表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
近所に棲む変わった人の話。  作者: 椎名
変わった人とファーストコンタクト
2/17

2

ゴシゴシ、キュッキュッ

ゴシゴシ、キュッキュッ

ゴシゴシ……はー、疲れた。


見渡す限り泡、泡、泡だった廊下は、今じゃ幾分かマシになっている。二時間やってこんだけか……流石大きい家は違うな。と、感慨耽っていると廊下先にある脱衣所辺から聞こえるガシャーンと何かを落としたような音。………またか。


遡ること二時間前。手伝え、と言った彼は私の返事も待たずに、私の腕を掴みぐいぐいと私を脱衣所に連れてった。途中、泡に足をとられ転びそうになったが、彼は歩幅も、スピードも変えることはなかった。

脱衣所を埋め尽くして居たのは、やっぱりというかなんというか、大量の泡。流石の私でもここまで来れば嫌という程わかる。


「洗濯、失敗したんですか」

「……」

「洗剤の量が多かったんですねー」

「……」

「…あ、うちと同じ洗濯機のメーカー」


視線は合ってる筈なのに、会話は成立しない。せめて頷くとかぐらいはしてほしいものだ。独り言みたいで、恥ずかしい。


「えっと、じゃあまず雑巾とバケツお借りしますね」


返事はないだろうと思い、そう発した。勝手知ったる家の中、もちろん掃除用具の場所だって把握済だ。用具を取りに動こうとすれば、腕を強く掴まれた。


「……どうしました?」

「やはり、良い」

「はい?」

「手伝いはいらん。帰れ」

「……」

「帰れ」


なら、どうして手を離さないのだろう。それに、先程よりも更に強い力で掴んでくる。……変な人。


「…えーと、お邪魔でなければ手伝わせてください」


そう伝えても、返事は返ってこない。まあいいや、とそのまま続ける。


「一人じゃ大変だと思うし、私なんかでよければ使ってください」

「……」

「田中のおばちゃんが帰ってくるまでに、終わらせちゃいましょ?」


これでも帰れと言われれば、即座に帰ろう。そうまでして残る意味も義理も、私にはない。さあ、どうするんだ?という目を彼に向ければ、目を見開き、溜息、そして一言。


「……よろしく頼む」


それからは浸すら泡と戦った。雑巾で磨いては絞り、磨いては絞りを繰り返し、今では床はピカピカだ。うん、頑張った甲斐がある。……脱衣所はどうなったんだろ。


「……」

「……」

「…あの、大丈夫ですか……?」


ひっくり返った籠、散乱してる歯ブラシやタオル、雑巾片手に立ち尽くしている彼。というか、この人雑巾持ってるの激しく似合わないな。

…泡、は綺麗になくなってる。いやまあなくなってなかったら困るけど。だってこの人、脱衣所しか掃除してないし。でも、まあ、なんというか、片付けるの苦手なんだろうな。


「ついでなんで、洗濯の回し方覚えましょうか」

「……」

「落ちたタオル、使いますね?」

「……」


無言。でも疑問符には一応、頷いて応えてくれたので良しとする。…ちゃんと手招きしたら近付いてくれたしね。


「あ、服はちゃんとネットに入れてるんですね!」

「……それぐらいはできる」


返事!してくれた!どうしよう、答えてくれた、それだけのことが物凄くうれしい。意外と堪えてたんだな私……。意思疎通ができる内に、と思い洗濯機の使い方を説明する。これ、新型のだから意外と難しいんだよね。慣れれば楽なんだけど。私の説明には、頷いたり「ほう」と洩らしたりという反応を戴いた。有難き幸せ、なんて。


洗濯を、無事に回せ一息着こうと台所に向かえばそこは腐海だった。いや、冗談でも過剰な言い方でもない。本当に腐海なのだ。

カップ麺、レトルト、コンビニ弁当のゴミ。もちろん、空き缶や瓶もそこかしこに転がっている。


「…これ、」

「余り得意ではない」


なにが、なんて訊かなくてもわかる。―――この人、家事がからっきし駄目なんだ。


「茶くらい出す。座れ」そう言って、台所から続く居間に誘導された。あ、ここはまだ綺麗だ。座った瞬間、無言で差し出されたのはペットボトルのお茶。ですよね、自分でお茶とか淹れないですよね、台所使えませんもんね。なんてことは御首にも出さず、お礼を告げた。

その後は、お互い無言。秒針の音がよく響く。秒針が一周したら帰ろう、なんて思っていれば目の前に座る彼からお声がかかった。


「名は」

「はい?」

「名はなんと言う」


あ、そういや自己紹介もしてなかったや。


葛城華かつらぎはなと言います」

「……」

「……」


……会話が、続かない。名前を告げても眼前の彼は、無表情、無反応、無言。玄関前で出会った時同様、彼の眉間には深い皺が刻まれている。その顔がデフォなんだろう、多分。だとすれば実に勿体無い。彼の顔の造りは、芸術品かと思わせるぐらい整っている。白皙の肌、形のいい唇に高い鼻、そして極めつけは物憂げ漂う切れ長の双眼。……これは目の保養になるな。少し怖いけど。


「ひ、」

「?」

「久しぶりに…掃除をした」


目線を落としたかと思えば口早にそう告げた彼。尚も目線は机へと一身に注がれている。


「おまえのお蔭で……助かっ、た………」


消えいるような小さな声。だけど彼なりの精一杯のその謝辞は、きちんと私へと届いた。二時間も床と泡に対面した甲斐があった、なんて。


「…田中のおばちゃんにも、怒られずにすみそうですね」と笑って返してみると、弾けたように彼は顔を勢いよく上げた。……あ、そう言えば名前聞いてないや。少し慌てた様子を見せる彼に構わず、名前を聞いてみると、またもや視線は机へ一直線。うーん、難しい。


「……」

「……」

「……」

「……」


無言のまま、根気よく待つこと一分弱。よっぽと教えたくないのか、口にするのが恥ずかしいのか……。前者だろうな間違いなく。少しは心を開いてきたと思ったがまだまだのようだ。


「〜っ!」

「……?」

「そ、その様な空気を出すな!」


その様な空気とは、どんな空気だろうか。特にこれといったことはしてないと思うんだけどな。でも一応謝っておいた。これぞ大人の対応。


「わかれば良い」

「有難き幸せ〜」

「?…うむ」


ノリで返してみれば、不思議そうにしながらも、頷いて応えてくれた。この人、意外と優しいな。


「久遠」

「?」

「…私の名だ。久遠白夜くおんびゃくや


不意打ちだったこともあり「か、格好いいお名前ですね」と何故か拍手付きで賛辞してしまった恥ずかしい。だけどそんな私の拍手を受け彼は「そ、そうか」と満更ではないような様子で照れていた。もちろん眉間に皺を寄せたまま。


……可愛いなこの人。


                        

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