第三十六話 - 待遇がおかしい
「待遇がおかしい」
一月も終わりに差し掛かったころ、庭でバーベキューをしながらレイズはそんなことを言った。
畑の半分では畝が作られ、野菜の苗や果樹が植えられている。
そしてそのもう半分にテントを張って生活しているアイゼンヴォルフたちもバーベキューに参加しているのだ。
レイズを給仕のようにこき使って。
「いや、俺もさ、色々やりすぎたとは思うよ? でもさ、なんで去年までは天使の下僕兼雑用係りで今年は一応配下の配下にまで下僕のような扱いを受けているんだ? しかも戦闘の責任というか、主に敵が起こした災害の後始末まで俺がやらされたんだ? アレ結構大変だったんだよ、かなり広い森林地帯を再生させて獣人に怒られてさ……」
アイゼンたちが山で仕留めてきた獣の肉をいい感じに魔法の炎で炙りながら、続々と焼けた肉を隅の方へと避けていく。
そしてそれはすぐになくなってゆく。
「もっとペース上げろよー」
「こっちお肉なんですけどー」
「ハラミ五人前追加でよろしくー」
うなだれながら隣に転がしてある肉の塊を切り分ける。
骨は足元に投げておけば勝手にハティがガリゴリと平らげるのだが、時折り狙ったように脛に噛みついてくるのだ。
お蔭で愛用のズボンはすでにぼろぼろ。
「おいスコール! テメェいちゃいちゃしてないで手伝え!」
開け放たれた窓枠の向こう側。リビングでは月姫たちに囲まれたスコールがいそいそと書類を書き上げていた。蒼月だけが背中から首に腕を回して、とても鬱陶しいと言った感じだ。
わざとらしく膨らみを押し当ててスコールを誘ってはいるようだが全く反応がない。
書類の内容は新たにPMCとして登録するためのもの。
桜都と違ってこちら側、東側の二国には傭兵斡旋協会があり、登録したうえで試験を受ければ暫定階級が与えられ軍属と同じ扱いとなる。
そうなってしまえば戦時法などで曖昧な扱いをされずに済む。
「頑張れ、お前な――」
と、そのときだった。つけっぱなしのテレビからアナウンサーの声が聞こえてきた。
そこに流れる映像は車両に取り付けられたドライブレコーダーの映像か。
『先日、早朝に街中を叫びながら走り回った不審な男性についてですが、都市警備隊《CDF》より正式な指名手配が発表されました。見た目は十代後半から二十代前半、身長一七〇から一八〇程度とみられ、白髪が目立つ男性とのことです。近くで見かけた方はこちらの電話番号までご連絡ください』
電話番号が画面下に表示されつつ、全員が固まっていた。
そして、
「「「何やったんですか!?」」」
その特徴に完全一致する男が庭にいた。
「スコールのせいだ!」
すでに数多くの罪状ですべての国とほとんどの浮遊都市から指名手配をされている今日この頃、変なものが一つ加わったところでもうどうということはない。
「…………なんだよその冷たい眼差しは……もういいよ」
黙って焼きに徹したレイズであった。
魔法でさらに金網を作り、下から程よい火加減を起こす。
一方スコールはというと、全員分の書類を書き記すので忙しかった。
とくにアイゼンヴォルフについては魔狼という、二〇〇人規模の傭兵部隊に所属するパーティであり、フェンリル自体がどこに行っても入国拒否で入れてもらえないために身分証から偽造する必要がある。
「大変だね、スコールも」
もたれかかる蒼月が言う。
これにはいい加減うんざりしているスコールである。
あの日以来、急に態度が変わったのだから。
「そう思うならまずはどけ」
「いーや」
「はぁ……………………これが終わったらまたしばらく留守にする」
最後の書類を書き終えて、向き直る。
蒼月は強引に引きはがす。
「まず、当面の問題としては拠点の確保と敵性浮遊都市群の排除だ」
「拠点はここでいいとして、浮遊都市の方はどうするの? まさか正面から戦争?」
「現状の戦力であれば可能だ。レイズが魔力補助を行ってレイアの領域消失を用いれば一撃で終わらせることができる。あとはお前ら月姫が残党の掃討ってとこか」
「でもそれだと問題があるよね?」
「そうだ、あれだけの質量をいきなり分解しようものなら大気中にばら撒かれる塵が環境を汚染するだろう。それに、消し去るよりも奪い取って利用した方が後々の戦いで有利になる」
別の白紙を広げてラバナディア周辺の地図を簡単に記す。
