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赤色の向こう側

 森の中に、その黒い姿は非常に異質に見えた。

 四足のトカゲは、腹をこするような動きでうねうねと僕らに迫る。背の低い草に隠れてしまう小さい身体のせいで、狙いは定めにくいように思った。現にハヤイは苦戦気味だし。


「ちっくしょー、ちょこまかすんじゃねー!」


 様子見するはずだったのだろうけど、今は両手にナイフを握り、地面をがさがさと動きまわる魔物に食らいついている。だんだんその動きについていってるあたり、流石だ。

 黒いトカゲは、トカゲというよりもドラゴンのような形をしていると思う。大雑把なフォルムは確かにトカゲのそれなんだけど、顔つきとかはむしろドラゴンのそれに近い感じだ。

 倒していくとどうしても、否応なしにライラのことが脳裏をよぎる。

 その鱗といい、抱えるのにちょうど良さそうなぬいぐるみサイズといい。ライラは工房の中に残してきたけど、もしうっかり誰かが見てさらいこいつらと間違えたりなんかしたら。

 一瞬浮かんだ、嫌な考え。しかし、それを振り払う余裕すら与えないかのように、森の奥から魔物は次々と溢れて襲いかかってきた。それこそハヤイの速さすら、追いつかないほど。


「そっち行ったぞ!」


 十匹ほどに囲まれたまま、ハヤイが叫ぶ。

 僕と彼の間を、二匹のトカゲが驚くほどの速度で移動してきた。

 距離数メートル、僕は栞を頼りに本を開き、一瞬目で確認してから口を開く。

『森の賢者は言いました。その植物は危ないよ。触れれば肌を爛れさせ、死に至らしめる恐ろしい植物だ。汁どころかそのまま触れるだけでもよくない。あれはとんでもない毒草だ』

 それは子供向けの冒険譚。

 もりのかいぶつ、を倒しに行く主人公達に、助言する老人の言葉だ。それはまるで童話に出てくる魔法使いのように、厳かな声で子供達に森という『世界』の恐ろしさを伝え聴かせる。

 触れるだけで爛れて、最悪死んでしまうなんて怖いと思うけど、子供相手なら大げさなくらいがちょうどいいのかもしれない。実際、そういう毒草――と、きのこもあるらしいし。


『あぁ、怖い。こわいこわい。

 触れてはならぬもの、魔物すらも仕留めてしまう、恐ろしい。

 忘れるでないぞ。絶対に、絶対に』


 語り終わった直後、魔物の少し前方に草が一瞬で芽吹く。大きな葉を、ぐわりと手を広げるようにして。明らかに異質な植物に見えるはずなのに、魔物は一直線に突っ込んでいった。

 ぺしり、ぺしり、とはねのけられるように葉が散っていく。

 それで役目は終わったと言わんばかりに、葉が空中に溶けて消えた。

 まるでそれにあわせるように、葉に触れた魔物に異変が起きる。

 一歩、二歩、その歩みが目に見えて遅くなっていったのだ。ザラリとしつつも、まるで海岸で拾えるすりガラスのように綺麗だった鱗が、ぐにゃりと溶けて変形していくのが見えた。

 きぃ、とも、ぴぃ、とも聞こえる鳴き声を最後に、魔物が動かなくなる。

 大きく広がった草むらはそれを待っていたかのようになタイミングで、ぱちんと泡が弾けるように消えた。残ったのは黒い鱗をどろどろに溶かされた、トカゲ型の魔物の死骸。

 その間にハヤイは、彼を取り囲んでいた魔物をすべて倒してしまう。

 やっぱり強い、さすが戦闘特化だ。

 ハヤイは武器を鞘に収めながら、僕らのところに戻ってきた。いつもにこにこしていて、疲れた顔を見せないハヤイに、初めてうっすらと疲労らしき色が滲んでいることに気づく。

