第四十四話 - 隔離領域 〉〉 0x82B782AB
スコールたちは正体不明の空間から抜け出していた。
ネーベルが入ってくるときに開かれたゲートが閉じなかったのが幸いしたのだ。
ゲートを抜けた先はやけにひんやりした建物の中。
祭壇の上には巨大な金の十字架。
並ぶ木製の長椅子。
ステンドグラスから差し込む光が不思議な模様を床に印す。
どうみても教会だ。
「カテドラル、チャーチ……どこの勢力の教会だ?」
「どこの勢力のモノでもないよ。そもそも教会というより、呪いの儀式場のようだしね」
見れば各所にルーンの刻まれたカードや供物が置かれ、一見すると不自然な調度品の配置だ。
だがそれはモノの配置まで魔法陣として組み込んだもの。
もとから配置されていたものにさらに重ねて配置されているようにも思える。
ただ重ねられているのは領土を示すルーンばかりだが。
「ここはお前が?」
「まあね。さすがに一人で二個小隊相手に魔法の撃ち合いはきついからね、隠れてるのさ」
「二個小隊か、フェンリルを使うか? 四個小隊、中隊規模の人数はいるぞ」
「いや、いいよ。上に仲間が待機してるからね」
「そうか……。そういや他のやつらはどうしてる」
「知らないよ、僕も最近は会ってないからね。まあ生きてるとは思うよ? 君とは違ってみんな魔法を使えるから」
「使えなくて悪かったな」
スコールが本当に自分だけで使える魔法、というか魔術は、今のところ一つだけしかない。
他にその魔法を使えるのはレイズだが、呪いのお蔭で事実上使用できなくなっている。
ネーベルとスコールが軽く睨み合いを繰り広げていると蒼月が口を開いた。
「ねえ、本当のことを教えてよ。私たちに何を隠してるの?」
「なんでそう思うんだい?」
「スコールは知らないほうがいいって言うし、レイズは記憶を消そうとするし。それって知られたくないものがあるってことなんでしょ」
「ふむ、どうするんだいスコール? 蒼月も引き込むのかい?」
「それは本人次第だ」
台座に置いてあるカードの束を取りながら言った。
「どういうこと?」
「知れば戻れなくなる。それに蒼に記憶の封印を施したのは……」
「君とレイズと、なにより蒼月自身だからね」
「私が……?」
カードに紋様を描きながらスコールが近づいてくる。
「そうだ。天使は仕える神の下を離れると己の存在理由を保持できなくなって倫理崩壊を起こす。即ち、自我の消滅」
「まあ、例外もたくさんあるけどね」
ネーベルが捕捉を入れた。
そもそも仕える神の下を離れる、これ自体はレイズが神を消し飛ばしたが故に大多数の天使が消え失せることになった原因だ。
だから獣人、竜人、悪魔となんでも揃っているように見えて、純粋に天使の枠に収まるものが少ないのだ。
「メティサーナは……さすがにアレだけど、アイリとかかが良い例だろうね。レイズ専属の天使として契約することで存在を保持しているし」
「あいつを天使と言っていいのかが疑問だがな」
「分類上は天使だよ? 翼も光輪もあるし、まあ、性格はまんま悪魔だけど」
「ちょっと待ってよ、私が天使?」
「そうだ、記憶の封印は崩壊を止めるための副作用だからな」
気付けば床に規則的に紋様の描かれたカードが配置されている。
「倫理崩壊だなんだと言っても思考回路は電気信号、それを閉ざしてしまえば進行は止まる。そのときにちょうど記憶領域も巻き込まざるを得なかったんだがな」
「それはそうとして、君は一体なにをしているんだい。その配置は」
黙れ、とスコールが指を差した。
止められたネーベルは後ろ歩きで壁際まで下がった。
立てかけてあった自分の杖を持つ。
やろうとしていることは理解したが……。
「蒼、覚悟はあるか」
「な、なんの?」
「世界の理から外れ」
「僕たちと同じ土俵に上がる覚悟が、ね」
「…………」
台詞を取るな、そう言いたそうなスコールだ。
「世界の理から……? 私たちはもう外れているんじゃないの?」
「ある意味外れているが、完全には外れていない」
「それって……完全に外れるとどうなるの?」
「…………」
「なんだい? 君が説明してやりなよ」
「パスだ」
「はいはい……」
スコールがなにやら作業を始め、カードを踏まないようにネーベルが近づく。
「感覚共有はできるかい?」
「できるけど……なにするの?」
「ごめんね、少し触れるよ」
許可の返答は聞かなかった。
杖を握っていないほうの手を蒼月の頭上に掲げ、
「 、 」
それは確かに言葉だった。
だが人の思考で理解が及ぶものではない。
感じることはできてもその瞬間に認識の外に追いやられるような何かだ。
手の平から膨大な光の粒子が一瞬にして放たれ、蒼月の頭に吸い込まれてゆく。
それは圧倒的な量の情報。
いちいち言葉にして伝えていては時間がかかりすぎるため、直接送り込んだ感覚。
