第09話 決意と崩壊
そっとたたずむ巨大な剣ドラグスラッシャーを、僕はじっと見つめていた。
ドロップした時点でユッケから所有権はなくなっている。だから彼女のアカウントが消滅し、彼女の保持していたアイテムやゴールドの全てが無くなったところで、このアイテムはこのゲーム世界に残り続ける。
と言っても、ずっと残っているわけではないが。
ドロップされたアイテムは一定時間が経つと消滅してしまう。その期間はアイテムごとに設定された内部価格というもので決定される。
基本的にはNPCの売っているアイテムならその価格だが、非売品のレアアイテムにもその値はきっちり設定されている。NPCに売れば規定された内部価格の四分の一の値段で買い取ってもらえるからだ。
そしてそれが高いほど、ドロップされたアイテムが消滅するまでの時間も長い。計算式まではいちいち覚えてないので省略だ。
ドラグスラッシャーは今でこそ最高の攻撃力を持つ武器の座をオメガスラッシャーに譲りはしたものの、それでもトップクラスの攻撃力を有していることに変わりない強力なレアアイテムである。
当然内部価格もかなり高く、ここに突き立ったまま放置しても週一のメンテナンスでサーバーが停止されるまで残り続けることだろう。
誰かに拾われでもしない限り。
ここが人通りの少ない場所とはいえ、何かの間違いで誰かがやってこないとも限らない。実際僕は以前にも気晴らしのためという理由でやって来たわけだし。
このアイテムはチーターの残した物だ。
善良なプレイヤーが使うべきではない。
僕はドラグスラッシャーをそっと引き抜いた。
独特の重みを感じる。見た目から想像するほどは重くないが。
インベントリを開けば、装備欄の右手にしっかりドラグスラッシャーのアイコンが表示されている。
僕はそれを、河の中へ放り捨てた。
ドラグスラッシャーは水の中に沈み、河の流れのエフェクトに紛れてぱっと見ではそこにあることがわからなくなった。
よほどのことがなければ見つからず、誰かに拾われることもないだろう。
それはある意味形見とも呼べるような代物だったが、ごくあっさりと捨てることができた。
あんなものはあっちゃいけないのだ。
僕はこの時知った。
捨てることさえできるアイテムなら、簡単に捨てることができるのだと。
それから僕は、日課であるログイン直後の露店巡りをする前に河の様子を見ることが新しい日課になっていった。
定期メンテナンスの時間がやってくるまでそれは続いた。
どこかびくびくとしながら河の様子を見ては、変わらないその情景に安堵する。
結局最後まであのドラグスラッシャーは誰かの手に渡ることなく、消滅した。
今度こそユッケは、この世界からいなくなった。
◇ ◇ ◇
メンテナンス終了直後にドラグスラッシャーの消滅を確認した僕は一度ログアウトする。
やり残した宿題をようやく終えた気分で、少し大きめのため息を吐いた。
そしてふと、ユッケがBANされる直前に送ってきたメッセージの存在を思い出す。
メッセージというのは簡易メールのようなもので、プレイヤー間で相手の名前さえ知っていれば送ることができる。ゲーム中か、PCから公式サイトにログインすることで送受信と閲覧が可能だ。
僕は『ユッケよりライオくんへ』とタイトルに書かれたメッセージをクリックした。
本文はあっさりとしたもので、本当に電話番号とメールアドレスの二行しかなかった。
「……」
