第六十五話 - すべてが終わるまでに
-時間軸マイナス方向・大樹が芽吹く前-
思った通りというかなんというか、言葉にしたのがいけなかったのかもしれない。言葉は力を持つ。起こりそうにないことでも実際に言葉にすると起こってしまうことがあるだろう。
だからなのか、レイズは独りおかしなところに”落ちて”しまった。
「冗談じゃねえよ……」
天高くに出たかと思えば大陸と見間違うほどに大きな大樹の枝の中を落ち、そして枝に引っ掛かった。
しかも引っかかっているのは襟で、どうあがいても外れそうにない。じたばた暴れてもよくしなる枝は折れず、魔法をイメージしても詠唱しても発動しないというオマケつき。
「…………おーい」
と、誰かを呼んでも帰ってくるのは風に揺れる木々の……というよりは大樹の枝の音。そしてその車が走れそうなほどに太い枝の上を歩いてくる狼系の魔物。白くてふさふさで二メートルくらいの狼だ。それがなにかと言えばレイズに対してだけはなまらよく噛みつく動物である。
「……長らく姿を見ないかと思えばなんでこんなところで出くわす訳? なあなんで?」
誰に言うでもなくぶつぶつと言った。
首根っこを銜えられ、枝にぶら下がった状態から解放されたかと思えば次は母猫に運ばれる子猫のように運ばれる運命。
ずるずると狩りで得た戦利品のように引きずられること、空が暗くなるまで。
しばらくすると真っ暗で寒々しい風が吹く枝の上から放り投げられた。下には焚火のような明かりが見えるが。
「ちょと待てぇ! この高さはいくらなんでも死ぬ! し、シルフィード! いああややああや!! 来たれ、見えぬ力、風を支配するげんしょの」
言い終わる前に嫌な音を響かせて墜落した。意識はまだあるが、音からして確実に折れてはいけない部分がいくつか折れたと思う。そう考えると、頭が状況を認識したのかズキズキとした痛みが伝わってくる。傷口を見ようとしたが体が動かない、そもそも目が見えない。
結局どこのどの時間に、過去なのか未来なのか、場所があっているのかすら分からないうちに頭の中まで動かなくなてきた。思考が働かなくなると、無意識に助けを求めて声が漏れた。
「あ……うぁ、あ…………」
だが意識はどんどん沈んでいく。
体の下に広がっていく生温かい液体を感じながら、
「なにやってんだお前は」
知った声を聞きながらレイズの意識は落ちた。
---
-時間不明・スコールが敵に回った後-
「――――」
誰かに名前を呼ばれている。
視界は真っ黒という訳ではなく、かといって真っ白という訳でもない。得体のしれない状況、そういう訳でもなかった。これはよく知っている。至近距離でスタンバンを受けた際に陥るキィィンという耳鳴りと共にあらゆる認識が弾け飛んでいるあの状態だ。
立ち上がろうにも平衡感覚が狂い、そもそも視界が確保できないからなにを支えにしていいのかすら分からない。回復するまで意識を拡散させようかと思ったとき、今度はしっかりと聞こえた。
「おい……レイズッ!! 起きろ寝てる場合じゃねえ!!」
「うぁ……あ? ベインか」
掠れた声で呟くと同時に、喉に詰まった血を感じて咳き込んだ。ぼやけた視界が回復してくるとあたりは黒一色。寝ていた場所は不自然に白一色。
「ここ……は?」
「一時的な記憶障害かぁ? 永遠に続いてきた戦争もようやく終わりに近いってのに」
「……俺は、なにを?」
「おいおい……」
あきれてそんなことを言うベインは傷だらけだった。すぐ近くに得物である槍を突き立て、背後には根幹を成すものを警戒に立たせてあった。何をどれだけ喰ったのか、ドロドロした人の姿ではなく、二足歩行の化け物になっている。
「俺……たしか枝から落ちて……」
「それはもうかなり前のことだろうが。いい加減に意識をシャキッとさせろよ、俺たちは黒い大樹の上で総力戦をして味方の九割をロスト、レイたちをレイシス家の内部に入り込ませて俺たちも入り込んで、んでスコールの防御術式に吹っ飛ばされた、と」
「…………んん」
起き上がって見ると胸が苦しい。至近で急なショックを受けたせいだろう、派手にびびって心臓が収縮したらしい。ふらつきながらも立ち上がる。
体を見下ろせば服装が変わっていた。白い長袖シャツの上に白いロングパーカー、下のカーゴパンツはいつものよりもぶかぶかなもので、靴は戦闘用のブーツだ。
「ちくしょう……」
パシッと顔をたたくと、
「ベイン、これからの行動予定は」
しっかりとした声音で聞く。
