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ギルド『暇人工房』の割と穏やかで喧しい日常  作者: 若桜モドキ
ごー とぅー だんじょん!
89/136

深海の槍

 遠ざかる蹄の音を背に、僕はゴーレムをじっと見つめた。

 息を吸い込んで、音として吐き出す。


『海の王、深海皇帝は肩を大きく揺らし、嘲笑う。愚かなる人の子、驕りにとりつかれた哀れなるものへの憐憫と、その矮小さからくるあまりの無様さに、笑わずにいられなかったのだ。

 皇帝はただただ嗤う、嘲笑っている。

 相対する男は、怒りと羞恥でその顔を赤く染めた。

 何故嗤う、何がおかしい深海の王、貴様の所業こそ侮蔑されるべきであろう。若く、幼きものを無理矢理に連れ去らい、妻にした所業、決して許されるべきものではないのだ!

 叫ぶ声は更に大きな笑い声に、ただかき消されるのみだった。

 ただただ、深海皇帝は笑い続けた』


 青くて分厚い背表紙の感触、重さを左手で受け止める。

 添えるだけの右手は、ゆっくりと文字をなぞり、唇は物語を綴った。

 開いたのはこの世界に伝わる神話、その一節。深海皇帝、と呼ばれる海の王、神と言っていいその人は、とある国の姫君を見初め花嫁として迎えることにした。

 神すらも魅了する美しき姫君はある騎士から想いを寄せられていたが、彼はその思いを告げることもないまま、姫は神の花嫁として海の神殿へと赴く。初々しい花嫁を、王はとても優しく愛で、大事にした。割れ物に触れるようなその姿は、周囲には微笑ましく見えたという。

 しかしある日、件の騎士が神をも殺すという剣を手に、王の住まいへと現れた。

 目的は、奪われた姫の奪還。

 これは――そんな神と人の婚姻にまつわる、一つの武器の話だ。


「おっりゃあ!」


 がきん、と音を立ててハヤイのナイフが弾かれる。

 じりじりとした緩慢な動きだが、ゴーレムの巨体は僕へと迫っていた。言い終わるか、語り終えることができるか、少しの焦りがまた浮かんで指先が振れ、だけど声は続く。

 ぱらり、ぱらり、ページはめくられる。

 皇帝の前に現れた騎士は、その傍らで不安げにする女性には目もくれない。

 彼女こそが姫であることにも、男は気付かなかった。


『かえせかえせ、俺の姫を帰せ!

 彼は自分と姫は愛し合っていたのだと叫び、横から奪い取るなど神がして良いことではないのだと叫んだ。あまつさえ別の妻を持ち、姫をないがしろにするなど許しがたい蛮行である。

 それを見る深海皇帝の瞳は冷ややかであった。

 貴様の目は節穴であるか。そうか、そうか。深海皇帝は笑いながら、槍を手にした。それは美しく成長したかつての姫が恭しく差し出したもので、しかし騎士は彼女には気づかない。

 騎士の中では、姫はまだ幼き姫のままなのだ。

 覗きこむ必要もないほどに、騎士は狂気の底に堕ちていたのだ』


 騎士は剣を振るい上げて飛びかかる。目の前の、蒼き皇帝を殺すために。しかしそれよりも先に青く揺らめく槍が、まっすぐ、何の狂いもなく騎士の心臓を貫き壁に縫い止める。描写からしておそらく、競技に使うような飾り気のない、どこまでも真っ直ぐな槍なのだろう。

 皇帝が投げ放った槍は、騎士を貫き壁へと突き刺さる。

 それは暫くの間振動するように揺れて、しばらくすると溶けるように泡になった。

 騎士の身体もまた、泡になる。


『哀れなものよ、人の子よ。泡のように消えるばかりの命を、なぜ自ら涸らすのか。

 皇帝は問いかけるように妻を見る。彼女はただ静かに、目を伏せた。わかりませぬ、そのようなことを問われても。わたくしも泡と同じく、ぱちりと消えてしまうのです。どう答えれば良いというのでしょうか。あなたさまを遺し行くわたくしに、何が言えましょうか。

 わたくしは、あなたさまを奪われたくないくらい慕っておりますのに。

 今すぐにでもあの剣で、あなたさまの心の臓を貫いてしまいたい。

 夫の胸にすがりなく妻を、深海皇帝は優しく抱きしめ、その髪を何度も梳いた――』


 皇帝が使った槍は、貫いたものを泡にしてしまう。

 形なき、武器というよりも魔法に近いものだ。

 僕は右手をゴーレムへと伸ばす。テッカイさんに足元を薙ぎ払われ、バランスを崩してふらついているその身体の中心。一瞬見えたその場所を、まっすぐに指さして。

 せり上がる吐き気を、飲み込むように息を。


『あの蒼碧の槍は、この身に反逆する全てを貫き消し去る。

 これがあるかぎり俺は負けることはない。愛しい妻よ、お前の願いを叶えてやることはできない。その代わり、死したお前は泡にしてやろう。そうすれば海となり、永久に共にいることができる。魂は人の世に返さねばならぬが、その血肉は永遠にここにとどまるがいい』


 敵にのみ振るわれる槍が、彼の妻に使われたという物語は無い。

 その言葉に、妻がどう答えたかもわからない。

 ただひとつ槍は確かに敵を射抜く武器で、僕の目の前には敵がいる。来い、来い、海底の神殿に住まうという『深海皇帝』が持つ、僕の敵を排除するに足る槍。それが起こす現象よ。

 そう、念じた瞬間だ。

 本の文字が淡く、青く光り、僕の中から何かが失われる脱力感が襲う。

 思わずふらついて膝を付きながら見上げた先、どこからともなくゆらりと青く煌めいた巨大な槍が現れて、ゴーレムを斜め上からぐっさりと貫き通している光景があった。

 水面のような模様が、ゆら、ゆら、と浮かんでいる、綺麗な槍。

 それは僕らが存在に気づいた直後に、弾けるように消える。


「……すげぇ、マジ死んでるコイツ」


 ハヤイが呟きながら、ゴーレムに近寄っていく。

 立ち上がった僕が見たのは、胴体部分にぽっかりと開いた大穴。完全に起動停止し、ハヤイがいうように『死んでしまった』ゴーレムが、うつぶせになるよう形でそこに転がっていた。

 それを見て僕は、ようやく安堵する息を吐き出せた。

 恐怖とは違う意味で身体が震えだしそうなのを、爪を立てて抑えこむ。

 おそらく、ここのボス的な存在だろうゴーレムは沈黙した。さすがにあんなものがごろごろと動き回っているとは思わない、思いたくもない。だけど油断してはいけない。

 さっさとやることを片付けて立ち去ろう。

 だけどまずは、そう、まずやらなきゃいけないことは。

 彼を呼び戻すことから、やらないと。



   ■  □  ■



 言われるままに逃げ出した背中が、地響きで震える。馬を止めて振り返るけれど、暗闇の向こうに飲まれて彼らが見えない。不安、戻るべきではないか、戻って、だけど何をする?

 何もできないのに、戻って何をするというのか。

 ぐ、と歯を食いしばるように口をつぐんだ時、ぴこん、と軽い音を立てて見慣れた名前から連絡が入る。慌ててメニューを開いて内容を確認した。届いたのはチャットだ。

 ギルド内の、チャット。


『もう大丈夫ですよ』


 そこには短く、そんな一言。

 よかった、よかったと思って、だけど。

 見えないくらいに遠くにいること、音がしてもすぐに戻ると思えなかったこと。逃げ出してばかりのことを、思って、ヒロと呼ばれるようになって間もない彼は、また泣いていた。

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