その情報量の多さに酔ってしまったのか、蒼月はその場にぺたんと座り込んだ。
「とりあえず、これが答え。分からないところはスコールに聞くように、一番詳しいからね」
---
数分後、蒼月が立ち直り、スコールが作業を終えた頃。
追加の説明を終え蒼月の答えが出る。
「記憶を取り戻す代わりに、そのりんりほうかいだっけ? それが始まるの?」
「ああ」
「それで、それを止めるために”天使の契約”を用いるってこと?」
「そうだ」
「じゃあ……やって。スコールとなら契約してもいい」
「内容も分かっていないのにいいのか?」
「うん」
「そうか、じゃあやるぞ。ネーベル、異常があったら魔力弾で吹き飛ばせ」
「りょーかい」
ネーベルが下がり、十分に離れたところで杖を打ち鳴らした。
床についた杖から文字があふれ出す。
「ここは我が支配域なり、如何なる存在も我が許諾なく干渉することは許さぬ」
領土を示すルーンが床を伝い、壁を這い、天井までもを覆い尽くす。
外部からの干渉をすべて遮断する領域が築かれる。
これから行うのは意識に関する直接的な干渉だ。
わずかなノイズも許されない。
そうしてネーベルが場を作り上げると、スコールは蒼月を抱き寄せた。
「ちょ、えっ?」
額と額を合わせ、視線を互いの目に固定し、あと少し行けば唇が触れ合う距離まで詰める。
「思考を放棄しろ。頭の中をからにするんだ」
「う、ぅぅん」
突然のことにパニックになりかけたが、スコールが変な目的でこんなことをするはずがない。
そんなことは分かっているためすぐに気を取り直す。
思考を空に。
空白の思考領域に鎖のようなものがいくつも浮かび上がってきた。
白と赤の鎖、白と蒼の鎖、深淵よりも深い闇色の鎖。
それは幾千もの数が絡み合い、蠢くなにかのように思える。
スコールから蒼月へと、光輝く粒子が流れ込んだ。
それは魔力と対をなす神力の力。
その力は二種の鎖を砕いた。
白と赤、レイズが施した記憶の封印。
白と青、蒼月自身が施した記憶の封印。
途端に蒼月の顔が苦痛に歪む。
「あっ、あぐっ……あ、たまがいたい」
カァンッ、ネーベルが再び杖を打ち鳴らす。
今度は文字ではなく、何かよく分からないものがあふれ出た。
ブランク、運命を司り、本来ならば存在しないものが空間を満たす。
「スコール、どっちを行うつもりだい? 完全に屈服させて心を支配するのか、それとも」
「バカが、簡易契約で十分だ」
口の中で何かを紡ぐ。
一言、二言、三言、そのたびに白い力が形になって蒼月に流れ込む。
蒼月は苦しみからか、身体は火照り汗ばんでいる。
「ふ、あぁぁ」
痛みから逃れたい一心なのか、蒼月が体を捩る。
だがそれを、絶対に離すまいと抱き寄せる。
スコールが詠唱に集中し、蒼月はされるがまま。
もし何かあればどちらも今は抵抗できない。
だからそれを待っていたのか。
「悪いねスコール。君の目標と僕の目標は同一。だけど目的は相反する、だからここで手を打たせてもらうよ――――精神断裂!」
桃色と黒色が混ざった、禍々しい奔流がスコールを襲う。
「――ここに契約を」
ちょうど契約が終わったその瞬間、波に呑まれた。
激しい痛み、それどころではなく意識を直接引き裂かれるその感覚のほうが勝る。
人格を構成する記憶が引きずり出され、切り裂かれてゆく。
「てめぇ……」
「悪いね、長らくこういう機会を待っていたんだ。君は魔法では殺せない、かといって物理で仕掛けたところで僕なんかじゃ負けてしまうからね」
「なぜ邪魔をする」
「君の目的は絶対に達成させない。あんなのは君だけのエゴだ、みんなが望まない結果は早めに封鎖するのさ」
「そうかよ」
引き裂かれ、細かな破片となって宙を舞う記憶は次々と蒼月に流れ込む。
ごく一部の者だけが知り得る、それぞれの願い。スコールのものが蒼月の意識に投影される。
この繰り返される世界の中で、なんども繰り返す者たちは己が目的の為に好き勝手に動き、協力する。
そして目的にそぐわない者は排除するのが常の定め。
そのためならばいくらでも自分を偽り、他人を裏切るのだ。
スコールとて今までそうしてきた、いつかは自分がやられると知った上で。
「だがまあ、一つ忘れてないか?」
「……なるほど。やけに魔法が弱いのは君のカードか」
スコールが立ち上がる。
その姿は陽炎が揺らめくように、輪郭がぼやけている。
「できればフローティングタレットとかが欲しいところだが」
残っていたカードの一枚を残してすべてをばら撒く。
描かれた紋様に白い光が走る。
いつもの魔力ではなく、神力。
「これで十分だ――――浄化の光」
瞬間、全方向に向かって眩い閃光が迸った。
禍々しい奔流を打消し、洗い流して空間に静寂を齎す。
静まり返った静寂の中で、役目を終えぼろぼろになったカードの落ちる音だけが響いた。
「珍しいね、君が魔法を奪わないなんて」
