レーネの朝市
レーネの中心を貫くように走る街道。
その近くに、市場がある。
ここに並ぶのは、レーネで栽培されている野菜や、川などでとれた魚。
それと猟師が取った獣肉を塩などでつけてしっかり干した、保存が効く加工品など。食べ物以外にもいろいろ売っている、午前中だけ開かれる最大のマーケットだ。
午後になるとそこは子供がよく遊んでいる広場、要するに朝市というやつだった。
ちなみにここに並んでいる野菜は、小さい農家などが作ったものが中心。エリエナさんのところで作ったものは、例えば僕らのところのような契約相手のところに纏めて卸される。
例えば酒場、例えば宿屋、例えば飲食店。
田舎とはいえそういう施設はあり、そこが主な取引相手だという。
あとは最寄りの都市の、やっぱりそういうお店。魔法を使えばある程度――ブルーが言うには普通に冷蔵する程度には、野菜類は新鮮なままで運べるのだとかで、朝早くから荷物にしてがんがんと配送するのだそうだ。帝都までは最大速度で、ざっと二日前後。
天候や街道の混雑具合によっては、もっと早く到着できるそうだ。
そんな感じに、大農園は帝国の胃袋を支えている。
その反面、レーネの農園でありながら、地元にはあまり野菜を卸せないわけだけど、あの規模の農園だからこそできるところもあるという仕組みだ。家族単位でやってる農家では、地元は潤せても他の都市にはさすがに手が回らないし。これもまた持ちつ持たれつの関係だろう。
そんなことを思い出しつつ、僕はその市場の入口の一つに立っていた。
隣には、やけにキラキラした目をしたハヤイ。
そしてここから見てずっと遠くの人混みの向こうに、たぶんブルーがいると思う。
「そういやさ、ブルーのこと、ほっといていーわけ?」
「うん……ヘタに近づくと噛み付かれそうだから、近寄らないほうがいいよ」
「そうなの?」
「食材に関しては、誰よりもうるさくてこだわりがすごいから」
ヘタに邪魔なんかしようものなら、恐ろしいことになるよ、と。
そう言いながら、僕はもう一度遠くを見た。
小柄ということもあって、彼女の姿はどこにも見えない。
■ □ ■
鶏肉を手に入れた次の日の朝早く、僕はハヤイと、買い出しに来たブルーと一緒にその市場にきていた。もっとも、ブルーは颯爽と自分の目当てを求めて、あっという間に消えたけど。
元から買い物は別だったから、彼女がいなくなって困るってことはない。
僕らは僕らの買い物をするだけだ。
「ここ、いろいろあんだなー。スーパーとかにも負けてねーよな、うん」
ハヤイは楽しげに店の品を眺めている。綺麗に積み上げられたそれはナスだ。
ずんぐりむっくりとした、というか、まるまるとふとましい品種。人並みにしかナスを食べない僕からすると、そのナスは結構大きく感じた。手のひらに収まりきらない直径だ。
他にもゴボウかってくらい細くて長いもの、やたら小さくて丸いもの。
全部ナスという区分になっているけど、数種類の品種が並んでいる。
他の野菜も同じような感じだ。色味を考えたらしいパプリカの山はグラデーションで、その向こうにはトマト。トマトも大きさ以外にもいろいろ品種があったようで、見ていて楽しい。
こうなるまで料理なんてものにはあまり興味がなく、食材を吟味するほど凝ったものも作らなかったし作ろうとも思わなかったしで、食材の違いなんてものは当然気にならなかった。
だけどよく考えるまでもなく、ひとつの野菜に複数の品種が存在している。
元の世界でも、拘る人はやっぱり品種にもこだわったんだろうか。
物によってはだいぶ見た目が違うんだから、味とかも違ってくるんだろうし……。
まぁ、それはともかくとして。
「ハヤイ、そろそろ何を作るか教えてくれてもいいんじゃないかな」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「……鍋料理、とは聞いたけどね」
「あー、そうだっけ? ごめんごめん」
