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第4章「波乱の学校祭」

軽音同好会――その名前が正式に校内に掲示されたとき、俺は思わず笑ってしまった。


入学したころは、素性も性格も知らないはずだった二人と、今こうしてバンドを組んでいるなんて。中学のころには想像もしていなかった未来が、今目の前に広がっている。


あの日から俺たちは毎日放課後に集まり、練習を重ねた。加藤は教室にいるときよりもずっと笑顔で、心から楽しそうだった。瑞樹はまだまだ苦戦していたけれど、それでも少しずつ、確実に上達していった。その時間がただただ楽しくて、俺は毎日学校に行くのが楽しみで仕方なかった。


そんなある日の放課後、小山先生が「せっかくだから文化祭で何か披露してみないか」と提案してくれた。だが、文化祭のステージに立つには事前にオーディションを通過しなければならなかった。枠は限られており、ダンス部や演劇部、吹奏楽部といった常連組が当然のようにエントリーしてくる。


俺たちは迷った末、エントリーを決意した。他にもいくつかバンドの名前がリストに並ぶ中、俺たちはある一つの名前に目を留めた。「ん? これ……」加藤が手元の紙をじっと見つめたあと、小さく眉をひそめた。「ふーん、うち以外にもバンドなんかするやついるんだなあ」まるで独り言のように呟いたが、その声はどこか引っかかるものがあった。


この時点では、俺たちはそのバンドの正体を知らなかった。


加藤は最初「無理に決まってんだろ」と笑い飛ばしていたが、気づけば譜面と向き合いながら真剣な顔をしていた。勝負の30分枠をかけて、俺たちは全力で準備を始めたのだった。


文化祭出場をかけたオーディションは本番の1週間前、今からだと約2週間の準備期間しかない。その日の練習終わり、小山先生がふと思い出したように口にした。「たまには外で音楽に触れてみないか」と。その提案に導かれ、俺たちは先生が昔から通っているというジャズバーに足を運ぶことになった。


加藤はその時苦い顔をしていたが、渋々承諾してくれた。


夜の街はざわめきに包まれ、ネオンの光がまるで夢の中の祭りのように揺れていた。そんな華やかさから少し外れた路地裏、静かに佇む看板の灯りが「BAR STOMP」の存在を告げていた。俺と瑞樹は戸惑いと興奮の入り混じった顔で扉を押す。中に広がっていたのは、音楽という名の魔法がぎっしり詰まった宝箱のような空間だった。


「やあ、ママ。今日は生徒たちを連れてきたんだ」

「まあ、いらっしゃい。可愛いお客さんね。それと……うちのバカ息子まで連れてくるなんて。何しに来たのよ、こんなところまで?」

加藤は耳まで真っ赤にして、目をそらした。「やめてくれよ、先生。恥ずかしいって……帰ろうぜ」

「せっかくだし、一曲ぐらい聴いていこうじゃないか。今日は生徒がいるから、例のやつは控えておくけどね」

そういうとボックス席に全員を座らせて、小山先生は裏の方へと静かに姿を消した。


数分後、店内に拍手が湧き起こる。その中から現れたのは、煌びやかな衣装を身にまとったプレイヤーたち。彼らが手にした楽器は、まるで意思を持ったかのように、その場に鳴り響きはじめた。


リズムが心臓を打ち、旋律が空気を震わせる。音は生きていて、意志を持っているようだった。自分たちとは異次元の世界に住む者たち――そう感じさせられるほどの圧倒的な演奏に、俺は息を呑んだ。


拍手が鳴り止んだその瞬間、小山先生が戻ってきて言った。「どうだった?」


瑞樹は目を潤ませながら、小さく震える声で答えた。「……感動しました。胸が、震えるって、こういうことなんだって……初めて思いました」


加藤は不機嫌そうに腕を組んだまま、吐き捨てるように言った。「また見せつけやがって……あのレベル、絶対超えてやるからな。覚悟しとけよ」


俺はというと、ただ呆然と座っていた。目の前の常識が、音の一撃でひっくり返されたような衝撃に打ちのめされていた。


小山先生が俺の顔をじっと見ながら尋ねた。「君はどうだった?」


その目はどこか試すようで、正直に答えられる気がしなかった。


「か、感動しました……」


まっすぐな視線を受け止めきれず、俺は思わず目をそらす。


実際には、心の中はぐちゃぐちゃだった。演奏の凄さに心が揺さぶられたというよりは、ただただ怖かった。


歓迎されているのか、試されているのか、それすらもわからない。ただひとつ確かなのは、音楽というものが、こんなにも怖いと思ったのは、生まれて初めてだったということだ。