「レイズの魔法を使ってるだろ。しかも妙に細工のされたやつ」
「おや、気づいちゃうか。これ奪ったら脳に過負荷を掛けてそのままジ・エンドなんだったんだよね」
「さすが幻影使い……精神干渉系の細工についてはお手の物か」
最後の一枚を持ち上げ、魔力を通す。
魔法が発動する寸前で処理を止める。
「ネーベル、これを邪魔したら魔力の強制ドレインをするから、そのつもりで」
「わ、分かったよ。さすがにレイズでさえダウンするんだから、僕はやられたくないよ」
両手を上げてホールドアップ。
そのまま後ろ歩きで教会の扉まで行き、外に退避した。
「ふふっ、やっぱり気付かないよね、フェイクで引き付けてそのなかに本命を混ぜたりすると」
ネーベルはそう呟くと、教会の外に広がる石造りの街並みに消える。
空には巨大な穴……大規模な中継界と通ずるゲートが開き、あちらこちらから激しい魔法の撃ち合いの音が響く暗闇の街へと。
そして教会の中では、スコールが魔法を使おうとしていた。
「どさくさに紛れて鎖を壊したか、まあ、あの程度なら気づける」
蒼月に対する記憶封鎖。スコールが行っていた黒い鎖を砕かれたため、再びかけ直し、コピーされた記憶の消去を行う魔法を使おうとするが、
「ねえスコール」
ぽすんっと優しく蒼月が倒れこんできた。その両手はスコールの胸に添えらえている。
無駄な脂肪がついているわけでもなく、かといって凛々しい筋肉がついているわけでもない。
とりあえず必要最低限の運動だけをしています、そんな感じの体つきだ。
「私、全部じゃないけど思い出したよ、それにスコールのやりたいことも知ったよ」
「悪いがそれはすべて忘れてもらう」
スコールの手に握られていたカードを叩き落とす。
「やめてよ!」
パラリと落ちたカードは、込められた魔力を安全装置として機能する部分から霧散させ、証拠隠滅のための機能で灰に変わった。
「なんでそうまでして独りを求めるの」
「何の話だ? いつもレイズやらと一緒にいるだろ」
「いっつも何かあったら行方を晦ますじゃん……それに、消えようって思いは本当? 今までの世界でいろんな仲間と行動していたのになんで私と行動していた時間が多かったの? なんで私を守ってくれたの? なんで私たちを」
「やーめーろ、それ以上は言っても仕方がない」
蒼月の肩を掴み、引き離す。
さきほどの汗がまだ引いておらず、顔も火照ったままだ。
「とりあえず仮契約で症状は抑えたが、帰ってからレイズと本契約を結べ」
「スコールとじゃダメなの?」
「分かった上で言ってるか?」
「うん」
「…………」
黙るしかなかった。
スコールにはそれが理解できない。
それだけに関わらず、他者の感情全般を理解できない。
ただこういうことがあればこうするだろうと、予測して見かけだけの対応はできるが、本質的な対応はできない、理解はできない。
自分は目的を達成してしまえば、他の誰にも使えない魔法ですべてをあるべき刻まで戻し、世界との関わりを絶つつもりでいる。
それ即ち、存在の消滅。
初めからスコールという人物、それを構成する物質は無かったことにしようというものだ。
最後の最後で消えてしまう者と共にいようとする心を理解などできない。
そこに絡んでいる特別な感情さえも。
「ダメなの?」
「ダメだ」
「じゃあさ…………私が勝手について行くのは? それで、気が変わった時にでも」
「…………チッ、好きにしろ。そういうのはどうやっても変えられないと経験済みだ」
過去の経験、蓄積した記憶から予測される答え。
スコールは現状の打破を諦めた。
スコールとしては、蒼月はレイズとくっついていてもらいたい。
今まで見てきた世界では、最下位とは言え元天使。
レイアが窮地に陥った時になにかと役に立っていたのだ。
そのため、結果的にレイアを守ることに繋がるため蒼月も守ってきた。
それに、天使との契約は守護天使としてその人物専属になるということ。
運命を共にするという意味でもある。
だから、契約した人物が死んだ場合はその瞬間に消滅などということがある。
だから、本契約を結ばない。
だから、常にレイアに一番近いレイズとくっつけようとする。自分によって来られると最終的な目的を果たせなくなってしまう。
だから、記憶を封鎖した。
自分勝手な恩返しのためにスコールは繰り返す。
何度でも、何度でも。
すでにこの二五六回目の繰り返しは失敗と諦めている。
次の可能性に賭けるため、この繰り返しでは様々な場所を見て回るつもりだ。
だから、何かと一人の方が動きやすい。
だが、
「行くぞ、蒼」
「うん」
知るために行動することも、今回は視野に入れたようだ。
それに、仮契約とはいえ天使との繋がりを得た。
失われた属性、信仰を扱うことができるようになったのは大きい。
力の動かし方さえ記憶してしまえば、次の世界では強力な武器になるだろう。