僕はそれをどうするわけでもなく、削除もしないまま放置した。
確認のため実際に電話をかけるなりメールを送るなりすべきだったかもしれないが、やめておいた。
別に、あいつに何か用があるわけでもないんだから。
◇ ◇ ◇
僕はギルドホームにやってくる。最近はちゃんと毎日来るようにしていた。
「おいすー」
「や、やあ」
イノさんとカイくんが迎えた。
「なんだか珍しい組み合わせだな」
「ん、そう言えば……そうかもね」
僕がそう言うとカイくんも笑った。
「なにその、まるでおじさんがカイくんのことを避けてるみたいな言い方。ぷんぷん!」
イノさんがわざとらしく怒った。でかいネコに食べられているようなデザインのローブを着た人がそんな顔をしてもまるで怖くないが。
「可愛くないよおっさん」
「にゃ、にゃんだってー!」
「それも可愛くない」
「うむ……」
ちょっと落ち込むイノさん。
イノさんの中の人は三十代後半のハゲデブおっさんだと自称している。ハゲデブあたりは本当かどうか微妙だが、三十代のおっさんというのは大体その通りな気がする。仕事の話とかたまにしてるし。
その割には四六時中ログインしてる気がするけど。
「あー、学生は良いよなー」
「どうしたんだよ急に……」
「いやなんか、おじさんもあの頃に戻りたいなーって思ってさ。俺も夕日差し込む誰もいない教室で憧れの同級生の女の子とずっこんばっこんしときたかったなーって」
「いきなり最低だな……」
このおっさん、たまに年相応の大人らしい言動をするが、大抵はこんなアホ発言かエロ発言ばかりなのが玉に傷である。他に女子のいないタイミングで良かった。
「ライくんは学生だよね」
「え、ああ……まあ……うん」
特にはっきりそうだと言ったことはないが、まあ生活スタイルあたりからだいたいバレているようだった。
八月とか毎日朝から晩までずっとインしてたしな。
「良いよなー。学生ってだけで勝ち組なんだからね? ネトゲなんかで時間無駄にするより可愛い女子と遊んでた方が絶対良いよ? 無駄にしたおっさんからのアドバイスだからちゃんと聞いた方が良いよ?」
「う、うん……」
ネトゲしながら言うことかよ。
「だいたい女子校生ってさー、何よあれ。あの制服ってやつ。あんないやらしい格好した集団が右を見ても左を見てもいるってとんでもない状況だと思わない? どんなポルノ大国だよっつーの」
「そんなにいやらしいかな……」
「いやらしいよエロだよエロエローン。しかも女子ってのは基本十代半ばから後半が肉体的にも精神的にも一番エロい時期だからね。JCとかJKってやつな。もう半端ない。エロい時期にエロい格好してエロいことしまくり。エロスキングダムだよ」
「ところでさっきからカイくんが黙っちゃってるんだけど」
「ああん? ったくこのムッツリが! エロトークの一つも出来ないのかい!」
「このおっさんほんとひどいな……」
突然興奮する三十代についていけなくなる僕。そろそろ誰か来ないだろうか。
「こんにちは」
とか思ってたら来た。
シズさんだった。
「やあお嬢さん、ごきげんうるわしゅう」
「なんか急に紳士ぶってるこのおっさん!」
「ええ、ごきげんようおじさま」
「しかも乗ってる!」
なんだか奇行に対するリアクションも慣れたものなんだと感じてしまう。付き合い長いとそうなれるもんだろうか。
ちょっとだけ羨ましい。
「あ……き、今日はちょっと遅かったね」
と、カイくんがシズさんに聞く。そうだったかな?
