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緊急事態

 それは、毛糸を丸めて作ったボールを転がし、ライラと遊んでいた時だった。


「ウルリーケちゃん、いる?」


 からんからん、とベルを鳴らして扉を開ける女性。

 彼女は常連の一人で、エリエナさんの大農園でご夫婦で働いている人だ。

 名前はピアさん。少し垂れ気味の目元が優しげな感じで、しゃべり口調もおっとり感にあふれている。無論、性格もそういう感じで、いかにも『お母さん』という印象を持つ人だ。

 たまに工房に遊びに来ている兄妹、リュニとマリーシェの母親でもある。

 いつもにこにこおっとりしているピアさんだけど、今日はやけに表情が険しかった。いつも綺麗に整え結わえられている茶髪も、ところどころ乱れてぼさぼさになっている。

 尋ねるまでもなく慌てている、焦っている、という感じだ。


「ピアさん、どうかしたんですか?」


 扉のところで立ち尽くす彼女に近寄ると、ピアさんは悲しげな顔をする。

 ふぅ、ふぅ、と荒い息からして、どうやら走ってきたらしい。

 その様子に僕ら三人は、思わず身を硬くする。

 ピアさんは病弱とまではいかないながらも、あまり動くのは得意ではない人だ。だから農園の中でも動かない仕事、例えば種の選別だとか糸を紡ぐだとかの仕事を担当している。

 手先の器用さで右に出る人はレーネにはいない、とエリエナさん――それから、一時期彼女に弟子入りしていたガーネットも言っていた。彼の裁縫技術はピアさん直伝なのだそうだ。

 そんな彼女をここまで慌てさせる、となると尋常ではないだろう。

 よりにもよって人手がないこの時に……。

 焦りのようなものを抱く僕に、ピアさんは不安そうな顔をして口を開いた。


「あのね、うちの子……リュニの方なんだけど、ちょっと熱が高くて」

「え、風邪ですか?」

「たぶん。それでお薬をもらえないかしら、と思って。他所の薬は苦いから」


 なるほど、それで慌てて来たのかと納得する。

 内心、ほっと安堵の息を吐いた。後方支援型の僕とウルリーケ、前衛に立てるけど守りがなければどうしても脆いガーネットの三人では、戦闘系の仕事なんてこなせないからだ。

 しかしもの作り、それも薬ならいける、むしろ余裕。

 だってここにはウルリーケがいるのだから。

 だいじょうぶだよね、と言いかけながら振り返った先で、しかしウルリーケはあわあわと小さく震えながら謎の声を発している。前髪に隠れて詳しく伺えない顔色は、あまり良くない。

 え、まさか、と思いながら近寄ると、小さな声で。


「材料……きらしちゃってる、の」


 と言った。



   ■  □  ■



 曰く、風邪薬の材料は基本的にストックしてあるという。

 この世界で一番身近な病は風邪だから、それだけよく売れるしよく品切れするからだ。

 彼女の作業スペースには風邪薬用の大鍋があり、常にぐつぐつ煮えていた。

 ウイルスなどの概念がない、あるいは未確認らしいこの世界に置いて、病は魔物が撒き散らすものという考えが一般的。例えば元の世界では大体冬が近づくに連れてインフルエンザが流行るけど、この世界に四季はないので常時全てが風邪のシーズンという感じだ。

 状態異常を回復する薬の枠組みに、風邪などの軽い病気が入っているのは驚きだ。魔物が与えてくるという概念があるなら、ステータス異常の一種に数えて然るべきなんだろうけど。

 そのくせ医療技術は魔法があっても万能ではなく、結局は身体の治癒力任せなので薬の常備は欠かせない。ウルリーケの店でも、そういう薬を大瓶で買って帰る人をたまに見かけるし。


 毒ぐらいわかりやすければいいけれど、あれでも数日は寝て過ごすのが一般的。無理に動いたら悪化して、最悪の場合は死んでしまうことも少なくない、珍しくない話だという。

 HPが減った、ということなんだろうか。

 とりあえずたかが毒じゃねーかと無理をしてぽっくり逝った冒険者の話を聞いた僕は、無理をしないように誓った。さすがにそんな死に方はちょっと、いくら生き返るといっても……。


 ――話を戻そう。

 大事なのは、この世界では風邪という病気はものすごく身近なものということだ。

 大流行なんかはないそうだけど、わりとすぐにかかる。

 例えるなら……病気じゃないけどちょっとした打ち身とか擦り傷かな。

 冒険者は魔物に直接やられない限りそうそうないそうだけど、この半年で僕が一回、テッカイさんが三回くらい、鼻風邪程度だけど患った。魔物と戦ってすぐにぐしゅぐしゅになったところやウルリーケの薬ですぐに治ったところからして、確かに一種のステータス異常だった。

 ステータス異常なら、魔物が与えてきても当然だと思える。


 まぁ、そんな感じにこの世界の病気はそういう『仕組み』で、ウルリーケはそのスキルの鍛え方のお陰で大抵の日用薬を作れるため、多分誰よりも地域の人に求められている人材だ。

 田舎なのでカルテってわけじゃないけど、ある程度相手に合わせた調合なんかもしてくれるのもいいらしい。この世界でも薬は合う合わないがあるそうで、リュニもそんな子供の一人。

 ピアさんは『苦いから』なんて言ってるけど、本当のところ味は関係ない。

 詳しく聞いたわけではないけど、リュニは他のお店でも手に入る一般的な調合の薬だと『効きすぎる』らしい。強すぎる薬は毒、という言葉を体現したような感じだ。

 そんなわけでリュニの薬は、ウルリーケ特性の薬効を抑えたものになっている。

 調合の比率ではなく、材料から別のものを使っているらしい。

 で、その材料が品切れ中。


「あんまり、他で使わない素材、だから……」


 震える声を発し始めた彼女を見て、ガーネットの顔色が変わる。

 あ、これまずい。

「仕方ないよ姉さん。僕だってあまり使わない素材は、必要にならないと買いに行かないってよくあるし! リュニ君は普段元気な子だから風邪もあんまりひかないから、ね?」

 しょぼんとしている姉を、ガーネットは必死に励まそうとしている。

 リュニの薬に使っている素材は、他の薬では使わないようなものなんだそうだ。なのでストックが切れていても、ガーネットの言う通り『仕方がない』ところもある。素材はそんなに置いておけない。乾燥させて使うものとはいえ、保存方法でダメになってしまうこともあるし。

 だから仕方がない、と言ってもウルリーケはきっと納得しないんだろう。


 さて困った、困った。

 などと言っても、することは一つしかないわけで。

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