第五十四話 - ブルグント娼館街 〉〉 ???
「光を使った記憶の書き換え。そんな理論を知っているかな?」
「な、なんですの……スコールと言いあなたと言い、”過去”の人間は野蛮ですのね」
ウェイルンが使っている執務室……という名の自室で、ネーベルは杖の切先を突き付けていた。
「まあ、今の魔法で言えばDランク、Eランクに入る分子配列への干渉でエングラムや無意識下のマギグラムの領域を組み替える方法や、シナプス結合を組み替えるなんてのがあるんだけど。それと洗脳用魔法、思考パターンを上書きするあれ。まあ……光、電磁波を操って一定間隔で明滅させて対象の網膜に信号を焼き付けるやつね。これって映像に一瞬だけ別のものを移しこむのを繰り返すことで記憶の刷り込みを行える、結構知られた技術なんだよね。洗脳って言うよりは催眠術とか暗示に近いんだけど、簡単な分、防ぎづらいんだよね」
「や、やめてくださいまし。私を操ってどうしようと……」
「君を操るなんて一言も言ってないよ。僕は単純に毎度毎度飲み物に薬を混ぜ込むのをやめろと言いたいだけさ。魔法なんて使わずに」
魔法なんて使わず。それ即ち脅迫か暴力か。
「いいではありませんの!? あなたたちだっていつもいつも好き勝手して私に迷惑をかけているではありませんの」
「だからってねえ、僕やレイアみたいに即座に分解できるやつはいいとしてだ。対抗手段のないやつらに飲ませた後どうなったか知ってるだろ」
「ええ知ってますわ。お楽しみでしたものね」
「…………」
ネーベルは無言で杖の先端を叩き付けた。
六角形の側面と尖った先端。
硬度はアダマントやトラペゾヘドロンと言った架空物質よりも遥かに高い。
「みぃ~~~」
「それがダメだと言ってるんだよ。お蔭で一時期ギスギスした雰囲気になったんだから」
バットの素振りのように、ビュンと振って、再び振り上げて脳天目掛けて振り下ろす。
「ひぃっ!」
今度は寸止めだ。
「とりあえず、そん訳で依頼だ。君の調合能力は他よりもいいからね」
「どういう訳ですの!?」
「気にしたら負けだよ。つーか今までの分の仕返しをここでされるか調合することで先送りにするか、好きな方を選べ」
「こ、怖いですわよ……」
「うん? 僕はいつだってこうだよ」
背負ったリュックをその場に下ろし、中から取り出すのは……。
「マンドラゴラと」
植物の方ではなく、魔物としての、叫び声を聞くと危険な方。
「幻想花と」
なんだか危険な雰囲気の花と、さらに続々と訳の分からない植物や植物系の魔物が取りだされる。
どれもこれも魔法薬の材料ではあるが、採取するのが危険なため市場では高値が付く、さらに言えばほとんどが出回ることない。
「こ、これは!」
「強力な酔わせる薬を作ってくれ。残りは報酬だ」
「い、いいんですの……? 売れば大金ですのよ」
「お金は要らないからね。まあ、そういうことでよろしく頼むよ」
渡すだけ渡したネーベルが部屋から出るちょうどそのとき、備え付けの無線通信機に着信が入った。
どうせPMCファラスメーネとしてのことだろう、聞くわけにはいかないとそそくさと出て行った。
周りは殆どが軽装備ながら一目で傭兵と分かる者たち。
軍とは違う身分を示すための徽章が肩に、襟元には軍属ではなく傭兵としての階級が。
民間で軍事を請負う会社が多数存在するため、同じ戦場で多数のPMCが合同で戦う際などに指揮系統を組みやすくするための措置だ。
だがどこも見ても尉官以上は見当たらない、軍属と民間を区別するためなのだろうか。
「さて……僕も準備しようか」
人気のない一角まで来ると、魔法を組み始める。
対天使用に特別に組むもの。
高位の存在に対して精神干渉を行うのであれば普通の魔法では弾かれる。
だからと言って力任せにやったところで成功率は半分未満。
強引な契約を迫る魔法ならば、精神的に屈服させるか、その防御を脆くさせるかだ。
「まあ、ウェイルンの薬で酔わせてしまえばどうとでもなるか」
昏い笑みを浮かべながら、常人ではイメージすることができないほど複雑な魔法をその場で作り上げていく。
本来ならば何十日もかけて魔法陣を書くか、補助具を使った演算補助を必要とするほどのものを流れるように、すいすい組み上げる。
一番最初の”刻”から魔法を勉強していただけあって、引き継いだ知識の量は魔法図書館をも上回るだろう。
ブルグントの中央図書館でも多くて一〇万冊。時空の狭間にある、レイズの倉庫内ならば軽く三〇〇万冊はあるかもしれない。
だがそれよりも遥かに多い情報を覚えている。