「うん。うちにあの……あれ、何て言うんだっけ。お母さんの妹さんの娘さんが」
「姪?」
「そう、姪。お母さんの妹さんが姪が産まれたからって連れてきてたから、それでちょっと相手してたの」
「そうだったんだ」
なんだかとんちんかんな話し方をするシズさんであった。
ちょっと顔がにやついているように見えるのは、その姪っ子の可愛らしさでも思い出しているのだろうか。
「さすがに赤ちゃんの趣味はないかな……」
「笑えないからやめておじさん」
その後僕たちはダンジョンにでも行こうという話になった。
通行証を探しに露店街へ向かう。
手分けして探していると、ギルドチャットでイノさんから連絡が来た。何か買えたらしい。
「ケフ下買えた」
ケフ下。ケフェウスダンジョン下層の略だ。
「ケフ下把握」
「どっかのラスボスみたいやな」
「ヒョーッヒョッヒョッヒョッ」
「こころないてんしはやめてください」
楽しそうにしている三人の裏で、僕には少し思うところがあった。
各自ワープクリスタルで移動し、ダンジョンの入り口前で再集合する。
その前に僕は近くの情景をつい見渡してしまう。
ケフェウスダンジョン下層。
あの日、ユッケと共に入ったダンジョンであった。
「ライどしたー?」
「ライドした?」
「カメンライドゥ?」
「ディケーイ!」
「しゅぱしゅぱしゅぱジャキーン!」
「そんな音だったっけ」
「うろ覚えでごめん」
感傷に浸っていると背景で寸劇が始まったので、すぐに戻ることにした。
忘れてしまおう。あんな奴のことは。
しかしそう簡単なものでもなかった。
ダンジョン攻略中も、心のどこかではあの時のことを思い出していた。あの時は攻略もほとんどしないですぐに帰ってしまったな。
もし一緒に進んでいたら……いや、やめよう。
チートを隠してたことを思い悩んでいた時も、忘れようとして全然忘れられない今も、いつまで経っても成長しないな僕は……。
やがてボスを倒しみんなで報酬アイテムの報告会が始まる。
そんな中、僕はじっとシズさんの笑顔を見つめていた。
愛らしくて、華麗で、思いやりのある人。
そうだ。
僕にはあの人がいるんだから。
本当に今度こそ、あのチートのこともユッケのことも忘れてしまおう。
そしてその日、僕は一つの決意をした。
それから数日後。
僕はシズさんをケフェウスダンジョンに呼び出した。二人だけで話をしたかった。
即日決行できなかったのは情けないが、この際置いておく。
ダンジョンはパーティで進入すれば後から他のキャラクターは入ってこれない。
ちょっとした個室がわりにもできるわけだ。
特定の相手とだけ会話ができるささやき機能もあるが、どうせなら顔を合わせて話したかったのだ。
「……それで、話って?」
適当なダンジョンで僕たちは二人、向き合う。
愛の告白をするわけではないが、僕の胸はばくばくと鳴りっぱなしであった。
「……まずは、きっちり最後まで聞いてくれるってことを約束してほしいんだ」
「……うん?」
これから告白することは、シズさんだけでなくギルドの仲間たちにとっても許しがたいことだろう。
でも、できることなら許してほしい。
そんな僕の意思を知ってもらうためには、途中で聞くのをやめられては困るのだ。
僕はダンジョンの冷たい床に膝と手をついて、頭を深く垂らした。
「僕はあの日、不思議なキャラに出会ったんだ」
そして、包み隠さず全てを語った。
偶然入場したダンジョンで運営を名乗る者からEJ94リングなるアイテムを貰ったこと。
それは運営公認のチートで、それを使っても罰せられないらしいこと。
そして他人の見ていない場所でとは言え、実際に使ってしまったこと。
使ったことでダンジョンを攻略し、運良く入手したレアアイテムをイノさんに売ってしまったこと。
MPKに襲われていたトリスさんを助けるためにも使ってしまったこと。
それがきっかけでチーターのユッケに目をつけられたこと。
ユッケの煽りに乗せられてチートを使いぶん殴ってしまったこと。
僕がEJ94リングを使ってやったことの全てを、話した。
「みんなを騙して、隠れてチートを使っていて……本当に、申し訳ありませんでした」
頭が床につきそうになるまで下げる。
土下座だ。