「俺はさっきまで外で戦ていたからよく知らんが、すでに方舟術式の陣は何者かによって破壊、アララトへの片道切符はもうないから安心していい。後はお前の親父を殺すか、ここから逃げるか。どっちかだ」
「つまり逃げろと」
「そういうことだ。俺とおまえと、一緒に全力出したところで敵わねえもんな」
適当な調子で言うと、ベインは槍を引き抜き、レイズは拳を打ち合わせて使い慣れたガントレットを腕に召喚し、纏わせた。
「……くそ、本調子じゃねえ。ベイン、案内を頼む」
「お前の実家でなぜ俺が案内するんだかなあ」
ベインが先行して走り、レイズは妙にふわふわした感覚でついて行った。
確かに現実だ。だがどこかおかしい。どこか偽物じみた違和感がある。頭の中の、事象の認識を司る部分を弄られたような違和感。
「……く」
走りながらも体の感覚を確かめると、確かにどこかに違和感を感じる。本物そっくりのイミテーション……というよりは、いままで本物と思っていたものを急に偽物だと気づかされたような感覚だ。
「なあベイン、俺、いつこんな服装になったっけ?」
ふと思うと首に下げていた大事なものまでなくなっている。
「知らねえよ。俺と別れてまた会ったときにはそうなってたじゃねえか」
角を曲がると上下左右を白い壁に囲まれた長い廊下に出た。目を凝らしてみるとその先に五人分の影と赤い水たまりが見える。
「あれは」
「野郎、やりやがったか!」
ベインが床を蹴り砕く勢いで飛んだ。
「おい!」
レイズもそれに続いて加速の術をイメージした。その瞬間、ちくりと妙な痛みが走った。
「なんだよ……これ、精神干渉……俺のネットワークに食い込んで、いや、まさか……」
自身が展開していた精神ネットワーク経由での浸食。閉鎖ネットワークであるからありえない、そんなことはない。現にネットワークへの参加者経由でスコールが侵入しているのだから。
ならば誰が……。
「レイズ! こっち来い!」
「ああ、今行く」
考えようとしたところで呼ばれ、さらに加速してそこにつくとレイズは固まった。
そこにいた者たちが意外だったから。
「うぅ……ひぐっ、なん、で…………やだよ……」
血だまりに沈む如月寮の住人、それに倒れこむように泣くレイアクローン(ナンバー不明)、レイとレイア、そしてもう一人如月寮の住人(第十九話 - その日・1225に登場)。
「おいおいこんなことで死ぬなよ! それでも賞金首一位か!!」
必死に止血を試みているが、腹部を貫通した大穴を塞ぐことはかなわない。
そもそも、
「諦めろ。もう死んでる……」
触れるまでもなくレイズにはわかった。レイズの”眼”にはエクトプラズムのように薄らと透けた何かが抜け出していくのが見えている。魔法使いが死んだときに体内の魔力を垂れ流しにすることで起こるものだ。
傍らには見覚えのある二振りの刀が転がっていた。
「……後、生きてるのって誰がいる?」
沈んだ空気の中でレイズが聞くと、ベイン以外は首を振った。誰が生きているかなんて知らないということであり、ネットワーク経由での生存情報の検索も行えない。
「スコールがどこかにいるはずだ……外は灼熱地獄、何もかもが溶けてるから中にいるはずだが」
「他は?」
「魔狼とネーベルあたりじゃないか? 後は魔神とかか」
「……探してくる」
ぽつりと言って、一歩を踏み出した瞬間。
落ちた。
---
知っていますこと? 観測者はそこにいるだけで、何かを見るだけで事象を歪めることですのよ。
そう、たとえばここに仮想的に再現された世界があるとしましょう。
作った誰かが気紛れで何かをすれば、そのきっかけひとつで簡単に世界は揺らいで混ざっておかしくなるでしょう。今、目の前にあるすべてがリアルだとして、それを証明できるでしょうか。
例えば。
広大な平原。見渡す限りなんの目印も特徴になるものもない。そんなところに窓枠を一つ置いたとしましょう。
どちらからのぞいても見える光景は同じ。仮にどちらかが”外”であり、どちらかが”中”だとして、そこに映る結果が同じならば二つの違いなんていう概念はなくなってしまうでしょう? 違いがあるはずだと何度も何度も移動しては覗いて、そして最後にはどちらが最初だったか、さあ観測者にはもうわからない。
例えば。
その人が願ったからその結果が表れた? そうかもしれないが、そうじゃない。その人にそれがあるようにと思ったほかの誰か”たち”の認識が、その儚く薄い見えないほどの認識の幕が重なっていくと、見えるまでに厚くなる。そして願ったから結果が表れたように見えているだけでは?
