かもん★精霊さん
「そろそろ休憩なのだ」
ブルーにそう言われたのは、空が若干赤く染まり始めた頃だった。軽い昼休憩を挟んでから延々と畑や土と格闘すること数時間、ひと通り収穫作業は終わって畑は更地になった。
休憩、というよりも夕食なのだろう。
確か女性らが何か、料理を作ってくれるという話は聞いた。
呼びに来てくれたんだなと思いつつ、よくよく彼女を見れば農具ではない、見覚えのある杖を手にしている。精霊術師の必需品である、専用の装飾などを施したかなり長い杖だ。
何をするのだろう、という疑問はさすがにない。
実りを生み出した原動力とも言える精霊を呼び出し、感謝を捧げるのだろう。
「暇してるなら手伝えなのだ」
ほい、と渡されるのは精霊のご飯。
ブルー特性のハーブブレンド。もう一つの必需品である水は、畑のそばに水路が通っているからそれでいいのだろう。形的には、うちの裏庭菜園と同じような感じだ。
「わかった、ちょっとまって」
ひとまず畑から出て、袋の口紐を解く。どこに広げたらいいんだろう、と少し見回すと、ちょうど良さそうな箱があった。収穫した芋を入れるための箱で、三つほど残されている。
「おにーちゃんたち、なにかするの?」
「ちょっとやることがあるから、先に行ってていいよ」
「わかった! にーちゃんもはやくな!」
兄妹が大きく手を振りながら駆け出していくのを見送りながら、僕は袋の中身を箱の中へ注いでいく。ブルーはなにか薬品のようなものを使い、地面に模様を描いていた。
それがどういう意味を持つのかは分からないが、よくある魔法陣なんだろうなと思う。いつも畑や店の中でみゅうみゅう言ってるあの精霊は、ブルーと契約しているから特別な手順などは必要ないのだろう。しかしここは他所様の土地なので、それなりに準備がいるらしい。
思い出したのは神事だ。祭りの前とかに神主さんが何かしらやっている、あの子供ながらに緊張を感じる光景。それに近い何かを、ブルーからも感じる。厳か、というべきだろうか。
よほど集中しているのか、僕の視線に彼女は気づきもしない。
邪魔したら怒られるのは考えるまでもない結果なので、僕は自分の作業に戻った。
「……ねぇ」
と、そこにまた声がかかる。
いつの間にか、箱を挟んだ向かい側にあの女の子が立っていた。
彼女の視線は僕ではなく、ブルーの方に向いている。
「あの人は、何をしようとしているの?」
「たぶん精霊を呼ぶんじゃないかと思いますよ」
「せいれい?」
「そう。畑に必要な精霊だから、水や土とか、草木とか……そういう類の精霊を」
ブルーの属性は水と森だったから、その辺かもしれない。うまくやれば違う属性の精霊もよべるらしいから、もしかすると今回は今までのとは違うものという可能性もある。
ただ水とか植物とか土とかだろう、だって畑にいるわけだし。
女の子は精霊も見たことがない、というか縁が薄いのか、不思議そうにブルーの方をじっと見ている。日傘はいつの間にか閉じられて、そもそも手元にすらない。僕が見ていないところで誰かが持ち去ったのだろうか。盗まれたとかではなく、彼女の従者とかそういう人が。
流石に盗まれたなら悲鳴一つは上げるだろうし、それなら僕も気づくし。
「じゃあ、それは何?」
次に少女が目を向けたのは、僕が箱に注いでいる精霊のご飯だ。
精霊と密接に生活していないと、やはりこれが何なのかピンとこないのだろうか。
「これはハーブを細かく切ったものと、あといろいろです。詳しいところは僕もよくは知らないけど、そこにいる彼女のオリジナルブレンドで。これは精霊にあげるご飯になるんです」
「……食事、だというの?」
「えぇ。これと――あと、そこの水路の水をあげます」
「……ふぅん」
そう、女の子が息を吐いた瞬間だ。
ちかちか、と視界の外で光が点滅して、ぶわりとした熱風のようなものが肌を撫でる。振り返れば淡い光の中に立つブルーの、青く長い髪が踊るように舞い上がっていた。
ぽこり、ぽこり、と見慣れた毛玉がみゅうみゅうと、楽しそうに歌いながらそこかしこから出現し始める。ひっ、と小さく聞こえたのはドレスの子の声。彼女は毛玉にしか見えない精霊が怖いのか、僕の後ろにさっと隠れてしまった。震えているのは、気のせいではないと思う。
本当に精霊を見たことがないらしい彼女は、ふわふわする毛玉を睨んでいた。
「怖くないですよ」
「……だって、獣にはさわるなって、おじいさまが」
「獣じゃなくて精霊だから」
「でも」
怯えたように僕の服を掴む少女の、息が鳴る。
ひゅ、とか細く、悲鳴になり損なった声の原因は、僕の腰の高さでふわりと浮かんだ毛玉のせいだ。毛に埋もれそうな短い手足をちみちみと動かし、それはこちらに近づいてくる。
怖がるのに逃げることはできないのか、少女は僕にしがみついたまま動かない。
ちらりと見れば、半分涙目になって精霊を睨んでいる。
この様子では埒が明かないな、と僕は精霊に手を伸ばした。おいで、と小さく言うと、精霊はみゅうとかわいく鳴いて飛び上がると、そのまま僕の手のひらにもふりと乗っかってくる。
うん、感触としては猫のそれに近い。
指先で軽く揉むようにすると、嬉しそうなみゅうみゅうという声がする。
そのまま、精霊を少女の方へと近づけた。
「触っても平気ですよ、ほら」
「……本当に?」
「うん」
「……ダメだったら訴えてやるわ。おじいさまは強いのよ」
よくわからない脅され方をしたけど、噛み付きはしないから問題ない。恐る恐る、と少女は毛玉に指先を伸ばす。それではいつになったら触れられるのだろう、と思った時だった。
みゅう、と精霊が鳴いて、少女の胸元へと飛びかかる。
「っ」
驚きで声も出ない彼女の胸元に、ぺたり、と精霊が張り付く。
あの短い手でよくできるな、とか、そんなことをふと考えた。
「こ、これ、これこれ、これ」
「撫でて、優しく」
こう、と何もないところを撫でるような動きをすると、少女は歯を食いしばって精霊に、今度こそ触れた。細い指先が、毛玉の中へと埋もれていく。そして、一秒ほどの時間をおいて。
「……!」
少女の目が見開かれた。
恐怖ではない、感動に近い。
きらきら、とはまさにこの眼のことをいうんだろう。いろんな感情でこわばっていた表情はだんだんと緩んで、かわいい、と小さな声が聞こえたので僕の勝利を確信する。
「お前は何をしてるのだ」
そこに、一仕事を終えたブルーが呆れ顔で近づいた。
頭の上には、みゅうみゅうとごきげんに鳴いている精霊が乗っていた。




