私は兄さんのストーカーです
私は通っている高校の直ぐ近くの路地で、手早く髪を高めの位置でポニーテールにします。メガネをかけてマスクをつけて、準備は完了です。
「よしっ」
拳を握りしめて気合いを入れて、表通りの様子をそっとうかがいます。あ、兄さんが来ました。
通り過ぎたのを確認して、頭の中でカウントを始めます。もう一年近くやっている事なので、タイミングはばっちりです。
百を数えたところで路地から出ました。兄さんとの距離は近すぎず遠すぎず。とても丁度いい距離です。
兄さんは最近仲良くなったと思われる女性と楽しげに会話をしながら歩いています。あの女性は生徒会長さんです。漆黒でストレートの長い髪は前髪を綺麗に切り揃えた、姫カットにされています。私とは違い、身長も高いです。多分、160センチはあります。150センチが遠い私には羨ましいです。
モデルさんのようなすらりと長い手足には憧れてしまいます。いいえ、でも私にもまだ可能性はあります。身長だってまだまだ伸びます。そうです、そうに決まっています。
会長さんは大和撫子という言葉がぴったりな美人さんです。
確かにとても清純そうな美人さんだと思います。誰隔てなく、どんな相手にも笑顔を向ける会長さんの姿はすごいと思います。
でもきっとそれは『表向き』の姿に決まっています。あんなに綺麗で性格もいいなんて、あり得ません。どこの女神ですか。
絶対ビッチです。兄さんの貞操を狙うビッチです。
兄さんは危機感が足りません。兄さんは自分の魅力に気付くべきです。そして私の気持ちにも気付くべきです。
兄さんが鈍感だから私はこうして兄さんのストーカーをして、兄さんに危険が及ばないように見張らなくちゃ行けない羽目になっているんです。
あ、ファミレスに入って行きました。
一分ほど待ってから私もファミレスに入ります。ウエイトレスのお姉さんが「いらっしゃいませ」と微笑みかけてくれます。私は直ぐに店内に視線を向けます。あ、兄さん発見です。
「お席にご案内します」
「あ、あの……好きなところに座っても大丈夫ですか?」
「え、ええ」
お姉さんは訝しげに私を見ますが、気にしていられません。兄さんは窓側の中央辺りにいます。先輩は兄さんの対面に腰掛けています。隣に座っていたら「兄さんから離れて下さいこのビッチ!」とつかみかかっているところでした。
私は二人の顔が見える場所に座ります。声は聞こえないですが、ばれるのも困るので仕方ないです。
お姉さんがメニューを置いた瞬間に私は口を開きます。
「アイスコーヒー下さい」
「え? あ、はい。かしこまりました」
お姉さんはなんだこの人と言わんばかりの視線を向けてきます。こんな格好でこんな言動を取っていたら訝しまれるのも仕方ないです。
私はメニューを開いてそれで顔を隠しながら兄さん達の様子をうかがいます。
なんですか兄さん可愛い妹を差し置いて会長さんと放課後デートですか随分と楽しそうに笑ってますねなんですかなにを話してるんですか手が触れただけで照れないで下さいなんなんですかもう!
会長さんが本を手渡す際に兄さんと手が触れて、お互いに顔を赤くしながら気恥ずかしそうに目線を逸らしています。
べ、別に悔しくなんてないですけどね! 私は兄さんと毎晩一緒に寝てますし。時々なら一緒にお風呂も入ってます。放課後デートごときで兄さんの一番になれると思ったら大間違いです!
