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痴話喧嘩は堂々巡る

 昼間の工房には、いろんな人がやってくる。

 主に家事を終えてからの自由時間を楽しみに来る、ご近所の主婦の皆さんとか。あとは、夜に仕事をする人が、眠気覚ましとお腹を手軽に満たすために来る、ということも少なくない。

 街には酒場があって、そこの従業員の人なんかだ。

 そういうお店とうちは、商売敵になるほど客層は被っていない。

 というのも向こうは地元民が中心で、こっちは主に冒険者。集団トリップのせいでとにかく人の出入りが激しくなったので、彼らをもてなすための店が少々足らない感じですらある。

 ぱっと転移、なんてことができなくなったからだろう、辺境の田舎という設定は何だったのかってくらいレーネは人が来るようになった。いくつかある宿は満員御礼になることも少なくないし、公園なんかで野宿してる猛者もたまにいるという話を聞いたことがある。

 馬車を使っても一日で移動できる距離はそうあるものではないし、レーネを拠点にダンジョンに通う人もいるしで、田舎町はびっくりするほどの賑わいの中にあった。

 夜はそんな感じに慌ただしく、昼は比較的ゆったりと。

 しかし、何もないというわけではなかった。


「エル……ぐすっ」


 真っ昼間から酒ではなくひんやり冷えた紅茶を飲みつつ、カウンター席に突っ伏してさめざめと泣いているお兄さんの、悲痛に震えた声が人のいない食堂に響き続けている。

 涙と鼻水でグチャグチャだけど、その顔は俗にイケメンといわれる系だ。

 髪も長く、柔らかい曲線で光を受け止めながら背中へと流れている。少しハデな民族衣装という感じの服装は、控えめだけど目立つ模様が刺繍されていて、ガーネット曰くあれは相当な時間をかけて作業されたものだから、もし元の世界ならかなりの値段になる特注品とのこと。

 今は……見る影もない、かな。


 泣いている彼の名前はザドーウィスさん。

 小洒落た酒場で歌ったりしている、歌手のようなことを生業にしている人だ。僕は未成年だから彼が歌っているその酒場とやらに行ったことはないけど、知り合いに誘われて定期的に来店しているというレインさん曰く、雰囲気的にはバーのような作りのお店なのだそうだ。

 ザドーウィスさんはそこで、竪琴などの主に弦を使う楽器を鳴らしながら、神話をモチーフにしたものや、国の歴史をモチーフにしたものを歌っているのだという。

 泣いている今の姿からは想像もできないけど、彼はかなりの美声で有名らしく、依頼を受けて歌いに行くこともあるのだとか。割りと頻繁に帝都まで公演にも行っているらしい。

 男声の歌い手なら彼、という存在なのだそうだ。

 なんでレーネにいるのか、ちょっと気になってしまう有名人だ。

 まぁ、元の世界でもご当地なアイドルが地元を中心に活動を続けつつ、たまに全国区のテレビ番組に出てたりしたから、彼の場合もだいたいそういうものなのかもしれない。

 詳しく話を聞いたわけじゃないけど、帝都――都会はやっぱり現実と一緒で、お家賃高めの物価も高めだそうだし。第一線の冒険者でも、田舎に住まいを持つことが少なくないとか。

 やっぱりレーネに腰を据えて、正解だったのかもしれない。

 さて、そのザドーウィスさんがなんで誰もが羨む美声を情けなく震わせ、イケメンな顔を崩壊させるほど泣いているのかというと、残念ながら仕事などの話ではなかったりする。

 まったく関係ないわけじゃないのだけど、あれを仕事枠に入れるのは仕事に失礼だろう。

 彼の涙腺を破壊したもの、それは。


「エル……あぁ、我が愛しの君。どうして君はあんなにも可憐なのか。なぜ君はあれほどに凛々しく苛烈なのか。あぁ、女神のような君を早く、この腕に掻き抱き思いを囁きたい」


 恋人のエルさんの、かわいさやらなんやらにただ咽び泣いているだけだった。

 要するに、ただの惚気である。

 曰く、ザドーウィスさんは近々遠くの方にお仕事に行くのだそうだ。場所は聞いてないし訊ける状態でもないけど、話す内容から察するに日帰りは難しい距離だろうと思う。

 そういう場合、いつもならエルさんも連れて行くらしいのだけど、今回は彼女の予定が合わなかったのだそうだ。そのことでザドーウィスさん曰く『軽く』言い争ったのが、昨夜。

