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半泣きのオッサンを拾ってきました

「ハヤイ」


 兄弟らが囲んでいる大きめのテーブルに、ずらりと並んだ料理があらかた各々の胃袋に消え去った頃。日本酒のような風味のある酒を飲んでいたトキが、末弟を見る。

 急に声をかけられたハヤイは、しかし口の中が肉でいっぱいだ。

 その姿に苦笑するような顔をしたトキは、弟に水の入ったコップを渡す。


「ふぁに?」

「食べてから返事をしなさい」

「んぐ、ぐぐ、んんんんん、トキにぃ、なに?」

「いつ帰る?」

「こっちの用事済んだらすぐにって思ってる。向こうで残ってるの、マスターとちっこいの二人だからなー、なんかあったらあぶねーし。オレはあそこで唯一の荒事専門だからなぁ」

「そうか」


 兄に返事をしつつ、ハヤイが思うのは残してきた彼らのことだ。偶然にもハヤイと、一部の仲間の遠出が重なったため、今工房に残っているのはギルマスと姉弟の三人。どれもこれも後方にいたほうがいいタイプで、何かあった時に前に立てる者がいない。

 兄姉が心配でないのかと言われたら『そんなことはない』と答えるのだが、トキも宴も、アイシャだって強い。他のみんなも強い。心配は確かにあるが、同時に信頼もある。

 その点、どうにもあのお人好しのギルマスは心配だし不安だ。

 あれで我の強いところがあるし人望もあるから、たぶん大丈夫だろうとは思うが……。


「……やっぱ早めに帰るわ。ごめん」

「気にするな」


 わしわしと頭を撫でられるのは、きらいじゃないけど好きとも言えない。子供扱いのようでなんだか恥ずかしいからだ。そりゃあ、世間でいうところのアラサーの年代に入っているトキからすると、高校生の弟など子供以外の何者でもないのだろうが。

 弟の頭を撫で終わったトキは、その向こうで何かを熱く話し合う酔っ払い二人を見る。話題は喧騒に埋もれていくつかの単語ぐらいしか聞こえてこないが、肉と野菜と美容、などの平穏そのものといったワードが並んでいるので、さほどどころかまったく深刻なものではない。

 にもかかわらず睨み合う弟と妹に、トキはため息をこぼした。


「さて、腹も膨れたしそろそろ戻るか……アイ、宴、それくらいにしろ」

「う……はい、トキ兄さん」

「じゃあ僕が勘定してくるね」


 長兄の声に従い、それぞれの役割に戻っていく。三人で上着などの荷物をまとめている間に宴が飲食代を支払って、四人はすっかり夜闇に満ちた店の外へと出て行った。



   ■  □  ■



 ぞろぞろと四人並んで拠点に戻る途中、ハヤイの耳にその音は届いた。

 がしゃーん、というガラスが砕ける高い音だ。


「ん?」


 音がする方に目を向けると、こじんまりとした酒場の中で這いつくばった男がいる。どうやら男はその店の店員で、ガラスのコップを落としてしまったようだ。

 すみません、すみません、と傍らでいかにも怒っているという顔をする、おそらく店主なのだろう中年の男に謝罪しながら、彼は素手のままで割れた破片を一つ一つ拾っている。

 たったそれだけの、そう珍しくない光景。

 だがハヤイは、何となくその店に入っていった。腹にはたっぷりと肉や野菜がつめ込まれているため、食事をする余裕などどこにもない。それでも何となく、なんとなーく気になった。

 慌てて追いかけてくる兄姉を他所に、腕を組んだ威圧的な中年男に話しかける。


「なー、おっちゃん。あのおっさんなんなの?」

「あいつは最近雇ったんだよ。なんでも始めてばっかりなのにあの一件に巻き込まれたらしくってなぁ……行き場はないわ生産職だわで、行き倒れてたから拾ってやったんだけどよ」


 と、店主は残念そうな目で男を見た。

 男は割れたコップを丁寧に拾っているが、案の定、手袋も何もない指先に赤がにじむ。誰か箒とか持ってくればいいのに、他の店員は我関せずといった様子で視線すら向けない。

 見かねたアイシャが男の手をとって治療術を施し、分厚い革手袋を身につけている宴が大きいかけらを幾つか拾って木のトレイに乗せていく。細かいものは、さすがに拾いきれないが。

 すみません、と謝罪だけを口にする、その声は泣くように震えていた。

 その様子を見た店主が、やけに媚の強い笑顔で三人に話しかける。


「ああ、いやいや、みなさんが拾う必要はねぇんですよ。このドン臭いのがやるんで」

「ならせめて道具を取りに行かせたらどうですか」

「えっと、それは」

「アイ、アイシャ、やめなさい。……すみませんね、妹が。何分正義感が強くて」

「兄さん!」

「ですが妹の言うことももっともでは? まさか店に掃除道具がない、なんてことはないでしょうし。それを取りに行かせることもしない、素手で拾わせる論理的な理由はありますか?」

「う、ぐ……その、それは」

「わー、ゲスいゲスい」

「この場合、役所に届けたら何らかの処罰があると思われますが、そのあたりをどうお考えなのでしょうか。目の当たりにし、治療を施したわたくしとしてはとても気になりますわ」


 三人がかりで店主をひと通り煽ってから、ふっと真顔に戻ったハヤイが詰め寄る。

「なぁ、おっちゃん。じゃあこのおっさん要らないんだよな? まさか嫌がらせしてウップンを晴らすためだけに雇ってるとか、そんなゲスで外道でクズみたいなこといわねーよな?」

 にぃっとハヤイが笑って、店主に詰め寄る。下から睨むように見上げられ、店主は一瞬唸るように言葉をなくした。それから何かを考えるように視線を迷わせ、吐き捨てるように。

「あ、あぁ、こんな掃除もまともにできねぇやつ、今日でクビだクビ!」

「なら好都合だ。むしろジヒョーを叩きつけちまえおっさん」

 だいじょーぶだ、とハヤイは男の前にしゃがみ込み、とびっきりの笑顔を浮かべる。


「うちで拾ってやれるよ、おっさん」


 ハヤイは座り込んだままの男に、そっと手を差し伸べる。

 それはさながら寒さに震え切なげに泣く子猫を拾おうとするかのようで、ペット不可だからひろっちゃいけませんって言うべきでしょうか、とアイシャに思わせるものだった。

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