森の誘拐犯
孤児ドラゴン改め、ライラをバスケットの方に寝かせて、僕はブルーの手伝いを始めた。
あんなことがあっても、夕方からは店を開くらしい。いや、彼女的にはあんなことがあったからこそ『負けるかボケー』という、負けず嫌いの如き意気込みなのだそうだ。
ブルーらしいといえばらしい、本音としては今日ばっかりはおとなしくしてほしいけど。
でも仕込み作業を開始して、いつも通りに戻った姿を見たら言い出せず。
すっかり使い慣れたエプロンを身につけ、ヘッドドレスではなく三角巾を装着したブルーの横で作業を手伝うという、いつも通りを徹底的に極めきった作業を始めたわけだ。
「ブルー、今夜のメインは何?」
「小麦粉が余ってるし、パイにしようかと思うのだ。こういうので……」
と、小麦粉を計量していたブルーは、どこからか陶器の平皿を取り出す。それは手のひらに乗る程度の大きさで、楕円形をしていた。小麦などの模様が描かれて、華やかな感じだ。
控えめな装飾は、彼女らしいチョイスだと思う。
ひっくり返して見た底には、乾く前に押されたらしい見覚えのあるマーク。これはレーネの郊外に工房を構える焼き物職人さんのものだ。百年以上前からやってる老舗だという。
一時期、テッカイさんがそこでアルバイトをしていた。
そう、工房を手に入れるまでの、あの半年の間に。
そんなある意味思い出深い工房で作られた器を手に、ブルーはフフンと笑う。
「これに具材を入れて、一人前のパイにするのだ」
「一人前……というには、少し小さすぎない?」
「美味しいものを少しずつ、たくさん味わうのが大衆食堂なのだ。同じ『魚』でも、例えば海鮮丼ではそれ一つでお腹いっぱいになり、刺身の盛り合わせだとみんなで食べられるのだ」
「なるほど……」
「ま、いいことばかりではなく、品数豊富が鉄則なのだ。しかも定期的に入れ替えなきゃいかんのだが、メニューを考えるのは嫌いじゃないから、特に問題ないのだ」
ほれ、と見せてくれるノート。
そこには小鉢などの小さめのお皿を使う、たくさんの料理が書かれている。レシピといいよりも見栄えを考えたもののようで、横に後から材料案がメモされていた。
これだけだと、レシピ帳とは言えない。
強いて言うなら材料と、盛り付け案といったところか。
どうも、元の世界でも同じようなことをしていたらしく、絵は上手だ。
「この世界でもパイは普通に食べられるようだし、人気もあるのだぞ」
「へぇ」
答え、そういえばどの家にも煙突が二つ三つあるなと思う。
一つはリビングなんかの暖炉、そしてもう一つは台所のかまどだ。貴族の屋敷ともなると家族の寝室それぞれに、なんてこともあるそうだけど、まぁ、このへんではそんなことはない。
かまどで作るものといえば、代表はパイだ。
ピザはないらしい。でも適した生地がないだけなのだ、とブルーがいうから、それさえできれば普通に作ることができるだろうとのこと。案外、冒険者がピザ屋をやってたりして。
話を戻して……パイというものは、人々にとっては自然と口に入るモノ。だけど主食というわけではないから、僕の感覚だとうどんとか、あのへんのカテゴリになるのかもしれない。
レーネは野菜はもちろんのこと、魚も肉も手に入りやすいので、その時あったものを詰めることが多いという。フルーツ何かを入れて、例えばアップルパイなんかもポピュラーだ。
ブルーも昼間の喫茶時間や、休憩時間や職度のおやつなどに、いろいろ焼いている。
「さてと、ひとまずハーブをむしってくるのだ」
「いってらっしゃい。じゃあ、いつも通りに粉とか計量しておくね」
ん、と頷いた彼女が裏庭の方へと消えていく。パイを作るのは初めてではないから、教わった通りに一回でこねる分の粉をせっせと袋から出した。ふるいにかけるのも、当然忘れない。
そのうち、こねる方も僕の仕事になるんだろう。
結構、重労働になるし、ブルーはパイの具を作るという、僕にはできず、彼女にしかできない作業があるわけだし。専門的な技術がない僕は、せめてこれくらいはできないといけない。
そんなことを思いつつ、ボウルに粉を入れ終わったその時だった。
「離すのだ……っ」
がたんがたん、というものが倒れる音と、彼女の悲鳴。
真っ先に外に飛び出したのは、ハヤイだった。さすが名前の通り、速さに特化しているだけのことはある。次はレギオンさんで、その次が僕と寧々子さん。そしてレインさんだ。
飛び出した僕が目にしたのは、荷物のように抱えられたブルーの姿。
そして数人の、見知らぬ武装した男。
レギオンさんもハヤイも、ブルーを抱えた男との間に立ちふさがる彼らに阻まれ、動けない様子だった。きっと、それが目当ての集団行動なんだろうと思う。
