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虹色の紫陽花を君に

作者: ロース山
掲載日:2026/06/09

 茹だるような暑さが苦手だが、夕焼けが格段に綺麗になるから夏が好きだ。

 折りたたみ傘を常に鞄に入れなければ雨に濡れてしまうが、色とりどりの紫陽花が見れるから夏が好きだ。

 そしてその二つを見ると君が笑うから、夏が好きだ。


 夏を指折り数えてしまう自分に呆れながら、君を見る。

 君はなんだか不機嫌そうで、お菓子をつつきながら公園の東屋から外の景色へ視線を向けていた。

 5月の定期テストが終わり、翌日の土曜日に僕らは公園で集まっていた。勉強を頑張ったね、という打ち上げだ。

 この公園は四面を比較的高い建物に囲まれているため、なかなか人の来ない穴場だった。ここに植えられている植物は、四季のいずれかに花が咲く。

 今はクレマチスが見頃だった。

 君はそのクレマチスを睨みつけながら時折石膏のように真っ白な足を組み直し、唇を曲げた。

 どうしたの? と問いかけると

 今日は寒すぎると君は答えた。

 確かに今日は春先とはいえ君の格好は薄着すぎた。ショートパンツなんて短すぎる。

 僕は上着を脱いで君の肩にかけた。

 あなたは寒くないの? と君が言った。

 大丈夫だよと僕は笑った。

 ちょっと困った風に君も笑った。

 その笑顔を見て、やはり君は僕の気持ちに気がついているのだろうかと思う。

 だけど僕は、今の関係を壊したくない。

 臆病者で、卑怯者。

 それが僕の正体だ。



 私は花が好きだ。

 花を見ていると楽しくなる。

 私は花が嫌いだ。

 花の香りは嫌なことを思い出す。


 特に紫陽花は嫌いだった。

 一致団結とか家族団らんなんて言いながら移り気とか浮気なんてことを意味する。母さんが泣いた日を思い出させる、そんな矛盾した花言葉を持つ彼らが嫌いだった。


 夕焼けは好きだ。

 綺麗だから。

 夕焼けは嫌いだ。

 一日の終わりを告げるから。


 特に夏の夕焼けは嫌いだった。

 一日の日が長い分、終わるのがあまりにさみしいから。


 私はあなたが好き。

 あなたは誰にでも優しいから。

 私はあなたが嫌い。

 あなたは誰にでも優しいから。


 紫陽花が特別になった。

 あなたが初めて私に贈ってくれた花だから。

 夏の夕焼けが特別になった。

 あなたを好きになった瞬間だから。


 初めて出会ったのは雨だった。

 あなたは傘を忘れてしまった。

 大雨の中、あなたは走ろうとするから私は慌てて予備の折りたたみ傘を渡した。

 そこが始まりだった。

 あなたは私が渡した傘を壊した。

 雨の日から数日経って、傘に書いてあった名前を元にあなたは私の前に現れた。

 お礼とお詫びがしたい。

 真面目な顔でそう言うあなたは、クラスの中心人物の一人でテストの順位表でいつも一番上に名前がある人だった。

 私は勉強が苦手だったから、あなたに教えてほしいと言った。

 連れてこられたのは、周りが高い建物に囲まれた公園だった。

 その時に見頃だったのは、紫陽花だった。

 眉をひそめかけたが、こらえた。教えを請うのは私なのだ。わがままは言ってはいけない。

 しかしあなたには筒抜けだった。

 体調悪いの? とあなたはのぞき込んできた。

 そんなことないけど、なぜそう思うの?

 苦しそうに見えるよ。

 そう言われて、心臓が飛び上がった。


 花の香りは嫌いだ。

 あの裏切り者を思い出させる。

 あいつは母に絶えず花を贈っていた。

 花の香りの中で母は笑っていたのに。


 日を改めようか?

 そんなあなたの声で我に返った。

 あなたはまっすぐこちらを見つめていた。

 咄嗟に目をそらす。

 大丈夫よ、緊張しているだけだから。

 そう答えた。

 …なら、いいけど。

 心配そうにしつつ、あなたは公園の東屋へ案内してくれた。

 どこがわからないの?

