暗闇の中へ
オオネズミは、その名の通りネズミの魔物だ。
特性なんかも概ねネズミで、この世界ではどこにでもいる代表的な害獣らしい。そのくせ装備品などの素材にはならないものだから、他の魔物よりずっと嫌われているのだという。
毛皮にするには小さいし手触りもよくなくて、そもそも素材に出るほどの丈夫さもない。肉は臭みがひどくて食べられたものではなく、オオネズミを民が食べることは国の恥とすら言われているのだそうだ。ブルーが言うにはやたら口の中にねっとりと残る油――脂ではなく油らしいけど、ともかくそれが後味を引きずりまくって、更に生魚にも勝る臭み、獣臭さ。
ともかく、ありとあらゆる語彙を使って書物に『食べても死なないけど心は荒むよ』的に書いてあるのだという。あまりにも書かれているものだから、食べた気分になるほどに。
冒険者マニュアルには、最後の最後に残された食料、と書かれている。
命の危険がある場合でもない限り口にするべきではない、という言葉を添えて。
食べることも利用することもできないこの魔物は、そのくせ害獣としては元の世界でもテレビで大騒ぎになりそうなヤツだから始末に悪い。何でも食べられる雑食で、食欲旺盛だから幾つか潰された農園なんかもある、とエリエナさんから聞いたことがある。
ネズミよけの魔法とか薬品はあるそうだけど、なかなか難しいとのことだ。なにせ数がすぐに増えるものだから、ちょっとやそっとでは対処することもままならない。
なので、定期的に討伐依頼が出ているわけだ。
「そっちに二匹行きましたよ!」
がさがさ、と森の中を縦横無尽に動きまわるガーネットの声が響く。
僕はウルリーケから渡されたアイテムを構え、こちらに迫る三匹のオオネズミ目掛けて投げつけた。ガシャン、と高くていい感じの音を立てて、アイテムが壊れて中身が飛び散る。
と、同時に直径およそ一メートルほどの範囲に氷の塊がせり上がる。
ハエトリソウが獲物をがっぷり掴むように、氷は三匹を包み込んで固まった。
繁殖力が高いが弱い魔物であるオオネズミは、極端な気候の変化が苦手だという。特にこの帝国はそれほど寒暖差が変わる土地ではないので、だからこその大繁殖。
だけどそれゆえに、なおさら魔法系等の攻撃が効くのだそうだ。
例えばああして氷漬けにしてしまえば即死確定、溶けても動くことはない。
で、僕が投げたあれは、簡易的な錬金魔法発生アイテムだ。
ゲームなんかによくある、特定の魔法の効果を発揮する攻撃用アイテムと、概ね同じような使われ方をする庶民向けので道具。僕用にちょっと威力を上げて作った、とのことだ。
慌てている時でも見た目で属性がわかるよう、わざわざ透明な入れ物まで自作してくれたというからウルリーケには頭が上がらない。ちなみに赤が炎、青が氷だ。さすがに森の中で制御不能の炎を使うわけにはいかないので、今日は氷のしか持ってきていない。
入れ物の作成は材料の調合がちょっと面倒らしいけど、それさえできればあとは型に流し込んで固めればいいだけらしいので、今度からはそこら辺だけでも手伝っていこうと思う。
なんだかんだ、現状で僕が扱える数少ない『武器』なのだから。
……とりあえず、自分がノーコンじゃなかったことを、心から喜びたい。
百発百中ではないけれど、見当違いの所に投げたことは今のところ一度もないから。
まぁ、それはガーネットの陽動も大きく関わっている。狙いやすいよう数匹ずつ、僕の方へと追い込んでくれている。お陰で狙いを定めやすいし、複数匹の巻き込みもさせやすい。
ちなみに氷漬けになったオオネズミだけど、これはこのまま放置でいいだろう。
溶ければ氷は消えてなくなるし、残った死骸は他の魔物のエサになったり腐って森の養分になる。ある意味、オオネズミ唯一のいいところは、自然に還して問題ないところだろうか。
それなりに慣れてきはとはいえ、さすがにあの数の死骸処理はちょっと……だから、放置しておいて問題ないというのは嬉しいところだ。食べられるならともかく、何にも使えないし。
さて、ある程度ノルマは達成できたと思う。持ち込んだアイテムの半分ぐらいは使ってしまったし、一つにつき一匹から三匹くらいを始末できているから、戦果としてはそこそこだ。
次々と仲間が倒されたことで怯えたのか、もう周囲に気配はない。
ほとんど動いていない僕らはともかく、動きまわったガーネットの疲労は結構なものになっているだろう。続けるにせよ終わらせるにせよ、一度街に戻って休息を取った方がいいかな。
「ねぇガーネット、そろそろ休もうか」
「そうですね……ネズミ、あんまり見なくなりましたし」
がさがさ、と駆け寄ってくるガーネットを視界に入れた、その時だった。
その背後の、ずっと向こうから地鳴りのような音が響く。
太鼓を打ち鳴らすような音は、たぶん足音だ。ネズミはもちろん、人間よりもずっと大きく重い身体を支える太い足が、地面を揺らして鳴らしている音に違いない。
問題は、それがこっちに近づいていること。
ガーネットが、運悪くも僕より遅れて気づいたこと。
「後ろっ」
「……っ!」
僕の声に反応するように、ガーネットの身体が宙に浮く。直後、茂みの向こうから木をなぎ倒すような勢いで現れたのは、狼のような体つきをした獣型の魔物だった。子供どころか僕でも背中に乗せて動けそうな大きさのそれは、明らかにこちらを獲物として狙っている。
姉さん、という声が聞こえ、後ろからは息を呑む音がした。魔物は迫る、その四肢の動きはまったく止まらない。むしろ逃げられない獲物を見つけ、速度が上がってすらいるようだ。
――どうする、どうする?
避けるだけの身体能力もスキルもない、それに僕が避けたらウルリーケが攻撃を受けることになってしまう。立っている僕と違って彼女は座り込んだままだ、咄嗟に逃げられない。
どうする、どうする。
僕が選ぶべき選択肢はどれだ、僕はどうすればいい。
荒い息遣いすら聞こえる距離で、僕は背を向けた。
荷物を抱えて動けなくなっているウルリーケを、そのまま抱きしめる。
背中や、頭の後ろや、足に、意識を絞り上げるような激痛が走り抜けて。
そのまま全部が、黒になった。