そのあと、俺たちはそれぞれ帰り支度をはじめたが、小山先生だけはその場に残った。


「斎藤君、ちょっと残ってくれないかい?」


「え、俺っすか?」


「うん。ちょうどな、知り合いがスタジオやっててね。今夜、そこでセッションでもしてみないかね?」


「……なんで俺が?」


混乱したまま問い返すと、先生はにやりと笑って背を向けた。


「君のベースが、どこまで通用するか、見てみたいんだよ」


そんな言葉に乗せられるように、俺は先生のあとを追った。


スタジオは、古びたビルの地下にあった。湿気がこもり、少しカビ臭いその空間には、どこか懐かしさが漂っていた。壁には年季の入った落書きやポスターが貼られ、いくつもの音楽が鳴り響いたであろう歴史が刻まれていた。まるで、数え切れない後悔と歓喜が染みついているような場所だった。


入口を開けると、カウンターの奥から男の声が飛んできた。「げっ。くそじじい、またあれやんのかよ」


「すまんが開けてくれ。彼のためなんだよ」


「わかったよ……兄ちゃん、御愁傷さまだね。じじい、鍵は締めて帰れよ?」


「そんな遅くはならんさ」


男はしぶしぶスタジオを開け、俺たちは中へ入った。先生は手際よくドラムセットを組み立て、俺にベースを差し出した。


「さあ、始めようか」


「え……ちょ、先生、何するか聞いてないんですけど!!」


言葉の半分も言い切らないうちに、先生のスティックが宙を切り、爆発のような一打がドラムを叩いた。低く、重く、鋭いその音が空間を切り裂き、俺の思考を奪った。何が起きたのかもわからないまま、ベースの弦を押さえる指が震えた。音が空気をねじ曲げ、部屋全体が音楽の渦に巻き込まれていく。逃げる暇もなく、俺はその奔流に飲み込まれ、ただ夢中で演奏に食らいついた。


数時間やりきった。ただただ音にまみれただけだった。なにもできなかった。けど、初めて音楽に触れたあの時のような感覚が、全身に走っていた。


セッションが終わり、先生がスティックをそっと置いて言った。


「どうだった?」


俺は息を整えながら答えた。「死ぬかと思うくらい楽しかったです……」


先生はにやりと笑って、「ふふふ、これでオーディションは問題ないな」と言った。


その時は何を言っているのか、よくわからなかった。でも、翌日の練習で、それははっきりと現れた。


指先がいつもより自然に動き、音が流れるように出てきた。何かが変わったのだ。演奏に、余裕が生まれていた。


何かが物足りない――そう思った瞬間、ふと気づいた。いつの間にか、自分の中に“遊び心”という名の、余計なものが住みついていた。けれどその余計なものが、どうしようもなく心地よかった。


練習後、加藤が言った。


「お前、あの日先生に呼び止められてただろ? なんかあったのかよ。修行してきたのかってくらい上手くなってんじゃん」


俺は少し笑って答えた。「うーん、修行と言われれば修行かもなあ」


加藤は「は? なにそれ」と呆れながらも、どこか笑っていた。


──ただ、その笑顔には、ほんの少しだけ、影が差していたのを、俺は見逃さなかった。


それから数日後、練習中に加藤の苛立ちは明確になっていった。


「……ちげえよ、そこはもっと食ってかかる感じだろ」


いつもなら軽く流すような細かい部分にまで過敏に反応する加藤。瑞樹のドラムも、俺のベースも、以前より確実にレベルが上がっていた。だけど、なぜか加藤だけが空回っているように見えた。