一冊暗記するに数年かかる、それを可能としたのは繰り返される世界と記憶の継承。
「まずはレイズが掛けた呪いとも言える隷属の術を破壊、除去。僕の魔法で再び……」
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PMCファラスメーネの地下基地。
その一室でベッドに腰掛けた蒼月とレイがいた。
二人の間には妙な空気が流れている。
レイズの「レイに聞け」という言葉から聞きに来たはいいが、聞きたくないことが先に出てきた。
「蒼がスコールのこと好きなのは分かった。でもやめた方がいいよ。スコールは気にかけてる女の子がいるからね」
「えっ…………」
「多分、あの子が一番最初にスコールに思いを伝えた子だと思う。その子だけには接し方が全然違ってたもん」
「その子……は?」
「死んじゃったよ。あたしたちみたいに世界の理から外れてはいなかったけど、どの繰り返しでも戦いに巻き込まれて、それを阻止しようとスコールが何度か挑戦して、運命を変えられないと分かると、今度はどの繰り返しでも必ず話をするようになってた」
「でも……それって好きであって好きじゃないんだよね……?」
「そうだね。それに今のスコールは……ううん」
「どうしたの?」
「蒼は知ってるかもだけどさ、スコールって自分の生存はどうでもいいって考えてるんだよね。命があれば楽しみはするけど、ないならないでどうも思わない。なくなることで…………が死ぬなら何が何でも生きようとはするんだけど」
重要な部分だけ、声が可聴域外までフェードアウトした。
そこに入る名前は数人だけだ。
細かく見ていかなければレイアだけではない。
「誰が死ぬの……? その人って誰なの?」
レイはゆっくりと首を振った。
「まだ全部は知らないんだね……。いや、スコールが漏らさないだけかな」
「知らない……まだあるの? 私が知らないことが。まだ隠されてることが」
「あるよ。全部知ってるのはあたしとレイズくらいだもん」
「全部? スコールって完全に自分のことを消すって……」
「それは最終目的。本来の目的を終わらせた後で、自分は最初から存在しなかったことにしたいんだって」
「消えたいっていうのは知ってるよ。でも、その目的ってなんなの? 私たちがずっと戦ってることに関係あるの?」
「どうだろ? この気の遠くなるほど繰り返されてきた戦いって、参加しているのは個人の勝手だし……。あたしの場合はスコールと目的が一致してるから敵対してないだけで……そうじゃないなら無条件に敵とみなすし……」
「その目的の一致? って何なの。みんなそれを知ってるの?」
「大多数は敵対してる陣営の……というか、あっち側のヴァレフォルを消し去ることを目的にしてるから。残りは自分の思い描く世界を手にしたいとかなんとか……って、そんな話じゃないよね」
レイは立ち上がると手を広げ、目を閉じる。
精神ネットワークを通じて”片割れ”であり”妹”であるレイアから処理能力を借り受ける。
遮音をイメージして空間を仕切る部屋の壁を基準にする。
目に見えない不可視の、決して触れられない壁が作りだれた。
「本題に戻そうか」
強引に話題を切り替える。
いや、話を元の路線に引きずり込むと言ったほうがいいか。
「蒼はスコールとえっちなことがしたくて近づこうとしてるわけじゃないよね?」
「う、ううぅぅん? い、いや、そういうわけじゃないけど、あぁでも興味がないってことでもないけど……」
「だったらいいや。先に謝っとく、ごめん」
「えっ? なにが?」
「えっとね、スコールって強引に事実を作っちゃえば独り占めできるよ」
「?」
言ってることが分からない。
とくになんの”事実”を作ればいいのか。
「うんとね……無理やりでもいいから……その、しちゃえば、なんていうか……。変なところで優しいから……そのね……」
「つまり……えと、無理やり迫れば?」
「……う、うん」
なぜかレイが顔を赤くしている。
しかもうつむき気味でよこに逸らしてもいる。
「どうしてそれが言えるの? もしかして……」
「あたし……スコールを襲ったことが……あー! もう思い出したくないぃ!」
「襲ったって、えっ! えぇぇっ!?」
「だってウェイルンの媚薬を思い切り飲んで吸っちゃったんだもん! あたしだってあの時は正気じゃなかったんだもんっ!」
考えても見てほしい。
レイアですら五〇キロオーバーの対物ライフルを片手で振り回すのだ。
その”姉”、より力の強いレイに押さえつけられたら振りほどけるか?
