第二話 - 氷の大地
俺――レイズ・メサイアは北極の雪の上に伏せている。
なぜ伏せているかって?
立っていたら危ないからさ。
隣には味方の兵士が一人、同じように伏せ、ライフルのスコープを覗きながら喚いている。
正直言って邪魔だ。
「なんで奴らがあんな上等なもん持ってやがんだよ!!」
「落ち着け、ここは戦場だ。何があってもおかしくねえ」
これからどうするかを考えながら、何故ここにいるのか思い返す―――
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薄暗く、狭い部屋の中にいる。
ときおりガゴンと大きく揺れ、皆銃器の手入れや魔道具に魔力を込めたりしている。
ここは上陸艇の船内。
周りを見渡せばヘルメットにアーマー、ブーツにライフルと防寒着一式を装備した兵士たちが十一人いる。
ハッチある方とは逆側、船体後方の電子ボードの前では隊長格の男が何か喋っている。
だが今、注目すべきはそちらではない。
レイズだけ装備が何も支給されていない、ということだ。
――なんで”今回も”何も支給されてないんだ? まあ、いつものことだからそれはいいんだが。しかし、なぜだ? 今朝の一言がまずかったのか? それともあのタオルか? 確かにメティは気分屋で些細なことですぐに怒るさ。そのたびに、無茶苦茶な命令を出されたよ。でもさすがにこれはひどくないか? 何の装備もなしに、北極の所属不明部隊の殲滅作戦に組み込まれるってのは!! 氷点下七十度だぞ!?
そんなことを思っていると、船体が激しく揺れた。どうも海岸に乗り上げたらしい。
「よーし、全員降りろ」
隊長格の男はそう言いながらレイズのことを目に留めた。
ほかの兵士たちが下りていく中、話しかける。
「お前、装備はどうした」
「なぜか支給されてなかったんですよー」
レイズは自嘲気味に言いながらも、さっさと上陸艇を降りた。
吹き付ける風はとてつもなく痛い。寒すぎて冷たいと感じられない。
――氷点下の地域に長袖シャツとカーゴパンツって恰好で来るもんじゃねえな。
思い立ち、すぐに冷気を遮断する魔法を使おうとして止められた。
「魔法の使用は禁止されているぞ」
隊長格の男が上陸艇から降りてきながら言った。
――嘘だろおい! 嘘だと言ってくれ!!
そう願ったものの、隊長格の男は歩き去って行った。
――もう、どうにでもなれ。心頭を滅却すれば冷気もまた……ってことはあるわけないな。
軽く見まわしてみると、指揮官らしき男が拡声器を構えていた。
その周りには先に降りた兵士たちが集まっている。
白を基調とした雪上迷彩のアカモート兵、青と緑の迷彩柄のブルグント兵。
「此度の作戦は――――」
長ったらしい演説が始まる。
戦闘前に士気を高めるためのものらしいが、この極寒の中では逆に士気を低める結果となってしまうそうだ。
そしてレイズはそんな演説を聞く気は毛頭ないので、そのほとんどを聞き流した。
「それでは、各自の健闘を祈る」
その一言で気が付いた時には、兵たちはすでに二、三人で隊を組み始めていた。
どうしようか考えていると若い兵に、
「俺と組まないか」
そう言われ、断る理由もないので組むことにした。
ブルグントの若い兵士だ。
「よろしく、俺はレイズだ」
「おう、俺は――――」
少し現状の確認をしよう。
所属不明部隊が潜伏している場所は海のすぐ近くである。
とは言っても、そこは断崖絶壁の氷壁なので直接そこに乗り込めず、多少遠いところに上陸艇を乗りつけた。
そして、そこから二百人程度と共に包囲していく。
この作戦に参加しているのはアカモート兵が五十、ブルグントの兵がおよそ百五十。
アカモートの兵が参加しているのは、ちょうど近くに停泊中だったからというのが一つ。
そしてもう一つは報奨金目当てというのが理由だ。
今回参加している兵たちはいずれも魔法士――文字通り魔法を扱い、戦う者――だ。
熟練の魔法士ならば、戦車や戦闘機などの兵器から魔物と呼ばれるものまで、有らゆるものと渡り合うことが可能だ。
だが、いくら魔法が強大であっても、引き金を引くだけの銃などに比べれば、速さでかなり劣る。
そのため、強力な魔法士が魔法を使い、残りは銃を使って支援しながら戦う。
所属不明部隊については、付近を飛行中だったブルグント連邦の輸送隊に、歩兵用の携行ミサイルを撃ち、一機を落とした。
これを受け、ブルグント連邦は他の三つの国と各浮遊都市などの勢力に確認を取った。
しかし、どこも心当たりは"ない"とのことなので、真相はどうあれテロリスト扱いとなり殲滅したところで文句は言われない訳だ。