「まず現在の浮遊都市の場所は不明、これはアカモートでも言えたことだったがな」
そう言いつつ地図に×印を書き込む。
「だが、それがネットワーク上だとすぐにわかる。この地点からフェンリルの電子戦部隊を投入してシステムを落として位置を割り出す」
×印の位置はどれも世界を繋ぐネットワークの集まる地点。
海底ケーブルへの接続口であったり、国の中心部にある交換設備であったり。
そんな中でレイアが手を上げた。
「わたしの索敵魔法でサーチしよっか?」
「忘れてないだろうな……浮遊都市はいずれもが対魔法兵装を配備している。当然ジャマーの効果で広範囲に亘って妨害がかかっているし、デコイもある」
「それでもわたしの魔法なら」
「それで前は失敗しただろ」
レイアが言いよどむ。
以前に一度、デコイを誤ってサーチしてしまい作戦続行に支障をきたした前科がある。
「じゃあ、この国の管理AIは? 白き乙女みたいにAIで管理はしているはずだよね?」
「コーラルエッジに関してはまんまコーラルって名前のAIが一体のみ。他は確認してないから知らん」
「いい加減な……」
「こっちもこっちでやることがあるんだ」
ふと外に視線を向ければ、いよいよペースが遅れて間に合わなくなってきたレイズが、半ばやけくそで肉を焼いていた。
足首にはハティが食らいついているがピンポイントに絞った障壁で耐えているのだろう。
鋼鉄すら食いちぎるギロチン犬歯を貫通させまいとしている。
「レイズ、ちょっと褒美をやろう」
スコールは立ち上がって冷蔵庫に向かう。
「……俺の方が立場うえなんですけどねぇ!」
「まーまーそういうなって」
取り出したのはよくみかける栄養ドリンクのビンだ。
それをレイズに向けて投げる。
「なんだこれは? またゲテモノじゃないだろうな……」
言いながらレイズは気づいていなかった。
スコールがその栄養ドリンクを取り出した瞬間に月姫たちがさっと距離を取ったことに。
そして蓋を開け一口。
――む……これは飲んじゃダメなやつ。
口の中に広がる強烈な苦味。
まるで麦茶を濃縮したかのような渋味。
そこに追い打ちをかけるハーブ系のきつい香り。
過ぎ去ったハーブの中から現れる漢方系の不可思議な臭い。
そして最後に口のなかに絡みつくねっちょりとしたしつこい甘さ。
身体が拒否反応を起こした。
「う、うぐぁっ、ぐ、おぅえええええぇぇぇ」
ついにその場にしゃがみ込んで盛大にリバース。
口の中に侵入し、胃に向かおうとしていた劇物は地面に吹き付けられた。
きつすぎる臭いでハティが後ろに飛びずさる。
「げほっ、げふぅっ……何飲ませやがった」
魔法で作り出した水で口の中を洗いながら涙目で言う。
「試作の魔法薬だ。アイゼンたちが持っていたマンドラゴラ……あ、薬草の方じゃなくてモンスターのほうな、それとドラゴンフラワーの種に惑わし草のエキスと」
「もういい……思い切り劇薬じゃねえか! あぁ! マンドラってどっちにしろもろ劇物! それにドラゴンフラワーは龍ですら食べたら体調崩すとか言われるアレじゃねーか! 惑わし草については幻覚作用ありだし!」
「ああそうだ。今度敵軍に入った時にレーションにでも混ぜてやろうかと思ってな。そこらの人間なら揮発成分でイチコロだ」
「…………お前なあ、いくら俺が不死だからと言ってなんでもやっていいわけじゃねえんだぞ?」
「むしろどんなことをしても大丈夫な実験体だからこそやるんだが」
「言いやがったなクソ野郎!」
ビンを思い切り投げ返す。
それをキャッチして飲み口に残った劇物をぺろっと舐めるスコール。
いたって平気だ。
「うん、味を変えないと不味いな」
「俺としてはなんで毒物が効かないのかが不思議なんだが!」
「日頃から毒物は吸ったり付着したりしてるからな、慣れた」
「……俺に一般的な常識を返してくれ。そんなことで身体が毒に順応するなんてありえない」
「そもそも”この世界”でそんなことを聞くところから間違ってる」
「…………」
あくまでこの世界は”仮想”。
0と1から始まる、限りなく現実に見えるウソの世界。
それを知るのはほんの一握り。
今の言葉も正しく理解しているのはレイズのみ。
月姫たちは”戦争屋としての世界”と誤認している、蒼月を除いて。
「けっ、魔法でなんでも思い通りになると思うなよ」
