第三十九話 - 同郷
蒼月が目覚めた時、すぐ隣では銅貨や銀貨を数えるスコールがいた。
一体いつの時代の遺産なのか、そう言えてしまう光景だ。
だがこの世界では紙幣はなく、物理的にも価値を持つ白金、金、銀、銅、鉄が貨幣として流通している。
「それ、どうしたの?」
「お前が寝ている間に襲ってきたヤツラから奪った。まあ、目つきからするには蒼の身体目当てなクソどもだったが」
若干引き気味でビクッと体を震わせた。
女性なら誰もが、自分の体を邪な気で狙われたら嫌悪するだろう。
そして恐怖心を抱くだろう。
「い、いったいなんにんいたの?」
スコールの手元にある銅貨や銀貨の量からみて、一人二人ではないはずだ。
「一〇〇までは数えた。後は知らん」
「えぇ……」
「この世界に治安なんてないからな。路地裏に入れば三分で人攫いに囲まれるのが一般常識だ」
「ちょ、それ知っててなんで路地に……」
「犯罪者の扱いは魔物と同じ。つまり襲われたら身ぐるみ剥いでそのまま奴隷商に突き出せば金になる」
「ひどっ!」
数え終わった硬貨を奪った袋にじゃらりと流し込む。
当分は食べ物に困らないだけの額はあった。
「まあ、人攫いは儲かるからな。それに、特に蒼みたいな可愛いのは普通に宿に泊まっても襲われるからな」
「可愛いって……」
「さ、行くぞ」
路地から出ると通りは朝だというのにすでに賑わっていた。
立ち並ぶ家屋は、主に石造りで屋根は焦げ茶色が多い。
街路は車がすれ違えるほどに広く、工事中なのか石畳が途中までしか敷かれていない。
「ここって……」
「科学系はほとんどない。剣と魔法の世界だな」
言いながら蒼月の手を取って歩き始めた。
「えと」
「変な方向に考えるな、はぐれたら困る」
商人や市民、剣を下げて鎧を着た冒険者らしき人々が行き交い、通りの左右には多数の露店が並んでいる。
主婦たちがところでころで集まって談笑し、商人が声を張り上げて物を売る。
そんな中に明らかにこちらを狙っている者が混じっていた。
しかし睨みを利かせるとすぐに引っ込む。
夜の間にスコールに追い剥がれた者たちだ。
そして別の視線も混じっていた。
「ねえ、さっきから見られてるけど」
「放っておけ。仕掛けてきたら今度はハティの餌にしてやろう」
「あれ? 連れてきてたっけ?」
無言で指さされた屋根の上、そこに白い狼がいた。
いつでも飛び出せるように構え、ならず者が手を出した瞬間には血飛沫が舞ってもおかしくはない。
そもそもスコールたちを襲ったうえで返り討ちにされた者だ。
やられたところで文句は言えない立場だからこそすぐには仕掛けてこないのだろう。
「もし私が攫われそうになったらどうするの?」
「蒼の場合は自力でなんとかできるだろ」
「もしもだよ」
「手足の神経を斬って盗れるもん盗って、アジトを聞き出して金目の物をすべて奪ってから奴隷商に突き出す」
「うわっ……」
答えが予想していたものと違い過ぎ、若干引く蒼月だった。
ここは法に縛られた世界ではない。
その場所に合わせた思考がすぐにできるのはいいのだろうが、内容が内容だ。
いくら法に引っかからないと言っても報復が怖くないのだろうか。
その後、スコールと蒼月は街の中のあちこちを見て回った。
目に映るものはほとんどが珍しい物ばかりだ。
合成樹脂やコンクリではない石造りの建物、アスファルト舗装ではない石畳の道。
排気ガスの鼻を刺す臭いがない空気。
活気に満ちたこの街は、どことなく憧れをもたせるようにすら思えた。
「何を食べる? 店に入る気はないから露店にあるもので頼む」
「どんなものがあるの?」
「主に蒸したイモ。ほかは串焼きの肉やら魚だな。調味料は別料金で」