雪原を歩いていると、隣を歩く兵が思わず呟いた。
「マジかよ……」
確か、カルロという名であったはずだ。
「なんで六キロも歩くわけ? スノーモービルとか、なんで用意されてねえんだよ!!」
寒さに震えながらもレイズは冷静に答える。
「文句言っても仕方ないだろ。魔物がいないだけマシと思え、それに俺なんか防寒着すらないんだ」
一面銀世界、雪景色の中を二人は進んで行く。
「そういやさ、生け捕りにしろとか言ってなかったっけ?」
「さあ? 俺は全部聞き流してたんでな」
「これってさ、現場を知らない指揮官のいうことじゃねえの」
「だろうな。まあ、アカモート側は報奨金上乗せとかない限りは皆殺しにするってことになってるから、そっち側で適当に頑張れ」
白い大地を黙々と歩いて行く。
あるときを境にレイズは心なしか動きが少しぎこちなくなっているような気がした。
「なあレイズ、お前さ……おい、レイズ? 大丈夫か?」
唇が完全に紫色になり、歩き方も完全にぎこちなくなっていた。
「……な、なあカルロ、お前のコート貸してくんねえかな」
「いいけどよ、お前なんで何も支給されてないんだよ」
「なんでだろうなー」
カルロから人肌にぬるく温まっていたコートを受け取る。
正直な所、コートはないよりはマシというほどの防寒性能だった。
そのまま一時間、今度は何度も寒さで寝そうになり、何度も頬っぺたを叩かれながら歩き続けた。
その後コートを着てさっきより幾分か体温が戻ったレイズは、唯一持って来ていた小型の無線機で通話していた。
「ああ、今は北極で――」
そこにカルロが話しかけてきた。
「誰と話してんだ?」
レイズは手で合図を送って「今、話しかけるな」と伝える。
無線機からは女性の声が漏れていたが、何と言っているかはカルロは聞き取れなかった。
「そうか、できれば早めに来てくれると助かる」
そう言って、レイズは通信を切った。
「で、結局誰なんだ?」
どこか遠くを見ながら、レイズは答えた。
「ちょっとした知り合いだ」
「もしかして、彼女だったりして」
「違えよ!」
即答だった。カルロは冷ややかな視線を向け、
「図星か……」
「だから違うって言ってるだろ!!」
それを境にレイズは早歩きになった。
程無くして雪が積もってできた、かなり急な斜面の丘が見えてきた。
太陽はすでに頂点に達しているが、吹雪いているためにその光はあまり届かない。
「カルロ、後どれくらいだ?」
カルロはポケットから端末を取り出して地図を開く。
地図上には目標地点といつかの赤い点が表示されていた。
「そこ超えて五百メートル先だ」
「他の奴らは?」
「俺らと同じくらいまでは来ているはずだ」
レイズはあたりを見回してみたが、生憎の吹雪のため他の兵たちを見つけることはできなかった。
カルロはブーツの紐を締め直し、ピッケルを取り出す。
レイズは普通のランニングシューズと素手。
その状態で斜面に挑んだ。
斜面を登るのには苦労した。何せ氷の上に雪が積もっているのだ、とても滑りやすかった。
レイズとカルロは二回滑り落ち、三回目でやっと這い上がった。
「なーレイズ、少し休憩にしようぜ」
「賛成だ、ついでに銃の確認もしとけよ。魔法が使えなけりゃ、その銃だけが頼りだからな」
カルロは座り込み、銃口やスコープに詰まっている雪を取り除き、レイズは辺りを見回す。
目的地まではあと少しだ。ここまで来ると、他の兵たちの姿も幽かに見えた。
吹雪の向こう側から手を振ってくる味方に、レイズは手を振り返した。
敵側に狙撃兵がいることなどは頭にないらしい。
「おいカルロ、やっと味方が見えたぞ」
それを聞いたカルロも、立ち上がり手を振った。
相手方も振り返してきたが、バディの拳骨を食らってすぐに向きなおった。
その瞬間、カルロの足元が弾け飛んだ。
カルロはバランスを崩し倒れ、レイズは雪に潜り込むように伏せる。
「運が良かったな、吹雪がなけりゃ死んでるぞ」
さらに、弾丸が飛んでくる。先ほど手を振ってきた味方も伏せているのか、その姿はない。
「どこにいやがる!!」
カルロはアサルトライフルのセーフティーを解除しながら、少しだけ身を乗り出して構えた。
そしてすぐ横で、飛んできた銃弾が雪の塊を跳ね上げ、慌てて伏せた。
「魔法の使用許可が下りたらこっちのもんだ。それまでは伏せてろ」
無線機から指揮官の声が聞こえるまでひたすらに伏せる。
近くからは、味方が攻撃し始めたのだろうか、銃声が聞こえ始めた。
――無駄だろうに。
レイズは少しだけ顔を出して敵がいるであろう方向を見る。
当然、吹雪で敵は見えない。だが、すぐに銃弾が飛んできた。
――どうやって狙ってやがる……?