兄さんの一番は私ですし。絶対の絶対に私ですし。
「ううっ……」
「あ、アイスコーヒーお持ちしました……」
お姉さんが気まずそうにアイスコーヒーを私の目の前に置いてくれます。恥ずかしいところを見られてしまいました。
私はぺこりと小さくお辞儀をして「ありがとうございます」と言います。お姉さんは気まずそうに微笑んで逃げるように去って行きました。私、出来れば今後このお店に来たくないです。
ストローをコップに入れ、マスクをずらしてアイスコーヒーを飲みます。うう……苦いです。ガムシロップとミルクを入れます。それでも苦いです。
兄さんがアイスコーヒーを飲んでいたのを見てなにも考えずに頼んでしまいましたが、よく考えたら私はコーヒーが苦手でした。
ぐっと堪えてちびちびとコーヒーを飲みます。うう……苦いです。
それにしても、遠目からでも兄さんは素敵です。出来ればその笑顔は私だけに向けて欲しいです。どうして兄さんはこんなにも可愛い妹がいるのに、他の女性といちゃいちゃするのでしょうか。
なんだかむかむかしてきました。
兄さんは私だけの兄さんです。兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん──。
「ひっ」
傍を通りかかったウエイトレスさんが怯えた様子で私を見ます。どうやら声に出てしまっていたようです。私はメニューで顔を隠します。
兄さんが悪いんです。責任取って結婚するべきです。
あ、兄さんが会長さんの胸元見ました。兄さんどこを見てるんですか、最低です。兄さんが巨乳好きなのは知ってますが、だからって見るのはダメです。兄さんが見ていいのは私の胸だけです。そもそも私の方が大きいんですからね。
兄さんにだったら好きなだけ見せてあげるし触らせてあげるのに。兄さんはいい加減私以外の女性との関係を一切絶つべきです。
こんなに可愛い妹がこんなにも想っているというのに……兄さんのばかばか変態!
あ、視線に気付いた会長さんが胸を抱きしめながら兄さんを睨んでいます。兄さんは慌てた様子で首を振っています。
ああすることで胸元が強調されるのか、兄さんはつい目を向けてしまっているようです。
胸で兄さんを誘惑しようだなんて、とんだビッチですね。帰ったら私も実践してみましょう。
会長さんは顔を赤くして、唇を尖らせながらなにか言っています。兄さんはぺこぺこと頭を下げています。兄さん、そんなビッチに頭を下げる必要はありません。
私はまたコーヒーを飲みます。苦いです……。
ちびちびと飲みながら、どうやったら兄さんをあのビッチ会長さんから引き離すことが出来るか考えます。兄さんの貞操は私が守らなくてはいけません。
そもそも兄さんのファーストキスは私が既に貰っているわけですが。
私は兄さんが寝ている隙に毎晩キスをしています。いけないことだと分かっていますが、一度やったらやめられなくなりました。
あ、二人は帰るようです。コーヒーを飲みながら二人の姿を目で追います。レジでなにかもめているようです。多分、どっちが払うかでもめているのでしょう。
結局兄さんが全額払ったみたいです。
コーヒーを飲み干し、伝票を持って立ち上がります。そそくさと会計を済ませてファミレスを出ました。それから適度な距離を保ちながら兄さんを尾行します。
◆ ◆ ◆
自宅の近くで私はマスクとメガネを外します。髪も解いて手ぐしで直します。手鏡で確認。うん、大丈夫です。
自宅に上がって真っ直ぐ自室に向かいます。手早く着替えて兄さんの部屋に向かいます。兄さんはベッドに寄りかかるように座りながら、なにやら難しい顔をしていました。どうしたんでしょうか。ビッチ会長さんになにか言われたんでしょうか。
私は兄さんの下に駆け寄り、すとんと兄さんの目の前で腰を下ろします。兄さんはにこりと微笑みかけてきて「お帰り」と言ってくれます。
「ただいまです。兄さん、浮かない顔をして……どうかしたんですか?」
「んん? ああ、ちょっとな」
兄さんは意味深に視線を逸らします。本当にどうしたんでしょうか。
「痴女にお尻を撫で回されましたか? もしくは股間をまさぐられましたか? それとももっと他の部位を撫で回されましたか?」
「ゆかり、とうとう自分を痴女だと認めたか」
「なにを言ってるんですか兄さん。私は痴女ではありません」
「だってそれ、お前がいつもやってることじゃん」
「なにを言ってるんですか兄さん。たまにしかしてません」
「どっちでもいいけど、やってるだろ。痴女がやるような事を」