「…………じゃあ、あれ」
少し悩んだ後、選んだのは無難にパンだった。
二つ買い、齧ってみるとパサパサで苦かった。
コンビニで売っているようなパンと比べ物にならないほど不味い。
そうして蒼月が顔をしかめている間に、リンゴのような果実と香辛料、素焼きのカップを買ったスコールは隣でジャムを作っていた。
小石でカップを支え、その下に術札を三枚。
カップに細かく刻んだ果実と茶色の香辛料を入れ、火をつける。
「不味い」
「当たり前だ。この世界では農作の技術も製粉の技術もそんなに進んでいない」
ふつふつと煮立ってきたら軽くかき混ぜ、パンに塗りつけ食べる。
それでもパン自体の苦味はしつこく残るが、幾分かはマシだ。
「スコールってさ」
「ん?」
「何でもできるよね。料理も家事も」
「経験の差だ」
「戦いだって、どんな相手でも勝てるし」
「経験の差、誰にでも勝てるわけじゃない」
「指揮だって上手だし」
「経験の……」
「それって羨ましいなって思うんだ」
「…………」
「ほら、私たちってさ、戦いしかできないじゃん。色々あって盗賊として生きて、それからPMCになって」
「だからなんだ。戦えることも長所だ、普通に生きている者からすればいざというときに頼りになる。相手を傷つけ殺めることに対しての躊躇いのなさは」
「でもそれって」
「気にするな、オンオフの切り替えができているうちはまだ人として大丈夫だ。それに自分ができないことはできるやつにやらせて、そいつができないことを代わりにやれば特に問題はない」
「そういう問題?」
「そういうことだ」
苦いパンを飲み込み、再び人ごみの中を歩き始める。
ちょうど冒険者のような者たちも動き始めたのか、先ほどよりもさらに喧騒が大きなっている。
大きな剣を背中に背負う者、如何にも魔法使いですといった様子の者、軽装で矢筒と弓を持つ者。
いくら銃と魔法の世界から剣と魔法の世界に来たとはいえ、こういったものは中々目新しい。
杖を持ちローブを着た魔法士などまず見ることは無いからだ。
さらに魔法士と言えど銃を扱うのが当たり前だったこともあり、古風な魔法使いは歴史の教科書くらいでしか見ることない。
「…………うん?」
「どうしたの?」
立ち止まり、ある方角を見るスコール。
後ろから来た商人がぶつかり、文句を言いながら立ち去るが気にしない。
「蒼、別行動だ。後で信号弾を撃ちあげる」
「?」
首を傾げた瞬間に爆音が炸裂した。
ちょうどスコールが眺めていた方角からだ。
道を行き交う人々はとくに慌ててはいない、ところどころから「また魔法使いの喧嘩か」などと聞こえるあたり、日常的なこととして考えているのだろう。
だがあれだけの爆音ならば当然、煙なり衝撃波なりがあってもおかしくはない。
しかしそれがない。そして空に白い閃光弾……レイズが使っている信号弾が上がっているということは……。
「先に行け」
「えっ?」
「来なすった」
路地から慌てた様子で飛び出してきたローブの人物に足を掛ける。
「ってえ! なにしやが……」
倒れてフードが脱げ、スコールに文句を言おうとした男の顔がみるみる青くなっていく。
そしてスコールの手にはいつの間にやら多数の術札が。
「久しぶりだな、クソ野郎」
「スコールか!?」
飛び起きた男に向け、貫手。
咄嗟に身を捻って躱したその後ろ、石の壁に穴を穿った。
「ひぃぃっ!」
「ああ? ヴァレフォルはいねえが手下はいるか……さっさと吐けば楽に逝かせてやる」
刀に手をかけ、術札に魔力を通して妖しく発光させ、男に迫る。
その男は長年の敵であるヴァレフォルの配下。