索敵用の魔法が使われている気配はない。
通信の傍受はデジタル方式のため可能性は低い。
この吹雪だ、監視衛星ということもないだろうし、なによりテロリスト程度がそんなもの所有しているとも思えない。
レイズがそんなことを考えているとカルロの無線機から声が聞こえてきた。
『現時刻を持ってランクCまでの魔法の使用を許可する。繰り返す、……』
「レイズ!!」
「支援は任せるぞ」
レイズはコートを脱ぎ捨て飛び出す。
それと同時に味方の天候操作魔法が発動され吹雪が強制的に止められる。
太陽を遮る雪が消え去り、辺り一面が照らされる。
まず目についたのは、五〇〇メートルほど先に不自然に雪が積もっているところだった。
――あそこか……。
雪原を駆けながら、十六枚もの対物障壁を自分の前方に展開する。
魔法士の実力にもよるが、レイズの場合はこれでライフル弾を弾くことが可能だ。
さらに、雪を集め、溶かし、再凍結させ氷塊を四つ作る。
当たれば儲け物という思いで敵がいるであろう場所目掛けて打ち出す。
周りを見渡せば同じように障壁を展開し、走って行くアカモート兵たちがいた。
ただ、その枚数は二、三枚と少ないが。
レイズがアカモートの兵と同じ戦列に並ぶのはこれが初めてだ。
「さて、お手並み拝見といこうか」
そんなレイズを後ろから見ている二人の兵がいた。ブルグントの兵だ。
「障壁十六枚に……移動、加熱、冷却、加速を四セットか」
「化け物か? あの魔法士」
「それにこの距離から当てられるのか?」
「さあな」
魔法は魔力を制御し、世界の法則を欺いて望む状態を創り出すもの。
そのためには、文字や魔方陣を用いたり、何がしたいかのイメージやイメージを呼び起こすための詠唱が必要となる。
発動された魔法は決められた条件を満たすか、破棄されるまで存在し続け、今ある魔法が消える前に次の魔法を使っていくと使用者にかかる負担は雪だるま式に増えていく。さらにその負担は自身の魔力を超えた分だけ生命力から削られる。
「それにしてもすげえな」
「感心してる場合じゃない、このままじゃアカモートの奴らに手柄を全部持ってかれるぞ」
前を見れば、視界に入るのはアカモートの兵ばかり。
ブルグントの兵士とは比べ物にならないほどの速度で進んでいる。
「遅れるな」
その二人は加速魔法を使い、さらに速く走り出した。
後ろから来た二人を見送りながらレイズは呟いた。
「障壁も展開せずに行くとは、阿保かあいつら」
先ほど氷塊を打ち出してから少し経つ、そろそろ着弾するはずだ。
レイズは自分が魔法的に干渉したものならば、時間制限はあるが何処までも追跡できる。
だからこそ分かった、氷塊を魔法で砕かれたことが。
目標までおよそ百メートルの距離で立ち止まり索敵魔法を発動する。
てっきり索敵網には敵の魔法士が掛かるものとばかり思っていたが、まったく別のものが引っ掛かった。そして、そこから先は全くサーチできなかった。
「自動銃座……それに妨害装置もあるか」
自動銃座は索敵不能な場所を囲むように雪に埋もれ、先行した者たちは気づいていない。
こんなに寒い場所に設置されていれば凍っていそうなものだが。
しかしレイズが自分に最も近いものに焦点を合わせると、ちょうど起動したのが分かった。
「まずっ!」
先頭を走るのはアカモートの魔法士、その後ろにブルグントの魔法士がいる。
今から呼びかけても間に合わない。このまま行けば自分が危険だ。
そう判断してその場に伏せた瞬間、雪の中から出現した自動銃座が火を噴いた。
障壁を展開していた者はとっさに伏せるだけの余裕があった。だが、展開していなかった者は伏せる前に撃ち抜かれ、白い雪を赤く染めて行く。
伏せる事ができたのはアカモートの兵たちだ。彼らは伏せた状態で、アサルトライフルを構え、撃つ。魔法によって強化された銃弾は自動銃座を容易に破壊していく。
そしてリズミカルに撃ち出される弾丸は一定の距離進むとそこから反転して再び自動銃座を貫いて強制的に停止する。
あっという間に破壊され鉄屑となったものを踏み越え再びアカモートの兵たちは進み始める。
「なかなかやるな」
