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第8章『ズレ』

あの学校祭の日から半年が経った。当初はライブの余熱に押され、音楽室には自然と人が集まってきた。けれど時が経つにつれて、足を運ぶ生徒の数は減り、あの熱狂は幻だったかのように色あせていった。その変化に一番敏感だったのは、加藤だった。


 ギターを握りながらも、胸の奥に苛立ちが募る。瑞樹のドラムは正確さを増していたが、肝心の爆発力がない。幸政のベースも安定しているが、安堵に寄りかかるようで、火花が足りない。自分の音だけが空回りしているような感覚に、加藤は苛立ちを隠せなかった。


「……なんか違うんだよ」


 演奏を止め、ギターを外した加藤が低くつぶやく。声には自分でも制御できない焦りが滲んでいた。


「違うって?」瑞樹が不安げに問う。


「リズムは合ってる。でも、俺の音とお前らの音がバラバラで、走る方向が違うんだ」


 瑞樹はスティックを握りしめ、視線を落とす。幸政が間を埋めようと口を開いた。


「……でもさ、前よりは確実に良くなってる。俺も、瑞樹も。焦らなくても——」


「焦ってんのは俺だ!」


 声が思わず大きくなる。加藤は息を吐き、目を伏せた。「練習してんのに、進んでる気がしねえんだ」


 瑞樹の肩が小さく震える。幸政も言葉を飲み込んだ。三人とも胸の奥では同じ焦りを抱えていたが、それを認めることが怖かった。


 そんな停滞を打ち破ったのは、水口の噂だった。彼らのバンドが街のライブハウスで演奏するという。加藤たちは興味と不安を抱え、足を運んだ。


 会場に入ると、かつて自分たちの演奏を見に来ていた生徒たちがぎっしりと詰めかけていた。ステージに現れた水口たちが放った音は、鋭さも厚みも別物だった。圧倒され、加藤は悔しさに歯を食いしばった。


 帰り道、三人は近くのファミレスに入った。店内は水口のライブ帰りの客で賑わっていた。メニューを開くも、言葉が出ない。沈黙に耐えられず、幸政が口を開く。


「……すげえ演奏だったな。正直、驚いた」


「驚いた、じゃねえよ」加藤の声は震えていた。「俺ら、この半年で何してたんだよ」


「比べなくても——」瑞樹が言いかける。


「比べなきゃ気づけねえだろ!」加藤は机を叩いた。「お前のドラム、本気じゃねえ。幸政だってそうだ。結局、あの時の熱気に甘えてるだけなんだよ!」


 瑞樹の目に涙がにじむ。「……ごめん」と呟き、席を立って走り去った。


「瑞樹!」幸政が慌てて立ち上がる。しかし加藤が低く言った。

「追えよ。お前なら……まだ間に合う」


 幸政はうなずき、瑞樹の後を追った。


 テーブルに一人残った加藤は、冷めかけたコーヒーを見つめ、拳を握った。苛立ちは消えない。その時、不意に声がした。


「……先輩?」


 顔を上げると、懐かしい笑顔を浮かべる少女が立っていた。藤崎葉。まだ入学前で制服もなく、無邪気な元気さをまとった姿だった。


「なんだ、お前……」加藤が眉をひそめる。


「さっきの、先輩らしくなかったから」葉は真剣な眼差しで言った。「先輩って、もっと真っ直ぐでかっこいいのに。さっきは逃げてるみたいで嫌でした」


 胸に突き刺さる。加藤は苦笑して肩を落とした。「……ガキのくせに言うじゃねえか」


「ガキだから言えるんです」葉は言い切った。「追いかけてください。あの人たち、待ってますよ」


 加藤は短く息を吐き、椅子を蹴るように立ち上がった。「……言われなくても行くよ」


 背を向けた瞬間、葉が少し笑った。その笑顔は朝の光のように短く、眩しかった。加藤はその光を背に受けながら、胸の奥に渦巻く苛立ちや焦燥を押し込み、ただひとつの思いを噛みしめた——逃げたままじゃ終われない。息を荒げながら足を踏み出すと、頭の中にはギターのフレーズと仲間の顔が交互に浮かんだ。怖さもある、けれどそれ以上に離れたくない気持ちが勝った。加藤は瑞樹と幸政の後を追って駆け出した。


 加藤は走って追いつき、肩で息をしながら二人に声をかけた。「さっきは……すまねえ。色々、最近わからなくなっててさ」その言葉に幸政は立ち止まり、「まあ……わからなくはない」と静かに返す。瑞樹はうつむいたまま何も言わない。沈黙の中で、加藤は拳を握りしめてつぶやいた。「……それでも、どうしても俺は音楽で上を目指したいんだ」


 それはただの意地ではなかった。物心ついた頃から家にはギターの音が響いていた。父がかつてバンドをやっていて、狭い居間で古びたアンプを鳴らす姿を何度も見た。楽しそうに、誇らしげに音を出すその背中は、幼い加藤の心に深く刻まれていた。だがその父は、加藤が中学一年の夏、不慮の交通事故で突然この世を去った。残されたのは古びたギターと、胸に焼き付いた言葉だった。父が口にした「音楽は人生を照らす火だ」という言葉は、年月を経ても胸の奥で消えることなく燃え続けている。


 どうしても父のあの音を聴きたくて、葬儀のあと、加藤は思い切って小山先生を訪ねた。父の旧友だと知ったからだ。先生は静かにギターを手に取り、父と一緒に演奏した曲を弾いてくれた。幼い頃に聴いた音が蘇った瞬間、胸の奥に眠っていた火が一気に燃え上がった。その夜、加藤は決めたのだ——自分もギターを弾くと。そして先生もまた言った。「お前の父さんのように、音楽を背負える人間になれ」と。厳しくも温かいその言葉が、加藤をここまで導いてきた。


 帰り道、三人は並んで歩いた。言葉は少なかったが、それでも肩と肩の距離は離れていなかった。瑞樹が小さく「……また練習しよう」と呟き、幸政がうなずく。加藤はその声を聞きながら、夜空を仰いだ。


 父の言葉が胸の奥でよみがえる。音楽は、人生を照らす火だ。


 その火を消さないために。加藤は静かに拳を握った。


第9章 「炎」

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