31話
好きな女性――――
私の耳にはそう聞こえた。ひとりの兵士が何気なく言い放った言葉に激しく心を揺さぶられている。だって今、この場にいる女性はひとりしかいないのだから。
好きなって……誰の? 兵士ははっきりとその名を口にしていたのに、あり得なさ過ぎてどうしても受け入れられない。脳が理解を拒んでいる。聞き間違いだ。そうに違いないと――――
「リナリア」
「は、はい!! なんでしょう!!!! バージル様」
現在頭の中の大半をしめていた人物に声をかけられ、私は大袈裟に返事を返す。彼はいまどんな顔をしているのだろう。見るのが怖い。
「ちょっとこちらに来てくれないか。確認して貰いたいことがある」
普通……だ。あまりにも普通で拍子抜けしてしまった。兵士にしっかりと制裁を与えていたので、何かしらの問題発言があったのは間違いないはずだけど……バージル様の私に対する態度に変化はない。
やはり聞き間違いだったのだ。私は自分に言い聞かせるよう頭の中で繰り返した。バージル様の好きな人が私だなんて……普通に考えてそんなことあるはずがない。
最近共に行動する機会が増えて、私が抱いていた彼の印象が変わってきたから、そんな自意識過剰な思考回路に陥ってしまったのだろう。危うくとんでもない勘違いをするところだった。羞恥で悶えそうになるのを必死で堪え、私はバージル様の元へと向かった。
「今からこいつの被り物を外す。リナにも立ち会って欲しいんだ」
こいつというのは男たちの中で唯一顔を隠していた者。指示役と思わしきその人物は、バージル様によって拘束され、手足も縄で縛られていた。
バージル様は顔を見る前からその人物の正体に気付いているような口振りだった。予測を確定させるためにも実際に男の顔を改める必要があるだろう。でも、どうして今この場で私を交えてそれを行おうとするのだろうか。おかしいと思いながらも口に出すことはできなかった。私はバージル様と共に、男の顔に巻かれた布が外されていくのを見守った。
隠された男の素顔が私たちの前に露わになる。
「あっ……」
思わず声を漏らしてしまう。布の下から現れた男の顔……私はその顔に見覚えがあったのだ。
「どうして……なんで」
「リナ、落ち着いて」
バージル様の声が遠くに聞こえる。落ち着けと言われているみたいだけど、到底無理な話であった。だって……この人は……
「リナリア様……まさか貴女が裏で小公爵と結託しているとは思わなかった。ステラ嬢と親しくしている時点で警戒しておかなければならなかったな……」
男の名前はヘルゲ・ベントリーという。
私は彼と会ったこともあるし、会話だってしたことがある。何故なら……
彼……ヘルゲは、レシュー伯爵の従者だからだ。
「リナリアお嬢様!!」
侍女のエリーが血相を変えて部屋に飛び込んできた。ベッドで横になっていた体をゆっくりと持ち上げる。怠い……
悪いけどしばらくそっとしておいて欲しい。ここ数日の間に起きた様々な出来事のせいで私は疲労困憊だった。頭の中がぐちゃぐちゃでどこから整理していいか分からない。ショックと驚きが大き過ぎた。学園がしばらくの間休園になったことも手伝い、私は一日中自室でぼんやりして過ごしていた。
「……エリー、体調が優れないの。もう少し寝かせておいて」
「申し訳ありません。重々承知しておりますが、お嬢様にお客様がお見えになっております」
「……お客様。来客の予定なんてなかったはずだけど……」
「大切な話があるのでどうしてもと……。リシャール王太子殿下とステラ・ジョゼット様がいらしております」
「えっ!?」
エリーが慌てていた理由が一瞬で分かった。リシャール殿下とステラ……このふたりが揃ってのご訪問となれば取り乱すなという方が無理だろう。ステラだけなら今までにも何度か遊びに来たことがあるが、そこに王太子殿下も一緒となれば只事ではない。呑気に寝ている場合ではない。急いで対応しなければ……
「エリー、お客様を応接室にお通しして。私もすぐに準備して向かいます」
「はいっ!」
エリーに手短かに指示を出すと、私は急いでベッドから飛び降りた。
「いやー、連絡も無しにいきなり押しかけてすまなかったね。どうぞ、お構いなく」
「本当ですよ、リシャール殿下。リナの気持ちも考えて下さい。貴方の相手をする元気なんて無いに決まってるのに……はっきり言って迷惑ですよ」
「ステラ……君はもう少し歯に衣着せた物言いを意識したほうがいいと思うぞ。仕方ないだろう、この件に関しては早く当人に説明しないと……それにステラだって文句を言いながら一緒に来てるじゃないか」
「殿下とリナをふたりきりで会わせるのが心配なんです。ごめんね、リナ。殿下がどうしてもあなたに話があるって聞かないものだから。一応止めたんだけど……」
応接室に到着するやいなや……挨拶もそこそこに殿下とステラは言い争いを始めてしまった。私は軽く置いてけぼり状態になりながら、ふたりの会話の内容に耳を傾ける。すると、彼らがうちに来た経緯がなんとなく分かった。ステラは殿下を心配して付き添いとして同行したみたいだ。
「ひとりだと悶々として閉じこもってしまうので……おふたりが来てくださって良い刺激になりました」
気にするなとステラに伝えると、彼女は安心したように微笑んだ。ステラにはずいぶんと心配をかけていたようだ。申し訳ないという気持ちと、その気遣いに対する嬉しいという気持ちが同時に押し寄せる。
「リナリア嬢。ここ数日の騒動のせいで君が憔悴し切っているのは、私とて充分理解しているよ。だからこそ今日訪れたといっても過言ではない」
『種明かしをしよう』
殿下はそう言って姿勢を正した。