 少し休憩してから、君は言った。

 わからないところがわからない。

 そう言うと、あなたはこの間のテストの問題用紙とルーズリーフを取り出した。

 もう一度、解いてみてくれない?

 私はシャーペンを片手にルーズリーフへ答えを書いた。

 書き終わった時、あなたは紫陽花を見ていた。

 声をかけるとあなたは慌ててこちらを見た。

 ごめんね、今答え合わせをしようかっ

 あなたはテストの丸付けを始めた。

 間違えた所を元にあなたは私の躓いている所を見抜き、丁寧に解説しつつこう言った。

 テストの点数が低い事自体は悪いことじゃない。テストは「どこまで理解できているか?」を見るためのものだから。テストで間違えることで理解できてないところがわかるんだよ。だからそこを攻略できれば良いんだ。

 落ち着いたあなたの声は、言葉は、魔法のように染み込んだ。

 明日は基礎の問題をしようと思うんだけど、良いかな?

 明日も教えてくれるの?

 もちろん

 あなたは初めて笑った。


 あなたとの勉強会は続いた。

 私が基礎の基礎から躓いていて、今やっている授業のところまで来るのに時間がかかった。

 あなたは人に教えると復習が出来て助かると笑った。

 私は次のテストで上位30位の中に入れた。

 私はあなたの名前が変わらず1位にいることに安心した。足を引っ張っていないか心配だった。

 私はあなたにお礼がしたいと言った。

 あなたは驚いていた。

 こちらのお礼とお詫びなのに? と首を傾げた。

 私は、これからも勉強を教えてほしいからお礼をさせてとお願いした。



 僕はあの時びっくりした。

 自分で言うのも何だけど、告白は何回かされる方だ。

 だからお詫びとお礼をさせてほしいと言った時、てっきりデートしてほしいとか付き合ってと言われるのかと思った。

 でも君は、勉強を教えてほしいとお願いしてきた。面食らった。僕に近づく方便かとも思ったが、君は大真面目な顔をしていた。

 これは軽薄な考えはしていない。

 そう思った僕は、君を誰にも教えていない場所へと案内した。

 その時、君の痛みを堪えるような表情が気になったが、大丈夫だという以上は踏み込むのは違う気がして勉強会をすることにした。

 君は真剣だった。勉強は基礎の基礎から躓いていたが、自分のできないことから目をそらさずめげない強さがあった。

 恐らく今までは勉強のやり方を知らなかっただけだろう。

 次のテストの間にみるみる学力が上がり、上位30位の中にはいることができた。

 次はどういう教え方をしようか?

 自然とそう思う自分に驚いた。

 勉強の方法を覚えた君は、もう僕が勉強を見る必要がないだろう。

 そう思うと気分が沈んだ。

 だけど君は勉強会を続けたいと言った。

 その言葉自体が何よりのお礼だと思った。



 あなたはそれじゃあ、とある提案をした。

 シャッシャッシャッ、シュッ

 鉛筆を走らせるあなたの表情は真剣で、心臓の鼓動が早くなる。心臓とは正反対に私は石像のように動かなかった。

 あなたは私の絵を描きたい、と言い出した。

 そしてそれを持ち帰りたいとも。

 私は了承した。

 鉛筆を走らせた後は、絵筆を手に取った。

 さらさらとモノトーンの世界に色をつけていく。頬にじわりと赤みを挿せば、あなたは一気に脱力した。

 できたぁ、

 ふやふやとしたあなたを見るのは初めてだった。

 少し経った後、後ろにのけぞっていたあなたはよいしょと元の姿勢に戻った。

 ここは元美術部の部室だった。

 以前はそれなりに名を轟かせていたようだがどうも私たちが入学する寸前で廃部になってしまったらしい。

 あなたはこの美術部目当てでここへ入学してきたのだと言った。

 将来は美術の大学に入り美術関連の仕事がしたいのかと聞けば、そうではないと言う。

 人生を豊かにする何かを掴みたかったのだと。

 よく、分からなかった。

 分からなかったけど、あなたの表情があまりにも穏やかだった。

 さ、見てくれる?

