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やはり久遠さんは、変わっている。
私が帰ることを告げれば、肩はおもしろい程びくつき、目線を左右に動かし「さっさと帰れ」の一言。なにか気に触るようなこと言ったかな、と思えば玄関へ向う私の後をぴったりと着いて来て「寄り道はするな」「怪しい者には着いて行くな」と幼稚園児のような扱いを受けた。そして最後には「…き、気をつけて帰れ……!」と一層眉根を寄せ、私の目を見て発した。
正直、びっくりした。
初めて目が合ったことも、その目が泣きそうに見えたことにも。……あれは、卑怯だ。親戚の小学生の子を思い出した。それぐらい、可愛くて不安定に見えた。
「田中のばーさんどうだった?」
お猪口を煽りながら、少し頬を赤めたおじいちゃんが、私に尋ねた。その隣でおばあちゃんは静かにお茶を啜っている。もう後、2、3杯でストップが入るだろうなあと上機嫌なおじいちゃんを見て思った。
「んーそれが、田中のおばちゃん居なくてさ」
「買い物か?」
「多分ね」
「じゃあ未希子さんの愚痴聞いて帰ってきたんか」
「え?未希子さん?未希子さん今こっちに居るんだ?」
「はあ?そりゃ居るじゃろ」
ん?なんか話が咬み合ってない気が……。おじいちゃんもしかしてもう酔ってる?
「華ちゃんは上に行ったんよ」
ハテナマークを飛ばしていれば、おばあちゃんが見兼ねて話に入ってくれた。ちなみに上とはおばちゃんの家を指す。坂の上だからそう呼ばれており、この辺ではそれで通じる。流石田舎。
「ああ、そういうことか。そりゃばーさん居ねぇわけだ」
……ちょっと待って、今なんか聞き逃しちゃいけないような言葉だった気がするんだけど。
「どういうこと?」と疑問そのままに尋ねれば「おまえ、知らんと行ったんか」と祖父は呆れ「その方が楽しいと思ったんだけど、ごめんねぇ華ちゃん」と祖母は笑った。
「上の家ねぇ、今かよちゃん住んでないのよ」
ふふ、と笑いながら告げるおばあちゃん。あ、かよちゃんとは田中のおばちゃんのことである。え、というか
「住んでない……?」
「そうなの。ついこの間義娘の未希子さんとこへ身を置いたんよ」
「え、でもあの二人仲悪いって言ってたよね?」
「まあ、かよちゃん気が強いからねぇ」
そうだよ、息子の嫁である未希子さんとは所詮嫁姑で、田中家も例外なく仲悪いってこの辺じゃ有名じゃんか。どちらにも私は可愛がってもらってたから、仲よくならないかな、なんてしょっちゅう思ってた。
あれ、でも、
「…人、居たよ……?」
「白くんじゃろ?」
「おお!白坊生きとったか!?」
「びゃ、白くん!?それに、生きとったか、って」
「来たばっかの頃、坂の途中で倒れとったもんねぇ」
「あん時は本当びっくしたわ!髪長いから女か思ったら男じゃし、この時代に空腹で倒れとるしなあ!」
あははは!と豪快に笑うおじいちゃん。倒れ、ってえ?あの人なにして……。
「なんでも食べる物がなくなって、買いに行こうとしたとこで倒れたらしいのよ。華ちゃん、台所見た?」
楽しそうに笑うおばあちゃんに「腐海だった」と見たまま告げれば「やっぱりねぇ」と更に笑みを深くした。
「腐海……。あれでも華が来る前に儂らで掃除したぞ」
「え」
「白坊の奴、家事がからっきしでな。見兼ねたこいつが、世話焼いたんじゃ」
こいつ、と指を指されたおばあちゃんは「あんな酷いの久しぶりで、腕がなったわぁ」と続けた。本当になにしてんだあの人は……。
「帰れ帰れ言う割には、家上げてくれるし、掃除も一生懸命手伝ってくれてねぇ。帰る時はお礼も沢山くれて、いい子なのよ」
「素直じゃないけどな!あははは!」
「そこが可愛いんよねぇ、ふふ」
今日の私の状態に似てる……。
「おまえと儂が今飲んでるこれも、白坊の貢物だぞ」
「え」
「前に、飯食いに誘った時持って来たんじゃ」
「昨日華ちゃんが食べとったおまんじゅうも白ちゃんから貰ったのよ」
「え」
……訂正、私なんかよりおばあちゃん達の方が好待遇だ。
にしても、そうか。これも、昨日の美味しすぎて食べ過ぎたおまんじゅうも久遠さんから貰ったものなのか。今度会った時に、忘れずにお礼言わなきゃ。
「でも……なあ」
「そうねぇ」
するといきなり顔を見合わした二人。なんだろうその意味ありげな引っ張りは。もちろんそんな状態をスルー出来る筈もなく、どうしたのか尋ねた。もうこれ以上驚くことはないだろう、そう思って。
「白坊…もしかしたら、今週中にあの家出なきゃならんかもしれん」
「え、出なきゃって……」
「そういう約束なんじゃ」
「かよちゃんが、一ヶ月だけ貸すって言うたの。一ヶ月しても未希子さんとの仲が改善されんかったら上に戻るー、言うてね」
二人の話を要約するとこうだ。
おばちゃんは未希子さんの所へ身を置くことになった。ただ嫁との仲が余り良くないことを自覚したおばちゃんが提案した。「一ヶ月の期限がほしい」と。一ヶ月しても二人の仲が改善されなかったら、未希子さんの家を出て他で暮らす。そしてそこで妙な案を出したのが地元の不動産屋だ。「だったら、あの家を売りに出すのではなく、一ヶ月だけ人に貸してみませんか」そうすれば一ヶ月後、おばちゃんは一から家を探す必要はなくなるし、もし仲が改善されてもそのまま人に貸せばお金も入る、と。
「……よくおばちゃんオッケーしたね」
「渋ってたんだけどねぇ」
「あいつらが押し進めたんじゃ。ばーさんは一週間して候補者が居なきゃ話は白紙だって言ったんじゃが、」
「…ああ、久遠さんが立候補したんだ」
そう言えば、頷く二人。なるほどね。一ヶ月、ってことは家具もそのままなんだろう。道理で洗濯を上手く回せない訳だ。いや、普通は一ヶ月もあれば回せるようになるとは思うけど……。
今週結論が出るんだったら、早くお礼を言いにいかないとな。
「流石のかよちゃんでも怒るかもねぇ」
「え?」
「確かに、腐海はまずいよなあ」
……この流れはなんか悪い予感がする。