「直接触ってないのでセーフです」
「アウトだから」
全く兄さんは酷いです。私が痴女だったら世の中は痴女であふれかえります。私は純情な乙女です。
「兄さん、痴女に襲われたわけじゃないならどうしたんですか? ビッチに子作りを前提にお付き合いを申し込まれたんですか?」
「確かにとんだビッチだな、そいつ」
「そうです。気をつけないとダメですよ? きっと搾り取られますから」
「確実にそんな告白をする女子はいないから大丈夫だ」
「なにを言ってるんですか兄さん。目の前にいます」
「そうだった……」
兄さんが頭を抱えています。どうしたんでしょうか。私、なにも変なことは言っていないと思うのですが。
兄さんは顔を上げるとじっと私を見ます。
「実はな……ストーカーされてるみたいなんだ」
兄さんは真剣な表情でそう呟きます。
すみません兄さん。多分それ、私です。
とはいえ、もしかしたら違う可能性もあります。私は兄さんの手を取って両手で包み込み、口を開きます。
「具体的にどんなことをされてるんですか?」
「帰りに視線を感じるんだ。今日も先輩と帰ってたらずっと誰かに見られてる感じがしたし」
すみません兄さん。それ間違いなく私です。
そもそも私以外に兄さんのストーカーがいたら間違いなく気付くでしょうし。見つけた瞬間に即通報しますが。兄さんの身は私が守ります。
どうしましょう。兄さんは本当に困っているようです。でもストーカーをやめるわけにはいきません。危機感のない兄さんから目を離すわけにはいきません。
ああ、いいことを思いつきました。
「兄さん、これからは毎日私と一緒に恋人のように帰りましょう。それで一緒にストーカーを見つけましょう。見つからなくても、もしかした私のような恋人がいると分かればストーカーも諦めるかもしれません」
そのストーカーは私なので、兄さんと帰ると必然的にストーカーは『いない』状況になります。しばらくして、兄さんは「もう大丈夫だ。ありがとう、助かったよ」と私と帰るのをやめてしまうでしょう。
でも、そうするとストーカーは復活します。だってストーカーは私ですから。そこで私はこう言うのです。
「ストーカーを完全に諦めさせるには一時的にだとダメなんです。高校を卒業するまでは私と一緒に帰りましょう。ストーカーは執念深いからストーカーなんですよ、兄さん」
これできっと兄さんは納得してくれるでしょう。私は兄さんと一緒にいる時間を増やせますし、ビッチ会長さんから引き離すことも出来て一石二鳥です。なんて完璧な計画でしょうか。
私が胸中で自分を褒め称えていると、兄さんの頬がひくひくと引きつりました。身体もぷるぷると小さく震えています。どうやら噴き出しそうなのを堪えているようです。
「兄さんどうしたんですか?」
「うっ……ぐっ……む、無理だ……!」
兄さんはぶはっ! と噴き出すとお腹を抱えて笑いこけています。意味が分かりません。
「兄さん、本当にどうしたんですか? 変な物でも食べさせられましたか?」
「食べさせられた、ねぇ……」
兄さんは目元をごしごしと拭うとぽんと私の頭に手を置きます。
「お前はほんと、可愛いな」
「な、なんですか急にっ?」
顔が赤くなるのが分かります。兄さんは優しげに目を細めながら私の頭を撫でます。なんなんでしょうかっ? 頭を撫でられるのはとても嬉しいですが、訳が分かりません。
「ストーカーってお前だよな」
「はぎゅむがくごうあ!?」
思い切り身体を跳ねさせながらよく分からないことを叫んでしまいます。どういうことでしょう。どうしてばれたのでしょう。
「一年ぐらい前からずっとストーカーしてたよな」
「はぎゅっ!」
まさかずっとばれていたということですか。どうして兄さんは気付いていると言ってくれなかったのでしょうか……。
「あと、一ヶ月ぐらい前から寝ている俺にキスしてるよな」
「むぎゅっ!」
あああああ、全部ばれていました。終わりです。きっと兄さんに嫌われてしまっています。だから言わなかったのかもしれません……。
「そんなこの世の終わりみたいな顔しなくても……」
「だって、兄さんに嫌われてしまいました……」
「俺、嫌いだなんて一言も言ってないけど」
「でも、私は散々酷いことをして兄さんを困らせました。悪い事をしているという自覚はあったんです。謝って済む問題でないのも分かっていますが、ごめんなさい。嫌いにならないで欲しいです」
兄さんは苦笑を零して私の頭を撫でます。