それを見ながらレイズは、しばし傍観することにした。
わざわざ危険なところに自ら進んで行く気はない。
レイズのことを疎ましいと思っている者たちだ、偶然”流れ弾”が当たって”事故死”しました、なんてことにされたら洒落にならないからだ。
アカモートの兵たちは不自然に雪が積もっていた場所を囲んでいた。
それはどうやら二階建てくらいの建物が雪に埋もれたもののようだった。
一人が木製のドアを見つけ、中に入るためドアノブを回そうとするがびくともしない。
思い切り蹴っても、体当たりを仕掛けてもドアは壊れない。
仕方なくドアノブを銃撃で吹き飛ばし、真っ暗な建物の中へと吸い込まれるように侵入していく。
静かな時間が流れた。
そして、十人ほどが入ったところで突然、建物の周囲一帯に闇が現れた。
闇は氷の大地から染み出すように溢れ、ジャミング圏内をほんの数秒で満たし、建物を覆い尽くす。
そして一瞬で闇が消えるとそこに兵たちの姿はなく、代わりに銃身に文字の刻まれた浮遊銃座がたくさん浮かんでいた。
それを見たブルグントの兵たちの対応は早かった。チームの一人が障壁を展開し、残りがその後ろから浮遊銃座を撃ち落とすべく魔法を放つ。
レイズはというと、浮遊銃座を見るや否や一目散に逃げ出した。
後方からは連続した破裂音が聞こえ、魔法で強化された銃弾が飛来し、前方からはカルロが撃ち出した銃弾が浮遊銃座に襲い掛かる。
展開していた障壁が瞬く間に削られ、砕かれて行く。
いくらライフル弾を防げるとはいえ、銃座から放たれる大口径の弾丸は手の打ちようがない。それも魔法で強化されているとなれば尚更だ。
十枚の障壁を砕かれた時点で残りの障壁を破棄し、加速と移動の魔法を発動する。
地面を蹴ることで生ずる加速度を大きくし、グリップ力を高め滑らないよう自身を氷の大地に縫い付ける。
時速七〇キロでの全力疾走を二〇秒。
かなりの速度で斜面があった所まで戻り駆け上る、そしてすぐさま伏せる。
それと同時に、ライフルのスコープを除いていたカルロが叫ぶ。
「なんで奴らがあんな上等なもん持ってやがんだよ!!」
「落ち着け、ここは戦場だ。何があってもおかしくねえ」
およそ百人が突撃し現在、無事撤退できているのはレイズただ一人だけだ。
――さて、どうするかねえ……あんだけの数揃えるとなると、テロリストじゃ無理だ。一体どこの勢力だ?
考えているうちに銃声は聞こえて来なくなった。それは突撃したものたちが皆、息絶えたことを知らせるものだった。
「レイズ、魔法であの辺全部吹っ飛ばせ!!」
「無理だ、投擲系はまた撃ち落とされる。それに妨害装置があるから爆破系くらいしか通用しない」
「だったら直接氷ぶち壊して落としちまえ!!」
「一緒に落ちて極寒の海で海水浴することになるけど、いいのか?」
「じゃあどうすんだよ!!このままじゃ俺たちも撃たれるぞ!!」
浮遊銃座の半分は丘に隠れている者たちを仕留める為に音もなくゆっくりと近づいてくる。残り半分は建物の周囲に不気味に漂っている。
「だったら、ダメもとでやってみるか」
カルロの無線機を使い、本部に連絡を取る。
「ランクDの使用許可をくれ」
許可が下りない可能性が高いことは分かっている。ランクDともなれば大規模戦闘用の魔法だ。それも戦争で使われるような地形すら変えてしまえるほどの。
『ダメだ、殲滅戦程度でそのような魔法は要らんだろう。それよりも、どの程度片付いた?報告しろ』
「アカモートは四十九人、てめえらの方は五十人くらい死んだ。敵側には大した損害なしだ」
『なんだと、貴様それでも……』
「まともな指揮をしないで現場に丸投げの奴がほざくな」
『上官に向かって口答えするか。貴様ら兵士は戦って敵を倒せばよいのだ、俺の顔に泥を塗るような――』
そこまで聞いてレイズは無線を切った。
「無能だな、ここの指揮官は。兵士を道具としか見てねえ、ちったあまともに戦術指揮なりしろってんだ」
「で、どうすんだ。俺はこんな所で死にたくねえぞ」
「俺も死にたくないさ」
そう行ってレイズはポケットから小型無線機を取り出して、
「こちらレイズ、そちらの状況は」
付近の海域で交戦中の知り合いへと連絡を取った。