例えば。
そもそも、思い込みでそこにあるというように誤認していたら?
何もないはずなのに事前にもたらされた情報で、強い思い込みで意識に無意識のうちにフィルターを設置していたら?
そもそも、予定にないものが予定調和に入り込んでしまっていたら?
即座に排除して流れを戻したところで、あるはずのないものがそこにあったという予定外が残ってしまう。
「何千回だって私は続けるよ。私にとっては例え百回目のループでも、彼にとってはまだ一回目と思っているループ。記憶クラスターを継承し続けているつもりでも、それは後から付け足されたこじつけの事象でしかないもの」
彼は彼女のためにループを続けた。そして今度は彼女が彼のためにループを始めた。
変わらないつもりでも変わってしまっていた。
あの日、冷たい潮風の吹く日にもらった時を巻き戻す力は……。
---
「なんとも懐かしいな……この景色」
どことも分からぬ場所で彼は呟いていた。
「でも……やっぱりどこか嘘くさい景色だ」
見えているもの。
肌で感じる温度も風も。
足で踏みしめている大地も。
全身の感覚も。
異様な感覚に埋め尽くされた世界だ。
「結局……バタフライエフェクトというかなんというか、何度同じ条件でやっても全部違う結果か」
「結局さ、こうしてみると過去も未来も関係ないって言えるよな」
「結局、今ここにいるという認識でさえもどこかで自分が体験した記憶の追体験だと否定はできないわけだし」
「だったら、次で終わりにしてやればいい」
彼らの視線が交差した場所にはうつろな表情でゆっくりと歩く、姿の透けた者たちがいた。
「複数人の観測が交差すれば見える、か」
「そこに観測されていない物体があれば確率でしか表せない」
「シュレディンガーの猫か。同時に複数の可能性が同一の場所に重なってるってやつ」
「観測することで状態が集束……つまりは確定するわけ」
「量子力学ねえ……といえばだが」
「AIの量子通信が思い浮かぶ。あれはあれで仮想世界を……今までのすべてをつないでいるからな」
「まあ、今ある記憶の中身はべつの場所で進行中の出来事だし」
「ならばなぜ記憶があるか」
「そりゃもちろん、世界を超える中継界……つーよりか、過去に未来に飛んで複数の時間を観測したからだろうな。人の思考も記憶も時間の流れに縛られるし逆らえない。だから本当の時間を追うこともできない」
「要点だけ抜き出すならば、違う世界、違う時間で記憶の中身そのままに行動中か」
「そして、そこに干渉した記憶がないなら?」
「干渉してしまえば全部変わる。今ここにいるやつらは消えるか、もしくはもしもの可能性として存続するか」
一人、黒尽くめがナイフを抜きながら言った。
「どうだっていいだろ? そんなこと。早く終わらせて消えるとしよう、あいつらの運命を変えたらここの存在は皆用済みだ」
そこにいた全員が同意を示すように頷いた。
「行くぞ」
一人が立ち上がり、数歩踏み出すと黄昏色の世界を陽炎が包み込んだ。茜色の夕日と夕焼け色の鰯雲。
幻想的、綺麗な景色、そんな場所にレイズが落ちてくると、輪郭がはっきりしないほどにまでぼやけていた彼らは一人を除いて虚空に消えてしまった。
残った黒尽くめがナイフを片手に立ち上がる。
「観測されて集束、確定か……」
ナイフを鞘にしまって、左手を広げてそのうえで右手で何かを掴むように閉じる。
「今回のループは何回目までいくんだろうなあ」
引き抜くように手を振ると、そこに一振りの刀が顕現した。柄は布で巻かれただけで、飾りも何もない簡素なものだ。
だが、それはレイズにとって苦い思い出のあるもの。たかが鉄の塊と侮って愚直に光の剣で防ぎとめようとして腕ごと飛ばされた記憶がある。
「スコールだよな……? いつのスコールだ?」
過去に落ちた以上は過去の人物に出会ってもおかしくはない。
もし喧嘩中の時だった場合は問答無用で殺される可能性があるため、レイズは警戒していた。黒のパーカーに黒いカーゴパンツ、きつく締めた運動靴。知る限りは昔に出会ったばかりの格好だ。
「そんなことは、どうでもいい。いま大事なのは257回目に進む気があるかどうかだ、レイズ」
「……なるほど」