「だから、嫌いだなんて一言も言ってないだろ? 大体な、マジで困ってたり嫌だったりしたら気付いた時点で言ってるっての」
「じゃあ嫌じゃなかったんですか……?」
「さぁな」
兄さんはぷいっとそっぽを向きます。少しだけ恥ずかしそうです。
兄さんの顔は私の言葉を肯定しています。嬉しいです。
「兄さんっ」
私は兄さんに抱きつきます。兄さんは優しく頭を撫でてくれました。
「兄さんは私のことが好きなんですねっ」
「ま、そうだな」
「じゃあ私と子作りを前提にお付き合いをしてくれますか?」
「それは無理」
「じゃあ私と毎晩子作りをしてくれますか?」
「だから、無理」
「じゃあ私と毎晩お布団の中でいやらしいことをしてくれますか?」
「言い方変えたって無理なもんは無理」
「じゃあ兄さんはなにをしてくれるんですか! 私のことが好きな兄さんは、なにを!」
兄さんはこつんと私の額を小突きました。
「逆ギレするなあほ。確かに俺はお前のことは好きだけど──」
「『妹として』って言ったら怒ります」
「違うよ、最後まで聞け。兄妹なんだからそんな簡単に付き合ったりは出来ないだろ? だから、もっとちゃんと二人で考えて、話し合ったりしてからじゃないと無理」
私は思わず兄さんの胸に頬ずりをしてしまいます。兄さんはやっぱり兄さんです。優しくて頼りになる兄さんです。大好きです。
「じゃあ早速今夜からじっくりお布団の中でお話をしましょう!」
「布団の中でする必要ないだろ……」
兄さんが呆れた様子でため息をつきました。確かにその通りです。嬉しかったあまりに先走ってしまいました。
「ところで兄さん。兄さんは本当に私のことが好きで、ちゃんと考えたら私とお付き合いをして下さるんですよね?」
「ああ、約束する」
「じゃああのビッチさんとは関係を絶って欲しいです」
「ビッチさんって誰だ?」
兄さんは怪訝そうに私を見ます。
「ビッチ会長さんのことです。兄さんの貞操を狙い、胸で誘惑するとんでもないビッチさんです」
「なるほどな、よくわかった。お前はなにか誤解をしているようだ。先輩はただの友達だし、そもそもビッチじゃない」
「兄さんが友達だと思っていても、ビッチさんがそうだとは限りません。それと、会長さんは間違いなくビッチです」
「ねぇよ。それと、お前の目には俺に近づく女子は全員ビッチに見えるだけだろ?」
「当たり前です。兄さんに近づく女子は全員ビッチに決まっています」
「それってなんか俺も傷つくんだが……」
兄さんが落ち込んだ様子で私を見ます。どうして兄さんは落ち込んでしまったのでしょうか?
「とにかくだ。先輩は本当にただの友達だし、ビッチじゃない。……ま、どのみちお前と付き合ったら友達ではいられなくなると思うけどな」
「それは私にとっては嬉しい事です」
「だろうな。だから、今はやだ」
「仕方ありませんね。私は寛容なので、土日祝日は絶対に一緒にお風呂に入ってくれるなら我慢します」
「条件出す時点で寛容じゃないと思うが。……まぁいいや。わかった、それで手を打とう」
兄さんが小指を差し出すので自分の小指を絡ませて、指切りをします。兄さんはやっぱり優しいのです。
「あの、兄さん、これからは私と一緒に帰ってくれますか……?」
「やだ」
「な……! どうしてですか! 兄さんは私のことが好きなんですよね!?」
「ああ好きだぞ。でもやだ」
「私よりもビッチさんと一緒がいいっていうんですか!」
「そういうわけじゃないけど、やだ」
「それなら私は兄さんのストーカーはやめませんよ!?」
「おう、頑張れよ。出来ればもっとばれないように」
「うぐぐ……」
兄さんはにやにやしながら私を見ています。兄さんは確実に私をおもちゃにしています。弄んでいます。
もういいです。私はこれからも兄さんのストーカーを頑張ります。「ストーカー、やめちゃったのか?」って言葉が出てくるぐらいに、兄さんに寂しい思いをさせるぐらいに、完璧なストーキングをやってみせます。
「兄さん、私にはやらなくちゃいけない事が出来ました。それを達成できるまでは私は兄さんとお付き合いは出来ません」
兄さんは驚いた顔をしますが、直ぐにおかしそうにくすくすと笑います。私の頭に手を伸ばすと、そっと撫でてくれます。ふわふわした心地になります。
「達成できるように頑張れよー。俺はいくらでも待ってるから」
「はいっ!」
私は大きく頷いて返します。絶対の絶対に兄さんに寂しい思いをさせて見せます!
ストーカー頑張ります!
覚悟するといいのです、兄さん!