先の戦いでこちらの駒、白き乙女の大多数を失ったのならば、相手の駒も潰してパワーバランスを取らなければ後の戦いで追い込まれる。
「そいつ、誰なの?」
「クズ野郎の手下だ。殺しておくから先に行け。レイズだけなら最悪街ごと吹き飛ばすようなことにもなるぞ」
「う、うん、気を付けてね」
「蒼こそな」
ダブルブレードを分割して双剣として持ちながら駆けていく蒼月を見送り、刀を抜き放った。
往来の中でいきなりの戦闘行為。
だというのに周囲の人々は単なる喧嘩として見たらしく、賭博を始める始末。
「き、貴様なぜこんなところに」
「流れから外れた者だ。別にどの世界のどの時間にいてもおかしくはないだろう」
右手に刀、左手に術札。
相手は幻影使いと呼ばれるヴァレフォルの手下。
呼ばれる理由ともなっているのは対象の分身を作り出すことから。
「言え」
「……どちらでも殺されるならば言わぬ」
「そうか、残念だ」
励起した術札を顔の前まで持ち上げ、いざ魔法を発動しようとすると幻影使いが懐から球体を取り出した。
その球体からは不可聴の雑音がまき散らされた。
魔力だけを掻き乱すジャマー。
至近で発動されれば魔術師や神力使い以外は一切魔法を行使しづらくなる。
仮に強引に行使すれば思わぬ場所に被害をもたらすことになるため、事実上魔法の行使は不可能となる。
「こ、これなら!」
「阿呆、数千年単位で生きてきたくせに刻印魔法のことも知らないのか」
「なっ……はぁっ!?」
術札が燃え上がり、烏の形を作り上げて幻影使いに襲い掛かった。
赤熱した足で腕を焼き、焼けた鉄のように白い嘴で眼球を抉る。
叫び声はなかった。
上げる前に喉元に刀が突き立てられたからだ。
瞬間で事切れた身体は即座に黒い液体となり、溶けた。
最初から黒インクを魔法で人の形にしていたかのように。
「さて、術者はどこだ」
探すのは面倒。
ならば魔法の記録から投射位置を逆算するほうが速い。
地面に染み込まず、磁性流体のようにある方角に動く液体に神力を用いて追跡子を撃ちこみ、術札を用いて広範囲に吹き飛ばす。
上空に舞い上がり、風に少しばかり運ばれた液体が、磁石に引き寄せられるように一点に向けて動き出す様子が感覚的に分かる。
突然のことに呆気にとられていた通行人たちを無視して路地に入り込む。
何度か路地を曲がり、置き去りにされた木箱を飛び越えながら先を急ぐ。
相手は幻影使い、レイズが信号弾を撃ち上げてまで位置を知らせたからには、すでにここは相手の土俵。
魔法の準備が整っているという事。
「しかしまあ、幻影使いのくせしていつも通りの分身じゃなくて傀儡を扱うのは……」
何度目かの角を曲がると裏通りに出た。
人の姿はなく、代わりに井戸が一つ。
そこからのっぺりとした体から腕を生やした黒い何かが湧き出た。
「まったく、足止めなら質より数を用意した方がいいぞ……」
のっぺりとした黒い何か。
何なのかは分からないが見たところ液体であることに違いない。
液体ならば、流体ならば。
「失せろ」
術札を一枚飛ばす。
記述内容は流体制御系魔法の無力化。
あれがどんな魔法で動いているにせよ、魔法は小さな工程の組み合わせだ。
そこには流体を操るものが組み込まれているだろう、ならばピースを一つ外せば魔法は完成したとは言えなくなる。
術札が当たったなにかも、瞬間でべちゃりと形を失い崩れる。
だがそれは地面に染み込むことは無く、ある方向に向かって動き出す。
それはさきほど追跡子を撃ちこんだものが向かう場所と同じ方向。
大凡の位置に見当をつけ、樋を伝って屋根に上がる。
道があるのだから道を歩かなければならないということはない。
「早急に終わらせて合流するか」
