チャイム。
スピーカーからの音に合わせて頭の中で楽譜を奏でてみる。どうかな。少し調子が外れたような気がする。
「では、次の授業は」
好磨先生の声の後、一斉に机と椅子が揺れる。
「起立」
立ち上がるのが少し遅れる。それから礼。
椅子に座り直して透明なものと透明なものが折り重なった外の風景を見る。雨の日はどうしてだろう柔らかい気持ちになれるんだ。
雨音に合わせて指とつま先を持ち上げてみる。机を叩いて、床を叩いて。
何だろう。小学生のころを思い出しそうになる。
子供のころ、昼休みの間中、ずっと流れていたいくつかの音楽が鳴り出しそうな気がして耳を澄ます。実際に聞こえてくるのは鳴りやまない雨音と休み時間の話し声のほう。
「洋子。ちょっといい」
「うん」
洋子を誘って教室の外へ向かう。
廊下を慎重に歩く。雨の日は、踊るような感覚。先生とすれ違う。先輩。ちょっと知っている子。あまり知らない子。少し嫌いな子。
足音は甲高い。廊下の向かい側から急ぎ足の子が、おどけたようにしながら、廊下を滑るように走っていく。そしたらどうかな。本当に滑り出しそうになっちゃって。廊下に浮き出るように集まってくる水分に足を取られそうになっている。
「セーフ」
はい。セーフ。
急いで走って来た子が両手を広げる姿を見て、一緒に歩いていた洋子も両手を広げて同じ動作をやって見せる。ちょっとしたこと。雨の日のちょっとした出来事。少し笑って、急ぎ足で廊下を急ぐ子が歩き出したのに合わせて歩き出す。昨日の部活の話、授業の話、ちょっとした二人だけの秘密を話しながら歩いていると、洋子が思い出したかのようにさっきの子を真似て滑ってしまうふりをするから合わせて笑ってしまった。
「雨、止まないなあ」
「そうだね」
飲み物を手に取ると、もう一度湿った廊下を歩いて帰る。果汁の味と唾液の味が広がる。飲む前に想像してしまう。
「洋子、そっちのは、おいしいかな」
「ん。味、か。そうだな。いつも通りの味」
ウーロン茶、果汁、コーヒー牛乳。飲み物はいつも決まった数種類の中から手に取ろうとする。洋子の選ぶ飲み物のことが気になってしまう。たぶん飲み終わる頃には忘れてしまっていると思う。そして、きっといつも通りに飲んだ後には空が残る。
正午まで。
チェック柄の布に包まれたお弁当をひも解いて、洋子と、里美と、雄一、恵都と机を並べて昼食時。
雨音に乗るような旋律の音楽がスピーカーから漏れ出てくる。今日は、クラシック。昨日は有名なポップス音楽。一昨日は、そうだな、なんだったっけ。
「里美。里美。あの曲、この前流れていた音楽なんだけど。分かる。ふんふふふふふー、の音楽。思い出せないんだ。ね、分かる」
里美に尋ねてみる。思い出せそうなのに思い出せない。少し忘れてしまってる。
返答を期待しないまま、里美が少し悩むのと、お弁当の彩を見比べてみる。里美と洋子、雄一が話を始めて、私は、雨音に耳を傾ける。
すっと窓の外を覗く。
糸を引いて空から絶え間なく降り注ぐ液体。
雨、のち、曇り。
「雨、止まないなあ」
洋子が私に向かって廊下で口にした言葉を繰り返す。うなずいてしまう。
うん。うん。
うなずいて、それから、お弁当の中身に手を付けてみる。箸を伸ばして箸が掴む。細長いアスパラガスを掴みあげたまま、口元へと運んでみる。いつも通りの味がする。シャキッと切れて、繊維が溶けて、欠片が口内に張り付く感覚。
窓辺から。
いつも通り集まった机の主を見渡してみる。
里美はパン食。
恵都はお弁当。
中身はもう空に近い。食べるときは食べるとき、話すときは話すとき。会話するときも区分けして話しかけてくる恵都。銀色のスマートな形をしたお弁当はいつも通り。ご飯が半分、おかずが半分。そうしてもう空に近い。
雄一が口元でご飯と格闘しながら洋子と話しているのは、きっと、いつも通りの内容だと思う。だから、洋子が私のほうにふり向けば、ほらね。こう。
「それでね、でね。そう。でね。要。どう思う」
「洋子の言う通りだと思うけど」
雨音の感覚が鈍く、小さく、長くなる。
雨、のち、曇り。