「思ってない。アレはそこまで万能な法則じゃないんだ。魔の法というくらいには、相応の代償があるんだから」
「だろうな……ん?」
後ろから肩を叩かれてみれば長蛇の列。
皆が皿を片手に持っている。
「肉まだっすかね?」
アイゼンヴォルフのメンバーがタメ口で言う。
立場としてはレイズが上なのだが。
「テメェら自分でやるって発想がないのかよ……」
「そもそも上官にこき使われている時点で、あんたのことは俺たちより下としか見てないんで」
「俺がトップだ!」
「それ形だけっすよね? 毎度毎度堕天使にいいように使われて配下の部隊から金を請求されて」
「…………」
今までも幾度も繰り返してきた世界の中で、幾度も避けられなかったことだ。
さらに列の後ろからもぼそぼそと聞こえはじめ、見えない何かがレイズにグサリと突き刺さった。
「なにあれ? かっこいいと思って脱色してるの?」
「あの格好にネックレスとかダサ」
「最強最強って言ってるけどよく負けてるよねー」
「あーそれな。確か去年、白き乙女のちっさい女の子に魔法で焼かれてたよな」
だんだんとぼそぼそと言われていた内容が耳に入ってくると、さらに精神的な何かがグサリと突き刺さった。
髪はもとからアルビノ体質であるため仕方がない。
そもそも家系を辿っていけばずっと昔の代まで色素が薄い者ばかりだ。
ネックレスはある意味では遺品であるので肌身離さず持っておいてもいいもの。
だから他人にとやかく言われても……しかしながらレイズは弱かった、ただそれだけだ。
「もう嫌だ……何のために魔術に神術に魔法まですべてマスターしたんだか……」
「そんなに嫌なら染めるか?」
いつの間にやらスコールがスプレー缶を持ってきていた。
それはどう見てもヘアスプレーではなく、別用途のためのスプレー缶だ。
「それペンキ! 髪が傷むわ!」
「じゃあこっちは」
「それウレタン! 髪の毛ヘルメットになるわ!」
「じゃあ」
「待て、さすがにそれは突っ込む前に拒否だ。それは使っちゃいけない」
「仕方ないな」
一体いつの間に購入したのか、スプレー缶がどっさり入った段ボール箱を抱えてしまいこむために部屋の奥に消えた。
「あいついったい何考えてやがる。最後のはアシッドスプレーじゃねえか、デオキシリボ核酸すらもきれいさっぱりって……」
「最近セントラでも発売されたものだ。どうやら裏の仕事をするやつらにゃ大好評らしい」
アイゼンが後ろから呆れた声で話しかけてきた。
彼もスコールのやることには少なからず引く。
見た目も身体年齢もまだ二十歳には届いていないはずなのに、中身は真っ黒な人間だ。
「おい、アイゼン。ありゃスコールの自作品だろ?」
「そのはずだ、あの缶には見覚えがある。あー、確か人間を一人完全に消し去れるとかなんとか」
「…………ちょっと殴ってくる。肉は頼む」
トングやナイフを渡し、サンダルを脱ぎ捨て家に上がり込む。
魔法を一切使わず、体内から漏れだす魔力と神力を完全に隠す。
リビングを越え、足音を消し、廊下にある倉庫スペースに箱をしまい込んでいるスコールに向け拳を突き出し、
「せぁっ!」
「ほっ」
腕を取られ、一本背負いの形で綺麗なフォームで床に叩き付けられる。
さすがに畳ではなく木張りの床であるため痛い。
それも特注の分厚く堅い板である。
背中に言い知れぬ電撃がビリビリと走っているだろう。
「……なんでわかるんだよ」
「人間ってのは思考するにも身体を動かすにも電気信号が走る。電気があるってことは電磁波も発生するってことで、それを感知すれば容易いことだ。もっとも体温がある限り赤外線が出ているから気配なんてすぐに分かるが」
「一応言うが、それ魔法を使える俺ですら不可能だぞ」
「だろうな。さすがに集中しないとできない技だからな」
「いや意識を集中したところで出来るもんじゃないよな?」
話しながらもずるずる引きずられているレイズ。
気づけば玄関だ。
「どこへ?」
「公宮だ。必要書類は役所より早い」
「そうやって直接渡されないための役所のはずだが……」
「使える伝手は使わないと損だ。という訳で、強制詠唱――」
「やめろ! それかな――――」
強制的にゼロから転移魔法を組み上げさせられたレイズの絶叫が響いたとか。
本来ならば自分が負うべき処理すらもレイズに押し付けたとても乱暴な術の行使。
そのせいか、絶叫はいつもより三割増しだったらしい。