そう聞いてくるからには過去ではないらしい。
「お前、このループで終わらせる気はないのか? この仮想でも壊したり殺したりすればリアルは改変されるぞ?」
「そう、すでに改変されているさ。あらかた大きな障害は排除した、残る小さな障害はお前が排除しろ」
「なんで? お前がいればこのループで終わるだろ」
「いやさ、ちょっと面白いこと思いついたからな」
口元がニヤリと笑っていた。あの笑い方は大抵の場合は面白くないことを仕掛けてくるときの笑いだ。それも、仲間には一切の被害を出さずに敵方と”自分”に甚大な被害をもたらすというオマケがついたもので。
「何をするつもりだ」
「今までのループで消えていった奴らを復活させる」
「……はっ?」
今更だが、この世界は本当の世界を模倣して作られた仮想だ。仮想内でなにかすれば本当の世界にある程度反映され、万が一にも仮想の理から外れた状態で死んだ場合は本当の世界からも消え去るという、残酷な条件が付いているが。
それに、あくまでも本当の世界を模倣して、という条件のもとで構築される仮想であるため、仮想からのフィードバックで”死んだ”者。つまり模倣対象がすでにいない場合は復活も何もできないはずなのだ。
「まー個人的にやってみたくはないが面白そうではあるからな。ほら、ヴァルゴ殺したのにいつの間にか仮想の並行世界経由で生き返ってたし」
交わらない平行世界ではなく、並んで進んでいく世界だ。
「……知らないんだが、つかお前は俺の知らないところでほいほい味方を殺しすぎだ馬鹿野郎!」
「それは隅のほうに置いておくとしてだ」
「置いてちゃいけないよな!?」
なんだかんだで本格的に敵対していないからこそ話ができて、流れに乗せられる。本当に敵になったならかわす言葉はないはずだ。
「置いておくとして」
「…………」
「一番やってみたくない理由は一つ。Aというものがあったとして、後からAそっくりに、例えばそれが人だったとして、同じ外見、知識、人格、経験、つまり記憶を持ったBを作ったらAと同じだがA=Bと言えるか? そういうことだ」
「クローン規制の法と同じようなもんじゃないのか?」
「じゃあそれを真っ向から破ったレイズ、お前はレイアとレイアのクローンたちを同じと捉えられるか? 無理だろ? 同じように創ったはずが、それぞれが違うだろ」
「そりゃそうだが……でもお前はやるのか?」
「やる。現にヴァルゴは完全にA=Aの状態で復活してるからな。と、いう訳で、お前はここで終わってくれ」
「……どの流れでそうなる?」
まったくわからないが、スコールは刀を正眼に構え、足をすっと開く。いつもならばレイズ相手に構えもしないスコールが構えるということは、それなりに本気だということ。
「おい……せめて理由だけ聞かせろ」
少し顔を下げたかと思えば、ぼそりと言った。
「大事なのは大多数から見てあっていることじゃない、自分が納得できるかどうかだ」
ヒュンと刀を振り下ろすと、世界に霞がかかった。あいつは魔法が使えないはずなのに、レイズはそう思いながらも霞の中に見えた光景をじっと見ていた。
窓に反射した光景と外の景色を重ね合わせたようになったその場所。どこかの建物の屋上、夕焼けの海が見渡せるその場所。そこに二人いた、スコールと白髪混じりの少女が。スコールはポケットから懐中時計を取り出すとその少女に渡して、何かを言うとこちらに向かって歩き始めた。
距離が縮まるほどに霞んだ景色ははっきりともとに戻る。
「ドッペルゲンガーじゃないよな? お前は魔法は使えないはずだろ」
「自分では、な」
ごとり、手作り感満載の円筒形のものがレイズの足元に投げられた。足元を向くよりも前に、それと自らの視線の間に刀を配置したスコールを見てスタングレネードだと悟った。
危機的状況下で視界がゆっくりと動く、スコールの唇の動きを読めば、
「後は任せる」
と、誰に向けたものかわからない言葉を紡いでいた。
あと数話で第一部終了となります
四章構成でそこそこの長さになりました
一通り書き終えたら、誤字脱字の修正、書いていない部分を書いて割り込み投稿、その他おかしい部分の修正などをしていきますので