焦げ茶色の屋根を飛び回り、目的地へと急ぐ。
眼下では散発的ながら戦闘の音が響いている。
路地裏にいたならず者が襲われでもしたのだろうか。
スコールは一切気にせずに走った。
数分ほど走り続け、そろそろ体力的にきつくなってきたころ、下から黒いローブ姿が上がってきた。
背後に黒い液体上の何かを従えているところから、この者が術者だ。
「わざわざそっちから出てくるとはな、幻影使い」
「けっ、俺様の魔法に干渉したら逆探知されるって分かってんだろ」
「なんだ、先回りのつもりか。残念だったな、そうだったらそれはお前をおびき出すための罠だ」
「調子こいてんじゃねえぞ! ただに人間が!」
「魔力絡み限定なら大抵のやつに勝てる”一応人間”だがな」
術札をばら撒く。
あるモノは火を纏い、あるものは水を纏い、あるものは砂塵を纏い、あるものは若葉を芽吹き、あるものは鉄色に変わる。
「来いよ、どうせそれは水の魔術なんだろう?」
「チッ、バレてやがるか」
「五行、黒は水の象徴色、土剋水」
言うと同時に砂塵が黒い何かにまとわりつき、瞬く間に消し去ってしまった。
後に残るはさらなる魔術を組み上げようとして、何もできないガイゼルのみ。
「魔法じゃなくて魔術なら、より強い属性や伝承には勝てまい」
「てめ、なにしやがった!? 一つの属性を潰しただけでほかまで使えないなんてこたぁねぇだろ!」
「忘れたか? 魔力を掻き乱す暴風を」
「なっ」
気づけば目に見えないもの。
直感で感じられるほどに薄い空気中の魔力が掻き乱されていた。
そのノイズが術の構築を妨害している。
「こちらもかなり駒を潰された、だからそっち側も減らしておかないとな」
「そう簡単にやられてたまるか」
一切の躊躇なく屋根から飛び降り、逃げ足の音を路地に響かせた。
スコールもそれを追いかけようとしたが、別の黒いローブが行く手に降りたった。
片手には巨大な水晶の取り付けられた杖を抱えている。
「今度は幻影使いか」
「そう、久しぶりだね、み…………スコール」
「うっかり間違えるな。同じ幻影使いならさっきの雑魚は任せていいか?」
「いいよ、僕もあれを殺すつもりで追いかけてたからね。それよりも情報交換はいいのかい?」
「手っ取り早く済ませよう。こちらは白き乙女の大部分をロストした、それとアカモートが轟沈」
「うわっ、それはかなりの痛手だね。僕の方はアレの欠片を全部盗まれてしまったよ。まあ、居場所は分かってるからすぐに取り戻せる」
「そうか。ヴァレフォルについては?」
「依然情報なし。今回のループは今までよりも介入が早かったけど……」
「確かにな、そのせいで流れから外れたのが数人いるが」
「そうだね、彼らについては放っておいてもいいだろう。それじゃ」
「ああ、任せたネーベル」
黒いローブ――ネーベルがガイゼルを追いかけはじめた。
屋根から飛び降りず、魔法で空を飛びながら地上に向けて魔法で爆撃を行う。
よく制御された魔法だ。
衝撃波が建物に及ばないように、きっちりと計算された形で障壁が展開されている。
これならば民間人に被害が及ぶことは無いだろう。
「さて、レイズを捕まえてさっさと帰るか」
後はすべてネーベルとやらに任せる。
同じ時代から転移した者であり、目的は違えど目標が同じであるため協力している最初期の仲間だ。
スコールよりも各地を転々とし、ふらりと現れては時折り情報交換の為に接触する以外は見かけることがない。
そのためなのか極一部の者以外からは完全に忘れられている状態である。
「行くか」
屋根から飛び降り、街中を駆ける。
道中交戦中だった蒼月を助け、レイズに合流し、髪を鷲掴みにして帰還したのだった。