「お前らさ、最近ちょっと調子乗ってね?」


そう言い捨てて、加藤は練習をすっぽかした。


その夜、俺は彼にメッセージを送った。「お前がいないと締まらない。頼むから戻ってこい」


返信はなかった。


それから数日たっても加藤は姿を見せなかった。


迎えたオーディション当日。


学校の視聴覚室には、出演バンドたちが集まり、控え室代わりの教室ではわずかな緊張感とざわめきが漂っていた。その中に、不安そうな顔をした加藤の姿もあった。彼の目は落ち着きなく教室内を彷徨い、手元のチューニングにもどこかぎこちなさがにじんでいた。


俺は加藤の姿を見つけ、思わず駆け寄った。「おい、来たのかよ」


加藤は顔を上げ、少しばつが悪そうに言った。「……まあな。逃げたら、もっとダセえって思ってさ」


「うん、まあその通りだな」


俺がそう返すと、加藤は苦笑した。「……なんか、お前に言われるとムカつくな」


「そりゃどうも」


ふたりの間にあった重苦しさが、少しだけ和らいだ気がした。


そのとき、瑞樹がぽつりと呟いた。「……よかった、戻ってきてくれて」


加藤が目を丸くする。「は? なんだよ、急に」


瑞樹は照れくさそうに笑った。「だって、やっぱり3人じゃなきゃ、ダメでしょ」


加藤は鼻を鳴らした。「……まあな。瑞樹、お前ほんと変わったな」


俺はそのやりとりを聞きながら、思わず笑ってしまった。


各バンドは10分以内の持ち時間で、セッティングから演奏までを行う。審査員は軽音部の顧問、小山先生を含む音楽教師2名、そして文化委員会からの代表生徒が数名。全体で20組以上のエントリーがあり、出演できるのは10組程度。しかも、ダンス部や演劇部、吹奏楽部といった強豪が多数を占めると噂されていた。


そんな中、枠は5~6組。その中でも一際注目されていたのが、水口が所属する上級生のバンドだった。オーディション直前になって、水口がそのバンドの中心人物だと判明した瞬間──加藤の表情が一変した。

「あいつが……?」


加藤の顔から血の気が引いていくのが、はっきりと見て取れた。


控室へ戻る途中、水口がわざとらしく俺たちの前に立ちはだかった。


「お前ら、ずいぶん仲良しこよしでいいよな。練習ごっこは楽しかったか?」


加藤は言い返さなかった。黙ったまま、水口を睨みつけるだけだった。


それを見て水口はニヤリと笑った。「なに、また言い返せないの? 昔と変わってねえな、お前」


思わず俺が前に出ようとすると、加藤が手で制した。その背中は、小さく震えていた。


ステージが始まると、各バンドが順番にパフォーマンスを繰り広げていった。


水口のバンドは演奏力もステージングも群を抜いていて、MCまで完璧だった。会場にはどよめきが起こり、控室で見ていた俺たちの間に緊張が走った。


俺は加藤の顔をちらっと見た。彼の唇は固く結ばれ、手は無意識に震えていた。


「なあ……やっぱ無理なんじゃねえか?」


彼の声は小さく、でも確かに震えていた。


俺は深く息を吸って、答えた。「焦りも不安も、全部載せて音にしよう。そっちのが、バンドっぽいだろ?しかもあんな奴に負けたくねえしな」


加藤は少し間を置いて、ぽつりと言った。「……ったく、お前までそんなこと言うようになるとはな」


やがて俺たちの出番が回ってきた。


ステージに上がると、足元がぐらつくような感覚に襲われた。緊張。重圧。焦り。不安。それでも俺は、ベースのストラップを握りしめて立っていた。


目の前の客席には、審査員たちが無表情で並び、その奥には水口たちの姿もあった。


加藤が俺の方を向いた。目が合う。言葉はない。だけど、あの目は──ちゃんと戻ってきてくれていた。


「いくぞ」


加藤のギターが空気を裂くように鳴り始めた。


焦りも不安も、全部ぶつけるように。


俺たちは、自分たちの音を鳴らした。


そして、数日後。


掲示板に貼り出された紙を見た瞬間、俺たちは固まった。


──落選。


信じられなかった。自分たちでは、あれほどまでにやりきったと思っていたのに。


加藤が小さく呟いた。「……マジかよ」


俺は、なにかの間違いじゃないかと何度も確認した。けれど、どこをどう見ても、俺たちの名前はどこにもなかった。


第5章「余波」



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