否だ。
魔法で押さえつけられ固定され、自己強化された力で無理やりともなれば、一応は普通の人間であるスコールに抵抗の余地は無い。
「だからその……ごめんね。好きな人と……そのぉ……」
なんだか泣き出しそうな声音だ。
「う、うん? 仕方ないよ。媚薬は逆らえないよ。だからレイは悪くないって」
「……………………」
「えとぉ……聞くのもなんだけど、どうだったの?」
「よかったよ……うん。レイズより優しかったし、おっきかったし……」
少女二人は揃って顔を赤くしてカァーッと蒸気爆発でも起こしそうなほどに……。
「はいはーいっ! お二人さん猥談が盛り上がりかけたところだけどそこまでだ」
ばーんっ! とドアを蹴り開けて入ってきたのはネーベル。
遮音障壁があったにも関わらず内容は筒抜けだったらしい。
やらしい空気が一気に恥ずかしい空気に変わる。
「あーーーーっ! 今の聞かなかったことに!」
レイが思い切り叫んだ途端、ネーベルの表情が一気に冷めた。
情け容赦なく死刑を執行する断罪者のように。
「さようなら、君たち。少しの間だったけど面白い話ができてよかったよ、蒼月」
その声は仲間へと向けるものではなく、戦場で捕らえた敵兵を拷問するときのものに近かった。
「何言って……ぇ?」
「ジ・エンド」
ネーベルから桃色の光が、精神に直接作用する魔法が放たれた。
それを受けた二人のうち、レイが何の抵抗もなくぱたりと倒れ、意識を失った。
「うーん、幽霊には効いても天使には効かないか」
「なんでこんなことするの!」
「なんで? そりゃ決まってるさ、スコールを倒すために使えそうなものがここにあるんだから。知ってるだろう? 僕らは目的のためならば手段を選ばないのが基本だと」
言い終えるなり、ガスマスクを着け、口元を完全にガードしたネーベルは小瓶を取り出した。
中に入っている液体は表現のしようがないものだが、確実に分かるのはバイオハザードでも起こせそう、という気配だ。
「蒼月、君はいい人材だ。こんなことで使用するのは惜しいと言えるね、でも僕は使わせてもらうよ」
「ちょっとなに、きゃっ!」
小瓶が砕け、移動魔法・領域拡散が使われて部屋中に噎せ返る強烈な薬品が散布される。
それは強力な催淫作用(催眠ではない)をもたらす劇薬だ。
吸引しただけでも強すぎる刺激で失神してしまうほど。
だが蒼月は天使でもある。
しかし人として長く生きていたため、効いてしまう。
その場に崩れ落ちた蒼月に、ネーベルは無慈悲に杖を突き付けた。
先端の宝石の中には極小の魔法陣で構成された魔法陣が展開されている。
「本当にさようなら。強すぎる魔法は元の形すら歪めてしまうからね。もう戻れないだろう」
……………………。
…………。
その夜更け。
自分が掛けた魔法を砕かれたことを察知したレイズは暗い森に走り込んだ。
なぜか広範囲に亘って無定義の魔法が展開されている。
それのせいで転移ができない。
後ろには色々と”お話し”したカスミを引き連れ、森を走った。
そして夜が明けた頃、真冬の森で交戦した戦略級の気配を察知して戦いに割り込んでみればスコールに瞬殺されることになった。




