大雨とお客様
少しばかり話をしてから、とりあえずお客さんも来ない、ということで先に閉店準備をすることにした。時間としては昼を過ぎて夕方の前、ちょうどおやつ時ではあるけれど。
窓から見上げた空は、その黒さをまして雨を叩きつけている。
光源を抑えても充分に光が行き届く、白を基調とした内装も今は灰色。
この時間は、ろうそくの火のような柔らかい色の明かりを灯していたんだけど、今は最低限をちょこちょこっとつけているだけだ。そろそろ、もう少し明るさを強くするべきかな。
「ウルリーケ、テーブルクロスだけ先にまとめておいてくれる?」
「……ん」
小さく頷いて、ウルリーケがちょこまかと動きまわる。
僕はその間にテーブルなどを、積み上げて壁際へと持っていく。それから床を水を使ってモップで洗って、掃除完了がいつもの流れだ。今日はお客さん来なかったから、掃き掃除かな。
未だ帰らぬブルー達のことだけれど、どうやら大雨で動けなくなっていたらしい。ケガなどはないから少し遅れるけど帰る、とさっきギルド内限定のチャットで連絡が飛んできていた。
それを思うと夜に酒場もとい食堂を開くというのは、さすがに難しいと思う。
疲れているに違いない彼らに、店の片付けをさせるというのも酷だ。
だから僕は、ゆっくり落ち着いて帰っておいでよ、と返信した。
手元を操作しつつ、僕はこの機能に感謝する。この世界には、僕らが慣れ親しんだ文明の利器は無いと言っても過言ではないけど、ゲームの名残りがそれを補って余りある。基本は文字のみでのやりとりになるけど、リアルタイムにやりとりができるのはとてもありがたい。
もっとも僕は知り合いの冒険者が工房のみんなしかいないので、あまり役に立っていない特殊魔法なのだけれど。基本、ギルド内かフレンド登録済みでないとできないことだから。
そう、こちらに来ても普通に使っているチャットとかメニュー表示などは、この世界では魔法の一種になるらしい。冒険者にのみ与えられた特別なもの、という位置づけのようだ。
以前はあったという全体チャットとかいう類は、魔法という形になったことではじき出されたのか存在していないという。少なくとも、僕の知る限りは見つかっていない。
ブルーがいうには、何らかの特殊魔法としてどこかに伝わっているかもしれない、とのことだけれど、しかしそうだとしても何の役に立つんだろうか。チャットは、実質文字を送るだけの機能になっているし、仮に声が使えても……使い道に、困る感じがしないでもない。
そんなわけで、未だ帰らぬみんなの無事も判明。
あとはさっきまで僕とウルリーケがいた窓際のテーブルと椅子を片付ければ、閉店の看板を出して夕食の準備でもしようか。そんなことを、誰に言うでもなく一人で考えていた。
固く閉ざされていた扉が、勢い良く開かれるまでは。
「あーもうっ、びっしょぬれじゃないのよー」
「いきなり降りだしちゃって、ちょっと雨宿りいーい?」
駆け込んできたのは常連の主婦さん二人、そしてその子供数人だ。
全員が、しずくが溢れるほどにびしょ濡れになっている。
どうやら僕らがいろいろ話している間に雨が少し小ぶりになって、彼女らはその隙に買い物に出たらしい。そのまま止むだろう思って。しかしそんなことはなくて、結果びしょ濡れに。
たぶんそれにブルー達も遭遇して、帰れなくなってるんだろうなぁ。
「雨宿りする間に、風邪ひいたら大変ですから」
僕が応対している間にウルリーケが取り出してきた、大判のバスタオルを渡していく。
とはいえ、いくら水を拭っても雨に打たれて冷えた身体はすぐには温まらない。ここに温泉でもあればいいけど、そんなものは無いし。暖炉の火はすぐには大きくならないし……。
そこでまずは飲み物だ。
温かいものを、つまりは紅茶を。
子供達にはホットミルクだ。たぶんまだ倉庫に牛乳が残っていたはず。
女性同士ということでその場にウルリーケを残し、僕は厨房に飛び込んでいった。
■ □ ■
紅茶とホットミルクでひとまず暖を取ってもらいつつ、僕は厨房でスープを作るウルリーケの手伝いをしていた。さすがにお茶とミルクじゃ、温まるのにも限度がある。
一応、暖炉には火を入れはしたけど、それだけじゃやっぱり心配だ。
なのでサービスとして、ダメ押しで身体の中からぽかぽかになってもらおう、という作戦に出たわけである。代金はともかく、寒そうにしている人を見捨てることはやっぱりできない。
材料を勝手に使って、とブルーは怒るようなことはないと思う。
こういう時、お茶だけで帰す方が怒る子だから。
「とりあえず材料準備したよ。煮込めばいいんだっけ?」
「そう、なの。これいれて、あとこれも」
「わかった」
「それで、くつくつ煮こむの……でも」
時間が足りないから、とウルリーケは鍋にフタをする。それを僕に持たせた。すでにスープの元やらゴロゴロと大ぶりに切った野菜やらが入っているので、かなりの重量がある。
少しキツイな、と思う僕の前。
厨房の床に、ウルリーケはなにかを描き始めていた。赤い、塗料のようなもので、丸く円をぐるりと描いてから、その中にまた円を。さらに円を書き添えてから、次に細かい模様を。
あぁ、これは魔法陣だ。
マンガなんかで見る、ああいうやつだ。
ウルリーケはひと通り描き終わると、鍋を円の中心に置いた。
聞き取れない低い声で何かを唱えるようにつぶやく。
すると描いた模様が赤く光、鍋の表面にずるずると這いずるような赤いものが見えた。僕の記憶が正しければ、この鍋は普通のお店で買ってきた普通の鍋のはず。
しばらくすると鍋がカタカタと震え、蓋に開いた穴から湯気が勢い良く吹き出して。
「……できたの、スープ」
「え?」
「錬金魔法で、ちょっと圧力鍋、と、加速……を、したの」
ふぅ、と疲れた様子で息を吐くウルリーケ。半信半疑で蓋を開けば、そもそも煮えていなくて水だったはずの中身はふつふつと湧きたるほど温まり、野菜は少し煮崩れていた。
これは、完全に火が通っている。
何をどうしたのか気にはなったけれど、それはまぁ後回しだ。
とにかく今も寒い思いをしているお客様に、スープを届けて温まってもらわないと。
すぐさま棚から器を人数分取り出すと、丁寧に盛りつけて届ける。
味の方は大丈夫だったようで、一口含んだ時に、女性の一人が目を細めて笑った。
「ふー、温まるわぁ……ありがとねぇ」
「いえいえ、いつもご贔屓にしていただいていますから」
工房は最初から順風満帆だったわけじゃない。地道にリピーターを増やしていった。
最初にそうなってくれたのは、カフェ目当ての主婦の皆様。そこから子供を通じて『美味しいお菓子と面白い絵本がある店』として広まり、あるいは『格安で日替わりでうまいものが食える食堂』として旦那さん方の方にも広まり……本当に、感謝してもしきれない。
まぁ、そんなことがなくったって、僕らの誰もが彼女らを救うと思う。
それが僕ら、なのだから。
せっかくなので、僕らも一緒にスープをいただくことにした。
錬金術仕立ての急ごしらえとは思えないほど、それはほっこりと甘くて美味しかった。