 乾いた絵をこちらに見せてくれた。

 そこには、夕焼けに照らされた私の姿があった。

 私の表情はどこか物憂げでいて、視線をこちらに投げていた。

 私はしばらく言葉が出なかった。

 こんな顔をしていたのか。

 知らない私を見た。

 綺麗だよね。

 その言葉に息を止めた。

 ほら、窓の外を見て。

 言われて窓の外へ視線を向けると、紫の雲が浮かぶ橙色の夕焼けがあった。

 また、一日が終わってしまう。

 さみしいと呟いた。

 君は一日一日を大切にしているんだね。

 そうじゃないよと首を振る。


 母が笑っていた日々。

 それは夜、つんざくような悲鳴で終わった。

 怒鳴り声だったのかもしれない。

 母の声とは思えないような音だった。

 今でも耳から離れない。

 それ以来、母は笑わなくなってしまった。


 ただ怖いの、終わりが来るのが。

 あの楽しかった日々は終わってしまった。

 三人から二人へ。

 そして、一人になるのかもしれない。

 それが怖い。


 何もせずにいたら確かに何もかも終わってしまうね。

 あなたは静かに頷いた。

 作り出すよりも、完成させるよりも、持続させるのがとても難しい。

 あなたは今しがた完成させた絵を撫でて言う。

 絵も一緒なんだ。

 あなたは絵の道具を片付けていく。

 ちゃんと保管しないと、褪せたりカビが生えてしまう。

 勉強も、復習しないと忘れちゃう。

 人との関係も、作っても連絡せずにいたら疎遠になっちゃうね。

 でも君は、続けられる人だよ。

 君は勉強会を続けたいって言ったじゃないか。

 絵を片付けたあなたはスポーツバックから紙袋を取り出した。

 本当は、折りたたみ傘を渡そうと思ったんだけど。壊れづらい物がいいかなって。

 紙袋から取り出されたそれに、私は目を見張った。

 木製のグリップには螺鈿が埋め込まれ、虹色に輝く月と紫陽花が咲いていた。

 とても美しいペンだった。

 嫌いなはずの花なのに、見とれてしまう。

 紫陽花と月はよく色や形が変わるから不実だとか移り気の象徴と言われるけど、実は違うんだ。

 紫陽花って同じ色のものが無いけれど、それは土の性質で色が変わるからなんだ。

 つまり環境に合わせてちゃんと生きているだけ。

 月だって毎日形が変わるよ

 でもそれは月そのものが変わっているのではなくて、僕たちと月の位置関係が変わって見え方も変わっただけ。

 君も変わったよ。

 君は変わる努力ができる人だ。

 だから

 終わらないために、続けるために変わる努力もできる人だと思う。


 あなたの言葉はいつもそう。

 魔法のように染み込んで。

 優しくわたしを変えていく。

 膝の上に熱い雫が落ちた。


 あぁ、あなたのことが好きだ。


 絶対誰も好きにならないようにと思っていたのに。

 絶対など無いと。変わらないものなんて無いと知った筈なのに。


 変わりたい。あなたとの関係を変えたい。


 そう思った、夏の夕焼け。


 そこから、季節は移り変わった。

 夏から秋へ、秋から冬へ。

 そして春へ。


 真っ白な美しいクレマチスを見て、緊張を解そうとして失敗した。

 少しでもオシャレにしようとして薄着をしすぎたし、あなたの体温が染みた上着がさらに緊張を呼ぶ。

 でも、これ以上伸ばす気はしなかった。


 ねえ


 私はあなたとの関係を変えたい。

 あなたとの関係を終わらせないために、変わり続ける努力をしたい。

 だから


 私、あなたのことが好きなんだけど。


 壊れてしまうかもしれない。終わってしまうかもしれない。

 それでも私は一歩踏み出した。



 一瞬、何を言われたか分からなかった。

 理解した瞬間、心臓が大きく跳ねた。

 風がクレマチスを揺らす。

 君は伏し目がちに手を強く握り込んで、震えていた。

 僕は何かを言おうとして、 上手く言葉が出てこなかった。

 何も言わずに、君を抱きしめた。

 震えていた肩が、少しだけ強張る。

 逃がさないように。

 壊さないように。

 そっと力を込めた。


 ただ一つだけ確かなことがある。

 来るのが待ち遠しかった夏よりも。

 今、この瞬間の方がずっとずっと好きだった。

 


  

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