 言い争ったというよりも、この様子だとやっぱり一緒がいいって駄々をこねた感じ。

 仕事が入った時にもう決めていて、すでに終わった話をしつこく、かつ身勝手に蒸し返されたエルさんが、怒って友達の家へ飛び出していったというのが終わりだったという。

 朝になっても彼女は当然帰ってこず、一人ぼっちの家で目覚めた彼は孤独に耐えられなくなってしまって、ご飯を食べるついでに惚気と嘆きを混ぜた涙を流し続けているという顛末だ。


 ちなみにエルさんだけど、今日も元気に職場にいるのをブルーが目撃している。

 彼女は、おしゃれな喫茶店で働くウエイトレスさんだ。

 初めてブルーと出会い、みんなと知り合ったあのお店が彼女の職場である。

 今回の依頼は急なものだったらしく、いつもは事前に取れる休みを取れなかったらしい。

 まぁ、レーネは田舎だから何とかなりそうだけど、エルさんは真面目な女性で、そんな不義理はできない、と仕事をとったという。こうして泣くくらいだからヤダヤダと言いそうなザドーウィスさんだけど、依頼を出してきた先が第三都市だから無理強いしなかったという。

 冒険者が多いために思ったほど治安は悪くないそうだけど、やっぱり血の気の多い人の数がそれなりにあるということで、特に女性なんかで近寄ることを忌避する人は少なくないのだ。


 しかし、だからといって寂しさは消えず。

 数日も恋人に会えないなんて嫌だ、とザドーウィスさんは思い、やっぱり一緒に来てお願いエルお店休んで僕と一緒に来てお願い、と言ってしまったのがゴングだったようだ。

 明日の出発を前にケンカなどしてしまって、もしかしたら何か不幸なことがあってこれがさよならかもしれないのに見送ってもらえないかも、という寂しさから泣いているわけだった。

 フラれる、とは微塵も考えない辺り、なんかすごい人だと思う。

 他に客はいないからいいけど、なかなか目立つし異質だ。ザドーウィスさん、やっぱり楽器を扱うからなのか体格が良い方で、机に突っ伏していても背中とかがだいぶ大きく見えるし。

 やっぱりエルさんを呼んできた方がいいの、かな。


「あれはほっといていいのだ」


 呆れ果てた顔で、ブルーが言う。

「人間、涙が出なくなるほど泣いても死にはしないのだ。仮に危なくなるとしても、その前に適当に水でも飲ませれば事足りるし、そのうちエルさんが拾いに来ると思うのだ」

 他を手伝ってていないこともある僕と違って、主な被害者だから彼女の対応は手厳しい。

 慣れたゆえの、というのもあると思う。

 それくらいこの人は、よく恋人に関して泣いたり泣いたり嘆いたりしている。

「なかなか鬼だね……」

「週イチで泣きに来られたらいい加減アホらしくなるのだ、叩き出さないだけ優しい」

 それは言えてる、とは思うけど口にはできない。客商売でそれでいいのかなと、不安にならないわけではないけれど、まぁ、こんな田舎だしゆるくやってる方がちょうどいいのかな。

「アルコールを出したら面倒だから禁酒法発動なのだ、絶対厳守」

「了解」

 ため息混じりにザドーウィスさんへの対処を命じたブルーは、ほうきを手にいそいそと工房の奥へ消える。確かにああいう場合、お酒を注いだら悪化することは僕でもわかる。


「えっと……ザドーウィスさん、何かあったら呼んでくださいね」


 念のために声をかけてから、僕も彼女の後に続いた。

 その後、仕事を終えたエルさんが迎えに来るまでの間さめざめと泣き続けたのは想定外だったし、通りかかったヒロさんを捕まえて強制的に話し相手にしてたのも予想していなかった。

 数時間、アルコールが入ってないゆえに質の悪い絡み酒みたいな人の相手を、ほとんど強制的にずっとさせてしまって、何も知らないだろうヒロさんには悪いことをしたかもしれない。

 あのザドーウィスさんには近寄らないよう、今度はちゃんと言っておこうと思う。

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