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壱 万物を見透し万象を見通す

欧州のとある田舎町。稜線にかかる夕日を見て、信心深い農夫は作業を切り上げ家に戻ることにした。

異常な程に紅い日の光、黒く浮かび上がる山の影絵。

具体的に何がどう、ということはない。しかし彼は確かに何かを感じた。


「何だか嫌な予感がするぞ」


いつもより早く家に戻った農夫は、妻に呟いた。夫の予感がよく当たることを知っている妻は不安げだ。


「おやまあ、あの子はまだ帰って来てないんですよ」


自分達の息子を心配する夫婦。彼らの息子は自由奔放で、今頃何処で遊んでいるかなど知る術も無い。彼らはただ、息子の無事を祈った。


窓の外に広がる薄闇。闇よりも尚一層濃い深淵から、小さな影が滲み出ていたことに気付く者はいない。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




夕暮れを意味する『黄昏』は本来は『誰そ彼』と書かれ、『彼が誰か、誰が彼かわからない』という意味、つまりは昼から夜へ移り変わる瞬間の薄暗さを表現している。

また、『逢魔時』とは読んで字の如く『魔に逢う時』である。これも本来の表記とは異なることは置いておこう、意味は変わらない。昼と夜の狭間、つまりは異なる存在が交わる時であり、この世のものならざる魔のものがこの世に現れる時である。


話相手の顔も視認できない薄闇。その中に蠢く不定型の影。

どこか生物的で、それでいて機械的な形容し難い動きで影は地を這う。まるで獲物に忍び寄る狩人のように、音を立てずに進む影。


そして影は、彼を見つけた。


表情どころか顔すらはっきりとしない影は、どうやら喜んでいるようだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




人気の無い路地裏に、二つの影。

一つは小さく、一つは大きい。


小さな影の主は10歳程の少年。

近所に住む同じ年頃の子供達よりは幾らか頭の出来が良かったが、それでもやはり彼は子供だった。好奇心旺盛で無謀。いつか取り返しのつかないことになるぞ、と再三に渡って忠告されても、少年は『冒険』をやめなかった。


大きな影の主はまさしく影そのもの。

この影を此処に招き寄せたのは少年自身である。少年にとっては、これも自身の好奇心を満たす『冒険』でしかなかった。

神様や悪魔、両親が信じるそれらに、一度会ってみたいと少年は思っていた。少年は目の前に佇む影を見つめる。輪郭がはっきりとしないが、全体的には人の姿をしているように少年には思えた。


―――望みを


人間のようにも人形のようにも見える不思議な動き。

影は手らしきものを少年に差し出し、口らしきものを開いた。


―――全ては望むままに


虚空のような口から吐き出される、生々しさと無機質さを併せ持つ声。少年はその問い掛けに答えた。


「彼方を見渡す力。裏側を見抜く力。全てを見通す眼を」


それが少年の望み。少年の運命。

その眼があれば、少年の世界はもっと広がるだろう。より心躍る『冒険』ができるだろう。少年は好奇心の赴くままに、望みを口にした。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




異世界と化した大通りを、少年は駆ける。

服を着ていない者、逆に服だけが宙に浮いている者、はたまた骨だけの者。常軌を逸した外見の人々が平然と街を歩き回っている。建物の壁は彼方此方が消失しており、その内部、更には向こう側の通りまでが見えている。馬と車輪の無い馬車が目の前を通り過ぎる。その中には人の形をした赤い糸の塊のようなものが乗っている。


早く、家へ帰ろう。

逸る心とは裏腹に、少年の足は遅い。何故なら、見えないものを恐れているから。

全てを見透かす眼は文字通りに全てが透けて見えた。それはつまり、見えないのと同じことである。今もまた、目の前の馬車が空気に解けるように透けて消えていく。


見えない、視えない、観えない。

自分が見えない。世界が見えない。

僕は本当に此処にいるの?此処は本当にあるの?

本当。本当って何?見えない。

帰ろう。何処へ?家へ。それは何処?此処は何処?


見えない足で、見えない地を踏む。

見えない手で、見えない物を探る。


見えない誰かにぶつかった。

見えない何かにつまずいた。

見えない石畳にころがった。


迫る音。姿は見えない。


蹄と車輪が石畳を駆ける音。

怖い。姿は見えない。


耳をつんざく誰かの悲鳴。

煩い。姿は見えない。


重く湿った衝突音。

痛い。姿は見えない。


きっと今、周囲は紅く染められているのだろうけれど、その色彩を視認する術は少年には無かった。


紅い太陽が沈む。天の光が眠りにつく。寒さと暗さが忍び寄る。


寒い…暗い…眠い…。


少年はゆっくりと目を閉じた。


―――おやすみ


無機質な影は、少しだけ人間らしくなっていた。

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