お決まりのセリフ――お前たちは何者だ、と言いかけた時、僕は気づいた。
彼らの服の一部、袖などに、見覚えのあるものが刺繍されていることに。
赤い薔薇、あれは確か……確か、ブルーにしつこく声をかけていた彼らと同じだ。直線的なデフォルメが施された、この世界ではまず見ないモチーフのそれが意味するのは、唯一つ。
「冒険者、なのか……?」
つぶやきのような問いかけに答える声はなく、ブルーを抱えた男が背を向ける。逃げるつもりだ。ブルーを抱えて、どこかに連れ去ろうとしている。ぐったりとした彼女の様子は、何らかの非常事態であると僕に伝えた。死んではいないと思う、そうならここにいないはずだ。
意識などを奪う状態異常、あるいは物理的に意識を奪ったのだろうか。
そうでなければ、今頃彼らは自慢の毛玉に襲われて、あっという間に捕まえられたのに。
「くっそ、ゆーかいはハンザイだって、かーちゃんに教わらなかったのかよ!」
クナイのような短剣を取り出し、ハヤイは構える。
じりじりと間合いを詰め、だけど一気に動くことはできない。
向こうに人質がいるからだ。
こうしていて相手を逃したら元も子もないけど、うかつに動くことも難しい。僕の位置からは背中しか見えないけれど、その表情が普段は見ないほど険しいものであることは明らかだ。
その隣に佇んでいるレギオンさんは、静かに相手の出方を待っているように見える。彼と向かい合う細身の男は、明らかに冒険者――元はプレイヤーだったように見えない彼に少し怯えていた。ハヤイのように感情を見せないのも、それはそれで怖く感じるのかもしれない。
「……」
と、その時、ブルーを抱えた男がすっと手を上げる。
それが何らかの合図だったのだろう。く、と膝を曲げた彼らは、そのまま軽々と裏庭の柵を飛び越えていった。当然、そのままどこかに向かって走りだす。彼女を抱えたまま。
――追いかけなきゃ。
そう思うと同時に、僕は裏庭に背を向けて工房の外へと向かっていた。
飛び出した時、目の前を彼らが通り過ぎて行く。あのまま、彼らと同じように柵を超えて追いかけてきたらしいハヤイのすぐ後ろに、僕は並んだ。
彼ら――敵と呼称しよう。敵は僕らの追跡に気づいていると思う。だけど振り返ることもなにもしないで、走り続けている。まるで誘い出すことが目的のように、距離は変わらない。
もし、こうしてどこかに『案内する』のが目当てなら。
僕は少し考え、走る速度を上げた。
こちらをちらりと見る、ハヤイに向かって叫ぶ。
「ハヤイは自警団に連絡してきて、応援呼んでっ」
「おいおい、お前戦えねーじゃん! オレならあの程度、ちゃっちゃと片付けて」
「距離が開きも縮みもしない、もしかすると誘い出すのが狙いかもしれない」
それでも、と言いかけるのを封じるように、僕は続けた。
「相手はきっとそれなりの人数がいるはずだよ、もしそうならハヤイ一人じゃ無理だし、大規模な先頭になるとするなら、やっぱり自警団の力がいるし、それに――」
言葉を切って、息を吸い込んで。
「大義名分、必要でしょ?」
おそらく戦いは避けられない、その可能性が極めて高い。
その場合、少しでも僕らに有利になるようにしておいた方がいい。そもそも何も悪いことなんてしていないけれど、向こうが『同じ冒険者』だから、もしかすると面倒になるかも。
冒険者という存在は何も、手放しに受け入れられているわけじゃない。
便利ではある、けれど諸刃の剣でもある。
まぁ、そんな打算もあるけど、やっぱり人数的に向こうが見えないっていうのが、僕の中では最大の問題点だ。最悪のケースも考えられるのに、一人で行けなんて僕には言えない。
「――お前さ、まるで宴にぃみたいだな。よーいしゅーとーっつーか」
わかったという声も残さず、ハヤイが軽く飛ぶようにして方向転換する。向かう先には自警団の本部がある。自警団、なんて言っているけど、この辺を収める領主の私兵が中心だ。
いうなら、レーネという『国』を守る『騎士』とも言える。
ド田舎といえど、野盗はいるので武力による防衛が必要なのだそうだ。人数もそれなりにいると聞いているから、きっと連絡が入ればすぐに動いてくれると思う。
だからハヤイに行ってもらった。彼の足ならすぐに辿り着くし、そして僕を通じて敵がどこにいるのかを判断することができる。逆では、たぶん間に合わない可能性が高い。
問題があるとすると、僕の足の早さでどこまで追跡できるか、だ。
だけど、足を止めることはできない。
息が切れて苦しさに呻きながら、僕はひたすら走り続ける。レーネの出入口の門を通りすぎて森の奥。特に実りがないので人の出入りが少ない、その場所の奥で。
彼らは足を止めて振り返り、追跡者たる僕と向かい合った。