軽い調子で謝りつつ、ハヤイは店のおばちゃんに声をかけて幾つかの野菜を買う。
それからそこら辺の野菜という野菜を、片っ端から買っていくハヤイ。いや、ある程度は考えているのだろうとは思うけど、これとこれとこれとこれと、と連なっていく言葉が怖い。
同じような光景を、ブルーの買い出しを手伝った時にも味わった。
あっという間に買ったもの、あるいは買うものががんがんに増えていく光景。
それくらいにすれば、ということすら許されない雰囲気。
使い切れそうにないなぁ、という不安をいい意味で裏切ってくれるブルーだから、笑い話とはいかないながらも『またやってるよ』ぐらいで片付く光景を、ハヤイが生み出している。
不安だ、激しく不安だ。
次から次へと増えていく野菜が怖い。
ナスとセロリとパプリカとついでににんにく、じゃがいもは飛ばして人参に玉ねぎ。あと裏庭の畑で育てていない種類のハーブ。結構いろいろと買い揃えていく。
そこまではまだよかった、そこまでは。
「これ、うまいんだぜ」
そういって彼が見せてくれるのは、俗にいう唐辛子。肉厚そうな、大ぶりのものだけど見ていつだけで辛くなるのは気のせいだろうか。まさかそれも、と思う目の前で即お買い上げ。
それも結構な量を。
「は、ハヤイ、それはちょっとどうかと……」
「あ? へーきだって、これはだいじょーぶなヤツだから」
それは食べ物だから大丈夫という意味なのかな。むしろそれ以外に思いつかない。そう、どれだけ辛かろうともそれは確かに食べ物だ、食べられる人が限られるタイプの。
僕は無理だ、ウルリーケやガーネットもムリだろう。
ブルーはきっと泣いて怒る。レインさんもさすがにキツいかもしれない。
テッカイさんは……あれ、喜びそうだけど辛いの大丈夫だったっけ。
などと現実逃避のようにあれこれ考える僕をよそに、ハヤイはまだ野菜を買っている。どう見ても僕らを二人に増やさないと消費できそうにない量だけど、どうするんだろう。
買い過ぎじゃないの、と尋ねてみたけど。
「野菜はたっぷりがいいだろ。これくらいへーきだって」
けんこーでへるしー、とハヤイは笑っているけど、確かに野菜メインでヘルシーで健康的ではあるのだろうけど、何とも言えない雰囲気がそう思うことを僕に許してくれない。
彼が買っていたあの野菜で、どんな鍋ができるのか。
どう頑張っても、火を吹くような辛さの鍋が完成する光景しか見えない。
トマトも大量投入するらしいから、さぞかし目に痛い赤い鍋になるだろう。
「だから、これトーガラシじゃないから辛くないんだって」
「いや……さすがの僕もここは流されない。それはどう見ても」
「そこまで疑うなら食ってみろって、ほれどーぞ」
「んぐ……っ」
いきなり人の口に唐辛子にしか見えないものを突っ込んでくるハヤイ。噛め、と言わんばかりにぐいぐいと押し込まれる。ちなみに購入済みのものだ、さすがにそこは間違えない。
しばらく『むりむり』と手を降ったが聞き入れてもらえず、僕は意を決する。
目を閉じて、口の中のそれを思いっきり噛んだ。
さく、しゃく、という軽い音が歯から頭へ響いていく。それはいかにも野菜といった食感をしていた。じわじわと口の中に広がるのは辛みではなく――思わず目を見開くほどの、旨味。
半分ほど食べ終わって、僕は溜息を付くように。
「……あれ、普通に美味しい」
「だろ。これ例の鳥と一緒で、この世界の固有……っていうの? にぃが前にそういってたんだけどさー、要するにそういう野菜なんだとさ。旨味の塊で、煮込み料理に最適。元々は山ン中にあるようなもんで、だけど長い時間かけて畑でそだつよーにしたんだってさ」
「へぇ……」
残りもしゃくしゃくと咀嚼、これを調理したらどうなるんだろうという興味がわいた。
ハヤイは帝国を離れている間に、この世界についてキャラバンの面々に教えてもらったのだという。主に食べ物を。だいたいは元の世界と同じだけど、固有のものも少なくないそうだ。
あとでブルーにも教えておこう、きっと喜んで調べ上げるだろうし。