 まぁ、あの数を一人で相手していたんだ。

 疲れないわけがない。


「しっかし、何なんだこいつら。エサもないだろうに、なんでこんなとこまで……」

「大量発生って説明に偽りなしだね。ゲーム中にこういうイベント、あった?」

「んや、なかった、と思う」


 あったとしても意味ねーし、とハヤイ。

 確かに、延々雑魚を倒すだけのイベントというのは心底退屈なものだろう。

 やったとしても初心者向けで、上級者はレベルに合わせてもっと強い敵と……みたいな仕組みにするはずだ。ゲーム時代になかったなら、これはこの世界の現象ということになる。

 クリュークさんを始め、冒険者組合の人のうろたえっぷりを見た限りでは、こんなことはほとんどないか、あるいは一度としてなかったのではないだろうか。

 局所的に魔物の大量発生はあったのかもしれない。でも今回みたいな本来そこにいないはずん魔物が、なんていうやつは、ゲーム的にもこの世界の環境的にもありえないことのはずだ。

 原因を調べなきゃいけないわけじゃないけど、少し気になる。

 なんで、こんなことになったのか。


「確かに原因は気になるけど、それより、今は目の前のことに対処しよう。森を荒らされたらレーネには大打撃だし、下手すればレーネの街中に流れ込む可能性だってある」

「……それは、どうかしらね」

「え?」


 背後から、涼し気な声がする。

 僕のすぐ後ろにいるリリスレッドさんが、くす、と笑っていた。

 相変わらず――というほどの付き合いはまだないけれど、彼女は意味深な笑みを浮かべる人だと僕は思う。そういう笑みしか浮かべられないのかと思うほどに、そんな顔だ。

 お腹の前で指を絡ませ、軽く組んだ彼女が、足を踏み出す。

 かさり、ぱきり。草が潰れ枝が折れる音がやけに響いて聞こえた。


「どういう、意味ですか」


 彼女の言葉をそのまま受け取ると、僕らが危惧する『街への襲撃』はない、という意味になると思う。だけどこの状況で、もっとも恐れもっとも考えることを、なぜ否定できるのか。

 彼女が魔物の専門家であるならば、また信じることもできた。

 だけど彼女はそうじゃない、それどころかこの世界にいた存在でもない。

 僕らと同じ、異邦人、異世界人だ。

 ましてやついさっきやってきたというのだから、彼女の言葉の根拠なんて僕には説明されないと思い当たらない。問題は、リリスレッドさんがそれを言うのか、というところだけど。


「そんな睨まなくてもいいと思うのだけど……そうね、理由はほしいわよね」

 小さく、リリスレッドさんが頷く。

 赤い瞳が、すぅ、と僕から外されて、森の奥へ向けられた。

「たぶん、魔物の目的はわたしでしょうから、ここにいる限り街には行かないと思うわ」

「え、どうしてリリスレッドさんが?」

「そうなの、原因はきっと『わたし』ね。だからこそわたし、わざわざお誘いに答えてここにわざわざ来てあげたのだけど。だって楽しいじゃない、自分への殺意がどんな思惑なのか。あなたはそういうものをのぞき見たいとは想わないのかしら……ふふ、それでいいと思うけど」

 語り部ならば知っていてもいいと思うわ、と彼女は笑う。

「どうしてあんたが狙われるって話になんだ?」

「言ったでしょう? この世界に『登録』をしたあなた達は、こういうふうに魔物を倒しても怒られないって。つまり未登録、無断で入り込んだわたしは邪魔な存在になりうるの」

 そんなつもりはないのにずいぶんと浅はかで血の気が多いのね、とまるで誰かに話しかけるように続けて。にやりと、本当に楽しくて楽しくて仕方がないという、顔をして。


「来るわよ」

「へ?」

「わたしを『殺す』ために、とっておきの子を寄越してくれたみたい」


 彼女の言葉を肯定するように、空気を震わす咆哮が遠くない位置を中心に響き渡った。

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