このまま首を切り落とされてしまったとしても、僕は文句など決して言わなかっただろう。
それだけの覚悟を持って言った。
「……二つ、聞かせて」
話を聞いている間も、聞き終わってからも黙っていたシズさんが、ようやく口を開いた。
「イノさんに売ったアイテム。お金はまだ持ってる?」
一つ目の質問。
バルディッシュソードを売って得たお金、4200000ゴールドはどうしたか。
「持ってる。手はつけてない」
「じゃあそれ、全部返してあげて」
「わかった」
「アイテムも返してもらって、処分して」
「ああ」
僕は即答する。
言われるまでもなく、この話をしたらそうするつもりだった。
チートで手に入れたアイテムは無かったことにする。
上がったレベルだけはどうしようもないが、仕方ない。
「じゃあ次。……そのチート、もう二度と使わないって約束できる?」
二つ目の質問。
僕はこのEJ94リングが捨てられないことももちろん話した。
言い訳するようで情けない限りだったが、インベントリのすみにあるのが視界に映るとどうしても意識して、使いたくなってしまう誘惑にかられることも話した。
その上で二度と使わないと約束できるかを聞いてきているのだ。
「……約束、する」
今度は即答せずに、ゆっくりと力を込めて答えた。
何度もやめようと思ってやめられなかった。
けれど、今度こそは違う。
その決意を込めて答えた。
「……そう」
そしてシズさんは、じっくり何かを考えるように押し黙った。
僕はその間も頭をあげることはない。
「本当にもうしないなら、……見逃してあげる」
やがて、優しい声でそう告げた。
「……本当に?」
ようやく顔を上げた僕が確認する。
「うん。みんなにも黙っててあげる。……そしたら、今までの君に戻ってくれるよね」
シズさんは、柔らかい微笑みを浮かべていた。
「みんな、君のことを大事な仲間だって思ってる。様子がおかしくて、心配もしてた」
「あ……」
「だから、帰ってきてほしい」
そうだった。
僕は、ごく普通のプレイヤーとして、ごく普通の仲間と、ごく普通のゲームを楽しんでいたんだ。
仲間たちとの楽しい日々と、彼女が与えてくれる小さな幸せで、十分に満足できていたんだ。
それを思い出せたから、僕はきっと帰っていける。
頼りになってかっこいいみつるくん。
ちょっとアホだけど一緒にいて楽しいイノさん。
かわいい弟分のカイくん。
冷や汗かかされたりもしたけど今では良い仲間のトリスさん。
そして、僕が密かに恋い焦がれる、シズさん。
他にも、たまにしか現れないギルメンたち。
僕は、みんなとの日々を取り戻すんだ。
ギルドホームに戻る。
二人きりで出かけたことを茶化されたが、それもまあ一興だ。
そういう日々が、僕は欲しかったんだから。
なんとかバルディッシュソードも返してもらった。嫌がっていたイノさんだが、事情は話せない。
シズさんも上手く説得してくれて、ようやくそれは叶った。
これで胸を張って元に戻れる。
こんなに晴れやかな気持ちになったのは、本当に久し振りだった。
なのに、それは突然やってきた。
それから数日後。
いつもの日々を取り戻してから、僕は明るい気分でギルドホームの扉を開けてその中へ入った。
「おはよー」
そして、見た。
まるでこの世のものではないかのような、そんな非現実的な光景を。
ギルドホームにはその二人しかいなかった。
だから気が緩んだとか、魔が差したとか、調子に乗っちゃったとか、そういう理由だろう。
ちょうど二人は誰もいないその部屋で、ひっそりと唇を交わし合っていた。
誰と、誰が?
僕の弟分で、ギルドではおとなしい感じだったカイくんと、
僕が密かに憧れていて、誰にも言えない秘密を唯一教えたシズさんが。
「あ……」
誰かが小さく声を漏らした。
その拍子に、二人の視線が僕に向かった。
僕にはそれがとても耐えられるものじゃなくて、
すぐさま、そこから逃げ出した。
何で。
何でだ?
何で、あの二人が?
何で、僕は逃げてる?
いつからそうなっていた?
僕の気持ちは、
あの人の気持ちは……
……え?
彼と、彼女が……
そういうこと、なのか?
僕は何もかもを思い違いしていて、
僕は何も知らなかったのか?
何かが音を立てて、崩れていったような気がした。
あまりにも、突然のことだった。




