一難去って
魔物をひと通り倒し終わってしばしの休息中、僕は明かりの下で持ってきた本に目を通すフリをしていた。文脈はまったく頭に入らないんだけど、何かしないと落ち着かなくて。
魔物と戦ったのは初めてじゃない。
ダンジョンに来たのも、久しぶりではあるけど初めてではない。
なのに、僕は咄嗟に何もできなかった。他にすることがあっただとか、突然のことで混乱してしまっただとか、後ろにヒロさんがいてしがみつかれていたとか、そんなのいいわけだ。
繰り返し読み込んだ本を、僕は使いこなせなかった。
それが事実、それ以外の現実はない。
戦うだけなら、それだけなら人並みにはこなせると思っていたけど。意外と、そういうわけじゃないのかもしれない。なれたように動く二人と比べて、僕はまだ怖いのかもしれない。
……いや、怖いに決まっている。
いくら死なないとはいえ痛みはあるし、痛かった。目の前が真っ暗になって、すぅ、と意識が落ちていくあの感覚は、思い出すと背中がぞくりとする恐怖を呼ぶ。死にたくない死にたくなんかない、生きて帰りたい、生きたまま街に帰りたい。だけど怯えていたくもない。
だったらもう少し頑張ればいいのに、思ったようにはならないから面倒だ。
「……もう少し、魔物と戦えるよう鍛えるしかないかな」
レベルを上げるとかではなく、例えるなら自分自身を鍛えるような。
戦いの場に立って、怯えたりしないようにならないと。
ウルリーケさえ戦う時はちゃんと立って、前を向いて的確に後方から支援している。相手に合わせて使う魔法薬を変え、量も細かく調整して、前で戦う弟やみんなの支援に勤しむ。
僕も同じようにしてきたつもりだった。つる草で足止めをしたり、幻を見せて困惑させたりしてきたつもり、だけど、いざというところでこのザマだから情けない。
僕は、結構な人数になったギルドのマスターだ。代表なんだ。そんな僕が怯え、恐れ、逃げ出したり仕事を放棄するようではいけない。そんな甘えが許される段階は、もう通り過ぎた。
僕はギルドの代表。
誰より前に立たなきゃいけない、はずなんだ。
「よし……そろそろ、岩塩探さなきゃ」
ぱたん、と本を閉じようとした時だった。
遠くから地鳴りにも似た、空気を震わせる方向が響いてきたのは。
■ □ ■
うん、ここは確かに鉱山みたいな場所だ。そこらへんに石が落ちているし、テッカイさんが目を輝かせながらいくつか石を拾っていたから、そこそこいいものも落ちているらしい。
当然だろう、ここはそういうダンジョンなのだろうから。
出てくる魔物も、いかにもそういう感じなものが多い。
ゲーム中に出てきていたら、石系のアイテムを集める場所として重宝されただろうか。きっと魔物からもドロップしたはずだし、採取する場所もあちこちにあったに違いない。
とはいえ。
「ここまでゲームっぽくならなくてもいいと思うんだよね……」
「同感」
僕とハヤイが見上げる先には、ヒト型の大きな魔物がいる。それは筋肉が盛り上がるようにごつごつとした四肢を持ち、一つ目のような光が鼓動するように点滅していた。
ごり、ごり、と動く度に四肢が擦れる鈍い音。
身の丈は、たぶん二メートルは余裕にある。もっと大きいかもしれない。足を引きずるように動かしながら、その巨体は僕らへとまっすぐに迫っていた。たぶん、気づかれている。
所詮、これは『ゴーレム』というやつだ。
確かにいてもおかしくはないし、自然ではあるけど。
戦力外二人を抱えたこの状況を思うと、出会いたい相手ではなかった。
「こいつ、こん中をしゅーかいしてやがったのかな」
「かもしんねーな。縄張りってヤツか」
武器を構えて笑う二人から一歩下がり、僕は荷馬車の御者席に座るヒロさんを見る。その顔は恐怖にひきつっていて、とてもじゃないけど戦えなんて言えない感じだった。
最初からそのつもりはないけど、たぶんこれを見たら考えを改めただろう。
僕らは最悪、倒されて――殺されてもいいんだけど、問題は荷馬車。ここに残せば確実に馬は殺されてしまうだろうし、それなりに愛着がわいた人懐っこいこの子が巻き添えになるのかと思うと気分は良くない。賠償金という問題を抜きにしても、わざと負けることはしない。
しかし人数的に、荷馬車を守りながら戦う芸当は無理だ。
あと二人くらいいたら話も別だけど、この人数では不可能だろう。
――せめて相手が、普通の魔物だったら。
「ヒロさん」
「は、はい!」
「出口までの魔物は全部倒してあるので、ヒロさんは荷馬車ごとそのままダンジョンの外へ抜けてください。僕らがこのゴーレムをここで足止めしている間に、早く」
「え、だけどみんなはどうやって帰ってくるの?」
「倒せそうなら倒しますけど、無理だった時は無理ってことで」
「そんなあっけらかんと……」
「だいじょーぶだろ、死んだら死んだで神殿送りだし。それよりその荷馬車を潰される方がめんどうだからなぁ。つーわけでおっさん、安心してトンズラしていいんだぜー?」
逆手にナイフを構えて、ハヤイが笑うように言う。
それを合図にして、テッカイさんと二人、ゴーレムへと突っ込んでいった。見たところ白い岩石のような質感のそれは、かなり硬いのだろう。ナイフや大斧が当たる度に高い音とともに火花が踊って、しかしさほどのダメージを与えられた感じはしなかった。
せめてブルーでもいれば、と思うが、ないものねだりをしても仕方がない。
僕は攻撃用の書物を取り出して、少しまだ震える手でページを開く。
「ヒロさん、大丈夫ですよ」
それは自分を安心させる言霊だ。
僕より怖がっている、震えているように見えるその人を安堵させるための言葉のように聞こえるけれど、実際、そう思いたいのは僕だから。大丈夫だと、誰より信じたいのは僕だ。
本当は大丈夫じゃないかもしれない、うまくいかないかもしれない。
だけど信じたいから。
そのための強さを少しだけ、言葉で補う。
「僕らは、そんなに強くはないです。僕は全然強くない。――だけど、何もせず、あがくこともしないほど弱くもないんです。倒せなくても引っかき傷くらいは作れる、だから」
あなたは安心して下がってください。
言い切って、それから息を細く吸い込んで。
指先を本に沿わせた。




